1歳3ヶ月 54
ドラゴンの口元に収束した真っ黒なソレは、圧倒的な勢いでその物質量を増して襲いかかってきました。
もちろん私の防御魔法を突破することはありませんでしたが、それでも私の魔法によって立方体状に区切られた領域の外部は一瞬で漆黒に塗りつぶされてしまいます。
さながら風景画に墨汁をぶち撒けたかのようなその攻撃は、一度それを間近に目撃していたクリヲトちゃんによって、事前に私たちへと知らされていました。
曰く、“黒い炎”。
それが、このドラゴンが魔族の分靈体として備えている、“開眼”なのです。
超高温の炎でありながら一切の光を発しないその息吹は、周囲が暗い状況では食らう直前まで気が付くことができません。事実、クリヲトちゃんの村は夜に襲撃を受け、最初の黒炎一発で半壊してしまったと聞きました。
けれども、“黒い炎”というのは物理法則に大きく反しています。
……いえ、そもそも魔法やドラゴンが存在して、転生者の乳児が歩き回っている時点で物理法則もクソもないのですが、そういうことではなくっ!
炎というのは、必ず光を放つものです。学生時代、そんな真面目に授業を聞いていなかったので、どうして炎が光を放つのかなんて知りませんが、光を放たない炎なんてものは存在しないはずです。
たしか燃焼物や温度によっては炎の色が変わったりするそうですが、しかし一切光を放たない漆黒の炎なんて、そんなのあるはずがありません。
ならばこのドラゴンの開眼は、どう説明するか?
答えは簡単で、『これは炎じゃない』というだけの話です。
かつて私は、うちの村を襲った盗賊団を屠るためにいくつかの魔法を使いました。
その中の一つ、『熱狂の渦』は、物質が発火する温度以上にまで熱した空気を叩きつける魔法です。
つまり炎自体を放つわけではなく、触れた物質が燃え上がるほど高温の空気を放つわけですね。
きっとあのドラゴンの能力も、同じような物でしょう。炎から光を奪うよりも、空気から光を奪う方が簡単に決まっています。
それにリルル曰く、村で燃え盛っていた炎は普通にオレンジ色だったらしいので、そういう意味でも私は『黒い熱風説』を推します。
……まぁ、実際の仕組みがどうであろうと、簡単に防げてしまう以上はどうでもいいんですけどね。
やがて黒い炎が途切れると、周囲の景色が見え始めてきました。
まず真っ先に目についたのは、私の張った結界の目の前で激しく燃え上がっている木です。
おそらく単純な炎では私たちを倒すことができないと踏んだドラゴンが、苦し紛れに投げて寄越したものでしょう。要は悪あがきですね。
そして私たちの後方では、オレンジ色の炎が燃え上がっています。やっぱり仕組みは私の予想通りかもしれませんね。
……あれ!? 樹海が燃えたら、ここに住む魔族たちが激昂するってリルルが言ってませんでしたっけ!? かなり激しく燃えちゃってますけど、これ大丈夫なんですか……?
しかしこの魔法、明るい場所なら私の『透明の炎』の方が有用だと思いますが、熱風に触れた物体が燃えると攻撃の軌道が見えちゃうので、それすらも見えなくなる『黒い炎』は、暗い場所でなら有効だと思います。
っていうか、ドラゴンの癖に暗い場所での不意打ちでしか効果を発揮しない魔法を使うなんて、なんかセコいような……
私の結界の外にはルローラちゃんがいますが、この攻撃を警戒してあらかじめ私たちの後ろにはいないように指示を出しているので大丈夫でしょう。
ダンディ隊長もリルルの話は聞いていたので、きっと避けているはずだと信じたいですが……さすがにそこまでは責任を持てません。
「……おい、ご主人。ドラゴンいないぞ」
『は?』
レジィの言葉で前方に視線を戻した私は、そこで熱気によって揺らめく景色の中に、あの黒いドラゴンが見当たらないことに気が付きます。
まさか、さっきの黒炎は攻撃じゃなくって……!
「もしかして、逃げたのでしょうか!? セフィ様、すぐに追いましょう!!」
ドラゴンをボコボコにして気が晴れたのか、すっかりいつもの調子に戻ったネルヴィアさんが私にそう言ってきます。
私は頷きますが、しかしすぐには結界を解除せずに、もうしばらく待つことにしました。
すぐに結界を解除してしまったら、熱せられた空気が流れ込んできて火傷しちゃうかもしれませんからね。幸いにもドラゴンが暴れ回ったおかげで周囲に木々はないので、待っていれば温度は下がるはずです。
レジィがいる限り、あの飛べないドラゴンを完全に見失うことはあり得ません。それに散々ネルヴィアさんに手足を殴られて、そうそう素早い動きはできないはず。ゆっくりと追いつめてやりましょう。
不殺の誓いに則り、私はあのドラゴンを殺すつもりはありません。……けれども、二度と悪さなんてできないよう、手足の二、三本くらいはもらっておきましょう。
そうしてしばらく待っていると、黒馬を操るダンディ隊長がゆっくりとこちらに近づいてきました。
それを見て、もう大丈夫かと判断した私は結界を解除します。途端にサウナのような熱気が流れ込んできましたが、我慢できないほどではありません。
するとダンディ隊長は開口一番、
「あのドラゴン、去り際に『増援の騎士団を焼き払う』と言っていた! すまないが、あと少しだけキミたちの力を貸してくれ!」
……!! そういえば、じきに増援が来るってバレてたんでしたっけ。
私たちは見るからに騎士団の中においては異質ですし、残りの騎士団がそこまで強くないことは勘づいていてもおかしくはありません。
ネルヴィアさんやレジィと同等の戦闘力を持つ騎士がいるのなら、その精鋭だけで先遣隊を構成してサーチ&デストロイすれば良かった話ですし。
私たちに勝てないと悟って、せめて一矢報いてやろうと騎士団を壊滅させる腹積もりなのでしょう。
ダンディ隊長は黒馬の背中を示して、
「あの幼い少女は、先にドラゴンの向かった方角へ行ってしまった! 乗ってくれ、すぐに追いかける! あと三人くらいなら乗れるはずだ!」
ルローラちゃん、先に一人で行っちゃったの!?
ああ、でも、もしも私たちの戦闘が長引いて増援の騎士団が駆けつけちゃった場合、彼らを守る役目はルローラちゃんに任せてたんでした。その任務を忠実に果たそうとしてくれてるのかもしれません。
お願いだから、無茶だけはしないでね……!
私が黒馬と目を合わせると、黒馬は私が乗りやすいよう、すぐに屈んでくれました。
そして隊長の後ろにネルヴィアさんを座らせて、私はその後ろで、レジィに後ろから支えてもらいながら騎乗します。
直後、黒馬は私たち四人を乗せたまま軽々と立ち上がると、「しっかり掴まっていろ」とでも言わんばかりに一鳴きして、猛然と駆け出しました。




