1歳3ヶ月 52 ―――ネルヴィアの異変
心臓が縮み上がりそうなほどに邪悪な咆哮をまき散らしたドラゴンは、爆発的な勢いで地面を蹴ると、そのまま地面に転がっていたネルヴィアさんとレジィに飛びかかりました。
その直前でレジィはネルヴィアさんを引きずりながら回避しましたが、すぐにドラゴンは尻尾を真上に振り上げ、逃げる二人に振り下ろします。
その攻撃は先ほどまでと同様に、ネルヴィアさんが魔剣を振るう事で迎え撃ちました。……しかし、弾かれた尻尾は軌道を変えて地面に叩きつけられたものの、ドラゴンは再び尻尾を振りかぶることなく、そのまま尻尾を押し付けるようにして、強引に二人を吹き飛ばしてしまいました。
レジィは飛ばされた勢いを利用して跳躍すると、返す刀でそのままドラゴンに攻撃を仕掛けますが……もはやレジィの攻撃には一切取り合わないと決めたらしいドラゴンは、そのまま狂ったように手足を振り回してネルヴィアさんへと襲いかかります。
ドラゴンの攻撃は先ほどまでよりも明らかに正確さを欠くものの、執拗なまでの暴力性によって振り回される破壊力は、先ほどまでの比ではありません。
私はさすがにもう見ていられなくて、ネルヴィアさんの元へ駆け寄ろうとしますが……
「セフィ様は離れていてください!!」
まだ三歩だって進んでいないところで、ネルヴィアさんは私にそう言ってきました。
私はその言葉に思わず足を止めてしまいましたが、しかしすぐに奇妙な違和感と疑問を覚えました。
……今まさにドラゴンの狂ったような猛攻を受けているネルヴィアさんが、どうして視界の端で駆け寄ろうとしてくる私の動きに気が付けたのでしょうか?
私がそんな疑問に思考を割いている間に、地面ごと抉るようなドラゴンの一撃がネルヴィアさんを宙に浮かせてしまいます。
そして空中で身動きの取れないネルヴィアさんに向かって、ドラゴンの尻尾が振り下ろされました。
攻撃自体は剣で受け止めたものの、ネルヴィアさんはかなりの勢いで吹き飛ばされると、そのまま地面に叩きつけられて、何度も地面を跳ねながら私のすぐ近くまで転がってきました。
私は思わずゾッとして、うつ伏せで倒れ込んでしまっているネルヴィアさんに駆け寄ります。
長い髪で顔が隠れているネルヴィアさんは、すでにところどころ服は破れていますし、目立った外傷は見当たらないものの、きっと服の下は打撲などの傷跡でいっぱいのはずです。
下手をすれば、骨だって折れてるかもしれません。いえ、あんなに激しく地面に叩きつけられてしまっていたのですから、もっと大変な怪我をしているかも……
『お、おねーちゃん……』
レジィがドラゴンを引き付けるために戦ってくれている音を遠くに聞きながら、私は思わず涙ぐみながらネルヴィアさんの肩を揺すりました。
けれども私は心のどこかで、ネルヴィアさんがしばらく目を覚まさないことを確信していましたし、ですからネルヴィアさんの怪我の具合を確認したら、即座に近くで待機しているルローラちゃんにネルヴィアさんを任せて、あのドラゴンを八つ裂きにしてやろうと考えていました。
……やっぱり、いくら実力を信用しているからって、ネルヴィアさんに戦わせたりなんかするべきじゃなかった。
私がそんなことを考えかけた、その時。
ネルヴィアさんが、ゆっくりと体を起こしました。
『……え?』
もう完全に意識を失っていると思っていたネルヴィアさんが動き出したことに、私は驚きを隠せませんでした。
しかし思考が停止していたのは一瞬のことで、すぐにネルヴィアさんがこれ以上の無茶をしようとしていると感じた私は、彼女を止めなければと考えます。
さきほど私が助けに入ろうとした時も、きっとネルヴィアさんは私の期待に応えようと思うあまりに、私の助けを拒んでしまったのでしょう。
そのため私は、こんなドラゴンとの戦いなんかよりも、ネルヴィアさんのほうがよっぽど大事だということを彼女に伝えようとして……
そして、ネルヴィアさんの肩が震えていることに気が付きました。
……やっぱり、すごく怖い思いをしながら戦っていたんだね。
周辺の被害や二次災害なんて気にせずに、昨日の夜、ネルヴィアさんが怖がっていた時点で、彼女をケイリスくんと一緒にお留守番させておくのが正解だったのでしょう。
不幸中の幸いにも、ネルヴィアさんの怪我の具合は、まだ自分で動けるくらいのものみたいです。
あのドラゴンを八つ裂きにしたら、しばらくルーンペディで静養しましょう。そうして身体の傷を癒したら、心の傷も私が責任をもって、時間をかけて癒していきます。
だから、もう戦わなくてもいいんだよ。
私は、ネルヴィアさんの震えている肩にそっと手を置きました。
それから、ネルヴィアさんの顔にかかっていた長い髪を、そっとかき分けて―――
そして、ゾクリと背筋が凍りつきました。
つい先ほどまで暴走したドラゴンに襲われていた彼女が。
痛烈な攻撃を受けて全身がボロボロであるはずの彼女が。
誰よりもドラゴンに対しての恐怖を表明していた彼女が。
まるで、ずっと欲しかったオモチャを与えられた子供のように―――無邪気に笑っていたのです。




