1歳3ヶ月 49 ―――レジィの変化
この辺りを“潮時”と判断した私は、背後のレジィを振り返って抱き付き、馬に跨っていた足を揃えた状態で 彼に体重を預けました。
その行動が意味するところをすぐに察したらしいレジィは、私の背中と膝裏に手を差し込むと私を持ち上げて、さらに黒馬の背中の上で立ち上がりました。
あっ、ちょっと待ってやっぱりすごい怖い!! 魔法で制御されてない速度って思ったよりヤバイ!!
すとっぷすとっぷ! やっぱ隊長さんに馬を止めてもらおうそうしようっていうかせめて心の準備を―――
直前でチキった私の必死の叫びは届かず、レジィは黒馬の背中を蹴ると、高速で背後に流れて行く地面に颯爽と飛び降りました。
ひぇぇぇ!!!
全速走行中の騎馬から 人を抱えて飛び降りるという、人間離れした芸当をぶっつけ本番で実行したレジィでしたが……私にかかる衝撃や負荷はちゃんと受け流されていて、どこも負傷せずに済みました。
さっすがレジィ! でももう二度とやらない!!
「なっ……!?」
それに驚いたのは、もちろんダンディ隊長です。事前打ち合わせも何もありませんでしたからね。
彼は慌てて馬を減速させると、私たちに向けて叫びます。
「何をやっているんだ! 早く戻れ!!」
「良いからさっさと行け、邪魔だ! ここはオレ様たちで何とかする!!」
レジィは隊長さんに にべもない言葉を叩きつけると、私をお姫様抱っこしたまま、背後から轟音を鳴り響かせて迫るドラゴンに視線を向けました。
あんな巨大な怪物を前にしても毅然とした顔つきのレジィに比べて、私はというと、ぶっちゃけチビりそうでした。
だって、あんなのパニック映画でしか見たことないんですよ!? 突っ込んでくるのがトラックでも叫びそうなのに、ドラゴンって! ドラゴンって!!
……今なら、あれだけドラゴンを恐れていたネルヴィアさんの気持ちもわかろうというものです。
そんな私の動揺が、身体の震えや表情で伝わってしまったのか……不意にレジィが、私を抱く力を強めました。
そして、狂ったように雄たけびをあげて迫るドラゴンなんかに目もくれず、彼は私の耳元で穏やかに囁きます。
「大丈夫だ。ご主人はオレが守る」
その優しくも力強い言葉を受けて、私の脳内を襲っていたパニックは急速に鳴りを潜め、小さな勇気の火種が灯りました。
……まったく、私が一番しっかりしていないといけないのに。
私はレジィに笑いかけると、彼の首に思いっきりしがみ付きました。レジィの高速機動で身体を痛めないためです。
そして同時に私は、レジィにも見えるように右親指と右薬指を接触させます。
―――防御魔法、『絶対領域』
ドラゴンの巨大な顎が目前に迫り、あわや噛み千切られる―――というところで、ドラゴンは見えない壁に顔面を激しく叩きつけて、血走った眼を見開きながら後ずさりしました。
私の『絶対領域』は、“人体”と“光”以外のすべての速度を阻む魔法です。
しかし事前に行った実験の結果、獣人族やエルフ族の身体も“人体”と見なされているようでした。
そのためドラゴンはどうなのかと不安に思っていたのですが……やはりドラゴンの身体は“人体”とは判定されなかったようです。肉体の構成要素が大きく違っているのでしょうか?
もしもこの魔法が通用しなかった場合は、レジィの開眼でドラゴンの突撃を回避するつもりでしたが……もうその必要はありませんね。
私はレジィに降ろしてもらうと、後ろで困惑している隊長さんにジェスチャーで『あっち行ってて』と伝えます。もう彼の役目は終わりました。
ドラゴンは私たちがただの人間ではないことを思い知ったらしく、一気に警戒を強めているみたいです。
私が魔法を解除すると、ドラゴンの忌々しげな唸り声に混じって、低く濁った不気味な声で言葉を発していたことに気が付きます。
『グルルル……貴様ラ、何者ダ……? コノ気配……人間デハアルマイ……』
いや人間ですけど? 人間ですけどっ!?
っていうか喋れるんですねドラゴンさん。リルルが会話したって言ってたから知ってましたけど、実際目の当たりにすると、なんか凄いです。
そんなドラゴンの問いに、レジィは少し考えるようにしてから、被っていた帽子を取り去りました。当然、その中に納まっていた獣耳がぴょこんとその姿を現します。いつ見ても可愛い。
……って、そうじゃなくって! 隊長さん、まだ後ろにいるよ!? 確かにさっき「キミたちが何者かは追及しない」とか言ってたけどさ!?
レジィの獣耳を見たドラゴンは少しだけ金色の瞳を見開いて、
『獣人族……人族ニ寝返ッタトイウ噂ハ、本当ダッタノカ……』
「さぁな」
レジィはドラゴンの言葉に大した興味も見せず、短パンのポケットに手を突っ込んで退屈そうに答えました。
私はそんなレジィの対応に違和感を覚えましたが、同じような感想を抱いたらしいドラゴンがレジィに訊ねます。
『魔族ハ、力コソガ絶対……ナゼ、コノ俺ニ歯向カウノダ』
そう、魔族は……とりわけ獣人族は強者絶対主義です。ならば存在そのものが絶対的強者であるドラゴン族なんて、彼らにとっては憧れの的みたいな存在のはずです。
だというのに、レジィはそんなドラゴンに対して、まるで道端の石ころでも見るように興味なさげな目を向けています。それが私にはどうも腑に落ちなかったのですが……
レジィは「あー、オレ様にもよくわかんないんだけどな」と前置きした上で、
「なんかさ、アンタは“違う”んだよな。いや、きっと昔のオレ様なら、アンタを見たら憧れてたんだろうな。……でも、今は違うみたいだ。アンタを見てても、全然なんも感じなかった。アンタが人族の村を滅ぼしたって聞いたとき、なんでだろうな……なんかさ、むかついたんだ。ほんと、なんでかわかんねーんだけど」
そう言ってレジィは赤茶色の髪をワシャワシャとかき混ぜながら、なんだか困ったような表情を浮かべていました。
そんなレジィの言葉を聞いたドラゴンは、金色の瞳をスゥッと細めて、
「……人間ト、長ク居過ギタヨウダナ……モハヤ貴様は、魔族デサエナイ……!!」
「あー、うん。ほんと、そうなのかもな。でもさ……」
レジィは横目でチラリと私を見ると、はにかみながら言い放ちました。
「この人と一緒にいられるんなら、オレは魔族じゃなくていい」
レジィ……。
私はどういう感情によるものか、なぜか感極まって涙ぐんでしまいました。
しかしその直後、ドラゴンは見るからに瞳を血走らせて、私たちに向けて大きく口を開きます。
……まさか、“アレ”が来る?
私はリルル経由でクリヲトちゃんから聞いていた、このドラゴンの持つ能力を思い浮かべて警戒を強めました。
が、その時。私たちの視界の端で、金色に光るものが横切りました。
そして次の瞬間、“ガゴォォンッ!!”というけたたましい轟音と共に、ドラゴンの巨体がくの字に折れ曲がり、近くにあった木をなぎ倒しながら横転するのを見ました。
……こんな芸当ができる騎士は、一人しかいません。
『グォォ……ッ!! 何者ダ……!?』
叫ぶドラゴンの視線の先には、木が倒れたことによって緑のトンネルの一部が破れ、スポットライトのように光が差し込んでいます。
そしてその光の中心で、キラキラと光を反射する金色の髪をなびかせて、彼女―――ネルヴィアさんは、『迅重猛剣フランページュ』を構えました。
「セフィ様には、指一本触れさせません……!!」




