放課後の音楽室で
春の桜が散ってしまって、もうすぐ梅雨入りなのかジメジメしていたその日、バタン、と荒々しく扉が開いたことに肩を跳ね上げる。なんだ、なにごとだ!
「吉澤ちゃんピアノ弾いて。スカッとする激しいやつ」
音楽室の扉を開け放ったと同時に、不機嫌そうな顔でそういう雪村先輩に、パチリと瞬いて首を傾げながらも了承する。
スカッとするってことはロック系がいいかなぁ、と頭の中で数曲浮かべて、ピンときたものを鍵盤に乗せた手で奏でていく。
不機嫌な雪村先輩はピアノの近くの席にドカリと座って、机に乗せた腕に埋もれるように顔を伏せている。
2、3曲弾いたところで雪村先輩は伏せていた顔を上げて、「次はバラードにしてくれる?」と聞いてくる。それをまたしても了承して、ゆったりと曲を奏でる。悲しい恋の歌ではなくて、優しく穏やかな愛の歌。
学園の五大だか七大だかわからないけど、何大か王子様の雪村先輩とこうして話すようになったのは去年の冬のこと。
週に3回の放課後。音楽室のピアノを借りて、思いっきり弾き語るのが日課になっていた私は、その日もピアノの前に座り、ピアノに指を滑らせ気分良く歌まで歌っていた。
弾き語る曲は邦楽、洋楽関係なし。ポップスもロックもジャズもクラシックもなんでもござれだ。もっと言えばメジャーかマイナーかも関係ない。
確かその日はJポップだった気がする。
ーー「歌もピアノもうまいね君」
「!?」
突然聞こえた声に勢いよく振り向けば、どこから現れたのか眠たげな顔をしてあくびまでしている男の人。
誰だこの人……、あ、待ってなんか知ってる気がする。この前、廊下で騒がれてた……。あー、喉らへんまで出てるんだけどな、確か……
「東雲先輩……?」
「んー、惜しい! もう一人の方かな!」
「……あ、雪村先輩!」
「せいかーい」
「すっきりー! って違った、名前間違ってすみません……!」
「はは、いいよいいよ。よくある……いやないけど、自己紹介もしてないわけだしね。さっき言ってたけど俺は雪村昴、2年生。君は? 多分後輩だよね、先輩って言ってたし」
「あ、はい! 吉澤莉子です。1年です」
ぺこりと頭を下げて、また雪村先輩に視線を戻せば、なにやら顎に手を当てて何かを考えているらしい。
「吉澤ちゃんはよくここでピアノ弾いて歌ってるの?」
「あーまぁ一応。今、妹が受験の時期でピリピリしてるので家では歌うどころかピアノを弾くことすら無理なので」
「毎日?」
「いえ、週に3回です」
「そっか。……俺も来ていい?」
「へ?」
「週に3回、ここに。吉澤ちゃんのピアノと歌 気に入っちゃった」
「え、ああ、はい……?」
「じゃあ来週から来るね。あ、俺が来ること誰かに言ったりしないでね。面倒だから」
「はぁ……」
ぽかんとしている私を置いて、雪村先輩はじゃあね、と手を振りながら音楽室を出て行った。ーー
妹の受験終わったけどやっぱりここに来ちゃうんだよなぁ。
雪村先輩との初対面を思い出しながら2曲ほど弾いたところで、動かし疲れた手をぶらぶらと振っていると、曲のリクエスト以外は口を開かなかった雪村先輩が「何も聞かないの?」と言う。
「まぁ言いたいことなら勝手に言うかなと」
「薄情者め。何かあったか聞かれないと勝手には話しづらいじゃん」
「いつも聞かずとも勝手に話し出すのに……。はいはい、何かあったんですか先輩」
「初対面の女に嫌いって言われた」
「わあ……。すごい人もいたもんですね」
「しかも1年」
「怖いもの知らずですね……」
「吉澤ちゃんでさえ初対面では礼儀があったのにね」
「今もありますけどね」
「?」
「?」
お互い白々しく首を傾げる。とぼけた顔をしながら続きを促す。初対面の時と比べたら気安い関係になったよなぁ。
「で、その女が意味わかんなくて。嫌いって言ったくせに直ぐに立ち去らないんだよね。嫌いなら関わってくるなって話じゃん?
なのにいつまでも目の前に立ったまんまだから、こっちが何も言わずに立ち去った。ほんと何なのあれ」
「う、ううん、何なんでしょうね……?
初対面で嫌いなら生理的に無理とか……、いやでも雪村先輩イケメンだから気を引きたかったのかもしれませんね?」
「嫌いって言われて引ける気なんかマイナスに決まってるじゃんばかなの?」
「すみませんねぇ、ばかで! ばかな発想しか出せなくて!」
「あーでも確かに前までならちょっと気になってたかもなぁ。男はともかく女に嫌いとか言われることあんまないし」
「うわそれ男が聞いたら恨まれますよ」
んー、と力ない言葉を吐きながら、雪村先輩はまたぺったりと机に顔を伏せる。
「……嫌いって言ってきた人のことなんか気にしなくていいですよ。
神様だって嫌う人がいるんだから、誰からも嫌われないとか無理ですし。嫌われた理由なんて自分では変えられないものも多かったりしますしね。仲がいい人だったり好きな人に嫌われたら嫌ですけど、初対面の人でしょう? 雪村先輩が普通に過ごしてたらやっぱり好きになってくれるかもしれませんし、ならなかったらそれはもうどうしようもないってことですよ。諦めて他のこと考えましょ。
大丈夫ですよ、雪村先輩を嫌いっていう人以上に、雪村先輩のこと好きっていう人いますから。雪村先輩がなにをしたって好きって言ってくれる人だっていますよ」
ピアノの椅子を立って、雪村先輩の前にしゃがみ込んでぽんぽんと頭を撫でる。先輩にこんなことするのはどうかと思うけど、まぁそう何度もないことだから非常時として許してほしい。
誰に言うでもない言い訳を心の中で行っていれば、撫でていた手を掴まれる。うぎゃあ、これ怒られるやつかな!?
「吉澤ちゃんは? 吉澤ちゃんはどうなの?」
「え、えー私ですか……。そうですねぇ、まぁ雪村先輩が私のこと嫌って相当酷いことしない限りは好きなんじゃないですかね? 雪村先輩面白いし。」
「……そ。
まぁ吉澤ちゃんみたいな面白人間に面白いとか言われたくないけどね」
「面白人間!?」
顔を上げた雪村先輩はさっきまでとは打って変わってなんだかすっきりしたような顔をしている。まぁすっきりしたのなら面白人間って言葉も少しは許してあげましょう。少しはね。
それからの雪村先輩も変わらず週に3回、音楽室にやってきた。
ある日は、
「あ、吉澤ちゃんのクラス今日の家庭科調理実習だったんでしょ? カップケーキ」
「そうですよー。よく知ってますね、情報通ですか?」
「情報通……っていうか自然と、ね?」
「? ……あぁ、渡しに行った子たちがいるんですね」
「俺にだけってわけじゃないけどね。まぁ俺は受け取ってないけど」
「エッなんでですか?」
「だって話したことのない人の手作りって、いくら調理実習のものとはいえ怖くない? 変なものは入ってないだろうけど進んで食べたいとは思えないよね」
「はー! 贅沢な悩みですねー」
「そうだね、だから吉澤ちゃんのちょうだい?」
「流れるようなカツアゲ! やだこの人こわい!
あげません!」
「ははっ、俺吉澤ちゃんのそういうとこ好きだよ」
「あっは、やだ照れるー」
「わあ、微塵も照れてない」
なんて会話をしたり。(結局カップケーキは奪われた。無念)
またある日は、
「そういえば先輩って学園の王子様って呼ばれてるんですよね……笑うところですか?」
「違いますね。というか何かなその不満げな顔」
「いやだって先輩みたいなはらぐ、んんっいい性格の方が王子だなんて世も末……あっでも腹黒王子様っていうキャラクターも漫画やアニメではいますもんね……」
「最初に留まったのに結局腹黒って言ってるあたり吉澤ちゃんバカだよねぇ。あと俺、他でもこんな性格してないからね?
俺がこんな対応してるの隼人と、俺がこんな性格してるって話す友達がいない吉澤ちゃんくらいだよ」
「先輩の失礼さが留まるところを知らない」
「その言葉リボンをかけて吉澤ちゃんに返してあげるね」
なんて会話をしたり。(リボンにかけられた言葉はまた丁重にお返ししておいた)
またある日は、
「なんで私の周りには話を聞かない人が多いんだろう……」
「類は友を呼ぶって言うもんね」
「あっはっは、それなら雪村先輩も類に呼ばれた友ですね」
「わあ先輩を友扱いってすごいね吉澤ちゃん」
「褒めないでください、照れる」
なんて会話をしたり。
我ながら碌な会話してないな私たち。
そんな日々を重ねて、梅雨が過ぎ、夏が過ぎ、秋がやってきた。制服は夏服からまた合服へと変化していたその日、先生と話していて友達に先に行ってもらっていた食堂で、雪村先輩を見つけた。
正確には雪村先輩と、おそらく1年生らしい女の子を。
雪村先輩って1年生にも知り合い居たんだなぁ、と思っていたけど2人の間にある空気はそんな和やかなものではない。というより雪村先輩がやけにピリピリしている。これは、あれだ。初対面なのに嫌いって言われたって言って来た日と似てる。あれ、じゃああの子が雪村先輩に嫌いっていった怖いもの知らず?
そんなことを考えながら、ぼんやりと眺めていたら、女の子がなにやら言ったらしく、遠目からも雪村先輩の怒りのオーラが倍増している。遠いから全く聞こえないけど。周りも気になっているらしくチラチラと雪村先輩たちを見ているし、私も先行きが気にならないでもないけど、このまま見ていたらお昼ご飯食いっぱぐれそうだし、音楽室以外で雪村先輩と話したことないからあの中に入れる(まぁ入りたくもないけど)わけでもないから友達と合流してご飯食べよう。
そう決断したのは、一歩遅かったらしい。バチッと雪村先輩と目が合って、近づいてくる。
逃げようにも雪村先輩の笑顔から逃げたあとのほうが怖いことを悟り逃げられず、雪村先輩の手はがっしりと私の腕を掴んだ。
「先輩に挨拶もなしに逃げようとするなんて失礼じゃない?」
「普段なにも言わないくせによく言いますよ……。って待って引っ張らないでください、お願い私を巻き込むのやめましょう!?」
そんな私の訴えを丸ごと無視して、なぜか私は雪村先輩の隣に座らされ、1年女子と対峙させられる。なんだこれ。
「君がなにしたいのか知らないけど、俺にはもう俺に全く興味のなかった仲のいいバカな後輩はいるんだよね。だから興味のないふりして近づこうとか無理だよ? あと本当に興味がないんならもっとその目を上手く誤魔化したほうがいいよ」
なにをしたいのか知らないとか嘘ばっかりー! そんなこと言いながらめちゃくちゃ言ってるじゃないですかー!
あと雪村先輩の目ぇこっわ!!
「……その人のことですか」
「そうだよ」
待って私に目を向けるのやめてください。私 今限りなく気配消してたのに! っていうか1年女子の目も怖い泣きそう。あと周りの視線は痛い。
「その人こそ昴先輩に興味があるのに隠してるんじゃないですか?」
「俺に興味がある人間が東雲先輩ですか、なんて言わないよね。他にも色々と言いたい放題言ってくるし。
それより、ねぇ、俺、君に名前で呼ぶこと許した?」
ブ、ブリザード……! っていうか雪村先輩あの時はいいよとか言ったくせに東雲先輩って間違えちゃったこと引きずっていらっしゃるじゃないですかやだー! それに言いたい放題なのは雪村先輩もだし!
「そんなの態とかもしれないですし……!」
「気づかなかったら無かったことと一緒だし、俺に興味があるけど遠慮のないバカな後輩なら、それはそれでいいかな」
名前についてはスルーなんだ!?
っていうか1年女子もう諦めよう。雪村先輩はどうでもいいことなら折れてくれるけど、何故か頑なになってるから折れないし論破されるだけだよ。
「ね、吉澤ちゃん?」
「えええ、ここで私に振ります? っていうかなにに対する同意を求めてるんですかそれ」
「吉澤ちゃんはバカな後輩ってところかなぁ」
「それ本人が認めると本気で思ってます? 雪村先輩1日に最低1回は私のことdisるのやめません?」
「やーだ」
「かわいく言えばなんでも許されると思うなよ!」
にっこりと語尾にハートが付いているのではないかと思うほど可愛らしくそういう雪村先輩が憎い。絶対この人 私より可愛い。ただ1日に1回以上私のことdisるのは許さない。
雪村先輩と、負けると知りながら舌戦を繰り広げていたら、いつのまにか1年女子は消えていて、結局私はお昼ご飯を食いっぱぐれることになった。しかも授業合間の休憩に友達含め女子たちに雪村先輩についてめっちゃ聞かれた。雪村先輩やっぱり許さない。
乙女ゲーム転生記憶持ちヒロインはこのあとも雪村先輩にちょっかい出すけど、最終的におばかな後輩との関係を焚き付けるはめになるような気がします。そして最後にはおばかな後輩と強かな先輩でくっつく。
がっつり出す予定はもともと無かったのでそれほどゲームの設定などは作り込んでませんが、ゲームの雪村先輩は女子にちやほやされすぎて逆に自分に興味がない人に惹かれる外見チャラそうな腹黒キャラ。ヒロインはおっとり天然系ではなくツンデレ系で王子様たちは自分に媚びることのないヒロインに惹かれていくシナリオ。
最後までご覧いただきありがとうございました。