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Angel Ring  作者: 虹鮫連牙
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Ⅷ:聖書の秘密とセバスの秘密

 その昔、神は一つの世界を創り、その世界は天界と呼ばれた。

 最初に光を生み出し、次に大地を生み出し、風や摂理も生み出した。

 次に生み出したのは生命だった。最初は草木から始まり、徐々に様々な生命を生み出した。

 そして最後に生み出されたのが天使であった。

 神は考えた。

 天使は一番複雑な生命にしよう。他の生命には決して見られない、無意味で理不尽で、驚くような行動さえも起こしかねない、意外性に満ちた生命にしようと考えたのだ。

 己の為に無駄な苦労を重ねたり、他人の為に命を削ったり、そういった生命がどのように世界を生きるか、ということに興味を持ったのだ。

 神はさっそく天使の創造を始めた。だが最初は天使の心、思考、感情などが上手くバランスを保てず、天使達は迷走し始めた。

 だから神は、天使達を管理する為の道具を生み出すことにした。

 マスターリング。

 それは、神が生み出した天使を統べる物。

 マスターリングの働きによって、天使は神の望む通りの生命となった。泣き、笑い、恨み、称え、それ相応の知恵を持った。自らを縛る秩序も生み出し、その秩序に従い、又は反し、彼らは神を飽きさせることの無い存在となった。

 現在でも、天界に存在する全ての天使は、思考や感情のバランス等をマスターリングから受信して生活している。

 マスターリング無しでは、天使という複雑な生命は生きていけないのである。




「スペイダーはこの“マスターリング”を狙っている。聖書にはマスターリングを手に入れる方法が記してあり、さらにマスターリングは、聖書を手にする者だけが操作できる。言わばマスターリングを操る鍵なのだ」

 ゼオシストはここまで話し終えて一息ついてから、右手に持ったカップを口元に運び、ハーブティーを啜った。

 誰も口を開かなかった。

 アリウスとティレンツェが黙って聞いている理由は、ゼオシストの話を聞いてもあまり危機感が湧かないからだった。

 スペイダーがマスターリングを手に入れたとして、それを使って何が出来るのかが分からない。

「あまり分かってないようだな」

 ゼオシストは二人の顔を交互に見ながら言った。

「結局……マスターリングを使って何ができるんだよ。例えばそれを無くしちまえば、天使は天界からいなくなっちまうようなもんだろ? そうなったらスペイダー自身も死んじまうじゃねえか」

 アリウスも小さく頷いた。二人の疑問は同じようだ。

「マスターリングは全ての天使の思考や心を管理していると言っただろう。マスターリングから発せられるエネルギーを得ているからこそ、天使は天使たりえるのだ。知性があり、個性があり、理性があり、欲があり、無駄があり、悪があり、感情がある。肉体と命だけでは、我々は生きる意味も無く存在しているだけに過ぎない。つまり、マスターリングから発せられるエネルギーを誰かが意のままに操ることが出来たのなら、全ての天使はその者の思いのままになる。スペイダーにリングを手に入れられたら、天界の天使全てがおもちゃのように扱われるのは目に見えている」

 ここでやっと、アリウスとティレンツェにも事の重大さが理解できた。

 スペイダーがマスターリングを使って何をするつもりかは分からないが、スペイダー以外の者がリングを手にしたとしても、悪意を持つならばリングの力を放っておくわけが無い。

 マスターリングさえあれば、無数の操り人形を手に入れたのと同じことで、そこから想像できることは限りが無い。全てはマスターリングを持つ者の意思のままなのだ。

 ゼオシストがこのことを「知るべきことではない」と言ったのは、確かにその通りなのであろう。

 この話を知るものにスペイダーのような悪意があれば、当然リングは危険な状態である。

「……聖書は絶対護りきらなければいけないんだ」

「そうだ。そして……アリウスこそが最後の希望だ。仮に最悪の事態となっても、お前ならまだ抗うことができる」

 ゼオシストとアリウスは目が合った。ゼオシストの言葉が一体どういう意味なのかが理解出来ない。

 ゼオシストの口が再び開きだした。

「マスターリングから発せられる天使としての存在要素を我々天使は受信しているわけだが、どこでそれらを受けていると思う?」

 アリウスとティレンツェは目を合わせてから首をかしげた。

「答えは“リング”だ。天使の頭上に浮かぶリングで受信している」

 アリウスは驚いた。

 隣のティレンツェを見ると、ティレンツェは怪訝そうな顔をして自分のリングを触ろうと、手を持ち上げていた。しかし、リングは実体が存在せず、光が輪を作っているようなものなので、ティレンツェの手がリングを掴むことはなかった。

 アリウスは少し俯いて考えた。

 天使なら誰もが持っているリング。しかし、自分にはそれが無いということを改めて痛感した。

 自分にリングが無いと考えると、マスターリングからの影響を受けていないということになる。

 しかし、天使はリング無しでは生きていけないのだと聞かされた今、自分が天使ではないという結論と大きな疎外感が一気に込み上げてきた。

 それが無性に寂しくてたまらなかった。

 そんなアリウスに気付きながらも、ゼオシストはまた話を続けた。

「アリウスはリングを持たないので、例えスペイダーがリングを使って天使から自由を奪ったとしても、アリウスはその影響を全く受けないでいられる。唯一スペイダーに抵抗できる存在なのだ。だから神はアリウスを護ろうとしている。先程姉さんとジェオルドの三人で話し合ったのだが、この際アリウスにはマスターリングを使ってスペイダーを止めてもらおうかと考えているのだ。聖書について知った今なら、そのほうが手っ取り早いというのも理由の一つだ」

 話の間もずっと俯いたまま、アリウスは黙っていた。

 リングが無くても自分は天使であると信じていた。しかし、その思いは見事に裏切られてしまい、だんだん悲しみが込み上げてきた。

 ティレンツェも、今回ばかりは少し困った表情を浮かべ、ゼオシストですら少し辛そうな顔をしていた。

 しばらく静かな時が流れた。

 最初に動いたのはアリウスだった。

 席から立ち上がると、聖書の入ったカバンを持って肩にかけた。

「どこへ行く?」

「……僕は、例え悪い奴でも他の天使を操るっていう考えはどうも気が進まないよ。少し考えさせて……」

 そう言ってアリウスは外へと向かった。

 外は夕暮れの空が残り僅かとなり、陽はすでに遠くの山々に半分程埋まっていた。代わりに暗い空が徐々に広がり、星も幾つか輝き始めていた。

 教会裏の庭に行き、アリウスはそこにある切り株に腰を下ろした。

 小さくため息をつくと、だんだん涙が溢れてきて、頬を伝っていった。カバンから聖書を取り出し、それをじっと見つめていた。黒の表紙に涙がこぼれる。

 オルソの村から旅立つ時、本が開かないようにと縛り付けた布が解けかけていた。

 アリウスはその布を解き、まだじっと本を見つめ続けた。

「何してるんだい?」

 突然の声に驚いて顔を上げると、すぐ隣にセバスが立っていた。

 アリウスの顔を見た後で、視線を僅かにずらして聖書を見ているのが分かった。

「……それが禁断の聖書?」

 アリウスは小さく頷いた。

「本当に君が持っていたんだ。あはは、すごいなぁ」

 セバスはアリウスの隣に腰掛けた。

 少し横にずれながら涙を拭うアリウスを見て、セバスは微笑みながら話しかけた。

「何かあったのかい?」

 何も答えずにずっと聖書を見つめるアリウス。

 セバスは黙ったままアリウスの返答を待っていた。

 その静かな時間がなんだか気まずかった。

 突然セバスが立ち上がって、アリウスの手から聖書を取り上げた。

 「あっ」と一声漏らしてアリウスがセバスを見上げると、セバスはアリウスの顔を見ながら笑顔で言った。

「ほら、ちゃんと聖書を護らないと。君はセルシルドさんに信頼されていたからこそ、使命を継いだんだろ? 彼の信頼に応えるためにも、しっかりしなきゃ」

 その言葉を聞いて、アリウスも立ち上がった。

 その通りだ。

 セルシルドもアリウスが天使ではないことは知っていたに違いない。

 それでもあんなに自分に愛情を持ってくれたのは、哀れみなどではない、“アリウスという存在”を大切に思ってくれていたからである。

 自分が天使であろうとなかろうと、そんなことは関係無く信頼してくれていたのだろう。

 そう考えると、アリウスは先程までの悩みの小ささを恥じた。

 元気が湧いてきて、笑顔を見せながらセバスに言った。

「ありがとうセバスさん。おかげで悩みなんか吹っ飛んじゃった!」

「ははは、俺は素直な気持ちを言ったまでだよ。だって」

 そこまで言いかけて、裏庭にクラウドがやってきたのを見つけると、言葉を止めた。

「セバスさん、ここにいらしたんですか。てっきり教会の中に先に戻ったのかと……」

 笑顔を浮かべながらアリウスは、クラウドに近づいて尋ねた。

「そういえば、さっきは二人で何を話しに言ったの?」

 アリウスに聞かれ、一気に顔を赤らめながらクラウドがセバスに近づいていった。

 二人は切り株の前に並んで立ち、顔を見合わせながら笑っていた。

 アリウスが不思議そうな表情を浮かべていると、アリウスを探していたティレンツェ達もやってきた。

「お、アルここにいたのか?」

「あ、皆さん集まっちゃいましたか。じゃ、じゃあ改めて紹介いたします。彼が……あの……今日、婚約しました。セ、セバ」

「姉さん!」

 突然ゼオシストが声を荒げた。

 全員が彼女を見ると、ゼオシストは目を大きく見開いて体を震わせていた。

 酷く驚いているようであり、さらに恐怖も混じっているようにさえ感じた。

「何でかい声出してるんだよ。それより婚約ってどういうことだよぉ、お二人さん」

 ティレンツェがにやにやしながらクラウド達を見ると、不思議そうにゼオシストを見つめるクラウドの横で、セバスが笑顔で立っていた。

 何故かその笑顔は不気味だった。

 そのままセバスはゆっくりと言った。

「はじめまして、大天使ゼオシストさん。俺の顔を知ってるってことは、やっぱりどこかに隠れながら見てたんですか?」

 言葉の意味が分からなかった。

 それはアリウスだけでなく、ティレンツェ、ジェオルド、クラウドも同じようだった。

 ただ一人ゼオシストは、額から汗を垂らしながら、怒りと恐怖が入り混じったような表情を浮かべていた。

「姉さんから……離れろ」

「セバスさん? ゼオシストは何のことを言っているの?」

 クラウドが振り向くと同時に、セバスは大きく右手を振り上げた。その手には、ほとんど沈んでしまった夕日が眩しく反射しているナイフが握られていた。

 クラウドがそれに気付くのと同時に、ナイフは静かに、そして素早く彼女の胸へと刃を沈めた。

 同時に夕日も完全に山の陰に沈んだ瞬間だった。

 その場にいた全員が固まり、セバスを見つめた。

 クラウドは自分の胸に手を当てて、生暖かい感触に気付き手を離してみて、べっとりと手の平に張り付く自分の血を確認した。

 そして、目を潤ませながらセバスの目を見つめた。

 全身が小刻みに震えている。

「……俺がスペイダーなんだよ。この村が襲われたときに見たスペイダーは偽者だ」

 クラウドの頬を一筋の涙が流れて、そのまま彼女は地面に倒れこんだ。

「思ったとおりだ。クラウドの傍にさえいれば、いつか必ず聖書の方がやってきてくれると思っていた」

 スペイダーの左手には、アリウスから取り上げたままの禁断の聖書が握られていた。

 アリウスは顔が青ざめているのが自分でも分かった。

 最悪の状況になった。

 そしてこの原因は、自分自身にもあることを理解した。

 スペイダーが「しっかり聖書を護らなきゃ」と言っていた。あれは、アリウスを元気付ける為の言葉ではなかった。

 突然アリウスの体が、強い力に引っ張られた。

 ゼオシストがアリウスの手を引いて走り出していた。

 転びそうになりながらも、アリウスは一緒に走り出して振り返った。そこでは、ジェオルドとティレンツェに睨まれながら不気味な笑顔を浮かべるスペイダーの姿があった。

 アリウスとゼオシストの二人は、山の中まで走り続けていた。

 突然アリウスが強引にゼオシストを止めた。

「ちょ、ちょっと待って! クラウドさんが!」

「何をしている! 奴がいるということは奴の仲間も近くに潜伏しているはずだ。攻められる前に少しでも遠くへ」

「でも、クラウドさんが! 早く手当てしないと……」

「……無理だ。きっとあの傷じゃ助からない。それに、私の使命はお前を護ることだ。お前を危険から遠ざけることが最優先なのだ」

 アリウスは掴まれている腕を振りほどいて言った。

「何で助からないなんて言うんですか! 目の前でお姉さんが危険な状況だっていうのに、この判断は間違ってる!」

「だめだ……。もうここまで来たんだ。このまま逃げ切る」

「諦めるなんて駄目だ!」

「私を迷わせないでくれ!」

 突然ゼオシストが叫んだ。

 両手を顔に押し当てて、膝から地面に崩れるゼオシスト。正座するような形でじっとしたまま動かなかった。

「……もう……迷わせないで……」

 彼女も考えたのだ。

 クラウドが胸を刺されてからの短い時間で、使命を取るか姉を取るか、激しい葛藤をしていたのだ。

 そのことにアリウスは気付き、自分の言ったことを取り消したい程に後悔した。

 山林の中の空を見上げると、教会や村のあった方角から煙が上がっていた。ゼオシストの言うとおり、近くに身を潜めていたスペイダーの仲間が暴れ始めたようだ。

「聖書を手に入れたっていうのに、また村を……」

 アリウスは拳を握り締めて近くの木を殴った。

 四発程殴ると、拳から血が滲み出てきた。

 それでも木を殴り続けた。

 許せなかった。簡単に聖書を奪われてしまった自分自身が許せなかった。悔しさと怒りと手の痛みで涙が溢れてきた。

 夜の山林は、悲しみにくれる二人を抱えたまま静寂を保っていた。

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