Ⅳ:聖書と唄
草木も眠る静かな森の中、迫る闇を追い払うかのように光を放つ大きな焚き火。その逞しい炎を囲んで、大勢の天使達が食事を楽しんでいた。
捕まえた小動物を裂いて焼きながら、ゲラゲラと大きな口を開けて笑う者、一人静かに本を読みふける者、眠る者。
彼らは待ち望んでいた。
集団で弱き者を弄ぶのは楽しい。いずれまたリーダーから指示があり、武器を手にして集落を襲撃するであろう。そこではきっと、逃げ惑う弱者を追い回す狩りが楽しめる。
彼らは魅了されていた。自分達の振るう武器と狂気に恐怖する天使達と、弱き天使達を一方的にいたぶることで得られる快感に。
その者の運命を自分達の武器と狂気が左右するのだと思うと、自分を神だと錯覚してしまう。それが楽しくて仕方がない。
次はもっと激しく、残酷に、凄惨に。
彼らの気持ちは昂っていた。
その彼らを統率する者、スペイダー。
長い黒髪を一本に結わえ、刺さるような鋭い視線の彼は少し離れた場所にて幹部九人を集めての話し合いをしていた。
しかし、話し合いはスペイダーの怒声でいきなり始まった。
「ちくしょう! 結局何も得られなかった。セルシルドはまだ見つからねえし、カレイルじゃあゼオシストの野郎も隠れたまま姿を現さなかった。……あいつら、他の奴らを見殺しにしてでも俺を食い止めるってのかよ!」
一本の木に八つ当たりをしながら、唾と一緒にスペイダーの怒声が飛んだ。
すると、背の高い初老の天使がスペイダーを制すように呟いた。
「落ち着けよ。騒いだって聖書が見つかる訳じゃ」
「黙れよ……俺に指図すんじゃねえ。俺が従うのは俺の意思だけだ」
スペイダーの血走った眼球が、ぎょろりと視線を変えた。その目線に睨みつけられた初老の天使は、小さく舌打ちをしてから口を閉ざした。
オルソの村を襲撃した時、彼らはセルシルドから聖書の奪取を目論んでいた。しかし、その目論見はあえなく失敗してしまった。それはセルシルドの“力”を甘く見ていたことが原因であった。
次に訪れたカレイルでは、ゼオシストが町のどこかに隠れて出てこなかった為、結局町を壊滅させるだけで、聖書に関する情報は得られなかった。
「それにしても意外と厄介だったな、セルシルドと言う大天使は。もし奴を再び見つけても、二の舞にならんとは限らんぞ?」
しわだらけの顔の老天使が言った。
「神から授かった力、“邪まな思いへの怒り”……確かに厄介だったな」
スペイダーは考えた。
今まで、大天使達は町の天使達を人質にさえすれば何でも言うことを聞くと思っていた。しかし、彼らは人質を見捨ててまでも聖書を守っている。
これまでの方法では上手くいかないと思った。
スペイダーは一つの案を思いついた。それを九人に話して聞かせると、彼らもその意見に賛成した。
「禁断の聖書に関する使命を受けている大天使は三人。セルシルド、ゼオシスト、そしてクラウド。……このクラウドに望みを託すとしようか」
スペイダーは不気味な笑みを浮かべた。
彼らの計画は、早速明朝から始まる。
ここはカレイル。
多くの死者を出したかつての町には、現在多くの墓標が広がっていた。
アリウス、ティレンツェ、ゼオシストの三人で進めていた死者の弔いも、ゴウルの街から来た多くの応援者達の助けにより、街の壊滅から一週間でようやく終了となった。
その晩は、ティレンツェの大好きな酒盛りが盛大に行われ、「ゴウル流の弔いだ」と言って馬鹿騒ぎが始まった。
ゼオシストは「不謹慎にも程がある」と愚痴をこぼしていたが、それでも多くの天使が協力してくれたこと、そして以前のカレイルの活気を思い出させるような馬鹿騒ぎを嬉しく感じていることにアリウスは気が付いた。
「ゼオシストさん、本当は嬉しいんでしょう?」
「……ふん」
顔を赤くしてそっぽを向くゼオシスト。そんな彼女に酔っ払ったティレンツェが近寄ってきた。
右手にパープルベリー酒をジョッキで二つ持ち、強引にゼオシストの肩に腕を回す。
嫌がるゼオシストにまったく気が付かず、独特の笑い声を響かせながらパープルベリー酒を無理矢理飲ませようとジョッキを押し付ける。
アリウスは嫌な予感がしたのでその場を離れた。案の定、少し経ってから大きな平手打ちの音が響き渡って辺りを驚かせた。
そうして夜も更けて、天使達が次々と眠りについていった。
アリウスとゼオシスト、そして顔の晴れ上がったティレンツェは、大聖堂の客室に集まっていた。
アリウスは、肌身離さぬように常に肩から提げているカバンに禁断の聖書が入っていることを確認すると、ゼオシストに尋ねてみた。
「ゼオシストさん、この聖書には何が書いてあるんですか?」
不機嫌そうな表情を浮かべてアリウスに視線を向けるゼオシスト。
そして、眉一つ動かさないままでぼそっと言った。
「セルシルドには中を見るなと言われたのだろう? 書いてある内容を知ってしまっては約束を破ったことと変わらないのではないか?」
それを言われると、アリウスは悔しそうに口先を尖らせた。
それを見ていたティレンツェが横から割り込んで言った。
「いいじゃねえか、ヒントぐらいやれよ」
ティレンツェはなるべく口を動かさないように言った。どうやら腫れた頬がまだ痛むようだ。
「これはナゾナゾではない。それに、いずれ知ることになるだろう」
ゼオシストはそっけなく答えた。
それでも、アリウスはヒントだけでも知りたかった。
自分とこの聖書には何か関係があると予感していたアリウスは、自分の運命と真正面から向き合うことを決めた。
だからこそ知りたかったのだ。この聖書さえなければ、オルソの村はなくならずに済んだのかもしれない。
アリウスは自分なりの覚悟をしていたのだ。それに気が付いたゼオシストは、固い表情を少し緩めて言った。
「……あえて、ヒントを言うとするならばこれだ」
そういってゼオシストは唄を口ずさみだした。それは、子供の天使がよく口ずさんで遊ぶものだった。
乱暴者の魔天使と
一人ぼっちの子天使が
ある日二人で探し物
魔天使あちこち行ったり来たり
星の囁き手がかりに、雲の優しさ裏切って
見つけろ見つけろ天使の輪
「なんか……ゼオシストがそれ唄っても似合わねえな。それで遊んだ事なさそうだし」
「うるさいぞ、ティレンツェ」
ゼオシストは素早く反応して睨みつけた。
アリウスは何度もその唄を口ずさんで考えてみた。しかし、これがヒントになっているということがいまいち分からない。
アリウスももちろんこの唄は知っているのだが、意味などを考えたことがなかった。
ゼオシストは、「この唄は一つの予言なのだ」とも付け加えた。
ティレンツェも真剣に頭をひねっているが、酔っ払っている彼にはあまり頼りたくない。それがアリウスの心境だった。
「だ、第二ヒントって無いですか?」
「無い」
ゼオシストはきっぱりと、それでいてあっさりと言い放った。
困ったように悩むアリウスを見て、ゼオシストは言った。
「……アリウス。はっきり言うが、お前の背負っている運命は、お前が思っているよりも重たいぞ。大丈夫か?」
ゼオシストに言われた言葉は、アリウスを一気に緊張させた。
自分自身が背負った運命は、やはり重たいもののようだ。
自分なりに覚悟はしていた。それでも、人に「覚悟しろ」と言われるのはまた違ったものだ。
アリウスは、まだ自分自身に覚悟が足りないことを思い知った。
「お前はこれからも狙われる」
さらに言い放ったゼオシストの一言は、アリウスに大きな不安を与えた。
「あのさ、アルが危ねえってんなら、こっちもそれなりに戦力が必要じゃねえか?」
突然話題を振ってきたティレンツェに、アリウスは少し感謝した。さっきまでの重苦しい雰囲気は和らぎ、ゼオシストの意識もティレンツェの方に向いていた。
「確かにな……。お前にしては良い事を言うな。こちらが戦力不足であることは否めない。私だけではアリウスを守りきれないだろう。はっきり言ってティレンツェも戦力になるかどうかは心配だ」
「戦力になるさ…………絶対アルは守ってやる」
普段のティレンツェなら怒ると思っていたのだが、誓いにも似たティレンツェの言葉はとても静かで力強かった。
ゼオシストでさえ何か感じ取るものがあったようだ。しかし、それには気づかぬふりをして、ゼオシストはさらに言った。
「明日この町を離れよう。お前を守るために、ある場所へと連れて行く」
アリウスは新たな旅立ちを知り、再び緊張感に襲われた。
翌日、アリウスとティレンツェは、カレイルの入り口にある馬車に乗っていた。ゼオシストが準備を終えてやってくるのを待っていたのだ。
しばらくしてやってきたゼオシストは、いつもと変わらぬ白のワンピース姿に、小さなカバンを抱えてやってきた。
目的地まではそれほど距離があるわけでもないという。
目指すは、カレイルより南に進んだところにある“バルシオ”という街である。
「そこには“大天使ジェオルド”がいる。彼ならスペイダーの襲撃にも対抗できる」
ゼオシストの合図と共に、三人を乗せた馬車は進みだした。
今ならアリウス自身も気づいているだろう、自分の運命が少しずつ動き始めていることに。