XI:リングを手にする条件
灰色の平地を駆ける二頭のペガサス。
力強く大地を蹴って砂煙を巻き上げる蹄。吹きつける風は寒いというよりも少し痛い。山に近づくほどに切れ味を増すナイフのようだ。
ペガサスの背中にはセルシルドとアリウス、ゼオシストとティレンツェがそれぞれペアとなり跨っていた。
空気が冷たくなっていくのを感じるアリウス。
四人は北にあるオッポス山を目指していた。
「スペイダー達はもうたどり着いちまったのかなぁ!?」
ペガサスの上で上下に体を揺らしながらティレンツェが言った。
声を張り上げないと、すぐ後ろで自分につかまっているゼオシストにすら声が届かない。
「分からない! どちらにしても、私たちもあそこへ向かう必要がある!」
二頭のペガサスはスピードを緩めることなく、ただひたすらに走り続けていた。
アリウスは自分のすべきことを確認するかのように、教会でのゼオシストの話を思い出した。
教会でゼオシストが言った。
それは、聖書を手に入れたスペイダー達の向かう行き先についてだった。
「オッポス山という山がある。そこには『神戯殿』と呼ばれる神殿がある。その中にマスターリングがあるのだ」
アリウスの目をじっと見ながらゼオシストが話した。
セルシルドはゼオシストを見つめながら、それをじっと聞いていた。
本来、この話をして神戯殿にアリウスを導くのはクラウドの役目であったのだが、それが不可能となった今、ゼオシストが彼女の使命を引き継いだ。
「神戯殿には神以外は立ち入ったことが無い。だからどうやって神殿内部でマスターリングを手に入れるか、操るのかについてはまったく分からないが、マスターリングの所在が分かっているのであればまだ打つ手はある」
「スペイダー達よりも早く着いて聖書を奪い返すってこと?」
黙ったまま頷くゼオシスト。
彼女はさらに話を続けた。
「聖書は神戯殿にたどり着いてから使用するものだ。マスターリングを手に入れることが出来るのは、奴等と私達のどちらなのか、まだはっきりとは言えない状況にある」
不思議そうに顔を傾けるアリウス。一体どこに「まだ間に合う」と言える要素があるのか。
まだ可能性があるというゼオシストは、一つの唄を口ずさんだ。
乱暴者の魔天使と
一人ぼっちの子天使が
ある日二人で探し物
魔天使あちこち行ったり来たり
星の囁き手がかりに、雲の優しさ裏切って
見つけろ見つけろ天使の輪
魔天使子天使どちらが先に見いつけた。
子天使いろいろ聞いたり見たり
草木のしるべに従って、風の励まし背に受けて
見つけた見つけた天使の輪
魔天使子天使どちらが先に見いつけた。
「あれ? その唄って前に……」
カレイルの街に滞在していた頃、アリウスとティレンツェがゼオシストから聞いたものだった。
その唄自体は天界に昔から伝わるもので、よく子供たちが口ずさんでは遊んでいるものだ。
ゼオシストは、この唄を“予言”だと言っていた。
「今ならだいたいの意味が分かるだろう。魔天使はスペイダー、子天使はアリウスを示している。そしてこの唄には、二人がリングを手に入れるための条件が唄われているのだ」
「条件……?」
「まずスペイダーの条件だが、星の囁きを手がかりにすることと、雲の優しさを裏切ることが条件となっている。そして奴は少なくとも一つの条件を満たしてしまった」
ティレンツェが悔しそうに呟いた。
「雲の優しさを裏切る……クラウドのことか……」
「……そうだ」
しばしの沈黙が流れる。
スペイダーが一体何を星の囁きとするのか、あるいはすでに手がかりを得たのかは分からない。しかし、今のところスペイダーが一歩優勢であるとアリウスは考えた。
「アリウス、お前の条件は草木のしるべと風の励ましだ」
ゼオシストが改めて説明してくれた。
そう、アリウスは今後何を予言どおりの条件とするかが重要であった。
単純に口先だけで決められるようなことではない。おそらくはその瞬間になってこそ、何が条件であったのかを知ることとなるだろう。
セバス、もといスペイダーとの会話が甦る。
彼の言うとおり、これは運命なのだ。
もしアリウスがマスターリングを手に入れる運命であるならば、きっとアリウスにも気付かぬうちにこの条件を満たすような出来事が起こるはずだ。
「僕は……まだスペイダーを止められるかな?」
ついさっき姉を亡くしたというショックからか、やはり表情はどこか暗くて、少しやつれているようにさえ見えてしまったゼオシストの顔。それでも、今見つめるべき問題をしっかりと見つめようとして、アリウスの不安を拭い去ろうと少しだけ笑って言ってくれた。
「大丈夫だ。私が草木となってお前を導く。これで一つ条件を満たしたことになればいいのだがな」
アリウスには、ゼオシストの言葉が条件を満たす為の強引な解釈ではなく、本当に彼女がマスターリングまで導いてくれると感じた。
そして四人は、村の牧場からペガサスを二頭準備してオッポス山に向かっていた。
きっとまだ間に合う。そう信じてアリウスは、しっかりと手綱を握り締めては進行方向を見据えた。
自然と心臓の鼓動が大きくなってくる。このまま大きく鳴り続けたら、オッポス山にたどり着いたらどうなってしまうのかとさえ思った。
「怖いのか?」
アリウスを包み込むようにして手綱を握っていたセルシルドが耳元で囁いた。
体を通じて心臓の高鳴りに気がついたのだろうか。
セルシルドは続けた。
「私は怖くなど無いよ。アリウスならきっとやってくれると分かっているからな」
アリウスは小さく頷いた。
不安は一瞬にして和らいだ。それは、アリウス自身もやれると信じている証拠なのか、セルシルドの優しさに触れたからなのか。
オッポス山の姿が徐々に大きくなっていく。
雲に覆われた空。時刻的にはまだ昼前のはずなのに、何故かあたりは灰色の世界となっていた。
「おい……! 何だあれ!?」
ティレンツェが指差して言った。
その指し示された方向には、オッポス山の山頂に射す光があった。
その部分だけ雲が切り抜かれたように晴れていて、日の光とも違う薄い黄色の光が、山頂を包むように照らしていた。
「まさか……!」
「何、あれは?」
「ん? ……おい! 何か空から降りてきてるぞ!?」
淡い光と共に、雲の穴から何かが徐々に下降してきているのが見えた。少しずつ見えるその姿は、巨大な岩のようだ。そして岩の姿がどんどん大きく見えてくると、今度は岩の上に純白に輝く建造物が乗っかっているのが確認できた。
何本もの柱が並び立ち、その上に屋根だけが乗せられたような、見た目はとても質素な造りだった。
「あれが……神戯殿……」
見た目こそシンプルなものだが、現在のアリウス達の位置から見て、山の大きさと比べると、その大きさはカレイルの街一つが楽に収まってしまうほどだろう。
「オッポス山の山頂には神戯殿を呼び出す祭壇がある。スペイダー達はすでにそこにたどり着いてしまったということか」
セルシルドが言った。
それでも山の麓までたどり着くと、四人は空を見上げた。ここまでくると、神戯殿の大きさに改めて圧倒されてしまう。
空中に浮かぶ大岩。その上にある巨大な神殿。
思わず見入ってしまう程の光景だった。
「ゼオシスト、僕はどうすればいい?」
「決まっている、聖書を取り戻す。二手に分かれよう」
ゼオシストが三人を見ながら少し考えて言った。
「セルシルドとティレンツェは、ここからすぐにでも神戯殿内部へと向かってくれ。そしてもしリングの在り処が分かったら、奴らを近づけないようにしてくれ。アリウス、お前は私と共に山頂に向かうぞ」
「何で山頂に?」
「スペイダーがまだいるかもしれない。山頂が一体どんな場所なのかは知らないが、奴らが神戯殿に移動する姿をまだ確認していないからな。聖書を取り戻すんだ」
「分かった」
それぞれはペアを代えて再びペガサスに跨り、ティレンツェとセルシルドは手綱を引いて上昇していった。
大きな翼を思いっきり羽ばたかせて、空を猛スピードで翔るペガサス。
「さあ、私たちも行こう」
アリウスとゼオシストも同じようにペガサスを上昇させた後、山頂目掛けて真っ直ぐに飛んだ。