ⅹ:悲劇の後で……
焼け崩れた家と転がる死体。壊れた牧場の柵から逃げ出した牧畜用動物が、あちこちで鳴いていた。まるで目の前に広がる惨劇を哀れんでいるかのように。
一頭の子供のミノルが歩き回っていた。親とはぐれたのか、寂しそうに鳴きながら辺りを見渡している。
ミノルにそっと近づいて、その頭を優しく撫でるアリウス。
ミノルを撫でるその右手は布の切れ端を巻き付けて止血していた。
ほんの少し前にゼオシストと共に教会に戻ったのだが、すでにスペイダーやティレンツェ達の姿は無く、クラウドが刺された場所も大きな血痕が残っているだけだった。
「……ティレンツェ達は……どこに行ったのかな?」
ゼオシストに話し掛けてみたが、返事は返ってこなかった。ただ、足元に広がる赤黒い血溜まりを見下ろして動かない。
その後、アリウスがティレンツェ達を探すよう提案したのだが、ゼオシストはまったくその場を動こうともしなかった。
だから仕方なしにアリウス一人で村の方までやってきたのだった。
おそらくスペイダーは、マスターリングを手に入れる為に最終段階へと計画を進めているに違いない。
もはや時間の問題だ。
「アル!」
教会へ戻ろうとしたアリウスを、聞き覚えのある声が引き止めた。
振り向くとそこには、真っ赤に濡れた服で立ち尽くすごつい男の姿があった。
ティレンツェだ。
「ティレンツェ! 無事だったの!?」
アリウスが駆け寄る。
近づくとティレンツェの体からは、生々しい血の臭いがした。
「大丈夫なの……?」
「あ? ああ、こりゃ俺の血じゃねえよ。あの後あちこちで村人を助けようとして駆けずり回ったからな。俺自身の怪我はたいしたことねえ。……それでも、村はこんなになっちまったし、村人だって結局助けられなかったよ。……はは、無力だな」
力なく笑うティレンツェ。
ティレンツェに「そんなことはない」と言おうとしたが止めた。そんな言葉は慰めにすらならないと思ったし、ティレンツェ自身もそう思っていることが分かったからだ。
「ジェオルドさんは?」
「あいつはスペイダーの後を追うって言って行っちまった。危ねえって言ったんだけどな、スペイダーに聖書を持たせて放っておくほうが危ねえだとよ」
心配そうにティレンツェが答えた。
教会にゼオシストがいることを伝えると、二人は教会の方角に歩き出した。
途中で目に入る光景は、アリウスの脳裏にオルソの村の惨劇を蘇らせていた。
「ティレンツェ……」
「ん?」
「僕、これから何をしたらいいのかな?」
項垂れたまま喋るアリウスをちらりと見て、ティレンツェは少し間をおいて答えた。
「んなもん、聖書を取り返すに決まってるじゃねえか」
「……できるかな?」
オルソの村が襲撃された時、目の前の天使一人すら助けることができなかったことに対して、自分の無力さを感じていたアリウス。
今回のことでその気持ちはさらに増大していた。
ましてやマスターリングという神器を使い、天界の未来を救うという役割をこなすことができるのか、頭の中はそればかりを考えていた。
そんな時、ティレンツェが口を開いた。
「一人でやれとは言ってねえだろう。全部を自分で背負い込もうとするな。気楽に構えてりゃいいんだ。……大丈夫だよ、“俺たち”なら必ずできるって!」
「……うん」
小さく返事を返すアリウス。
教会に着くと、そこにはある人物の影があった。
白い髭と優しそうに垂れた目。しわだらけの顔でうっすらと笑みを浮かべて待っていたのはセルシルドだった。
「セ、セルシルド様ぁ!」
「アリウス! ああ、良かった!」
セルシルドは両腕を大きく広げて、駆け寄るアリウスをしっかりと受け止めた。きつく体を抱きしめ、アリウスの金髪を撫でる。
堪えきれずに溢れる涙を、セルシルドの服でそっと拭うアリウス。
ティレンツェは距離をおいて微笑ましく見ていた。
「良く頑張ったな」
「セルシルド様、腕はもう平気なの? 神様には会えましたか?」
「ああ、大丈夫だ。アリウスがここにいると聞いて、神にここまで連れてきてもらったのだ」
「神様に連れてきてもらったの?」
「ああ……僅かながらの償いだそうだ」
セルシルドは少しばかり声を低めて言った。
アリウスには意味が分からなかったが、こうしてセルシルドに会えただけで、先程までの沈んだ気分が少し回復した。
それからセルシルドは、ティレンツェを見ながら言った。
「彼は……」
「ティレンツェだよ。僕の友達!」
「そうか……ありがとう」
丁寧にお辞儀をするセルシルド。頬を赤らめながらティレンツェは無言で頭を軽く下げた。
三人が教会の中に戻ると、祭壇の前に並んだ長椅子に腰掛けたまま俯いているゼオシストがいた。
その姿を見て、セルシルドが静かに近づきながら言った。
「クラウドのことは本当に残念だった」
返事は無い。続けて言った。
「クラウドの役目は是非君にやってもらいたいと思う。アリウスをマスターリングまで導いてほしいのだ」
微動だにしないものの、少し間を置いてから「そうだな」と言う小さな返事が聞こえた。
いつもの無愛想な表情で立ち上がり、三人の方を向き直る。その表情はやはりまだ影を帯びている。
アリウスはゼオシストの顔を見るのが少し辛かった。無表情な、それでもいきいきとしていた表情はどこにも無く、アリウス達の知るゼオシストは完全に見えなくなっていた。
「……話の前に聞きたいことがある。ティレンツェ、姉さんはどうしんたんだ?」
重たい声で問いかけるゼオシスト。
「クラウドならジェオルドが……。スペイダーを追うときに一緒に担いで行った。墓を作ってくるって言ったんだ。俺にはここに残れって……」
「そうか……ありがとう」
暗い表情のままだったが、ゼオシストが少し微笑んだように見えた。なぜかは分からない。だが、少し気を取り直したかのようにゼオシストが口を開いた。
「アリウス。姉さんに代わって私がお前をマスターリングへと導こう」
「うん」
時はもうすぐ朝を迎えようとしていた頃、ゼオシストの決意を、アリウスは精一杯受け止めようと誓った。
村から少し離れた所に、村を一望できる丘がある。
もうすぐ日の出を迎えようとしている時刻。
この丘から見る日の出はとても美しく、しかしそれを知っているのは、ゼオシスト、クラウド、ジェオルドの三人だけであった。
元々三人はこの村の出身で、幼い頃から兄弟のように仲良く共に過ごしてきた。
美しい日の出が見られるこの丘も、三人だけの秘密の場所であった。
親に内緒でこっそりと集まり、眠たいのを堪えながらやってきては日の出を眺めた。
三人が大天使になってから、それぞれ離れて生活はしてきたが、それでも彼らの繋がりは決して断ち切れることは無かった。
いや、クラウド亡き今も決して変わらない。
丘の上に大きな穴を掘った。
ジェオルドは、泥だらけの腕で優しくクラウドを抱え上げた。
胸の傷口の血は黒く固まり、頬には涙の跡があった。
しかし、そんな姿であってもクラウドの優しさが伝わってくるようであった。クラウドが神より与えられた力、“限りなき優しさ”は、死してもなお絶える事はないようだ。
「お前はここの日の出が好きだったからな。これからは毎日見られるぞ」
ジェオルドは微笑んだ。
全てが終わったら、ゼオシストと一緒にもう一度ここにやってこよう。そして三人でまた日の出を見よう。心の中でそう決めた。
穴の中で横たわるクラウドにそっと土を被せていく。
一回、二回とスコップで土を掬う度に、クラウドの体がどんどん見えなくなっていく度に、ジェオルドの視界は涙で霞んでいった。
土を被せ終えると、その場で翼を大きく広げ、少し肌寒い朝の空へと飛び上がった。
向かうはスペイダーのいるところ。
スペイダー達の移動している方角はすでに確認済みだった。
翼を一度大きく羽ばたかせ、勢い良く空を進むジェオルド。
それを見送るのは、永久の眠りについた村と天使だけだった。