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十六夜(いざよい)はまだ満ちない 〜ただの初心者高校生がSNSの炎上を見て詠んだ短歌、宮内庁の重鎮たちが『現代社会への宣戦布告』だと勘違いして裏で大パニックになる〜

作者: 鏡水月
掲載日:2026/06/29

時は奈良時代、聖武天皇の御代。

 平城京の夜空には、今よりもずっと深く、濃密な闇が支配していた。その闇のなかで、一際妖しく、そばに立つ者の心を凍らせるほどの美しい「月」の和歌を詠む天才歌人がいた。

 

 名は、月読つくよみ

 夜を統べる神の名を冠された男だった。

 ある秋の、見事な中秋の名月(十五夜)の夜。

 宮中で催された観月の宴にて、月読が披露した一首は、あまりにも透き通るような情景を写し出し、満座の公卿たちを静まり返らせ、天皇の心を深く震わせた。

 感動した天皇は、御簾みすの奥から立ち上がり、彼を絶賛してこう仰せられた。

「見事なり、月読。そなたの歌の美しさは、この天に昇る汚れなき満月そのものだ。これほどまでに月を愛し、月に愛された者に、ただの名のりは相応しくない。これよりそなたに、月の第一人者たるを示す『十五夜もちづき』のうじを授ける。我が国の誇りとせよ」

「十五夜」の氏。それは貴族としての頂点であり、これ以上ない最高の栄誉であった。周囲から羨望と嫉妬の眼差しが向けられるなか、月読は歓喜するどころか、深く頭を垂れたまま、静かに、しかし毅然としてこう応えた。

「畏れ多くも、身に余る光栄にございます。……しかしながら、畏れながら申し上げます。満月とは、これ以上満ちることのない、いわば終わりを迎えた姿。未熟なる私がその名を戴くなど、あまりにおこがましく、恐れ多きことにございます」

 天皇の言葉を拒むのは不敬にあたる。ざわめく議場を余所に、月読は懐から一枚の懐紙を取り出すと、即興でさらさらと一首の歌を書き付け、天皇へと捧げた。

『いざ宵の 月の光の 畏れ多く 満つるを前に すこし立ち寄る』

「満月が完璧な光であるならば、私はその美しさに気後れし、一歩後ろでためらう『いざよう(躊躇する)月』で十分でございます。完璧を求めず、常に満ちる途中に身を置き、歌の道をどこまでも精進いたしたく存じます」

 満月の翌日の夜、少しだけ欠け、ためらいながら遅れて昇ってくる月。それを「十六夜いざよい」と言葉を訳し、とんちを効かせて自らの志を表現してみせたのだ。

 表向きは「おこがましい」と身を引きながらも、その本質は「完成されたお前たちの歌など、俺はいつでも一歩後ろから追い抜いてみせる」という、狂気にも似たストイックな傲慢さであった。

 天皇は差し出された歌をじっと見つめ、やがて、朗らかな笑みを漏らされた。

「……ハハハ、見事なとんち、そして恐ろしいほどのみやびよ。満ちることを拒むのではない。常に満ちる途中でありたい、か。よかろう、その美しい志を称え、そなたの望む通り『十六夜いざよい朝臣』の氏を授けよう」

 こうして、最高の栄誉を捨て、あえて「影」であることを選んだ男の伝説が始まった。

 だが、このあまりに不遜で美しすぎる逸話は、時の権力者たちのプライドを傷つけ、のちに正史からは完全に抹消されることとなる。

 ――それから、千年の時が流れる。

 この「十六夜」の本当の恐ろしさを知る者は、もはや、歴史の深層に生きる一握りの老人たちだけとなっていた。

 ◇

 ――そして、千年の時が流れた。

 遮るもののない平城京の夜空とは違い、ビル風が吹き抜ける街の隙間に、ぽつんと月が浮かんでいる現代。

 鎌倉の高校に通う俺、十六夜いざよい 朔弦さくとには、最近ちょっとした趣味がある。

 夜、ベランダから月を眺めていると、頭の中に五・七・五・七・七のリズムが自然と溢れてくるのだ。

 国語の成績は平凡。短歌の知識なんて授業で習った程度。

 だから、これはただの「暇つぶしの妄想」だ。

 その日、SNSのタイムラインは、ある有名インフルエンサーの炎上騒動で荒れに荒れていた。

 見ず知らずの他人が、匿名の安全圏から、これでもかと残酷な言葉を投げつけている。

 画面から溢れる、どす黒い承認欲求と悪意。

「うわぁ……みんなスマホの画面ばっかり見て、必死に誰かを叩いてるな」

 ふと画面から目を離し、夜空を見上げる。

 そこには、満月の翌日の、少しだけ欠けた「十六夜の月」が、静かに世界を照らしていた。

「……なんか、変なの」

 俺は、短歌の練習用に新しく作ったSNSの裏アカウントに、思ったことをそのまま、たった三十一文字みそひともじにして投稿した。

『スマホ見て 誰かを叩く 指先は 闇に溺れて 月も見えぬか』

 よし、五・七・五・七・七、ぴったり収まった。

 我ながら初心者らしい、シンプルな歌だ。

 俺は満足して、スマホを枕元に置いて眠りについた。

 ――まさか、その一首が、日本の国政の裏側を揺るがす大事件になるとは夢にも思わずに。

 ◇

「お、おい……! すぐにこのアカウントの主を特定しろ……!!」

 深夜、宮内庁の奥の院。

 現代歌壇の最高権威であり、政財界の黒幕でもある老歌人・御園生みそのおは、震える手でタブレット端末を握りしめていた。

 画面に映っているのは、フォロワー数ゼロの、開設されたばかりの不審なアカウント。

 そこに投稿された、たった一首の短歌。

 深夜にもかかわらず、急遽招集された歌壇の重鎮たちが、冷や汗を流しながらその画面を凝視している。

「御園生殿……これは、ただの若者の青臭いSNS批判では……?」

「愚か者が! 貴様は何も見えていない!」

 御園生が怒号を飛ばす。

「言葉の格調を見よ! 『スマホ』『叩く』という極めて現代的な俗語ぞくごを使いながらも、全体の調べは奈良時代の『万葉集』の語法を完璧に踏襲している!

 何よりこのロジックだ。ネットの闇に溺れ、正義を盾に他人を叩く現代人の視界には、天に輝く美しい月(本質)すら見えていないと、一刀両断にしている……!」

 重鎮たちが息をのむ。

「さらに、このアカウント名を見よ……ッ!」

 画面に表示されたユーザー名。

【@izayoi_sakuto】

 その文字を見た瞬間、老人たちの顔から一斉に血の気が引いた。

「い、十六夜いざよい……!? かつて聖武天皇から『十五夜』の姓を賜りながらも、おこがましいと拒否し、自ら歴史の影へと隠れた、伝説の月の歌人・月読つくよみの血脈……!」

「そして名は、朔弦さくと。『朔(新月)』とはすべてを無に帰すリセットの闇。『弦』とはそこから立ち上がる鋭い意志の刃……。

 これは、上辺だけの教養で現代のメディアを支配している我々への、痛烈な皮肉とんち! いや、新時代からの宣戦布告だ……!!」

「化け物が……千年の眠りから目覚め、現代の世相を言葉一つで裁こうとしている……!」

 老人たちは、まだ見ぬ高校生の圧倒的な『才能の影』に、ガタガタと恐怖で震えるしかなかった。

 ◇

 翌朝。

 鎌倉の自宅で目を覚ました俺は、あくびをしながらスマホを確認した。

「あれ、通知が1件来てる」

 裏アカを開くと、見知らぬおじいさん(※御園生の本アカ)から、ものすごく長文のDMが届いていた。

『貴方様の一首に魂を揺さぶられました。不躾ながら、古典の助詞の使い方の意図をお伺いしたく――』

「……うわ、なんか国語の先生みたいなガチ勢から絡まれた。短歌の世界って、初心者がちょっと投稿しただけでこんなに熱く語られるもんなの?」

 自分の血脈に眠る、千年前の怪物の記憶。

 それが「知識」というトリガーを得て、これから現代社会をバサバサと切り裂いていくことを、俺はまだ、何も知らない。

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