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短編

高貴な方の考えはわからない

作者: 木蓮
掲載日:2026/03/10

「ミラ、学園を辞めて神官になるなんてどういうことなの!?」


 淑女らしからぬ大声を上げながら寮の自室に駆けこんできたイレーネにミラは謝った。


「すみません、イレーネ様。でも、先日受けた試験に合格したら神官になろうと決めていたんです」

「それは聞いていたけれど……。でも、せっかく学園になじんできたのに途中で辞めるだなんてもったいないわ。キリトも心配しているわ」


 心配するイレーネに申し訳なく思いつつも弟の名前に頬がひくりと動く。思わず左手の薬指にお守りとしてつけた指輪に触れる。

 彼女には日常生活もおぼつかない頃からずっと助けてもらっている、大恩人だ。本来ならば正直に学園を辞める理由を話すべきだろう。

 でも、お世話になったからこそ言えない。

 ――あなたの弟が怖いので逃げます、なんて。


 *****


 ミラは王都に暮らす平民だ。ある時、魔力は少ないが珍しい聖属性を持っているとわかり、貴族たちが通う学園に入学して能力を鍛えることになった。

 慣れない上に忙しい生活に苦労するミラを助けてくれたのが公爵令嬢で同じ聖属性持ちのイレーネだった。彼女はミラと一緒に行動し、日常生活から授業までありとあらゆることをサポートしてくれた。おかげでミラも生活に慣れて、本来の目的である聖属性魔術の授業に励んでめきめきと力を付けていった。

 心のゆとりができると華やかな生活を楽しめるようになり、もしかしたら素敵な令息と恋におちて貴族として暮らしていけるかも、なんて甘い夢を見ていた。


 しかし、現実は厳しかった。

 ミラの存在が知れ渡ると、珍しい能力を持っただけの平民が筆頭公爵令嬢に目をかけられるのを良く思わない人たちから嫌がらせを受けるようになった。

 特に困ったのがイレーネの弟キリトだ。

 姉を慕う彼は初めて会った時からミラを敵意のこもった目でにらんでいて、イレーネがいなくなると「たかが平民ふぜいが姉上の優しさに甘えていい気になるな」とぐっさりと釘を刺してきた。

 ミラとしても公爵令息ににらまれたくないし個人的にも苦手なので彼を避けていた。しばらくはそれでやり過ごせていたが、いつまでも敬愛する姉がミラを気にかけるのがよほど気に障るのか、ある時からキリトはミラに圧をかけてくるようになった。


 最初は最近良く会う気がするなあぐらいに思っていた。

 とある昼休み、次の授業の予習をしながらバスケットに詰めた昼食を食べていると、ふいにキリトが現れ「食べ方が汚い。おまえにマナーを教えてやっている姉上が恥をかくだろう」と、自分が持ってきた豪華な弁当を一緒に食べるように命じてきた。怖い顔で見張られ食事マナーを細やかにダメ出しされ半分も食べられなかった。

 別の日の放課後、図書館でレポートを書いていたら「何だその虫がはったような汚い字は。姉上の目が汚れるだろう。仕方ない、特別に見本をみせてやろう」と、彼の予備のペンとノートを渡され図書館が閉館する時間まで厳しく指導された。気が散ってちっとも進まず、自室で眠い目をこすりつつ徹夜でレポートを書き上げるはめになった。

 この時点で彼に恐怖を感じていたが、その数日後。授業で使う道具について教師と話していたら「品質の悪い物を買って授業の進行に支障が出ては困る。今回は特別に用意してやるからこれからも励め。姉上に恥をかかせたら承知しないぞ」と、見るからに高価な道具が脅すようなメッセージカードとともに寮の部屋に送られてきたことで心がぽっきり折れた。


 公爵令息のキリトの持ち物はどれも最高級のものだ。

 彼にとっては気軽に貸せる物でも、どれも平民のミラには一生かかっても支払えないぐらい高価で繊細な装飾が施されている。例えるならばすべてが王立の美術館に展示されている芸術品だ。

 そんな貴重な物を汚したり壊したりしないように慎重に扱うだけでも手が震えるぐらい恐ろしいのに。ねちねちとダメ出し、もとい貴族のマナーをみっちり教えこまれ。キリトに遭遇するたびにミラの神経は緊張と恐怖でごりごりすり減っていった。トドメにそんな恐ろしい物を自分の持ち物として扱えと命じられてミラのキャパシティは崩壊した。

 イレーネにこんな高価な物はもったいなくて使えないと泣きついて返そうとすると「あら、気にしなくていいのよ。これ、私が使っている物と同じ物でとても使いやすいのよ。あなたは勉強熱心だからキリトも応援しているのね」と微笑まれて全身から力が抜けていった。


 ――貴族、怖い。


 ミラはただ学園で聖属性を鍛えて、卒業後は神殿か気の合う貴族の家で力を活かしてのんびり生きていきたいだけだ。彼女の優しさには感謝はすれどそれにつけこんで成り上がろうなんて考えたこともない。

 でも、イレーネを尊敬していて未だに会うたびにミラを忌々し気ににらみつけてくるキリトには、図々しい平民がすりよっているように見えているのかもしれない。

 友人の貴族令嬢たちに本音を露わにすることを恥とする高位貴族たちは遠回しな言葉や態度で相手に“わからせる”と聞いたことがある。特に敵対していたり不快に思っている相手には言質をとられないように巧妙に仕掛けるとも。そういえば初めて会うご令嬢に褒められたと思ったら皮肉だったなんてこともあった。

 キリトがたびたびミラの前に現れて圧倒的な身分と財力とイレーネとの才能の差をアピールしてきたのは「平民ふぜいが思い上がるな」と脅して、目障りなミラを追い払おうとしていたのかもしれない。

 イレーネと同じ道具を用意して送りつけてきたのは、しぶとい平民に業を煮やして指導と称して今まで以上にねちねちいびってくるつもりなのだろうか。いや、もしかしたら壊したことで厳罰を与えるつもりかも。自分だけで済めばいいけれど家族も巻き込まれるかもしれない。ああ、そんなどうしよう。

 何とか誤解を解かなければと思うもキリトの冷たい目を思い出して身がすくむ。


 ――そんな怖い人とこれからも付き合っていくなんて、無理。


 恐怖にかられたミラは学園入学前から何かと親身になって相談にのってくれている人の元に駆けこみ、必死に事情を話した。そして、彼の助言で聖属性を活かして神官の道に進むことにした。

 それからミラはキリトに会わないように最低限の用事以外は自室で猛勉強し、晴れて試験に合格した。

 貴族としてなじめるように世話を焼いてくれた上に引き留めるイレーネには恩を仇で返すようになってしまって申し訳ないが、心の平穏と家族の無事のためにこれだけは譲れない。せめてもの償いに教わったことを世のために役立てよう。


「はあ、わかったわ。せっかく同じ聖属性持ちの友人ができたのにとても残念だわ。休みの日には家に来て、一緒に鍛錬しましょう」

「ありがとうございます。でも、しばらくは婚約の手続きで忙しいので落ちついたら連絡しますね」

「…………婚約?」

「はい、実はこの間、前から知っている神官の方にプロポーズされたんです」


 まじまじと見つめるイレーネに恥ずかしくなって左手の婚約指輪を撫でる。

 ミラの聖属性を発見した男性神官とはその後もちょくちょく話をしているうちに親しくなった。元は貴族だったという彼は学園生活のこともこまやかに相談にのってくれ、今回の件を聞くと試験勉強を手助けしてくれた。そして、合格した日に婚約した。


「そ、そうだったのね…………。その、おめでとう」

「はい、ありがとうございます」


 イレーネはいつも冷静な彼女にしては珍しく動揺したようで、話を切り上げるとそそくさと帰って行った。

 ミラは平民だからすぐに婚約を受けたが、貴族の彼女にとっては突然婚約をするだなんて非常識だと思われたのだろうか。


 ――やっぱり私は貴族に向いていないなあ。


 貴族に憧れていたけれど、やっぱり人間身の丈にあった生活が一番だ。ミラはしみじみと思うと部屋の片づけを始めた。


 *****


 ――どうしてこんなことになってしまったの。


 イレーネは内心頭を抱えた。

 弟のキリトが友人のミラに恋をしていると気づいてから、イレーネは2人が顔を合わせるように手助けし、ミラの好きな物や欲しい物を探ってキリトに伝えた。その甲斐あってキリトはちょくちょくミラと話すようになり、彼曰くうまくいっていたはず、だった。

 しかし、ミラは突然学園を辞めて神官になると言い出し、あげくに以前から交流のある男性と婚約したと知ってとても驚いた。それを知った弟はショックのあまり自室に引きこもって出て来ない。

 でもまあ、今のミラは学園にいた頃よりものびのびとしている。彼女には自分たちのような貴族よりもそれまでの環境に近い神官の生活の方が向いているのかもしれない。

 ふられた弟には悪いがイレーネは友人の幸せを願った。


この後、周りの人々から弟の言動を聞いたイレーネはミラに謝りにいきました。ただ、弟がミラをどう思っていたかは伝えなかったので、ミラにとっては彼は苦手な奴です(笑)


(26.3.12)たくさんの方々に読んでいただいた上に温かい応援をいただきましてありがとうございます!

おかげさまで日間ヒューマンドラマ〔文芸〕4位に入れていただきました。

昔、レトロな喫茶店で紅茶を頼んだら、変に力をこめたら取っ手が折れそうな華奢で美しいティーカップが出てきた時の恐怖を思い出して書きました(笑)人生で一番おいしかったです。

何となくで書いた話で思った以上に人気が出て驚いております、本当にありがとうございます!

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