第十三話 沈黙の奥で、名を呼ぶもの
休養期間は、想像以上に長く、そして静かだった。
竹本ゆうじは、与えられた簡易宿舎で、何もせずに過ごしていた。
テレビも見ない。
本も読まない。
言葉を使わないようにしていた。
声に反応すれば、
何かが壊れる気がしたからだ。
朝と夜の区別が、曖昧になる。
時間は、正常に流れているはずなのに、体感は一定しない。
それでも、以前のような激しい歪みはなかった。
(……静かだ)
その静けさが、逆に不安を呼ぶ。
夢の中では、相変わらず“声”がする。
『――名を、呼べ』
問いかけではない。
命令でもない。
確認に近い。
誰かが、こちらを見定めている。
ある夜。
ゆうじは、ふと気づいた。
声が、言葉ではなくなっていることに。
意味が、直接、胸に落ちてくる。
(……名前、か)
目を閉じる。
浮かんできたのは、
派手な詠唱でも、スキル名でもなかった。
子どもの頃、
一人でノートに書いていた、意味のない言葉。
「……かっこいい、と思ってた」
剣。
炎。
闇。
世界に意味を与えるための、
自分だけの言葉。
その瞬間、理解した。
(……中二病、って)
病気でも、冗談でもない。
世界を言葉で切り取ろうとする衝動だ。
翌日。
黒瀬ミサキが、久しぶりに面会に来た。
「顔色、少し戻りましたね」
「……はい」
「何か、気づきは?」
ゆうじは、少し迷ってから答えた。
「……声、たぶん」
「たぶん?」
「俺のスキルじゃない。でも……」
言葉を選ぶ。
「**俺が、昔から欲しがってた“世界の答え”みたいなもの**です」
黒瀬は、驚かなかった。
「やはり、そうですか」
端末を操作し、過去の記録を表示する。
「ダンジョン発生以前から、同じ傾向を持つ人間はいました」
「……探索者じゃない?」
「ええ。作家、思想家、宗教家」
ゆうじは、息をのんだ。
「共通点は、強い言語衝動です」
言葉で、
世界を定義しようとする者たち。
「ダンジョンは、それを“力”として顕在化させた」
黒瀬は、静かに言った。
「中二病スキルの起源は、人間側にあります」
夜。
ゆうじは、一人、窓の外を見ていた。
声が、再び響く。
『――名を、呼べ』
今度は、怖くなかった。
(……お前は、誰だ)
問いかける。
返ってきたのは、
単純な感覚だった。
『――可能性だ』
無数の言葉。
無数の物語。
選ばれなかった未来。
語られなかった意味。
(……力じゃない)
これは、
選択権だ。
言葉で、
何を現実にするか。
その責任を、
引き受けるかどうか。
ゆうじは、深く息を吸った。
「……まだ、呼ばない」
今は、まだ。
沈黙は、
逃避ではない。
準備だ。
言葉に、再び意味を与えるための。
中二病スキルの真の起源は、
ダンジョンでも、異界でもない。
語りたいと願った、人間の心そのものだった。
そして、
その声に応えるかどうかは――
まだ、
竹本ゆうじ自身が決めることだった。




