変化
誰かに体を操られる恐怖を感じた日から、また季節は巡り、春が来た。
とうとう、アカデミーの入学式がやってきたのだ。
クロノに会える、その日が。
アカデミーに着き、義兄さんと校舎前で、手をふって早々に別れる。
今の私は、クロノで頭がいっぱいだ。
私は湧き立つ激情を抑えながら、周りを見渡した。
周りは変わらず、初々しい表情をした生徒であふれていた。
暖かい風が頬を撫で、少しだけ表情が緩む。
今は、ただ再会を喜ぼう。
前回、クロノと出会った辺りに視線を送る。
人混みの中、風になびく銀髪が見え、私の胸は大きく鼓動する。
誰かと話しているのだろうか、微笑む彼は、いつもと変わらない。
私は人混みをかき分け、彼に近づいていく。
早く彼の目を見つめて話したい。彼を感じたい。
確か前回話しかけた時は、彼の持っている本について声をかけたっけ。
そう、確か本のタイトルは――。
「そ、その本、ビーの冒険譚だよね?私も好き、なんだ」
「俺も好きなんだ。奇遇だね。他に何が好き?」
足は自然と止まっていた。
まるで、私と彼の出会いを再現するかのように、二人はにこやかに会話をしていた。
ただ違うのは……彼の隣には、シャンテが居た。
時が止まったかのように、何も音が聞こえない。ただ、二人の姿だけが、鮮明に私の瞳に映っていた。
「……なんで」
誰にも聞こえないくらい、小さな声で呟く。
どうして、こうなったんだろう。
私と義兄さんが仲良くなったから?
過去を変えた代償?
何かが、変わってしまった。
彼と生き延びた、その先の未来に、彼の隣に私がいないなんて、そんなことがありえるっていうの?
そんな予感が私の頭上を掠め、必死に振り払う。
疑ったことすらなかった可能性は、私をじわじわと締め付ける。
耐えられない。ただ、見ていることが、それだけのことが、できなかった。
衝動的に足は動き出していた。
「それ、私も好きなんだよね!」
二人の前に立ち、何の脈絡もく話しかける。
驚いた表情を浮かべる二人を尻目に、聞かれてもいないのに、どこが好きだとか、どこに感動したなどをつらつらと話す。
普段の私なら絶対やらないのに、言わずにはいられなかった。
私の方が詳しい、私の方がクロノと同じ気持ちだ、そうアピールしたかったのかもしれない。馬鹿みたいな嫉妬心。醜い、感情を垂れ流す。
戸惑うシャンテが圧倒されているのを見ながら、視線をクロノに向けた時、私の口はようやく止まってくれた。
彼の瞳は、戸惑いと、若干の冷たさを纏っていた。
自分で、とどめを刺した。そう、瞬時に理解した。
「……ごめんなさい」
視線に耐えられなくて、私は下を向く。
嫌われた。それも、自分の汚い部分を露呈したせいで。
自分への嫌悪に羞恥。色んな感情が混ざり合い、どうにも耐えられなかった。
私は踵を返し、その場を去った。
一人になりたかった。今は、誰にも会いたくなかった。
ふらふらと図書館を訪れると、そこには誰もおらず、静寂に包まれていた。
私は部屋の端まで行って、そこに蹲り小さく声を殺して泣いた。
クロノは幻滅したに違いない。出会いを失敗してしまった。
このまま、クロノとシャンテが私達のように、そのまま親しくなっていったら。
クロノと、もう恋人になれないかもしれない。
私は自分の腕を力強く掴み、膝に自分の額を押し付けた。
「いた。君、大丈夫?」
頭上から声をかけられる。その声に、私は顔をあげる。
そこには、少し息を荒くしたクロノがいた。
「どうして……」
「様子が少し変だったから、気になって。ほら、これ使って」
そういって、ハンカチを差し出される。
彼が追いかけてきてくれたことが、まだ信じられない。
戸惑いながら、それを受け取り「ありがとう」と返す。
暫くの間、私の鼻を啜る音だけが、響く。彼は私の隣に腰を下ろし、何を話すでもなく、黙っていた。
少しずつ、昂っていた感情が落ち着いてくると、私はためらいがちに、言葉を発した。
「さっきはごめんなさい。その、急に話しかけて」
まださっきの瞳が怖くて、彼の方は見ることができない。
「ううん、大丈夫だよ。まぁ、少し驚いたけど」
「……ごめん」
クロノは「驚いた以上にさ」と続ける。
「なんだか、焦ってるように見えたんだ。それもあって、少し気になったんだ」
そう言われ、彼の方に顔を向ける。
彼は私をじっと見つめていた。
好意ではなく、好奇心に似た瞳。
今は、私の本当の気持ちは、理由は、伝える時ではない。
そう、言えるとすれば。
「……友達になりたい、と思って」
ぽつりと呟く。今出せる、精一杯の勇気。
クロノは私の言葉に、少し目を大きく開き、そのまま細めた。
そして、私に手を差し出す。
「うん。ゆっくり、仲良くなっていこう」
強張っていた体から、力が抜けていく。私は気の抜けた声で「よかった」と溢す。
そして、差し出された彼の手を握る。
久々に感じる、彼の体温。そして、変わらない優しさに、目頭が熱くなる。
歪な形で始まった友情から、育てていけばいい。
まだ、彼とは出会ったばかりなのだから。
その後、シャンテにも謝罪をした。
彼女は、私達が恋仲だと勘違いしていたようで、クロノとは以前街で会ったことがあっただけだと、聞かされた。
……本当にそうなのだろうか?
疑心暗鬼な私は、それをすべて信じることはできない。
だけど、いま大事なのは、クロノの気持ちと、クロノを助けることだ。
だから、もう考えないでおこう。そう、蓋をした。
その後、私は前回と同様に、皆と再会をした。
暫くは変わらない、今までと同じ日々を過ごしたのだが……。
「義兄さんとの仲を、取り持ってほしい?」
「そうなのよ。私、ロイさんのことが気になっていて」
驚きの声をあげる私の前で、リーシュが頬に手を当てながら、にこりと微笑んでいる。
その日、彼女が私に相談を持ちかけたことで、転機が訪れた。
今まで、リーシュからこんな相談をされた事はあっただろうか?私は笑顔をつくりながらも、頭の中では必死に記憶を辿る。だが、何度考えても、初めて聞く話のはずだ。
何故、こんなことを言い出したのだろう?私が義兄さんと仲良くなったから、何か状況が変わった?
……それとも、何か別の目的が?
「もちろん、私にできることなら言って。二人が付き合ったら、嬉しいし」
そう伝えると、リーシュは私の手を取り、言い放った。
「嬉しい!じゃあ、早速なんだけれど、ダブルデートをしましょうよ」
「ダブル、デート」
「ええ、私達とクロノくんも誘って」
リーシュは変わらず微笑んでいる。
クロノを誘う。普通に考えれば、私がクロノと仲良くしたいと思っているのを察してだろう。
だが、裏を読めば、クロノと接触したいのかもしれない。
私のフィルターを通すと、全てが疑いの対象になっていく。もう、このフィルターが外れることは無いのかもしれない。
「わかった。誘っておくね」
私が頷くと、リーシュは満足げに去っていく。
今回死に戻ってから、色々な事が変わりすぎている。
私の行動の影響かはわからないが、今後の行動は少し慎重にすべきなのかもしれない……いや、いっそ未来を変えるという意味では、行動をもっと変えていったほうがいいのかもしれない。
リーシュの遠ざかっていく後ろ姿を見つめながら、頭の中で、そんな問答を繰り返した。
「四人で遊びに?うん、もちろんいいよ」
翌日、クロノを誘ってみると、拍子抜けするほどあっさりと承諾してくれた。
ダブルデート、ではなく、四人で遊びに行かないか、という誘い方だったのが良かったのかもしれない。
この頃には、クロノと私は親しい友人と言えるほど仲良くなっていた。以前のように二人で会う頻度も増え、このまま順調に進んでいけば、またお互いを想い合えるようになれるかもしれない。
「でも、珍しい人選だよね。ロイとリーシュって、親しかったっけ?」
「そうなんだよね……クロノからみてもそう見える?」
「まぁ、あまり話してるところはみたことないかな」
クロノから見てもそうなんだ……ざわつく胸元を、思わず抑える。
「……気になってるんだって、義兄さんのこと。明日はアシストしないとかも」
「じゃあ、なるべく二人にしないとかな」
そう悪戯っ子のように笑うクロノに、私は思わず吹き出す。
「そうだね、そうしようか」
気を引き締めないと、そう思いつつも、遊ぶ日が少し楽しみになる。
私は空を仰ぐ。当日は晴れるといいな。
空は雲ひとつなく、気持ちのいい青色が広がっていた。
「じゃーん。今日の舞台のチケットよ。はい、アリアどうぞ」
ダブルデート当日、リーシュからチケットを渡される。
それは舞台のチケットで、今も、戻る前でも人気で中々手に入らないものだった。
「これ、気になってたやつだ。リーシュ、よく手に入れられたね」
「まぁ、ちょっとお父様におねだりしたから、ね。さぁ、早速入りましょうよ」
彼女は笑いながら、ちゃっかり義兄さんの隣に立つ。私とクロノは顔を見合わせ、少し笑った。
舞台の内容は、よくある悲恋ものだった。お互い想い合っているのに、結ばれない。まるで私とクロノのような話。
私は横に座るクロノを横目で見る。
彼は手を頬に着きながら、真剣に観ているようにみえる。悲恋は彼の苦手なジャンルなはずなのに、変わったのだろうか。彼の変化を感じるたびに、不安が背後から忍び寄り、じわりと手に汗が滲んでくる。
私だって、変わってしまったのに。
「あー面白かった!ね、ロイさん、どうでしたか?」
「ああ、思っていた以上に良かったね。あの主人公の――」
舞台が終わり、近場のレストランに移動するため、二手に分かれて歩く。
リーシュと義兄さんはいい雰囲気で、楽しそうに舞台の話をしている。
舞台は面白かった。それ以上にクロノとこうして一緒に過ごしているのが楽しい。
私ははしゃぎ気味に、感想を彼に伝えた。
「主人公にも、クロノのお母さんみたいな人がさ。貴方が生きたい道をみつけなさいって言ってくれる人がいれば、また違ったかもしれないよね」
続けて話しかけようと思ったが、クロノの反応が何もないことに気がつく。
気がつくと、彼は歩みを止めていて、私の背後に立っていた。
――彼が私を見る目は、不審なものを見るように、冷たかった。
その瞬間、私は理解した。
このクロノには、お母さんの話を聞いていない、と。
「……一体、何故、アリアがその話を知ってるの?」
喉の鳴る音だけが、耳に響いた。




