私じゃない私
「はっ……!」
喉に両指を添えた状態で、目が覚める。
全身が汗でびっしょりと濡れ、反対に喉がカラカラに乾いている。反射的に唾液が溢れるが、今はない喉の熱さを思い出し、飲み込むのを躊躇う。
……痛みがない?
ゆっくりと、喉から指を離し、体を起こす。
幼少期の思い出に溢れた部屋を見渡し、前回と同じように、私の部屋で目覚めたことに気がつく。
「また……戻ってこれたんだ」
誰もいない部屋で、そう呟く。
またやり直すことが、できる。無理やりに希望を抱こうとする。
けれど、頭から、笑顔で血を吐き出すクロノの顔がこびりついて離れない。どんなに別のことを考えようとしても、すぐに意識が持っていかれ、強制的に貼り付けられる。つんざくような胸の痛みに、踏ん張らなければ涙が溢れてしまうだろう。
でも、どんなに絶望しても状況は変わらない。
……それは、もう2回目だからわかっている。
今日はいつなのか、日記帳をみようとベッドから降りようとした時、誰かが部屋をノックした。
「どうぞ」と声をかけると、扉から両親が入ってくる。
「あら、アリア、どうしたの?体調でも悪いの?」
「顔が真っ青よ」と母に言われ、頭は必死に耐えているつもりでも、体は正直に反応してしまっているか、と苦笑いをする。
頭に影が差し、上を見上げると父の大きな手が、そっと私の頭を撫でる。
「元気を出しなさい。ほら、お前が行きたがっていたサーカスのチケットが手に入ったんだ」
「ほら」と目の前に差し出されたチケットには、象が大きな球に乗っている可愛らしいイラストが描かれていた。
私は目を大きく見開き、尋ねる。
「これ、いつのチケット?」
「ん?書いてあるじゃないか、三日後だよ」
そう言われて、私は再度チケットに目をやる。
その日付は、七年前の日付だった。
前回は三年、今回は七年。
死に戻る時期が、更に遡っている。
ただでさえ異常な状況なのに……一体何かルールがあるの?
考え出すと、嫌な想像が止まらなくなり、私は頭を左右に振る。
駄目、考えたってしょうがないじゃない。私が考えるべきことは別にあるんだから。
無理やりに自分を納得させ、机の前に座る。
両親はサーカスの事を伝えにきてくれたそうで、私は七年前のように、大袈裟に喜びを伝えた。
満足そうに二人は部屋を出ていき、ドアが閉まる。
静寂が訪れると、小さく息を吐き、私は前回の死に戻りについて、思考を巡らせる。
まず、前回の死因について考えてみる。
クロノとキスをした直後、彼が吐血、そして私が吐血した。彼が最初に倒れた事を考えると、私の唇が原因?毒殺?唾液?
「……リップクリーム」
私は無意識に唇をさわる。
そうだ、きっとそう。
だって、教会の前で塗り直す前に、私は唇を舐めている。リップクリームをつけてからは、キスするまで触れてない。
キスした時に、私の唇から毒がクロノに大量に流れ、私が唇を噛んだ際に自分で接種した。
そういうことだろうか。
あのリップは、あの日の朝も使ったけれど問題はなかった。
……すり替えられた?
リップクリームを渡してくれたのは、カレンだった。
でも、あの場にいた誰もがすり替えることができたはずだ。
「違ったら、よかったのに……」
頭の中にあった想いが、声になってこぼれ落ちる。
僅かにあった希望は消え失せ、同時に、ああ、やっぱりかという気持ちに塗り潰される。
私はノートの横に置いていたペンを拾い上げる。
ノートに走らせると、真っ白なノートに黒い文字が連なる。
『容疑者一覧 カレン、リーシュ、シャンテ』
背もたれに体重を預け、頭上を見上げ、瞼を閉じる。
私の親友たちの中に、クロノと私を殺した犯人がいる。
……笑顔で、私達を祝福していた、あの中に。
腹の底から込み上げる激情を噛み潰すように、私は声にならない声で、叫んだ。
少しの間、私はただ机の前に座りながら、窓の外を眺めていた。
頭の中に浮かぶ、真っ黒に染まった感情を直視しないように、何も考えないように、ただ目を開いているだけ。
ふと、視線を庭に向けると、義兄さんが庭園でお茶をしているのが見える。
そうか、七年前なら、義兄さんもまだアカデミーに入っていない時期だから、家にいるのか。
死に戻る前、義兄さんには助けられたし、今となっては容疑者でもない。
彼は、信じていい人だから。
私はふらりと椅子から立ち上がると、彼の元へ向かった。
「義兄さん」
私が手を挙げて近づくと、義兄さんは手をひらひらと振ってくれる。
「アリア、珍しいね。どうしたんだい?」
「窓から義兄さんが見えたから。お茶してたの?」
「ああ。ここから庭園の花を眺めるのが好きなんだ。落ち着くからね」
「そうなんだ」
彼の視線に沿って、庭園を眺める。色とりどりの花が咲き誇る庭園は、心が洗われるように美しい。
知らなかった。義兄さんが好きな風景。
私達は、特に仲が良くも悪くもない、普通の兄妹だった。
それなりに我儘を言って、優しく受け止めてもらえる、そんな関係ではあったが、お互いの好きなものを把握するほどではなかった。
「義兄さんて、好きなお菓子とかあるの?本は?」
矢継ぎ早にそう尋ねると、彼は口をぽかんと開く。
「どうしたんだい?急に」
「……もっと、義兄さんと仲良くなりたいなって。兄妹なんだし」
これは本心だった。今にも壊れてしまいそうな私は、心のよりどころが欲しかった。
私がそう言うと、彼は目を細めて、微笑む。
「それは、嬉しいな。俺もそうしたいと思ってたから」
私もつられて微笑む。
義兄さんも、そう思っていてくれたんだ。私は、いつのまにか握りしめていた手のひらを、ゆっくりと開いた。
相変わらず、死に戻りの制限は変わっておらず、私は外に出ることが出来なかった。
クロノに会うこともそうだが、本屋に行くことなども制限されている。しかし、メイドに依頼するという形で、本を買ってきてもらうことは出来た。
「お嬢様、こちら幾つか見繕ってまいりました」
「ありがとう」
メイドは一礼して、私の部屋から出て行った。
私は買ってきてもらった書籍を手に取り、タイトルを見る。
神のみわざ、奇跡、蘇り……死に戻りに少しでも関係がありそうなワードを伝え、揃えてもらった本たち。
私はそのうちの一冊を手に取り、椅子に座り読み進める。
「ダメ、ヒントにはならなそう」
買ってきてもらった本を、数日掛けてくまなく読んでみたが、手掛かりにはならなかった。
何か少しでも手がかりを見つけたかったのに。気持ちが焦ると、すぐに黒い感情に、飲み込まれそうになる。
私はまだ、大丈夫と自分に言い聞かせ、最後の一冊を手に取る。
最後の一冊は小説だった。少女が病気の姉を助けるために奮闘する話のようだ。
どうせ時間は有り余っている。
私は息抜きにと、それを読み始めた。
読み進める中で、少女が願いを叶えるため、代償を払うというシーンが出てきた。
『神の慈悲か、悪魔の戯れか』
その一節をみて、私はふと考える。
この死に戻りは、本当に神の慈悲なんだろうか。
死ぬ瞬間、神に祈ることもしなかった。敬虔な信徒でもない。
何故、私なんだろう?
私はその一節を、指でなぞる。
隣のページの挿絵では、祈る少女を神が空から抱きしめ、少女の脚を悪魔が引っ張っていた。
季節は何度目かの、秋に変わろうとしていた。
義兄と親しくなった事で、気落ちしてしまう日も、なんとか乗り越えることが出来た。
信頼できる相手のいることが、こんなにも心の支えになるとは。
しかし、それでも満たされない思いがある。
クロノに会えないことだ。
前回は一年待てば会うことが出来た。でも今回は六年だ。
前回と違い、生死については大丈夫だろうと多少楽観視できているが、日に日に想いは募り、既にはち切れそうなほどに膨らんでいる。
もしかしたら、今度は出られるかもしれないと、小さな希望を抱いては、扉の前に戻される日々。
どうせ駄目だってわかっているはずなのに、落胆し、ため息をついてしまう。その度に、黒い染みのように、心が汚れていく。
そんな日々が続き、とうとう義兄がアカデミーに入学する日が来てしまった。
「義兄さんに中々会えなくなるの、寂しいな」
玄関口で、彼の制服の裾を掴み、訴えかける。
「ははっ、長期休みには帰ってくるよ。お土産もかってくるから、ね」
義兄さんに頭を撫でられながら、そういうことじゃないんだけどな、と思いながら口をとがらせる。
「じゃあ、手紙を書こうか。それならもっと話せるし」
「……書く」
「うん、そうしようね」
体が幼くなると、心まで幼くなるのだろうか。
私は子供のように駄々をこねた自分に、若干呆れつつも、義兄の言葉に口角をあげた。
義兄さんと手紙を交わす日々は、思っていた以上に私の精神を安定させた。
内容は日々起こったことや、友達ができたなど、他愛のない会話だったが、それがよかったのかもしれない。
そんな中、今日届いた義兄さんの手紙に、気になる名前をみつけた。
「キリアン・クロフォード……」
記憶が正しければ、それはクロノの兄と同じ名前だった。
もしかしたら、クロノの現状を知ることが出来るかもしれない。
胸の奥に、本当に数年ぶりに小さく燃えるような感情が芽生え、私は震える手で便箋とペンを取りだす。
私ははやる気持ちを抑えながら、丁寧に、返事を書く。
『もしかして、キリアンさんにはクロノという弟がいる?』
数日後、返事が返ってきた。
私は手紙を受け取ると、急いで自分の部屋に戻る。
ドアを開けるとすぐに、封を開ける。少し汗の滲む指で、折られた便箋を開き、目を通していく。
『アリアと同い年の子がいるそうだ。知り合いなのかい?』
それを見た瞬間、私は便箋を胸で抱きしめ、あぁ、と小さく漏らす。
クロノとの繋がりが出来た。
その事実は、この制限された世界を抜け出すための一本の糸のように、私の心に希望をもたらす。
まだ出来ることは、きっとある。
それから数週間後、義兄さんが長期休みで帰ってきた。
クロノを何故知っているのか?と聞かれた際に、実は以前すれちがって、一方的にひとめぼれをしたことがあると伝えた。
義兄さんはその話を持ち出して、とても可愛らしいと笑った。
私は嘘をついている若干の罪悪感があったが、その笑顔で帳消しかなとも思う。
「実はね、明日、キリアンにお願いしたんだよ。弟くんとウチに、遊びにきてくれないかって」
「……!」
私はあまりの衝撃に、大きく目を見開き、固まった。
そして、我に返った瞬間、義兄さんに飛びついた。
「義兄さん!ありがとう!」
「ふふ、どういたしまして」
私は彼の胸元に顔を埋めながら、突き抜けるくらいに口角を上げた。
明日、クロノに会える!
私は急いで自分の部屋に戻ると、明日の準備に勤しんだ。
着る服、アクセサリー、お茶にお菓子……ありとあらゆるものを準備した。
そして、興奮さめやらぬまま、気がついたら寝てしまっていた。
翌日、準備が終わり、あとは出迎えだけとなった。
煌びやかに着飾った私に、義兄さんは笑いを堪えながら、かわいいよと言ってくれた。
少し照れながら「ありがとう」と伝える。
クロノを待つ間、私はそわそわしながらソファに座ったり立ったりを繰り返した。
座っている間は、少し幼いクロノを想像して、にやにやして。
少し外から音がすれば、立ち上がって馬車が来ていないか窓から確認した。
いよいよ馬車が近づいてきた音がして、私は扉の前に立つ。
ドア越しに笑い声が聞こえる。クロノの、声だ。
そして、ギィっと音がして、扉が開いていく。
まばゆい光が、眩しい。
「……リア、アリア、大丈夫かい?」
義兄さんの声で、はっとする。
気がつくと客間のソファの上に座っている。
目の前には、クロノのために準備したお茶やお菓子が、食べられた形跡があった。
すぐに、全身の血が引いていくのが分かった。鳥肌が全身をまとう。
……まさか、また?
「義兄さん、クロノ達はまだ出たばかり?」
「?ああ、さっき見送ったばかりじゃないか」
私は彼が答え終わる前に、急いで二階に上がり、窓から外を見る。手を窓に添えながら、じっと見つめる。
そこには、馬車に乗り込もうとしている、少しだけ幼いクロノがいた。
……クロノ、元気そう。
隣にいるのがキリアンだろうか。兄に微笑んでいる。まだ幼さが残るが、いつも見ていた彼の笑顔だ。
本当は今すぐ出て行って、彼に話しかけたい。抱き着きたい。
……でも、今は、これだけでも、いい。いいんだ。
馬車が遠ざかっていく。その後ろ姿を見つめながら、呟く。
「あと少しだけ、待っていてね」
私は窓から視線を逸らし、ゆっくりと後ろ髪を引かれる思いで、手をはなす。
義兄さんのいる客間に戻ると、彼が「大丈夫かい?」と尋ねる。
私は頷きながら、机の上を見渡す。
クロノのために用意した、彼の好物のドーナツが食べられた形跡に、私は笑みを漏らす。
そんな私をみて、少し安心したように義兄さんが微笑む。
「よかったな、クロノくん大喜びだったな」
「……うん。ねぇ、さっきまでの私ってどんな感じだった?クロノに会ってた時」
さっきから、気になっていたことを言葉にする。
義兄さんは『見送った』と言っていた。私はクロノの前で動いていたということだ。
以前、義兄さんの前で外に出た時のように、私の意識とは関係なく。
ずっと黙って、紅茶を飲んでいたのだろうか。だとしたら、気味が悪かったのではないか。
「笑顔だったじゃないか。まぁ緊張していたのか、アリアらしくない妙に大人びた話し方だったかな」
気にするな、そう言われて肩をたたかれる。
義兄さんの足音はそのまま遠ざかっていくが、私はその場から一歩も動くことが出来なかった。
――私じゃない私が、私のフリして会話していたって言うの?
私は自分が座っていた席に視線を送る。置かれたティーカップには、べったりと真っ赤な口紅がこびりつき、嗤っているようにみえる。
私は底知れぬ気持ち悪さに、唇を噛み締める。
唇が切れ、鉄の味が口内に広がっていった。




