遭遇
ゆっくりと、瞼を開く。
ぼやけた視界に、驚きはなかった。
体は自分のものではない様に、上手く動かない。かろうじて視界に映った手のひらは、想像した通り、とても小さかった。
ああ、これでもう、戻れないんだ。
頭の中に浮かぶ言葉と、発する音が合わない。ただ、あぅと、小さく声が出るだけだ。
どうやら、私は生まれて間もない赤子まで、戻ってしまったらしい。
こんな状況なのに、頭は妙に冴えていた。
まだ、前提がすべてひっくり返ってしまった現実を、受け止められていないだけかもしれない。
犯人が執拗に殺したかったのは、クロノじゃなくて私だった。クロノは巻き込まれていたにすぎなかったんだ。
前回、クロノが生き残ったことが、動かぬ証拠だった。
少しの動揺はあった。
生贄にするだけでなく、殺したくもある存在。
一体、何故そこまで私に執着するのだろう。
乱れそうになる気持ちを、呼吸で落ち着ける。
どちらにせよ、やることは変わらない。
ただ、引っかかっている事もある。何故、義兄さんを殺したのか。
毎回私が殺される前には、クロノが殺されていた。
代わりに殺された?
仮にそうだとしたら、何か条件でもあるのだろうか。
クロノと義兄さんの共通点は?
ぐるぐると思考を巡らす。
男性、騎士志望、友人……色々な条件を思いついては消していく。
何故、前回だけ義兄さんだったのか?
今までは対象外だったのに、前回のループで、初めて義兄さんが対象になった……とか。
前回の義兄さんと、今までの義兄さんの違いは?
私の脳裏に、赤いマフラーが浮かぶ。
私と、特別親しかった……?
ぞわっと鳥肌がたつ。もし、それが条件だったら?
――私と親しい人を殺してから、私を殺す。それが試練の内容だとしたら?
「ふぇ……あああああ!」
「あらあら、アリア。どうしたの? 怖い夢でも見たの?」
母がバタバタと音を立て、私を抱きかかえる。
ゆらゆらと揺られながら、私は泣き叫び続ける。
……何故泣いているのか? 怖いのか、憎いのか、不甲斐ないからか。自分でも、よくわからない。
ただ、私の胸に渦巻く、この感情をすべて出しきってしまいたかった。
喉が張り裂けそうなほど、痛みを感じるほどに、泣き叫び続ける。
今の私には、泣くことしか出来ないから。
次に目が覚めると、また世界はぼやけたままだった。
私は、また思考を巡らせ、絶望する。
そんなことを、何度となく繰り返す。
そして、ひとつの結論にたどり着く。
この死に戻りは、神様からの施しなどではない。
悪意に満ちた悪魔の儀式なのだと。
そして、私はその生贄に選ばれたのだと。
儀式を行った犯人が悪魔から課された試練は、私と親しい人を殺してから、私を殺すこと……まだ想像の範疇を超えないけれど。
犯人が授かった能力は正直わからないが……図書館に呼び出されたメモは、確実に義兄さんの書いた字だった。でも、状況からみて書いたのは彼ではないだろう。
……字を真似る能力なんて陳腐な能力を願わないだろう。
ここは、もう少し、考えてみる必要がありそうだ。
そして、犯人の手がかりになりそうなのが、義兄さんが固く握りしめていた、黒い長い髪。
犯人に襲われた際、義兄が機転を利かせてくれたのだろう。これで、カレンは容疑者から外れた。
容疑者の中で黒い髪はふたり。シャンテとリーシュだ。
……どちらのほうが怪しいなんて、もういい。
絶対に、大切な人達を殺させたりなんか、させない。
必ず儀式を失敗させてみせる。
私は、皆揃って、ループを抜け出して見せるんだ。
目覚めた日から、数年が経った。
この日、私はソワソワしていた。今日は、ロイが私の義兄になるべく、我が家にやってくる日だからだ。
何度も玄関前をうろうろとする。
その様子を、微笑ましく眺める母の視線を受けながら、それでも私はそれをやめられなかった。
馬車が扉の前で止まった音がして、話し声と足音が近づいてくる。
私は扉の真ん前に立ち、彼が現れるのを待った。
扉がゆっくり開き、義兄さんが現れると、私は彼に思い切り飛びついた。
周りの皆が、義兄さん自身も驚き慌てふためく中、私はもう離れないようにと、腕に力を込めた。
私と義兄さんは、すぐに仲良くなった。
彼と仲を深めるべきかについては、少しだけ悩んだが、答えはすぐに決まった。
彼の本心を知った今、ひとりにしておくことは出来ない。
まだ底の見えない犯人に振り回されるぐらいなら、自分の心に従うべきだ、そう思った。
義兄さんは、すぐに親しい友人達を作った。
彼は頼り甲斐があり、穏やかな性格だ。今までも多くの友人に囲まれていた。
彼等は我が家にもよく遊びに来て、私のことも可愛がってくれた。
薄らと残っていた記憶だが、以前もそうだったと思う。
皆でこっそり街に遊びに行ったりして、怒られたことを、なんとなく思い出す。
だから、皆で街に遊びに行こうと言われた時、少しだけ躊躇った。
けれど、皆に促されると断ることもできず、私はお気に入りのハンカチを握りながらついていった。
低い目線で見る街の風景は、今までと違って見えて、すごく新鮮だった。幼い私は、妙に胸を高鳴らせながら走り回る。
噴水の周りで追いかけっこをして、そのまま思い切り走り続けた。
「あれ、ここって……」
気がつくと、そこは、悪魔と契約した夫人と待ち合わせした町宿の前だった。
……ということは、貧民街が近い。
私は慌てて戻ろうとして、脚がもつれ、その場に転ぶ。
「いたた……」
膝を擦りむき、涙が滲む。
痛みに耐えながら立ち上がり、戻ろうとした時。
「あの」
背後から、声をかけられる。
振り向くと、そこにはボサボサの黒髪に、穴だらけの洋服を着た少女が立っていた。
「これ……」
彼女は手に、私のハンカチを差し出している。
さっき転んだ時に落としたのだろう。
長い前髪のせいで、表情は見えない。
でも、見覚えがあるような。
「ありがとう」
そう応えて、ハンカチに手を伸ばした時だった。
「なんだお前! きたねー! アリアちゃんに触るな!」
そう、声がして、少女が突き飛ばされる。
気がつくと、私の周りには義兄さんと、その友達が立っていた。
「ちょっと! やめて! その子はハンカチを拾ってくれたの」
そう、声に出した時だった。
黒髪の間から、彼女の表情が見えた。
彼女の目は、酷く、冷たかった。
感情を無くしたような、その瞳を見ると、鳥肌が全身を覆った。
呆然と立ち尽くす私をよそに、彼女は、一人で立ち上がると、その場から去って行った。
どこか見覚えのあった少女の背中に向かって、私は呟く。
「……シャンテ?」
酷く痩せこけていたが、少女はシャンテに違いなかった。




