契約
「渇望の悪魔と契約していたご婦人が見つかったよ」
リント先輩に呼び出され、研究室に集まると彼はにやりと笑ってそう言った。
「先輩! 本当ですか」
「うんうん、やはり黒魔術に不可能はないからね。……まぁ、冗談は置いておいて、彼女と待ち合わせをしている。早速行こうか」
リント先輩は椅子から立ち上がると、ドアに向かう。私達は慌ててソファから立ち上がり、後を追う。
研究棟を出ると、黄色の落ち葉が舞い落ちてくる。季節は秋になり、肌寒さにぶるりと体が震える。
先輩は後ろを振り向くこともせず、進んでいく。私も彼を追って、門のほうに向かう。
その時、何か、後頭部がちりちりとした違和感を感じた。まるで誰かの視線を一身に受けているような。
私は勢いよく振り向く。校舎の窓に、確かに誰か女性が立っていた。彼女は私が振り向いたと同時に、その場を離れた。
「今のは……」
「アリア君~はやく馬車に乗りたまえ」
先輩の声で後ろを振り向くと、すでに二人は馬車に乗り込んでいた。
「今行きます!」
私はそう答え、違和感を胸に抱えたまま、速足で馬車に向かった。
「彼女と待ち合わせしているのは、うん、ここだね」
「ここって……」
「貧民街の近くにあるわりには、綺麗な宿だろう」
ここは貧民街との境にある町宿だ。宿から出て、少し歩けば貧民街があるので、治安は悪い。
宿自体は確かに、場所を考えれば綺麗なほうなのかもしれない。よく掃除が行き届いているようで、壊れている場所も補強された跡がある。
「ここの、3号室で待ち合わせをしているんだ。行こうか」
リント先輩は迷いなく部屋に向かう。私はクロノに耳打ちする。
「リント先輩って、こういうところ得意なの?」
クロノは苦笑いしながら答える。
「貧民街の近くだと、色々その……素材が手に入るからよく来るらしい」
「ああ、なるほど……」
彼の研究室を思い出す。カラスのはく製やら、いろんな動物の爪やら、不気味なものがぎっしりと詰まった瓶が置かれた棚が確かにあった。
そんな話をしていると、先輩がドアをノックして、開いた。
「さぁ、入りたまえ。ご婦人がお待ちだ」
開かれたドアの奥には、椅子に座った80代ぐらいの老婆が見えた。白と灰色の混ざったちりちりとした髪に、皺の深く刻み込まれ、弛んだ顔。その瞳は私達を訝しげに見た。
部屋に入り、彼女に挨拶をしようと近づいた時だった。
急に老婆は椅子から飛び上がるように立ち上がり、部屋の隅に逃げるように向かう。そこでしゃがみ込み、体を小さくして震え出した。
突然の出来事に混乱していると、彼女が震える声で言った。
「あ、あんた……アイツの匂いがする……!」
彼女は歯をガチガチと鳴らしながら、私を指で指す。その指はぶるぶると震えている。
戸惑う私の横を通り過ぎ、リント先輩が一歩前に出る。
「ご婦人、アイツというのは《渇望の悪魔》のことですね?」
彼女はその名前に大きく反応し、体が痙攣したかのように大きく跳ねる。
そして、おずおずと顔を上げた。
「そうよ……あの女、契約者なの?アイツの匂いが充満している。一体どれぐらい長い間一緒にいるのよ……」
彼女の震えは止まらない。私を見る目は左右にせわしなく動き続ける。まるで直視しないようにしているようだ。
「彼女は生贄ですよ。あなたはご存じですよね?悪魔の試練のこと」
リント先輩がそう言うと、彼女の震えはピタリと止まる。そして、私をちらりと一瞥してから、ゆっくりと椅子に座りなおした。
「……で、何が聞きたいわけ?」
「悪魔の試練について。無論、あなたが願ったことも含め」
リント先輩はにこりと笑う。そして、彼女の前に小さな麻袋を置く。
「協力いただけるなら、こちらを差し上げます」
老婆はそれを勢いよく掴み、中身を確認する。陰気な表情が、欲にまみれた表情に変わり、そしてこちらに向き直る。
「いいよ、話したげる。まず、そうね……願い事か」
彼女は私に視線を向け、ぶっきらぼうに質問する。
「私、いくつぐらいにみえる?」
「えっと……80歳くらいですか?」
私がそう答えると、彼女の表情はまた陰る。そして少しの間を置いて、口を開いた。
「私、48よ」
彼女の言葉に、その場にいた全員が目を見開いた。彼女はその様子を見て、自虐的に声をあげて笑う。
「そう、みすぼらしい老婆にしか見えないわよね。これが、試練に失敗した代償よ」
「あなたは、何を願ったんだぃ?」
リント先輩は体を乗り出し、彼女に問う。
「私が願ったのは、美貌。世界中の皆が振り向くような、そんな美しさ。それを死ぬまでずっと保ちたいと願ったのよ」
彼女は目を見開いてそう答えた。口角は妙に上まで上がり、その表情は泣き笑うサーカスのピエロのようにみえた。
「試練は何だったんですか?」
哀れな彼女には目もくれず、リント先輩は質問を続ける。好奇心が勝っている彼の目は、以前のように瞳孔が開いている。
「……気色悪い内容だったわ。20ヶ月の間、毎日人間の歯を集めてガラス瓶に保管しろって」
彼女は思い出したかのように腕を摩る。
私は思わず尋ねる。
「何故、20ヶ月なんでしょう」
「……私の余命が20年だからって言ってたわ。意味があるのかはわからないけれど」
「それで、あなたは毎日歯を集めたんですか?」
リント先輩に先を促され、彼女は話を戻す。
「そう、私これでも元は男爵家の夫人だったから、パーティーにきた客人からこっそり頂いたり」
「……こっそりは頂けないでしょう?」
クロノが嫌悪に満ちた視線を送っている。それはそうだ、歯を抜くなんて、とんでもない痛みだろう。
すると彼女は首を振る。
「悪魔は試練を受ける時、能力を授けてくれたの。私は相手を眠らせる能力を望んだわ。それを使って、酔っ払いを眠らせて……抜いた後は外に置き去りにして、誰かに襲われたように見せかけたり。でもね、歯って抜けないのよ。割るにも力が必要だし」
彼女の目はリント先輩の方を向いているが、もっと遠くを見ているようだった。
「ある日、貧民街を通ったの。普段は絶対に近づかないのに。案の定物乞いが寄ってきて愛想笑いしてきたわ。……笑った口からグラグラした歯をみせつけて。その日から、私は毎晩貧民街に通ったわ」
饒舌になっていく彼女の様子に、私は鳥肌がたっていく。
「でもね、貧民街って病気も蔓延しているじゃない。物乞い達も汚いわけ。口を開いて歯を抜いて、多分その時かしら、私、病気を移されたのよ」
彼女は悔しそうに唇を噛み締める。
異常だと、思った。彼女は加害者なのに、まるで被害者のように振る舞っている。気がついていないのだろうか。
「その日、私は高熱を出してベッドから出られなかった。翌晩、悪魔がやってきて、残念だったなって笑ったの……それから、アイツの笑い声が耳から離れないの。この世のものとは思えない、不気味な声」
そう言葉にして、また彼女は震え出した。
「……あなたは、誰を生贄に選んだんですか?」
クロノの声に、彼女はまた震えを止める。そして、真っ直ぐにクロノをみて、言った。
「私の年老いた夫よ。……若い女にうつつを抜かして、本当にくだらない男だったわ」
「彼は、儀式が失敗して、どうなったんですか?」
私は彼女に問う。彼女はじっと私の瞳をみつめ、口を開く。
「夫は生きてるわ。美貌を失った私に、すぐ離婚を突きつけるくらい元気にね」
嘲笑するように、笑う彼女の瞳は揺れていた。
後悔しているのだろうか。
だとしたら、何になのか。
「儀式が失敗すれば、生贄として捧げられずにすむのか……」
リント先輩が呟き、私とクロノは顔を見合わせる。
「もう一ついいですか?悪魔は能力を授けたり、願い事を叶える手助けをするんですか?」
クロノの問いに、老婆は明確に嘲笑した。
静かな部屋の中で、彼女の声だけが響く。
そして、暫くすると、静かに話し出した。
「いいかい。悪魔は人間の手助けなんてしないさ。アイツは自分が長く楽しめるようにしただけだよ。私が歯を抜く時はいつもアイツの気配を感じてたよ。見られていたんだ。気持ち悪がって、震える私の顔を、息が掛かるほど近くでね」
彼女はクロノをじっと見つめる。笑っていた口を閉じ、伝える。
「アイツらは願い事を叶える為に、契約者が苦しむのを見たいんだよ。だから、辛い儀式を投げ出さないように、ほんの少し餌をぶらさげてやるんだ。それが能力を授ける理由。それだけさ」
彼女はそう言って、口をつぐんだ。
宿を出て、馬車に乗る。誰も、何も口にしなかった。
お喋りなリント先輩ですら、何か考え込んでいるようで唇に指を当てたまま、じっと床を見つめている。
クロノも同じ様子だった。私も、同じだった。
婦人の話で、生贄になっても儀式さえ失敗すれば、無事でいられることがわかった。でもそれ以上に、自分が底知れぬ悪意に晒されていることを、実感させられた。
悪魔もそうだが、彼女自身の悪意にもあてられた。
人間性を失っている、と思った。と同時に、それほどまでの渇望がなければ、悪魔を呼び出せないのだろうとも思った。
「私を生贄にした人は……一体何を願っているんだろう」
そう、零した言葉に、クロノが口を開いた。
「願いによって、試練の難易度が変わるのだとしたら……何度も死に戻りをさせるなんて、婦人とは比べ物にならないほど、大きな願いなんだろうね」
クロノの言葉に、私の喉が鳴る。
リント先輩も、クロノの言葉に頷く。
「……対価と代償は見合うものでなければね」
彼の言葉は、やけに耳に残り続けた。




