君を救うから
「これから、どこにいくの?」
私は馬車に揺られながら、義兄さんに尋ねる。
いつもと違い整備されていない道は、ガタガタと大きく揺れ、思わず窓枠に手を添える。
「礼拝堂だよ。今日は月に1度の集会がある日だからね」
彼はニコニコしながら「俺の隣にきたら、支えてあげるよ」と言うが「大丈夫」と断る。
拗ねる彼を無視し、窓の外に目をやる。
外の風景は、普段見る街並みと異なっていた。
継ぎはぎだらけの建物が並び、道路にはゴミが散乱し、窓を閉めていても若干の異臭が漂う。
幼い子供や大人が道路の端々でぐったりと座っている。誰もかれもが薄汚れ、やせ細っている。
気が付くと、両手を窓について食い入るように見つめていたようだ。義兄さんに声を掛けられて気が付く。
「貧民街だよ。アリアは初めてかな?」
「ううん、私昔来たことあるよ」
そう、もっと幼い時に……記憶を遡ろうとする。
そう、ここで誰かに、睨まれたことがあったっけ……。あれは、誰だったろう。
思い出そうとしても、薄い繭で覆われているように、うっすらとした輪郭でしか思い出すことが出来ない。
私は淡い記憶に想いを馳せたまま、じっと外を眺め続けた。
礼拝堂につき、義兄さんに付いていきながら、扉をくぐると、ひやっとした空気に背筋が伸びる。
奥に進んでいくと教会のシンボルが垂れさがっているのが見えたが、私は目を逸らし、周囲を見渡した。
皆熱心な教徒なのだろう。じっと何かを訴えるように神像を見つめている。
その中に一瞬、見覚えのある銀髪が見え、私の瞳はぴたりと止まる。
クロノがそこには居た。彼も、家族と集会に来たようで、兄に笑いかけている。
「あっ……」
思わず駆け寄りたくなる衝動を、焦燥感を、ぐっと唇を閉じ、噛み殺す。
……今彼に会ったら、私は意識を乗っ取られてしまう。幸いクロノは私の姿を知らない。このままやりすごすのが、正しい。正しいんだ。
会えない代わりに、目に焼き付けよう。そう思い、私は彼をじっと見つめる。
彼は兄と手をつなぎ、教会から出ていこうとしている。
私は自然と彼に向かって手を伸ばしてしまい、気が付いて、すぐにそれを下す。
その時、クロノが後ろを振り返る。
彼の青い瞳が、私を捉えたように見えた。
胸が嫌に大きく鼓動する。
そして、ずるずると頭の後ろから、何かが私の視界を覆おうとしているような、嫌な気配。
私は慌てて顔を逸らし、下を向く。
そのまま自分の手のひらを握って開いてを繰り返す。大丈夫、私のままだ。
そして、恐る恐る顔を上げた時には、彼はもういなかった。
「アリア?大丈夫かい。汗をかいているよ」
そう義兄さんに言われ、こめかみから汗が滲み出て、垂れているのに気が付く。ハンカチでそれを拭い「大丈夫」と答える。
もはや、この嫌な感覚が自分の妄想なのか、現実なのか私にはわからない。
彼が出ていった扉に視線を送った後、声を掛けられる。
私は義兄さんの隣に進み、目を瞑り祈りを捧げる。
どうか、クロノが生き残れますように。
私は合わせた手を、ぎゅっと握りしめ、神に祈った。
「随分と熱心に祈っていたね」
帰りの馬車で、義兄さんは私に笑いかける。
「……うん。どうしても叶えたいことがあって。でも、義兄さんもでしょ?」
彼も随分熱心に祈っていた。その横顔はとても真剣で、普段のでれでれした義兄さんとは少し違って見えた。
「ああ。家族が健やかでありますように。アリアが幸せでありますようにってね」
私は彼の目をじっと見つめる。穏やかに微笑む彼の目は、優しく愛情深い。
「……義兄さんは、どうしてそんなに私に優しくしてくれるの?私、あまり可愛げもないし……」
ずっと疑問だった。どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう。
死に戻りしてから、体が小さくなって、心も幼くはなって、涙もろかったり、不安定だったりした。
そのくせ、十七歳の頃の記憶があるから、普通の子より可愛げがない。
可愛げがあるように振る舞わなければ、そうはなれなかった。
そんな私に、義兄さんはいつでも優しかった。眠れなければ、眠るまで一緒にいてくれたし、文通がしたいと言えばそうしてくれた。
可愛く勤めようとしなくても、温かな愛情を注いでくれるのは兄妹だからなのだろうか。
「初めて僕がこの家に来た時のこと、覚えてるかい?」
義兄さんは、相変わらず微笑んだまま、私に語り掛ける。
「……義兄さん、緊張してた」
「ははっ、そうだね。ちょっと怖かったから」
「怖い?」
「うん。アリアを初めて見た時、愛されて育ってきたんだなって直ぐ分かった。愛情なんて受けたことがなかったけど、そんな僕にも理解できたんだ。だから、戸惑った。そんな人達とどう接したらいいかわからなかったから。上手くいかなかったら、また捨てられちゃうんじゃないかって」
「そんなこと、あるはずないのに……」
「……うん。今はそう思える。でも、それはアリアや義父母が沢山愛情を注いでくれたからなんだ。でも、本当に怖かったんだ」
義兄さんは目を細め、窓の外に視線を向ける。
いつも穏やかな義兄さんがそんなことを思っていたなんて、全然気が付かなかった。……ううん、気が付こうともしなかったんだ。
最初の私は、義兄さんとは特別親しくしなかった。
死に戻りして、自分が苦しくなったら、味方になってほしくてすり寄って……私って、こんなにずるい存在だったんだ。
馬車が木陰に入り、私に影が差す。陽の光を浴びる義兄さんが、眩しい。
「そうやって戸惑っていた僕に、君は愛情を求めてくれた。僕はずっと、愛情は貰うものだとばっかり思っていたから、驚いたと同時に、嬉しかったんだ。僕なんかが、君や家族に返せるものがあるんだって」
そんなに、綺麗なものではないのに。
自分の手のひらを握る、強い力で。
「だから、アリアは何で、なんて思わないで。これは僕からのお返しなんだ。……ちょっと、やりすぎてしまう時があるけど、それはごめんね」
義兄さんは、髪を耳にかける。その耳はほんのり赤く染まっていた。
私はそんな様子に、自分の口角を上げる。
「もう、義兄さんたら……程々にしてよね。私だって、義兄さんのこと、好きなんだから」
「反省している……」
少ししょげつつも、嬉しそうに微笑む義兄さんをみて、私も笑う。
義兄さんが笑ってくれるなら、私の汚れた感情は墓場まで持って行こう。彼には幸せな記憶であって欲しい。
この死に戻りで唯一良かったことは、義兄さんをもっと知れたことだ。
きっと他にもあるんだろう。自分の幸せにだけに目線を合わせていたから、見落としていたことが。
そんな考えがふと浮かび、少しだけ胸が痛んだ。
そして数年が過ぎ、アカデミーの入学式の日になった。
私はクロノと待ち合わせをして、出会った。
「アリア……ようやく会えた」
彼は、目を細め、愛しそうに私の髪に触れる。
胸が高鳴るが、ぐっと堪える。
「私も。会えてすごく、うれしい」
そう言って、握手を求め、彼も応じる。
クロノの事は今も大好き。本当は今すぐ抱きつきたい。
でも、今はやるべきことがある。だから、感情におぼれてはいけない。
私達はしばらく会話を楽しみ、次の約束をして、その場を離れた。
次は、いつもならシャンテに出会うところだ。
彼女との出会いは、いつも困っている彼女を助けることがきっかけだ……ところが、今日のシャンテは少し違った。
彼女は私達のほうを、じっと見つめていた。
そして、髪の毛をいじりながら、「もう友達がいていいなぁ……」と呟いた。
そして、私と目が合う。
「ご、ごめんなさい!私、その、友達がいなくて……」
そう話す彼女に、私は笑顔で返す。
「よかったら、友達になろうよ」
彼女は表情を明るくして、大きく頷く。
友達にならなければいけない。監視するには近くに居ないと。そう、耳元で誰かに囁かれたような感覚。
違う、それだけじゃない。本当に友達だから……そう、自分相手に否定する。
「まぁ、いいわねぇ。私も友達になりたいの。いいかしら」
すぐ後ろで声がして、振り向く。
そこにはリーシュが頬に手を当てながら、首をかしげていた。
私が頷くと、彼女は嬉しそうに目を細めた。
その後、カレンも合流し、私達は意気投合する。
……また、過去と出会い方が変わっている。クロノと幼少期から知り合いになったから?
義兄さんとより親密になったから?
どちらにせよ、気を引き締めないといけないのは変わらない。
私は、皆と話しながらも、じっと様子を伺う。
この場に居る、この三人が容疑者だ。誰もかれもが怪しく見えてくる。
ただ、この中で前回妙な動きをしたのは、リーシュだ。
突然義兄さんを好きだと言い出した。今までそんなそぶりもなかったのに……。
何かことを起こしてはいないけれど、計画がクロノの作戦のせいで実行出来なかっただけかもしれない。
ついつい力がこもった視線を向けてしまっていたのだろう。
私の視線に気が付いた彼女は、うっすらと口角を上げて笑ってみせた。
私は突然の事に、少し引きつった笑顔で返した。
翌日、私はクロノを呼び出した。
そして、以前と同じように、これから話すことを信じてほしいと伝える。
「うん、信じるよ。聞かせて」
クロノにあっさり、そう言われ、私は躊躇った。あまりにも今までと反応が違ったから。
「あのね、信じられないことかもしれないの」
私がそう補足すると、彼は微笑んだ。
「アリアとは何年も文通してきてさ、ずっと気になっていたんだ。俺の身をいつも案じてくれていて、そして、何かに怯えているみたいで……」
クロノの瞳には、私だけが映っている。少し戸惑ったような、私が。
「だから、決めていたんだ。君が俺に話してくれた時は、全部受け入れようって。だから、信じるよ」
彼の瞳はまっすぐで、私は少し怯む。
もう、今の私には、少し眩しいくらい。
私は小さく息を吐いてから、今までの事を話す。
私とクロノが殺されること。何度も死に戻ってきたこと。
話し終わると、黙って聞いていたクロノは「じゃあ」とこぼす。
「予知じゃなくて、未来を知ってたってこと?」
私が視線を下げつつ頷くと、クロノは「そっか」と返す。その短い返しに胸が急にざわつく。
私の予想に反して、クロノは少しかがんで私に目線を合わせた。
「今まで、ずっと俺を助けるために頑張ってきてくれたんだね。ありがとう」
そう言って、頭を撫でられる。
あの頃のような、優しい手の感触。
ゆっくりと彼の手が動くたびに、私は自分の胸の内から熱いものが湧き上がる、その度に感情を、ぐっと堪える。
「クロノは……こんなおかしな状況でも、最後はいつも信じてくれるんだ」
クロノは少し視線をずらして「うーん」と呟いてから、私の目をじっと見る。
「今までの俺の事はわからない……けど、俺は大好きなアリアの事、信じてるからね」
そういって笑う彼を見て、私は強張っていた体の力が抜けるのを感じる。こんな嘘みたいな話を聞いても、彼の気持ちが変わらなかったことに安堵したから。
「アリア、知っていることを全部教えて。どんな死に方をしたのかとか、全部。俺が絶対、アリアを救って見せるから」
クロノの言葉に、私は目を大きく見開いた。
それは、想像もしていなかった言葉だったから。
「私を……救う?」
言葉を確かめるように、口に出してみる。
彼はそんな私を見て、力強く頷いた。
「そうだよ。アリアが俺を助けてくれようとしてたみたいに、俺もこの死に戻りのループから、君を救うから」
言葉が、頭に、体に徐々に浸透していくかのようだった。
ゆっくりと、理解していくと、私の目から涙があふれだした。
ずっと死に戻りを繰り返しながら、私が救うしかないって、心が死んでいくことに目を逸らしながら、必死に駆け巡ってきた。
でも、クロノは私を救うと言ってくれた。
それは、はじめてのことだった。
今まで、誰にもかけられた事のない言葉だった。
「……駄目だよ。泣いてる時間なんて、無いかもしれない。もっと、何か行動しないと」
自分に言い聞かせる。それなのに、上手く力が入らない。なのに涙は勝手に流れていく。
「俺が、君の分も……ううん、それ以上に頑張るから。一人で背負い込まないで」
そういわれて、抱きしめられる。
私はずっと、誰かに言って欲しかったのかもしれない。
クロノがくれた言葉のひとつひとつが、自分に染み込んで、その痛みでようやく傷に気がついた。
もう、どれが傷かわからなくて麻痺していたから。
今だけ、少しだけ……そう、自分に言い訳をしながら、私は声を殺して泣いた。
クロノは黙って、ずっとそばにいてくれた。




