030:孤独になってしまった
「そういえば、なんですけど」
「なんですか?」
「櫻子様って、ずっと前から龍ヶ棲町にいたんですよね?」
「ええ。生まれてこの方、ずっと住み続けています」
「他の場所に住んでみたいとか、思わなかったんですか?」
どうやら櫻子と共有する時間という安定剤の効き目が強かったらしい。
俺はつい、踏み込んで尋ねてしまった。普段なら絶対にやらないのに。
「思いましたよ? そりゃあ、ずっとここにいて退屈じゃないのか? なんて聞かれたら否定はできません。それにね、私、若い頃は恋人がいたんですよ」
「へぇ。じゃあ、そのひとと結婚を?」
恋人と聞いて心が少し動じる───が、これは嫉妬ではない。
改めて心を分析するも、櫻子に対する信頼の正体は、恋愛絡みではないことは確かだ。
ではなにか。俺の心はなにに、それともどこに向かっている?
家族───?
「それがねぇ。彼、死んじゃったんですよ」
「あ………その、済みません」
「いいんです。いいんですよ。これは………仕方のないことだったんです」
失敗を悟るも、もう遅い。
人間も龍も、人龍にも踏み込んで欲しくない領域があるのに。普段より心が軽くなった影響でデリカシーに欠けていた。
それでも櫻子は笑顔を浮かべる。
これは祖母が亡き夫、つまり俺の祖父を想う時の顔だ。
「今になって思い返せば、まぁ、なかなか奇妙な縁でしたよ。だって、当時彼は二十歳とそこらだった。対する私は何歳の頃だったと思います? なんと、五十歳くらいだったんですよ!」
「そ、そうなんですか………!?」
これは、なんというか。
人龍だからこそできる恋と呼べるのだろうか。
きっと五十歳の櫻子は、今とそこまで容姿が変わりなかったのだと思う。相手の男性だって、二十代の外見をする櫻子が、まさか五十歳越えの女性だとは気付くまい。
「私、日光市まで足を運んでたんです。そこに足尾という町がありまして。彼とはそこで出会ったんですよ。彼は炭鉱で働いていまして。丁度訪れた日に大怪我をしていたところを、ほんの気紛れで治療してしまって。そしたら女神だ! 素晴らしい! 嫁になってくれ! だなんて叫ばれちゃって。当時の私は人間は恋愛感情に入れていいものか迷っていたんですけど………直球に弱かったのね。熱烈な求婚に、ついには折れてしまったんですよ」
自身では若気の至り───人間勘定では若いとは呼べないが───で打ち明けた暗黒時代を恥じているつもりなのだろうが、表情がなんとも恋する乙女然としていて、激しく首を振る様など、可愛いと思えた。きっと彼氏もそんなところを気に入ったのだろう。
「でも………夫婦となることはありませんでした。彼は病死してしまったの。本当に………残念だったわ」
蒸気しそうな顔に手を当てて首を振っていた櫻子の動きが、ピタリと止まる。
あまりにも急なことで、息を呑むしかできなかった。
「その頃に母が死に、後を追うように龍族だった父も死に………孤独になってしまったわ。それに私自身も病になってしまった。後遺症で、もう子を宿せなくなってしまったの。数年は病んだ。今も少し、ね。でも父の功績や、美しい渡良瀬川の流れや、龍ヶ棲町に生まれる新しい命を見て、少しずつ立ち直れた。辰くん。あなたも辛い過去があるのでしょう。あなたと私は、心が一度壊れたという点においては似ている。だからこそあなたに伝えられる。ゆっくりでいいんです。ゆっくりとお進みなさい。なにも急ぐことなんてありませんよ。龍ヶ棲町の人間や人龍は、すべて私の子供たち。私はあなたたち子供たちを守る存在でありたい。だから………ね? どうか健やかでいてくださいね」
「………はい」
「いいお返事です。あなたは本当に、いい子ですね」
頬に触れる櫻子の手の感触も心地いい。
守られている。
ここに来てからは、祖母や鹿波に守られることが、どうも俺にとって、俺自身の価値を下げるような負い目となっていた。
ところが櫻子は違う。守られる。彼女の口から出た言葉に、とても安心を覚えた。
「あ、櫻子様だ! こんにちはぁ!」
「あら。珠乃。こんにちは」
そこに到着したのは珠乃たちだ。西野や森崎、そして珍しく鹿波も。
櫻子は言った。龍ヶ棲町の人間と人龍はすべて自分の子供たちだと。
確かに、自分よりあとに生まれた人間はそうだ。人龍に至っては、櫻子がこの町で初めて産まれた人龍なのだし。理にかなっている。
人懐っこい珠乃は、ベンチから立ち上がる櫻子に幼子のように擦り寄った。身長差が開いているため、本当に親子のように見えた。
西野と森崎は一礼し、鹿波は軽くではあったが会釈する。
「では皆さん。ご機嫌よう」
「さようならー」
いつもより長い時間を過ごしてはいたが、まだ空が明るい時間に帰る櫻子。
上空を泳ぐ龍たちが、櫻子の移動に合わせてじっと俯瞰していた。
俺は珠乃たちと櫻子に手を振っていた。なぜか鹿波は、俺の横顔をじっと睨んでいた。
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「まさか、あんたが年上好きだなんて知らなかった。それも一回りや二回りどころじゃない差の」
「お、おい。そんな言い方はないだろ」
駄菓子屋昭建にて。
週に一度は訪れる食堂の一角で、珍しく参加した鹿波は小さなヘラを口に咥えながら毒づいた。
なぜこうもふて腐れているのかは知らない。櫻子について悪い印象を持っているようには見えないし、であれば───また原因が俺か。別に鹿波の機嫌を損ねるような言動をした覚えはないのだけど。
「渡良瀬くん。なにをやらかしたのかは知らないけど、怒らせたなら早めに謝っておくことをお勧めするわよ」
森崎は真剣なアドバイスをくれるのだが、多分、なにもわかっていないと思う。
こういう時は、話題を変えるのが一番だ。クラスで一番のお調子者である西野くんに頑張ってもらおう。懇願の視線を送ると、数秒で意図を察した西野は───
「そういえば聞いてなかったな! なぁ渡良瀬。お前、どんな女子がタイプなんだ?」
───ああ、なにもわかっちゃいねぇやコイツ。
確かに話題は変わる。俺がネチネチと鹿波から責められる時間は終わったが、「ほうほう?」と興味津々な珠乃が食い入るように俺を凝視し、「………」と無言で威圧するシフトに変えた鹿波。
どうせなら「東京にはなにがあるの?」くらい聞いて欲しかった。………いや、聞かれたところで大したものは答えられないから、結果は決まっているようなものだったか。なにをどう動かしても、俺は自分も知らないところで張り巡らされていた蜘蛛の巣から逃げられない運命だったのだ。
「………よく笑う、子?」
「おいおい、なんだよそりゃ。どうせなら巨乳な女子とか言ってオギャァァァアアッ!?」
「あ、ごめんね。手が滑っちゃった。でも仕方ないよね。下品なこと言うんだもん。条件反射ってやつだよ」
調子に乗る西野の額に、鉄板で軽く熱したヘラが投擲される。投げたのは森崎だ。恐るべき速さだ。黒いテルテル坊主の一撃にも劣らない。
しばらく悶絶する西野は無視するとして、一方で鹿波と珠乃は、どこか神妙そうな顔で揃って店の外を見ていた。
「うーん。確かに櫻子様はよく笑うけどねぇ」
「あんた、もしかして笑った女なら全員好みだとか言うんじゃないだろうな?」
「まだその話続いてたのかよ」
なにを答えても櫻子に直結するのか。
これじゃなにをどう弁明しようが、無駄になるかもしれない。
「笑う、かぁ。いつもだと思うんだけどなぁ」
「そんなの………くっ。できるはず、ないじゃない」
俺がそっぽを向くと、櫻子からは離れてくれたが、笑う子について鹿波と珠乃は未だになにかを考えているようだった。
ヒロインとは………?
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