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002:渡良瀬家

「水面さん。なに? そいつ」


 商店街の半ばで、ついに声をかけられた。


 訝しまれているのは最初からわかっている。歓迎されていない空気も。疑われるのは当然だ。


 ただ、俺はてっきりそんな疑問を投げかけるのは、町の治安を守ろうとする屈強な男勢だと考えていたのだが、声をかけたのは案外若い女だった。


 伏せがちだった視線を上げる。目が合った。


 なんとも………できるなら近づきたくない部類の女だった。


「あ? ………なに睨んでるんだよ。お前」


 どこかの学校の制服なのだろう。それにしてもスカートが長い。昭和チックな出立ち。


 校則違反だろうに長くサラサラな髪を赤く染め、俺に接近すると半端なく鋭い目でガンを飛ばした。


 殴られるかもしれない。身構えようとするも、女はそんな暇を与えずに言葉の暴力を繰り出す。


「嫌な目をしてんな。なにもかも諦めた、死んだ魚みたいな目だ」


「え」


「おい。なんなんだよお前。なにしに来た? 言っておくけど、この町のモンと龍になにかしようってんなら………」


 女は襟元に手をやると、首を通過して背に伸ばす。


 そこでやっと水面が我に帰り、慌てて女を止める。


「ちょ………ちょちょちょ、と! ちょっと! 待って。待ってって! 鹿波(かなみ)! 今朝、当主様が仰っただろう!? 彼なんだよ。当主様のお孫さんは!」


「は? ………いや、嘘でしょ? ………こいつが?」


 鹿波という少女の手が止まる。水面と対する時だけはソプラノのような可愛い声をするので驚いた。だがまた顔を覗かれた。至近距離で圧をかけられる。


 すると、騒ぎを聞いて集まっていた人間と龍のギャラリーが「ああ、そういうことか」と納得していく。俺にはさっぱりわからないが。


「そう。そうなんだ。鹿波も昔───」


「そういうの、いいから。なんか、ボヤッとしてる奴なんだな。イメージと違う」


「色々、あったんだよ。ああ、ここはいいから。祠を見てきてくれないかい? 昨日、お勤めもあったから、いきなり今日に出ることはないだろうけど」


「そうだね。こんな奴のエスコートするよかマシだね」


 鹿波という少女は踵を返して去っていく。ギャラリーも散った。


 あとに残された俺は、鹿波の背中を目で追いつつも、水面に尋ねずにはいられなかった。場合によっては吐き気に加えて頭痛や激しい動悸まで加算されるかもしれないからだ。


「水面さん」


「ん、なんだい? ああ、さっきの子は僕たちの………えっと、仕事をちょっと手伝ってもらっているんだ。あんな態度だったけど、根はいい子だから。どうか嫌わないであげてね」


「あの子のことじゃなくて、俺のことです」


「うん?」


「俺の事情(こと)、水面さんはどのくらい知ってるんですか?」


「………んー。ちょっとは、ね。全部は聞いてないんだ。でも大変なことがあったんだろう? それくらいはわかる。でもね、当主様は辰くんの味方だよ。電話越しだったけど、昨日に邦子(くにこ)さんを叱りつけたくらいだからね」


 その内容の是非は問うほどではないが、事情は半分くらい知られているということか。


 多分、母の都合のいいように説明をしたのだろうけど、分籍届まで用意していたほどだ。詳しく聞こうとしても、ボロが出るのを嫌う母は絶対に仔細を話そうとしなかったのだろうな。


「だから安心して、お祖母様に会うといい。僕も味方だよ。大丈夫だから」


 この優しい男のことをどのくらい信じていいものか。今はまだわからない。


 それでも俺は、もうここ意外に行く宛がない。まだ未成年では自分のことを自分で決められない。決めたとしても実行に移せるかもわからない。保護法が邪魔をするかもしれない。


 人間と龍が共生する尋常ではないこの田舎町で、俺はどのように過ごせばいいのか、まったくわからなかった。






   ーーーーーーーーーーーーー






 祖母の名は、渡良瀬(わたらせ)神音(かんね)という。まだ俺が五歳の頃だったか、仏頂面をする母に連れてきてもらった。


 祖母は優しく迎え入れてくれた。温かくて寛大なひとだったと、幼いながらも理解できた。


 その渡良瀬家が名家であると知ったのは、つい先程のことだ。


 龍ヶ棲町の最奥にある神社の隣に、それはもう大きな屋敷があった。まだ幼かった俺は、この敷地を走るのが好きだった。


 とはいえ十年も前の記憶だ。細部まで覚えているはずがないし、身長だって伸びた。昔と異なる視点では、二階建ての母家など城とは程遠く感じる。とはいえ敷地面積でいえば一般家庭のそれの何倍あることか。改めて金持ちだったんだなぁと実感する。


「さぁ、こっちへ。当主様がお待ちだよ」


 水面はここに出入りする機会が多いらしく、家屋に入っても引き続き案内をしてくれた。


 木造二階建ての家屋は、歴史を感じさせる造形と、ここに住んでいた歴々が残したものと、匂いと、気配を感じさせる。


 が、そうだとしてもすべてが昭和だとか、大正だとか明治だとかの造形ではなかった。最新式の家電があった。東京都心の家電製品専門店で取り扱うものばかりで目を見張る。歴史が入り混じっていた。


「なんだか、記憶と違う………」


「あはは。そりゃあ、きみがここに来たのは十年も前なんだから。当然だろう」


「でも………ッ!?」


 先を行きながら朗らかに笑う水面に続く途中で、足を止める。


 水面は「おや?」と首を傾げた。だが俺はそれどころではなかった。



「………臭い。なんだ………この鼻の曲がる匂いは」



「おや。大間(おおま)様。お目覚めですか。しかしいきなりな挨拶ではありませんか。彼のことを忘れたわけではありますまいて」



 どこからともなく聞こえる声。喉の奥で磨り潰すような重低音。


 それが、天井で響いた。声だけでなく気配もする。───人間ではない。


 天井を見上げる水面のリアクションからして、この家に正式に住み着くなにか。それを察知してから、心臓が鷲掴みにされる悪寒に襲われる。背中を冷水が伝う。ゴゴゴッ………となにかが天井で蠢く。俺の真上で止まった。


「覚えているとも………あの時の童だ。儂の気配を読み取るのだけはうまい生意気な奴だった。………そうかそうか。あの時のガキか。気配を読むのは相変わらずうまいが、よもや………都会などという穢れを背負い出戻るとはな。これは汚れた空気の臭いだ。塗れおって。不愉快だ」


「ッ………」


 気配が変わる。足が震える。


 天井裏にいるなにかが感情を迸らせた。殺意だ。呼吸が止まる。


「あ、まずい」


 水面がギョッとする。


 唯一、天井裏のなにかと会話できるようで、俺のことを助けるでもなく、なんと両耳を手で塞ぎやがった。


 次いで、天井裏のなにかが炸裂する寸前のこと。




「なにをしている大間っ。この白馬鹿蛇め! 私の孫を襲おうとするでないよッ!!」




「あ、ちょ………なにをする神音っ。やめ、尾を掴むな! 引っ張るな! 相変わらずの馬鹿力………おぅわぁぁぁああああああああ!?」




「馬鹿力だと? ふざけるな蛇め! 可愛いお嬢さんくらい言わんかっ」




「やめて! 鱗を毟ろうとするな! いくらお前でもそれは、ぁぁぁあああああああああ!? 逆鱗まで剥ごうとするなぁぁあああああああああ! ダメ! ダメだから! そこはやめてぇぇええええええ!!」




 まるで掃除機に吸引されるテープみたいな音が響き、奥に吸い込まれたなにかは老婆と一悶着したあと、子供のような悲鳴を上げた。


 どったんばったんと暴れる音が炸裂し、数秒後にはそれさえも消える。次いで微かに啜り泣く声が聞こえた。


スケバン………ええと、皆さまご存知でしょうか?


私は実際に目撃したことがないのですが、まぁ………女の番長のようなものだと。女性をスケと呼ぶらしく、略してスケバンと。


スケバンとあるからには、これは私の偏見と過去のデータから類推するに、セーラー服を着用するとか、丈の長いスカートを履くとか、そういうものなのでしょうが………


鹿波はロングスカートで留まらせました。セーラー服というのは、ちょっとね。


さぁて、やっとドラゴンくんたちが登場したからには、まだまだ更新せねばなりませんね。


まだまだ止まらない!

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