二重島の秘密
船に揺られながら、雪花は語り始めた。
本島に辿り着くまで十分に時間はある。
成人の儀で教えられる二重島の秘密、そして島姫の本当の役割を。
二重島、またの名を贄島。
二重山と呼ばれる山が、島の面積の大半を占め、山に囲まれる小さな村がある。
山には神様が住んでいると信じられており、島民たちは神様に供物を捧げることで、島を守ってもらえるよう祈ってきた。
五年に一度、若く美しい女性を山に埋めて、山の神に捧げる、という最悪な方法で。
子どもたちが学ぶ二重島の歴史は、嘘だらけだ。
本島から迫害されているという事実は存在しない。
二重島がやけに閉鎖的で、島民に対して本島との行き来を制限しているのは、島民を守るためではないのだ。
とても簡単な話だ。
日本という国に、二重島という島は存在しない。
本島には二重島の存在を知られていない。つまり認知をされていないのだ。
存在しない島の、存在しない住民。
二重島に生まれた全ての人間は、戸籍がないので、本島で生きることは難しい。
子どもの頃は島を出ることに憧れていた者も、成人の儀という『二重島の秘密を共有される儀式』によって、夢を諦めざるを得なくなってしまう。
日本では、戸籍がなければほとんど何もできない。
大学に進学することも、どこかで働くことも、結婚して家庭を作ることも。
犯罪に巻き込まれても、法に守ってもらうことすら叶わない。
自分がどこの誰であるか、存在を証明しなくてもできるような仕事は、違法なものが多いだろう。
それでもいい。どんなに過酷な環境でも、二重島で生きていくよりはマシだ。
そうやって何もかもを諦めた者だけが、二重島を出て、本島で生きていくのだ。
雪花の話をずっと黙って聞いていた陽奈梨が、ふいに口を開いた。
「本島で生きていくのが難しいって知っていたのに…………、どうして雪花くんは私を連れ出してくれたの? 一緒に逃げてくれたの?」
陽奈梨の目からは今にも涙がこぼれそうで、声も震えていた。
当然の話だろう。
島を象徴する美しい娘として、島姫に選ばれたはずだった。
それなのに本当は、山神様に捧げる贄として選ばれていたのだ。
陽奈梨なら死んでもいい。
そう思われていたのかもしれない。
雪花が陽奈梨の立場だったなら、人間不信になってしまうだろう。
雪花は飾らない言葉で陽奈梨に本心を伝えることにした。
「俺が、陽奈梨に生きていてほしいって思ったからだよ」
陽奈梨がまばたきをするのと同時に、白い頰を涙がつたって落ちていく。
それだけ? と陽奈梨が首を傾げるので、それだけ、と雪花は笑う。
「本島がどんなに生きづらい場所だったとしても、陽奈梨が生きて……笑っていてくれれば、俺は幸せなんだよ」
ほとんど告白のような言葉だった。
陽奈梨はぽろぽろと涙をこぼしながら、静かに頷いた。
それ以上の言葉は、いらなかった。
雪花はもう一つ陽奈梨に話さなければいけないことがあった。
彼女の涙が止まり、呼吸が落ち着いてきた頃合いを見計らい、雪花は再び口を開いた。
「陽奈梨の、両親の話なんだけどさ」
「…………うん」
陽奈梨の両親は、娘を二重島に残し、本島で暮らしている。
雪花も陽奈梨も、大人たちからはそう聞かされてきた。
二重島の掟の一つに、島民が島を出るときには、女は自身の子どもを、男は労働力か財産を残していかなければならない、というものがある。
誰もそのことに触れたりはしなかったけれど、雪花はずっと考えていた。
陽奈梨の母親は、娘を残していくことで島を離れたに違いない、と。
「でも、違った。陽奈梨のお母さんも、島姫だったらしい」
「…………えっ?」
陽奈梨の父親は、島姫に選ばれた陽奈梨の母のことを愛していた。
だから、二人で本島に逃げ出した。
貧しいながらも二人は幸せに暮らしていた。
そのときに生まれたのが陽奈梨だ。
「ま、待って。お父さんとお母さんは本島に逃げて……私は本島で生まれたの?」
「うん。でも、同じ頃、二重島で地震が起こった」
島姫が逃げてしまった二重島では、仕方なく他の娘を騙して埋めたらしい。
しかし、地震が起こってしまった。
ただの自然災害だ。
でも山神様の存在を信じている老人たちは、島姫を捧げなかったせいだ、と慌てた。
二重島から追っ手がやってきて、陽奈梨の両親と陽奈梨は島へ連れ戻された。
島姫であった陽奈梨の母は山に埋められ、島姫を逃した父親には重い罪が科された。
村長の家の物置に監禁。
与えられるのは必要最低限の食事のみ。
人との接触や会話は許されず、ただ狭い物置の中で悠久の時を過ごすのだ。
そして、成人の儀の際には、子どもたちへの見せ物になる。
もしも島姫の逃亡を幇助すれば、お前らもこうなるぞ、という脅しだ。
ガリガリに痩せ、虚ろな目をした男を見れば、誰だって恐ろしくなる。
陽奈梨の父親のことがこわいのではない。
その状態まで追い詰める、二重島の大人たちの行動が、恐ろしいのだ。
雪花は成人の儀を終え、島からの脱出の計画を立ててから、一度だけ村長の家に忍び込んだことがある。
村の老人たちが月に一度、老人会と称して酒を飲む日があるので、そのタイミングを狙ったのだ。
「陽奈梨のお父さんは、かなり弱っていて歩くのは難しい状態だった。声を出すのも辛そうだったけど、陽奈梨の名前を出したら必死で応えてくれたよ」
次の島姫には、おそらく陽奈梨が選ばれてしまうこと。
雪花は陽奈梨を逃したいと思っていること。
限られた時間の中で雪花が伝えた情報に、陽奈梨の父はひどく掠れた声で応えた。
本島の首都である東京。
陽奈梨の父が本島で住んでいた頃、世話になっていた男がいるという。
名前は冴島菊人。
巻き込むわけにはいかないので事情は話せないが、いつか娘の陽奈梨が訪ねていくかもしれない。
そのときはどうか手を貸してやってくれ。
陽奈梨の父は、冴島にそう伝えていたのだと言う。
二重島に連れ戻される直前まで連絡を取り合っていて、当時の居住地と勤め先も教えてもらった。
雪花の話を聞き、陽奈梨は小さく呟いた。
「お父さん、ずっと近くにいたんだ…………」
「うん。陽奈梨を逃してやってくれ、って。すごく心配してた」
「…………私、本島ではお父さんとお母さんを探すつもりだったから……これからどうしていいか分からないの。でも……」
島を出てからずっと悲しそうな顔をしていた陽奈梨が、無理をして笑顔を作る。
その笑顔が痛々しくて、雪花は抱きしめたくなる衝動を堪えなければならなかった。
「私、できることを頑張るよ」
「陽奈梨…………」
「お父さんと千夏くんと雪花くんが繋いでくれた命だもん。ちゃんと、生きるから」
泣きそうな顔で、それでも陽奈梨が笑う。
雨間を照らす、太陽みたいな笑顔。
雪花は陽奈梨の手を握り、俺が隣で絶対に守るよ、と呟いた。