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大好きだよ


 二重島を抜け出し、陽奈梨の手を引いて逃げたあの日から七年。


 追っ手に怯える必要もなくなり、冴島も一度警察に捕まったことで、陽奈梨に手を出してこなくなった。

 アイドル活動をしていたことで、嬉しいことに応援してくれるファンができた。

 過激なファンは、アイドルが恋愛していると分かると、危害を加えてくることがあるらしい。


 しかし、陽奈梨は芸能界を引退し、今は一般人に戻った。

 しばらくの間は人目に注意する必要があるかもしれないが、それも時間の問題だろう。


 これでようやく、陽奈梨も安全に生きていくことができる。

 普通の女の子として、好きな人と恋愛をする。

 いつかは結婚して家庭を持ち、陽奈梨似のかわいい子どもを産むのだろう。

 島姫なんていう制度はもうないので、子どもの性別に怯える必要もない。

 陽奈梨は大好きな人たちに囲まれて、幸せになるのだ。

 雪花の大好きな、太陽のような笑みを浮かべて。


 ピンポン、とドアのインターホンが鳴った。

 きっと両親が訪ねてきたのだろう、と思い、雪花は気づかないふりをした。

 今は感傷に浸っているのだ、誰かと顔を合わせる気分ではない。


 ピンポンピンポン、と再び音が鳴る。

 相手が出ないのにもう一度鳴らすのは、千夏や芽衣子の可能性もある。

 雪花は居留守を決め込んだ。


 しかし、ドアのインターホンは壊れたかのように鳴り続ける。

 連続して鳴らされて、雪花は勢いよく立ち上がった。

 陽奈梨だ、と確信したのだ。


『ごめんねー、寝てた?』

「ね、…………寝てないけど、ちょっと手が離せなかった。ごめん、どうしたの?」

『いーれーて!』


 子どものように無邪気に笑う姿が画面に映り、雪花は間髪入れずにロックの解除ボタンを押していた。

 昔から陽奈梨の笑顔には弱いのだ。


「ごめんね? 忙しかった?」

「全然。忙しかった反動なのか、ぼーっとしてたよ」


 まさか陽奈梨の今後について考えて、感傷に浸っていたとは言えない。

 陽奈梨は特に気にした様子もなく、「ずっと忙しかったもんね!」と笑った。


 手土産に持ってきてくれたらしいケーキを皿に乗せて出すと、陽奈梨はにこにこと嬉しそうに雪花に問いかけた。


「雪花くん、どっち食べる?」

「どっちが何味なの?」

「ピンクの方が桃のフロマージュタルト! 薄い黄色の方はレモンタルトだよ!」


 桃とレモンだというが、フルーツが乗っているわけではないから見た目では分からない。

 両方ともおいしそうだと思うが、陽奈梨がどちらを食べたいか分からなかったので、雪花はどっちでもいいよ、と答えた。


「雪花くんはいつも私に選ばせてくれるよね」


 陽奈梨はそう言いながら、ナイフとフォークを使ってケーキを半分に切り分ける。


「じゃあ半分こね!」

「陽奈梨は分けっこするの好きだよね」

「うん。だって好きな人とおいしいものを半分こしたら、幸せが二倍になる気がしない?」


 レモンタルトをさくりと頬張って、おいしい、と陽奈梨が笑みをこぼす。

 さらりと告げられた好きな人という言葉に、雪花の脳はフリーズしてしまった。


「あれ? 雪花くん、大丈夫?」

「え、えっと……、なんでもない」


 たぶん陽奈梨のいう『好きな人』とは、家族や友達に対するものだろう。

 雪花が陽奈梨に対して恋心を抱いているせいで、その単語に過剰に反応してしまっただけだ。

 きっと、深い意味はない。


 落ち着け、と自分に言い聞かせて雪花もケーキを口に運ぶ。

 桃の甘みがふんわりと口の中に広がって、上品な味わいだった。


「ところで陽奈梨、何か用があったんじゃないの? わざわざケーキまで買ってきてくれたわけだし」


 少し速い心臓の鼓動を聴きながら、雪花は平静を装って訊ねた。

 陽奈梨は口に含んでいたケーキを飲み込み、いたずらな笑みを浮かべる。


「うん、告白しにきたの」


 今度こそ動揺を隠し切れず、雪花の手からフォークが滑り落ちた。



 カシャ、と静かな音を立て、陽奈梨がフォークを皿に置いた。

 二種類のケーキはまだどちらも半分以上残っている。

 雪花は床に落ちたフォークを拾う余裕もなく、ただ陽奈梨を見つめることしかできなかった。


「もう、ずーっと前のことだけど、覚えてるかな」

「な、にを…………?」

「私が島姫に選ばれたら、雪花くんに聞いてほしい話があるの」


 あ、と雪花の口から短い言葉が溢れる。

 そういえば、まだ二重島にいた頃。

 島を脱出したあの日、浴衣姿の陽奈梨が言っていたのを思い出す。

 逃げることに必死で、すっかり忘れてしまっていた。

 島姫の本当の意味を知ったからか、あの後陽奈梨から話を切り出してくることはなかった。


「ごめん、忘れてた……。島姫になったら聞く、って約束してたのに」

「ううん、いいの! どっちにしろアイドルになってからは言えなかったし!」

「それってどういう、」


 雪花の言葉を遮るように、陽奈梨が雪花の名前を呼んだ。

 そんな陽奈梨は珍しくて、動揺してしまう。

 何より先ほどの『告白』という言葉が頭をちらついて、雪花は瞬きをすることしかできなかった。


「私、雪花くんのことが好きだよ。ずーっと前から、雪花くんは私の太陽なの」


 思いがけない言葉に、雪花の思考は停止する。

 それでも太陽という単語だけは、無意識に呟いていた。

 陽奈梨イコール太陽という式が、雪花の中で成立しているからかもしれない。

 ほとんど頭は働いていないが、陽奈梨が優しく微笑んだことは雪花にも分かった。


「うん、太陽。小さい頃、雪花くんがひまわりについて教えてくれたでしょ? 太陽をずっと追いかけてるんだよ、って。その話を聞いたとき、私思ったの。雪花くんは私の太陽だな、って」


 陽奈梨はやわらかい声で語る。


 物心のつく頃には、陽奈梨はすでにひとりぼっちだった。

 両親は本島にいると聞かされていたが、島の掟をぼんやりと理解できるようになると、自分は置いて行かれたのだと悟ってしまった。


「私は世界の誰からも必要とされてないのかな、って思ってた。親にも愛されなかったのに、他の人に好きになってもらえるのかなって不安だった。ずっとひとりぼっちで生きていくのかなって、こわかったの」

「陽奈梨……」

「でもね、雪花くんはずっとそばにいてくれた。もしかしたらそれは同情だったのかもしれないけど、私は嬉しかったの」


 嬉しかったんだよ、と陽奈梨がもう一度繰り返した。


「ひまわりの話をしたとき、雪花くんは私を太陽みたいって言ってくれたけど、違うの。雪花くんがいるから、笑っていられるの。太陽がないと、ひまわりは花を咲かせられないんだよ」


 どくんどくんと、うるさいくらいに心臓が鼓動していた。

 周りの音なんて何も聞こえないくらい、心臓が騒いでいる。

 それなのに、陽奈梨の声だけは不思議と雪花の鼓膜を揺らしていた。


「好きだよ、雪花くんのこと、二重島にいた頃からずっと。アイドルをやっている間も、引退して普通の女の子に戻った今も。たぶん、これから先もずっと」


 大好きだよ。

 雪花の大好きな笑顔が、夢のような言葉を紡ぐ。


 泣いてしまいそうだった。

 陽奈梨の言葉を信じないわけじゃない。

 彼女が嘘を吐かないと知っているから。

 紡がれた夢のような言葉も、全て真実だと分かるから。


 陽奈梨の笑顔が、涙でにじんで見えなくなる。

 少し震える指先が、雪花の目からこぼれた涙を掬っていった。


「雪花くん、返事はいいよ。分かってるから」


 陽奈梨がそう言って立ち上がる。

 今日は帰るね、またね、と言い残して。


 パタパタと逃げるように去っていった陽奈梨は、そのまま玄関から出て行ったらしい。

 バタン、ガチャリ、とドアが閉まる音の後に、オートロックが作動した。


 雪花は少しの間、固まったまま動けなかった。

 太陽みたいだと思っていた彼女が、雪花こそ太陽のようだと言う。


 ずっと前から、今も、たぶんこれから先もずっと。

 雪花くんのことが好きだよ。


 止まっていた思考が動き出す。

 胸の奥にじんわりと陽奈梨の言葉が優しく沁み込んできて、身体中が熱くなる気がした。

 うるさい心臓も、震える手足も、涙でにじむ視界も、今はどうでもいい。


 陽奈梨の後を追わなければ、と雪花は立ち上がる。

 体調は悪くないはずなのに、頭がふわふわしているのは、今この瞬間が夢のようだからだ。

 それでも雪花は、家を飛び出した。


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