ひまわり
国が二重島を調査する、と発表したのは、一週間後のことだった。
調査と一口にいっても、内容は幅広いようだ。
島自体の地質や山の植物、動物について。
二重島の歴史、いつから存在していたのか。
物資はどこから仕入れ、誰が運んでいたのか。
島民の数、家族関係。
これまでに島を出入りした島民のリストの洗い出し。
人々の意識調査から学力、健康チェック、そして倫理観などのテスト。
掟はいつから存在し、誰が作ったのか。
島姫なる制度は誰の発案で、いつから行われていたのか。
実際に殺され、埋められてきた少女の人数。
そして埋められた場所を掘り返す作業。
発表された調査項目は、気が遠くなるほど多く、そして正確に二重島の実態を把握するためのものだった。
ソレイユプロダクションにも調査員から連絡があり、ユキとヒナから話を聞きたい、と言われた。
もちろん二人は快諾し、テストやアンケートへの回答、聞き取り調査など、しばらくの間は調査協力に時間を割かれた。
「ユキさんって、男性だったんですね。動画、見てたんですよ、私。そこら辺の女の子よりずっとかわいいから、全然男の人だなんて思いませんでした」
名前、生年月日、性別、血液型、家族構成、など個人情報を書いているときに、スタッフの一人に雪花は声をかけられた。
「本当ですか、よかった。社長に女装しろって言われたときは絶対無理! って思ったんですけど、案外バレないものですね」
「そりゃあこれだけかわいければ……! あ、ごめんなさい! 男性に対して失礼ですね」
「いえ、大丈夫です」
二重島にいた頃は、女顔だ、女の子みたいな名前だ、とからかわれるのが嫌だった。
わざと男らしい口調で喋ってみたり、少しでも男らしく見えるよう、髪型を工夫してみたりしていた。
でも今は不思議と気にならない。
さんざん女装してメディアに出て、慣れたのかもしれない。
だけどたぶん違うだろう、と雪花はなんとなく気がついていた。
陽奈梨が、変わらないからだ。
雪花として、男として接しているときも。
ユキとして、女の子の格好をしているときも。
いつも変わらず、陽奈梨はちゃんと雪花という人間を見てくれているのだ。
見た目と呼び方が変わっても、陽奈梨の雪花に対する態度は、いつも優しくあたたかい。
「ユキさんがヒナさんを島から連れ出したって話聞いたとき、友情っていいなぁって感動したんですよ。でももしかしてユキさん、ヒナさんのこと…………」
何かを言いかけたスタッフに、雪花は静かに首を横に振る。
それ以上言わないで、という合図だ。
雪花の意図を読み取ってくれたのか、スタッフは顔を赤くして口元を両手で隠した。
「…………言うつもりはないんです、だから、秘密で」
人差し指を口に押し当て、雪花はスタッフに笑いかける。
遠くから、陽奈梨の声がした。
雪花を呼ぶ声だ。
「雪花くーん! 終わったー?」
「ちょうど今終わったとこ」
「よかったー! 帰ろ! 帰りにアイス食べちゃお!」
雪花はお世話になったスタッフに一礼して、その場を後にした。
二重島への調査協力の関係で、アイドル活動は当初の予定より遅れてしまっている。
それでもデビューシングルの発売日が決定し、本格的な活動に向けて歩き出したところだ。
送迎をしてくれている堺が、コンビニに寄ってくれた。
陽奈梨は顔が隠れるくらい大きなキャップを被っているし、雪花はウィッグを着けていない男の姿だ。
それでも念のため顔を隠すマスクをすると、夏の暑さがじわりと雪花に襲いかかった。
平日の昼間だからか、店内は人が少なかった。
陽奈梨はアイスを選ぶのに時間がかかると思い、雪花は店内をのんびり見て回った。
お弁当におにぎり、パンや飲み物、スイーツ。
日用品も少しだが置いてあるし、調味料なども揃っている。
初めてコンビニに来たときには何でも置いてある! と陽奈梨と二人ではしゃいだものだ。
最近では、陽奈梨が興味のあるスイーツコーナーか、お菓子の棚ばかりを見てしまう。
これかな。
そう思って手に取ったのは、二種類のチョコレートが多重に折り重なっている菓子だ。
いろいろ試して買ってみてはいるが、まだこの商品は食べたことがなかったはず、と雪花は自分の記憶と目の前の商品を照らし合わせた。
「あ! チョコ? おいしそう!」
ひょこ、と陽奈梨が後ろから覗き込んでくるので、雪花はチョコレートを陽奈梨の目の前にかざした。
「好きそうだよね。ミルクチョコレートとホワイトチョコレートだって」
「絶対好き! ねー! 雪花くんはアイスいつもの?」
「うーん、何か気になるのがあったの?」
確かに暑いし、アイスクリームが食べたくなる。
本島は二重島とは比べ物にならないほど暑いので、アイスクリームにはかなりお世話になっていた。
雪花はいつもかき氷にしてしまう。
氷ならば、一番手っ取り早く涼しくなれるからだ。
でも陽奈梨の口ぶりからして、きっと気になるアイスが二つあるのだろう。
好奇心旺盛な陽奈梨は、新しいものを見たら挑戦してみたくなってしまうのだ。
この夏、本島に来てから、結構な数のアイスを食べた気がするが、まだ陽奈梨の興味をそそるものがあったらしい。
「陽奈梨はどれが食べたいの?」
「えっとね、これ」
どっちか迷ってるんだけど、と絶対に言うと思っていたのに、陽奈梨が指差したのはグレープ味のアイスだった。
どうやら二本で一セットになっていて、一人で食べてもいいし、友達や家族と分け合うこともできる、という商品らしい。
「これ? 買いなよ。食べ切れるでしょ?」
「ちがくて! 雪花くんと半分こしたいの!」
ぷく、と頰を膨らませた陽奈梨は、ほんのりと頰が赤く染まっている。
夏の暑さのせいだろうか。
きっとそうに違いない。
そう言い聞かせて、雪花は「まあいいけど」と答えてアイスとチョコと飲み物の会計を済ませた。
車内でアイスを半分こすると、陽奈梨はなんだかご機嫌だった。
何かいいことあった? と訊ねると、二重島の調査担当スタッフが、ひまわりのきれいな場所を教えてくれたらしい。
「そこなら、車で三十分くらいだよ。ヒナちゃんが行ってみたいなら、今から行く?」
マネージャーの堺の言葉に、陽奈梨はぴょんと飛び上がった。
「本当ですか!? 行きたい! 帰ったらレッスン頑張るので!」
「ユキちゃんもそれでいい?」
「はい。陽奈梨が行きたいなら」
車内に陽奈梨の鼻歌が響く。
ユキとヒナのデビューシングルの曲だった。
アイスを頬張りながら聴くアイドルソングは、なぜか心を浮き足立たせる気がした。
ひまわり畑は都内にあった。
平日の昼間だし、二人とも一応変装はしているので、思い切って中に足を踏み入れる。
二重島からの追っ手を気にすることがなくなったのはいいが、今度は少し有名になった分、人目を気にするようになってしまった。
それでも陽奈梨の命が脅かされていたときよりはずっとマシなので、雪花の心は重石が取れたように軽くなっている。
マネージャーの堺は、車内で電話やメールなどを済ませてしまうと言うので、雪花と陽奈梨は二人でひまわり畑に入った。
「わあああっ! こんなにたくさんのひまわり見たの、生まれて初めて!」
どこを見回しても鮮やかな黄色いひまわりが咲いていて、圧巻だった。
雪花は別に花が好きなわけではないけれど、それでもきれいな景色だと思う。
陽奈梨は幼い頃からひまわりが好きだったので、はしゃぐのも当然だろう。
スマートフォンのカメラを使って、陽奈梨はたくさん写真を撮った。
ひまわりだけでなく、ひまわりと一緒に写る雪花の写真も。
「俺じゃなくて陽奈梨が写りなよ、ひまわり好きじゃん」
「えっ? 私はひまわりが好きっていうか…………」
不思議そうな表情で、陽奈梨が目をまたたかせる。
それから「そうでした! 雪花くんは忘れてるんでしたー!」とどこか不満気な声を上げる。
そう言いながらも陽奈梨が写真を撮って欲しいとせがむので、雪花は苦笑をこぼしながらカメラを向けた。
たくさん、たくさんひまわりが咲いている。
晴れた空とひまわりのコントラストは目を見張るほど美しい。
それなのに、雪花の視線はやっぱり陽奈梨に奪われる。
どんなに綺麗な景色が目の前にあっても、その中心で笑う陽奈梨の方が、ずっときらきらしていた。
「…………で? 何だったの、さっきの」
「ん?」
「俺が忘れてるっていう話」
陽奈梨との思い出は、余すことなく覚えておきたい。
さすがに雪花も人の子なので忘れてしまうことはあるけれど、できるならば記憶しておきたいと思う。
それはいつかやってくる、陽奈梨との別れに備えるための、無意識の自衛かもしれなかった。
陽奈梨が誰かと恋をして、恋人同士になったら。
雪花は今までの距離感ではいられない。
どんなに好きでいても、雪花の気持ちが陽奈梨に届くことはないからだ。
陽奈梨は白いワンピースをふわりと揺らし、雪花に背を向ける。
そして空を見上げ、太陽を指差した。
「雪花くん知ってる? ひまわりってね、太陽のことを追いかけるの。花が咲いたら思い思いの方向を向いて動かなくなるんだけどね、蕾のうちは太陽のことを見てるの」
ひまわりの話なら、雪花も知っている。
確か茎にある成長ホルモンの影響で、ひまわりが太陽の方に向きを変えるのだ。
しかし太陽を追うのは若い蕾だけで、しっかり育てばまっすぐ決めた方向を向いたまま動かなくなる。
「知ってるよ。というか、それ、俺が調べて陽奈梨に教えたんじゃないっけ?」
雪花の記憶が正しければ、陽奈梨の家に飾ってあるひまわりの絵。
あれを描いたときに、陽奈梨が「ひまわりってどんなお花?」と訊ねてきたので、先生や島の大人に聞いて回ったのだ。
雪花がひまわりの説明をすると、陽奈梨はすごく興味を持って、次の夏にはひまわりを育てていた。
「覚えてるの!?」
陽奈梨が振り返り、目を輝かせる。
なんとなく、と答えると、陽奈梨は太陽のような笑みを浮かべてみせた。
「じゃあ問題ですっ。そのときに雪花くんが私に言ったことはなんでしょう!」
「ええ? ひまわりは健気なんだよ、とか?」
「ぶぶー! 陽奈梨は太陽みたいだから、きっとたくさんのひまわりに好かれるね、でした!」
まだ子どもの頃の話とはいえ、ずいぶんと恥ずかしいことを口にしていたらしい。
雪花は頰が熱くなるのを感じながら、「そんなの忘れてよ」と呟いた。
陽奈梨は雪花のそばに歩み寄り、忘れるわけないじゃん、と笑った。
「私、それを聞いたときに思ったの。逆なのになぁ、って」
「え? 逆って、何が?」
「私がひまわりなんだよ。いっつも太陽のことばっかり見ちゃう。きっと自立して、好きな方向を見てもいいよって言われても、私は太陽の方を見るけどね!」
比喩だとは分かったが、いまいちピンとこないのは、雪花にとっての陽奈梨が太陽のような存在だからだろう。
陽奈梨は自分をひまわりに例えた。
いつも太陽を追いかける、健気なひまわり。
それならば太陽は? と考えて、雪花は目をまたたかせる。
「さて、ここで再び問題ですっ! 私にとっての太陽とは何でしょう!」
「現物の太陽じゃなくて?」
「あんなにギラギラしてない! もっと優しい光って感じかな。ちなみに人です!」
陽奈梨がころころ笑いながら、太陽を眩しそうに指差す。
その笑顔が太陽よりも眩しいと言ったら、陽奈梨はどんな顔をするのだろう。
ひまわりは、太陽を見て育つ。
太陽からたくさんの光をもらい、まっすぐに育っていく。
陽奈梨にとっての太陽。
もしかして、なんて都合のいいことを考えてしまうのは、陽奈梨の笑顔がどこまでも優しいからだ。
でもそんなはずはない。
雪花は陽奈梨みたいに、輝けるものなんて何一つ持っていない。
明るくもなければ優しくもない。
眩しくてみんなの希望の光になる太陽なんて、雪花にはなれない。
だからこれは都合のいい妄想だ。
考えているうちに、暑さでくらくらとしてくる。
雪花が暑さによろけたことに気づき、陽奈梨が自分の被っていたキャップを貸してくれる。
「雪花くんは暑さに弱いね。冬生まれだからかな?」
「陽奈梨は暑さに強いよね。夏生まれだから?」
二人で目を合わせて笑い合い、堺の待つ車へと戻った。
陽奈梨の出した問いの答えは、分からないままだった。