匿名の悪意
陽奈梨が元気を取り戻すと、レッスンが再開した。
ユキとヒナにとって初めての持ち歌であり、デビュー曲となる、大事な一曲。
そのためレッスンは今まで以上にハードなものになった。
同時進行で進めていたのは、動画撮影だ。
おかげさまでヒナもだいぶ回復しました、という報告の動画。
それからアイドル活動の今後についての報告。
無名の新人アイドルが、イベントの最中に誘拐される、という事件は、インターネットニュースにもなり、少しだけメディアの注目を浴びた。
ヒナの居場所を特定し、助けに行く動画は、再生回数もかなり伸びている。
かなり多くの人が興味を持って視聴し、コメントを残してくれた。
視聴者の助けがなければ、間違いなく陽奈梨は今も冴島の家にいるはずだ。
そういう意味で、雪花は顔も名前も知らぬ視聴者に感謝していた。
一方で、心無いコメントが残されていたのも事実だった。
こんな知名度ゼロのアイドルわざわざ攫う?
可哀想と思って調べてみたらソレイユか。大手だからなぁ、仕込みだろ。
なんで攫った女を拘束せずに自由にしておくの? いろいろおかしくない?
絶対ヤラセだろ。
無名だからハプニング起こして注目集めたかったのかな。可哀想に。
誘拐は事務所のスタッフ。動画のアドバイスのコメントとかも全部サクラ。じゃなきゃこんなにうまくいくわけないでしょ。ドラマじゃないんだから。
ガチだとしても正直ヒナは推せないなぁ。だって男に誘拐されたって、絶対ヤられてるでしょ……。そんなアイドルはちょっと……。
普通だったら警察案件だけど、ヤラセだから警察には持ち込めなくて、言い訳に戸籍ないですってホラ吹いてるのはさすがに笑う。嘘下手すぎ。
純粋にヒナを心配してくれるコメントが多い中、悪意のあるコメントもしっかりと残っていた。
誘拐から救出までの全てが、新人アイドルの名前を売り出すための仕込みだったのではないか。
ユキを疑うコメントは別に構わない。
雪花が視聴者の立場だったならば、少しくらいは疑念を抱いたかもしれないからだ。
でも、陽奈梨は違う。
きっと自分が視聴者だったとしても、陽奈梨は自分の友達のことのように心配する。
無垢で、誰かを疑うなんて発想すらない。
そんな陽奈梨を、一方的に攻撃している人間がいると思うと、雪花は腹が立って仕方がなかった。
ただ普通に生きたいと願う。
そして陽奈梨を生贄として捧げようとした島民のことすら、見捨てられない。
自分たちはもちろん、二重島の人々にも、日本国民として生きる権利を。
陽奈梨はそんな未来を描いている。
途方もない夢に思えるかもしれない。
しかし無謀にも思える夢を実現するために、陽奈梨が知恵を絞り、努力していることを雪花は知っている。
だからこそ、悪意あるコメントが許せなかった。
せめて陽奈梨に見せないように。
陽奈梨が匿名の無責任な悪意に触れ、傷つくことがないように。
雪花にできることは、それだけだった。
誘拐騒ぎから一週間が経った。
連絡の途絶えていた八雲から、久しぶりに雪花のもとへ電話があった。
『よう、雪花。二週間ぶりくらいか? ちょっとは有名になったか?』
「その様子だとまだ動画は見てないんですね。いろいろあって、少しだけど有名になりましたよ。八雲さんは?」
『俺は二重島に行ってきた』
ぞわり。
背中に蛇が這うような、本能的な恐怖に雪花は固まった。
そうだ、冴島の一件でほとんど忘れていたが、八雲は二重島に直接取材に行く、と言っていたのだ。
二週間近く八雲から連絡がなかったのは、島に行っていたからだ、と知り、雪花はおそるおそる訊ねた。
「何もされませんでした? 大丈夫ですか、怪我とか襲われたりとか」
『おう、ちょっとひやっとする瞬間もあったけどな、俺は大丈夫だ』
「そもそも二重島って入島許可証がないと入れないし、一度入ったら出られないのに、どうやって…………。まさか、まだ二重島ですか!?」
『いや? 俺は島には降り立ってない。船の上で、ずーっと島の奴らと話してた。島の中には入れなかったから、一人協力者を作って、カメラで映像を撮ってきてもらったよ』
船の上。
それならば納得できる。
二重島にやってくる外部の者は、選ばなければいけない。
島に降り立って一生を二重島で過ごすか、島に立ち入ることを諦めて引き返すか。
八雲は島に船を寄せ、その中から島民との交流をはかったのだろう。
不審な船の主が、勝手に島に立ち入らないようにするため、島民は常に見張っていたはずだ。
二週間も滞在されれば見張りは一人ではこなせないので、何人かの男が交代で対応したのだろう。
二重島に対して、そして山神様に対して、絶対的な信仰を持っている島民は確かに存在する。
しかし若い世代や、自分の子どもが島姫になる可能性のある親世代はどうだろう。
二重島がおかしいと分かっていながらも、逃げる手段を持たない者たちは、本島から取材にきた八雲に、自分から接触するかもしれない。
『協力者ってのがイケメンでよぉ。なんだ、あの島。顔がいいやつしか住んじゃいけない決まりでもあるのか?』
「ないですよ、そんなの。それより協力者って?」
雪花の問いに、八雲が笑う。
『年の頃は雪花と同じくらいだな。千夏、って言ってた。知り合いなんだろ?』
「…………っ、知り合い、です……」
一緒にあの島で育ち、同じ年に生まれたからこそ比較され、ライバルだと思っていた。
同じ人を好きになったせいでもあるかもしれない。
千夏は雪花のことを女みたいだとよくからかってきたけれど、根はいいやつだと知っている。
二重島から陽奈梨を連れ出すとき、バレないように手を貸してくれた。
二度と戻ってくるなと激励してくれた、雪花の友人だ。
雪花と陽奈梨の逃亡を助けたことが、バレていないかと心配していたのだ。
八雲に手を貸すことができた、ということは、千夏は身柄を拘束されることもなく、自由に歩き回れるのだろう。
雪花は安堵のため息をこぼした。
『島の中の様子を千夏が撮ってきてくれたんだが、まるで過去にタイムスリップしたみたいだった』
「…………? どういう意味ですか?」
『閉鎖的だし、電気もガスも電波も何もない。江戸時代かと思ったよ』
江戸時代といえば、日本が鎖国していた頃だろうか。
二重島で習った日本の歴史は誤った知識も多いらしいので、本当に鎖国とやらが行われていたのかは、雪花には分からない。
しかし八雲の言うことはもっともだと思う。
二重島の島民は、島を守ることを第一に考えてきた。
島を守る、ひいてはそれが、山神様を守ることに繋がるからだ。
安寧を手に入れるため、島姫を山に捧げる。
もっと端的に言うならば、島に住む若い女を殺して、山に埋める。
その狂った慣習を続けるために、二重島は本島に名乗りをあげなかった。
この島も日本の一部だ、ともっと早くに声をあげていたならば、死なずに済んだ人もたくさんいるはずなのに。
雪花が慕っていた、先代の島姫の顔が脳裏によぎる。
もうこれ以上、繰り返してはいけない。
「八雲さん、合流しましょう。急いで情報の交換がしたいです」
『奇遇だな、俺もだよ』
電話口で八雲が笑う。
勝負は、ここからだ。




