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犯人


 渋谷は賑やかだった。

 特設ステージの周りも同様で、だからこそそのざわめきにすぐ気づくことができなかった。

 波紋は少しずつ広がり、やがて雪花の元へ届いた。


「ヒナちゃんが攫われたって!」

「ええ? まさかぁ、人がいっぱいいるから紛れちゃってるだけでしょ?」

「それか人に流されちゃったのかもね」

「渋谷人多いもんねぇ」


 人混みの中、そんなやり取りが耳に入ってきて、雪花は慌てて辺りを見回す。

 陽奈梨は女の子にしては背が高い方だが、ステージ周りには男がたくさん集まっていたため、確かにこの中では埋もれてしまってもおかしくない。

 雪花は焦る気持ちを必死に抑え、話している最中だった男性に一言断りを入れて、ステージ上に戻る。


 少しだけ目線が高くなった。

 陽奈梨が人波に流されているだけならば、絶対に見つけられる。

 そんな自信が雪花にはあった。


 それは陽奈梨の持つ天性の才能、人を惹きつける力のせいかもしれない。

 はたまた雪花が陽奈梨を想うあまり、どんなに人が多くても、一番に陽奈梨を見つけられるからかもしれない。


 どちらにせよ、どんな人混みであろうとも、少し離れているくらいならば、必ず見つけられる。

 そう思っていたはずなのに、どれだけ辺りを見回しても、陽奈梨の姿はない。


 雪花の頭から血の気が引いていく。


「ヒナ!? どこに行ったの!?」


 マイクを使って呼びかけると、ステージから少し離れた、道路付近から駆け寄ってくる若い男の姿が見えた。

 慌てたような様子で、すみません、すみません、と周りの人をかき分けながら、ステージの目の前までやって来る。

 知らない男だったが、日頃の彼を知らなくても、顔色が悪いことは一目で分かった。

 薄紫の唇を震わせながら、男がステージ上の雪花に呼びかける。


「ひ、ヒナちゃん、が…………」

「ヒナが、どうしたんですか」


 心臓が痛いくらいに鼓動していた。

 どうしてか急に、陽奈梨の太陽みたいな笑顔を思い出す。


「二人組の男に急に連れ去られて……車に、乗せられて……」


 二人組の男。

 二重島からの、追っ手だ。

 全身の血液がすうと冷たくなっていくような気がした。


 ステージの周りでは、男の話を聞いていた少女から悲鳴が上がる。

 そこからは恐怖と混乱が連鎖して、とにかくパニック状態だった。

 泣き始める人、逃げようとする人、スマートフォンで動画を撮る人、面白そうに事態を眺めている人。


 スタッフの落ち着いてください、という声も届かず、混乱は収まらない。

 雪花は自分の手元にマイクがあることを思い出し、声を上げた。


「すみません! みなさん落ち着いてください! お…………わ、私たちも、混乱していますが、とにかく状況を確認したいんです! お願いします! 何か見た人は、スタッフまで情報をください! 協力してください! お願いしますっ……!」


 雪花の必死の呼びかけが、混乱していた人々に届き始める。

 悲鳴が止むと、少しだけざわめきが落ち着いた気がした。

 それから、今度はみんなが辺りを見回し始める。


 本当にヒナちゃんいないの?

 ヤラセとかじゃなくて?


 そんな声が聞こえてくるが、雪花は呼びかけ続けた。


「ヒナがいなくなりました……! 攫われたのを見たっていう人がいます。お願いします、何か見た人がいれば、情報をください! 絶対に守りたいんです、お願いします…………!」


 雪花はほとんど泣きそうになりながら訴え続けた。



 陽奈梨が攫われる姿を見た人は複数人いた。

 スタッフが聞いた情報をまとめると、黒いスーツ姿の男二人組に無理矢理口を塞がれて、陽奈梨は引きずられるようにして車に乗せられた。

 陽奈梨を車に押し込んですぐに車は発進した。

 黒塗りの高級車であったことは確からしいが、誰も車のナンバーまでは覚えていなかった。

 車のナンバーが分かれば、所有者も特定できるのに、と悔しそうな声で金丸が呟いたが、雪花はやるせない気持ちでいっぱいだった。


 所有者なんて特定するまでもない。

 だって陽奈梨を攫ったのは、二重島からの追っ手なのだ。

 陽奈梨はきっと島に連れ戻されて、殺され、山に埋められる。

 雪花は震える声で呟いた。


「今すぐ二重島に行って、陽奈梨を取り返さないと……」


 しかし、雪花の言葉を聞いた社長の金丸とマネージャーの堺は、目を丸くしている。


「だってそうでしょ! すぐにでも行かないと、あいつらは陽奈梨を殺すんですよ! 島の平穏を守るため、とかいうバカみたいな理由で!」

「ううん、そうじゃないよ、落ち着いて雪花くん」


 いつもは『ユキちゃん』と呼ぶ堺が、諭すような声で雪花の名前を呼ぶ。

 それから続いた言葉に、雪花は息を飲んだ。


「犯人が二重島の人じゃないから、まずいんだよ」

「…………っ、ど、どういうこと、ですか……」

「スーツの男二人組が陽奈梨ちゃんを車で連れ去ったっていう話でしょ?」


 雪花たちは、本島に来るまで『車』も『スーツ』も『インターネット』の存在も知らなかった。

 二重島に住んでいた人たちが追っ手ならば、文化レベルは雪花たちと変わらないはず。

 それなら、本島に上陸してからのこの短期間で、『インターネット』で陽奈梨を探し、わざわざ『スーツ』に着替え、慣れない『車』を使って攫うだろうか。


 その指摘に、雪花は頭を殴られたような衝撃を受けた。


「無理だ、そんなの……」

「そう、誰か協力者がいれば話は別かもしれないけど、そもそも島からの追っ手なら、雪花くんも攫っていくと思うよ」


 雪花の口から、情報が漏れるのを防ぐために。

 そして、陽奈梨の父がそうであったように、逃亡の手助けをした罰として、一生村長の家に監禁されるのだろう。

 ぞわりと嫌な感覚が背中を走り、雪花は慌てて頭を振った。


「SNSか動画を見て、ヒナのファンになったやつの暴走?」

「おそらく計画的にですもんね。SNSとかにコメントをくれてたアカウントを全てチェックしましょう」


 アイドルのファンが、ストーカーという悪質な付け回し行為をするようになり、警察沙汰になることも少なくないらしい。

 しかし陽奈梨には戸籍がないので、警察に相談しても相手にしてもらえないだろう。

 『存在しないはずの人』が攫われても、警察も捜査のしようがないのだ。


「それから……陽奈梨を乗せてすぐに車が走り出したってことは、運転手含め、犯人は三人以上よね」

「そうですね……。それに、高級車ってところも気になります。人を連れ去るなら、普通は目立たない車を選びませんか?」


 金丸と堺の話を聞きながら、雪花の頭が少しずつ冴えていく。


 高級車。計画的な犯行。スーツ姿。

 迷うことなく陽奈梨だけを攫っていった。

 人目の多いところで、目撃されることを恐れずに行われた連れ去り事件。

 多くの人に見られても問題ない。

 見られたとしても、捕まることはない。

 なぜなら攫われた陽奈梨は、『存在しないはずの人』だから。


 犯人は、陽奈梨に戸籍がないと知っている。

 絡まっていた糸が解けたような、そんな感覚だった。



 雪花は事務所の男性スタッフ二人と共に、冴島菊人の務める会社にやって来ていた。


 冴島は陽奈梨の父親が本島にいた頃、世話になっていた男だ。

 雪花たちも本島に来てからは、冴島に話だけでも聞いてもらおうとしていた。


 実際に冴島は、雪花たちの話を聞いてくれた。

 陽奈梨の父と親交があったため、二重島のことも少し知っている。


 冴島は、陽奈梨と雪花の戸籍をなんとかしてくれる、と言った。

 それだけでなく、家も金も職も、何不自由なく生活できるように手配する、とまで言ってくれたのだ。


 陽奈梨が冴島の妻になることを、交換条件に、だ。


 一度断った話なので、冴島のことは雪花の頭から抜けてしまっていた。

 そんなことよりも、二重島からの追っ手に捕まる方が命の危機に関わるから、と冴島の危険度を軽んじてしまったのだ。


 ふいに音がして、応接室に冴島が姿を現す。

 前回会ったときと変わらないにこやかな笑みに、雪花ははらわたが煮えくり返るのを感じた。


「お待たせいたしました、雪花くんと……そちらは?」

「…………今、お世話になっている事務所の人です」


 冴島はどんな事務所なのかを訊いてこない。

 すでに、知っているからだ。


 そして何よりおかしいのは、妻にしたいとまで言っていたはずなのに、陽奈梨が隣にいないことに疑問を抱いていないのだ。

 本当に冴島が陽奈梨を手に入れたいと思っていて、まだその願いが叶っていないなら、陽奈梨について何かしら訊いてくるはずなのだ。


 雪花は目の前に立つ初老の男が、陽奈梨を攫った犯人なのだと確信した。


「単刀直入に言います。陽奈梨を返してください」

「私が陽奈梨ちゃんを攫った犯人だと?」

「攫われたことを知っているのが何よりの証拠でしょ」


 新人アイドルのヒナがお披露目会の最中に攫われたことは、ニュースになっていない。

 テレビで報道されていなくて、SNSのごくわずかな範囲でしか騒がれていないので、知らない人の方が多いはずだ。


「ふむ、なるほどね。しかし仮に陽奈梨ちゃんが私の元にいたとしても、何の問題もないだろう。衣食住も金も何もかも保障すると言っているんだから」

「っ、陽奈梨があんたの妻になる代わりに、でしょう。そんなの、受け入れられるわけがない!」


 冴島は気味の悪い笑みを浮かべ、大袈裟に肩をすくめた。


「安心しなさい。約束通り、君の未来も保障するから」


 そんなことは望んでいない。

 雪花の戸籍や未来のために、陽奈梨が好きでもない男と結婚するなんて、そんなのは絶対に嫌だ。

 陽奈梨がそれでいいと諦めたとしたって、雪花が嫌なのだ。


 雪花は怒りで震える手をぎゅっと握りしめて、静かに深呼吸をする。

 嫌ならば、抗わなければいけない。

 言いなりにならないために、戦うしかないのだ。


「陽奈梨は、納得してるんですか」

「………………もちろんだよ」


 言葉を紡ぐまでの間が、全ての答えだ。

 雪花は冴島に分かりました、と答える。

 一緒に来ていたスタッフが慌てふためいていたけれど、雪花には考えがあった。


「それなら毎日陽奈梨に会わせてください。安全な環境にいるのか、幸せなのか、確認したい」

「それはできないよ。私はこう見えて独占欲が強くてねぇ」

「…………っ、じゃあ、電話!」

「それも難しいなぁ」


 雪花は焦るふりをしながら、別の提案をする。


「今、ユキという名前でアイドルをやってます。動画の配信もしてるんです。毎日生配信をするので、陽奈梨に見せてください!」

「…………それくらいなら構わないよ。陽奈梨ちゃんはインターネットに詳しくないようだから、タブレットで動画サイトをあらかじめ開いておいて、私の仕事中でも見られるようにしよう」


 ずっと家の中で一人きりでは、陽奈梨ちゃんも息が詰まってしまうだろうから。

 そう続いた冴島の言葉に、雪花は怒りで全身が震えた。


 陽奈梨は人形じゃない。

 意思のある一人の人間だ。

 そして雪花にとっては、自分の命にかえてでも守りたい、たった一人の女の子なのだ。


 雪花は震える声で言葉を紡いだ。


「じゃあ陽奈梨にコメントの仕方も教えてやってください。それなら陽奈梨が無事かどうか確認できる!」

「残念ながら私はそこまで親切じゃない。陽奈梨ちゃんに、君が元気でいることを伝える。そのために動画を見せてあげるだけでも感謝してほしいものだね」


 話し合いはここでお終いだ、と言わんばかりに、冴島が椅子から立ち上がる。

 待ってください! と呼びかける雪花の声を無視して、冴島は応接室を出て行ってしまった。


「…………っ、絶対、救い出す……!」


 雪花が呟いた言葉は広い応接室に虚しく響く。

 護衛兼記録係として着いてきてくれた事務所のスタッフが、雪花を励ますように優しく背中をさすってくれた。


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