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太陽みたいな女の子


 この日のために、一年半もかけて準備をしてきた。


 鏡に映る自分の強張った表情を見て、雪花は思わず頭を抱えた。それから慌てて雪花は髪についた寝癖を直すふりをする。


 母親譲りの少し赤みがかった茶色の髪は、刈り上げてこそいないが、男にしてもかなり短く切ってもらっている。

 名前だけでも女みたいなのに、女顔だとよくからかわれるのだ。

 雪花は自分の名前も顔も大嫌いだ。中性的な顔は遺伝なので仕方がないかもしれない。でも、せめて男らしい名前にしてほしかった。


 雪花は少しでも男らしく見えるように、短い髪をワックスでアレンジする。

 ヘアアレンジの参考にしているのは、三つ年下の幼馴染、陽奈梨が頼んだヘアカタログだ。

 本島にはこんなにたくさんの髪型があるのか、と感動し、ヘアワックスを取り寄せてもらった。


 雪花たちが住む二重島では、本島……いわゆる日本列島の情報は、ほとんど入ってこない。

 本島の情報を手に入れるためには、雑誌や本など情報源になるものを自ら申請するしかない。

 しかし、そんな不便な日々とも今日で決別する。


 二重島で、五年に一度開かれる神慰撫祭。山神様に感謝を伝える、島の伝統行事。

 神慰撫祭は今日の正午から明日の正午まで。

 五年に一度の祭に、島の大人たちはこぞって屋台を出す。子どもたちは浴衣を着てはしゃぎ回るだろう。

 老人たちがどんな目で子どもたちを見ているのか、知ることもなく。無垢な子どもたちは、楽しそうな声を上げ、島を賑やかにするのだ。


 雪花の背中に、ぞわりと嫌な感覚が走った。

 想像するだけで吐き気がした。五年前、前回の祭のときには、雪花もはしゃいで楽しんでいたのに。

 たった五年。されど五年。

 世界が変わったような、そんな気すらする。でも本当は違うと、雪花は知っている。


 世界はずっと変わっていない。

 この島はずっと変わらずに、腐っている。

 変わったのは雪花の方だ。

 真実を知り、今まで信じてきた全てが崩れ去るような、あの感覚を知っているから。

 大切なものを失う恐怖を、知っているからだ。


 だから、雪花はこの島を出る。

 二重島にとって最も大事な行事。神慰撫祭をぶち壊して。



 二重島は山に囲まれている。

 人が住んでいるのは島の中央付近にある村。島民全員が知り合いの、小さな村だ。

 雪花の家から三軒離れたところに、赤い屋根の小さな家がある。

 家を囲う門なんてものは、この村には存在しない。呼び鈴もないし、家によっては鍵さえもかけていない。

 赤い屋根の家は、例に漏れず玄関の鍵が開いていた。ガラリと横に戸を引いて、雪花は中に足を踏み入れる。


「陽奈梨ー、いるかー?」

「はあい、ちょっと待ってー!」


 玄関には、ひまわりの花の絵が飾ってある。これは雪花が描いたものだ。

 美術の授業で、暇つぶしに描いたひまわり。いつもならば、そのまま学校で処分してもらうところだった。

 しかし当時十二歳だった陽奈梨が、「絶対に捨てちゃダメ! 欲しいの!」とねだったので、仕方なく絵をあげたのだ。


 二重島は狭い島だ。学校と呼べる教育機関は一つしか存在しない。小学校、中学校、高校というくくりはなく、六歳から十八歳までの子どもを幅広く受け入れている。

 学年のくくりもないようなもので、子どもはみな同じ教室でそれぞれ勉学に励んでいるのだ。


「雪花くん! 時間より早いね、どうしたの?」


 ひょこりと顔を出した陽奈梨は、浴衣を身にまとっている。

 白い浴衣に紺色の帯。浴衣には赤と橙の金魚が泳いでいて、涼やかな印象だ。

 艶のある長い黒髪はまだまとめていないようで、胸のあたりで揺れている。


「どうせ陽奈梨は、髪のセット自分でできないだろ」

「わー、さすが! おだんごにしてほしいなぁ」

「はいはい。後ろ向いて」


 陽奈梨がにこりと笑顔を浮かべると、世界が華やぐような気がした。

 何度も見ているはずの笑顔に、毎度のことながら心臓がうるさく騒ぎだす。

 確かに陽奈梨は島一番のとびきりの美人だが、ドキドキするのはそのせいじゃない。


 太陽みたいな女の子。それが、陽奈梨だ。

 誰かが喧嘩をしていても、落ち込んでいても、泣いていても、あっという間に笑顔に変えてしまうのだ。

 みんなの輪の中心にいる。人に囲まれ、愛されている。いつも誰かの視線の先にいる。


 陽奈梨と年の近い男は、みんな彼女を好きになった。

 彼女よりも三つ年上の雪花も、例外ではなかった。

 誰からも愛される陽奈梨に、自分なんかが釣り合うはずはないと分かっている。

 それでもどうしようもなかった。

 一度好きだと自覚してしまえば、気持ちは膨れ上がる一方で、『諦める』ことを諦めた。

 好きになってしまうのは止められない。気持ちを伝えなければ、陽奈梨に迷惑をかけることはないのだから、このままでいい。

 そう思っていたのだ。


「雪花くん?」


 陽奈梨の髪をセットするはずだったのに、物思いにふけってしまっていた。少しだけ後ろを振り返り、雪花の様子を伺う陽奈梨に、誤魔化す言葉を口にする。


「頭のてっぺんでおだんごにしたらちょっと幼く見えるだろ? サイドとか後ろで低めに作って、大人っぽく仕上げた方がいいか、悩んでた」

「雪花くんはどういうのが好き?」

「サイドに低め。おだんごは小さめに仕上げて、逆サイドに少し髪を流す感じとか」

「あー! 絶対かわいいね! じゃあそれがいい!」


 はいはい、と返事をしながら、よく手入れされた黒髪に触れる。

 陽奈梨は島に運ばれてくる物資に、シャンプーやトリートメントを個別で依頼している。

 そのせいか、ふわりと優しい花のような香りがして、胸の奥がくすぐられた気がした。



 浴衣姿にヘアアレンジまで加わると、陽奈梨はいつも以上にかわいく見えた。

 きめ細かい白い肌。たまご型の顔にバランスよく配置されたパーツ。大きな黒目がちの瞳。唇は少しぽってりとしていて血色がいい。平行眉はどことなくやわらかな印象を与えている。

 ここまではいつも通りの陽奈梨だ。


 右耳の下あたりでふんわりとまとめたおだんごと、左サイドに流した髪。

 いつもは長く伸ばしている髪をストレートにおろしているので、サイドにまとめるだけでぐっと印象が違って見えた。

 浴衣姿なので露出なんてほとんどないはずなのに、なぜか色っぽい。


「どう? かわいい?」


 首を傾げて、陽奈梨が訊ねる。

 女子にしては背の高い陽奈梨は、雪花とほとんど同じ目線だ。

 褒めてもらいたいときは、雪花の顔を覗き込むように少し屈み、上目遣いで訊いてくるのだからタチが悪い。

 そして、そんな陽奈梨のあざとい仕草でさえも、かわいいと思ってしまうのだから、雪花は相当陽奈梨に惚れ込んでいるのだった。


「ねーえ、雪花くん。かわいい?」


 これは陽奈梨の口癖だった。

 誰がどう見ても、かわいいに決まっている。それなのに、陽奈梨は雪花にいつもそれを言わせたがった。


「あー、まあ、それなりに?」

「浴衣でもだめかーっ! 絶対に言ってくれないよねぇ!」


 そう言いながらも、陽奈梨はころころと笑っている。

 素直にかわいいと褒めることのできない雪花を、陽奈梨はいつも笑って許してくれる。


 底抜けに明るくて、汚いものは何も知らない。

 陽奈梨の笑顔を守りたいと思ったから、雪花は一年半もの間、準備をしてきたのだ。


「陽奈梨。昨日話した通り、浴衣の下に服着てるか?」

「うん。Tシャツとスカート。かさばらないやつ!」

「ん、それでいい」


 昨晩のうちに、陽奈梨に事前準備を伝えておいた。とは言っても、陽奈梨は島の真実も、雪花の計画も知らないので、ただ『訳の分からないお願いごと』を聞いてくれたことになる。

 雪花くんがそうして、って言うなら、きっと必要なことなんでしょ?

 昨日、陽奈梨が言ってくれた言葉を思い出す。

 理由は分からなくても、雪花のことを信じてくれる。そのことが、今はただありがたかった。



「そういえば、雪花くん。なんでそんなに大きなクーラーボックスを持ってるの?」


 祭に向かう準備をしながら、陽奈梨が雪花の持っている大きな荷物に首を傾げる。

 白いクーラーボックスは、普段は魚を獲りにいくための漁船などで使うものだ。

 陽奈梨が興味津々で覗き込んでくるので、クーラーボックスの蓋を開ける。中にはビニールを敷いているが、空っぽだ。


「ここに、陽奈梨の三日分の着替えを入れて。あと絶対になくしたくないもの。入り切る範囲でね」

「えっ? どうして?」

「どうしても。明日になったらちゃんと全て話す。だから、今は俺を信じて」


 まっすぐに陽奈梨を見つめると、大きな瞳にひどく真剣な顔をした雪花が映りこんでいる。

 陽奈梨は数度目をまたたかせて、何も言わずに頷いた。


「信じてくれるの?」


 信じてほしいと自分で言ったくせに、陽奈梨があまりにも素直に頷くものだから、雪花は思わず訊ねてしまった。

 雪花の間抜けな問いに、陽奈梨はいつもの太陽みたいな笑顔で応えた。


「信じるよ! だって雪花くんがそんなに真剣にお願いしてくるの、初めてじゃん」


 用意してくるね、と浴衣姿のままクーラーボックスを持ち、陽奈梨が奥の部屋へと姿を消す。

 もっと説得に時間がかかると思っていたので、拍子抜けだ。

 でも信じてもらえたことは、素直に嬉しいと思う。

 雪花は立ち上がり、姿の見えない陽奈梨に呼びかけた。


「俺も祭の準備してくる。陽奈梨は準備が終わったら、クーラーボックスの蓋をしめて、部屋の隅に置いておいて」

「はあい。あ、そうだ、雪花くん」

「ん?」


 ひょこ、と奥の部屋から陽奈梨が顔を出す。

 その頰はほんのりと赤く染まっている。浴衣の下に服を着るように言ったせいで、暑いのかもしれない。

 陽奈梨がはにかむような笑みを浮かべ、やわらかい声で言葉を紡ぐ。


「今日の神慰撫祭で、島姫が決まるでしょ? それで……そこで、私が……その、島姫に選ばれたらね、雪花くんに聞いてほしい話があるの」


 いつもはきはきと喋る陽奈梨が、珍しく言葉を選ぶように、拙い喋り方をする。


 島姫。それは、二重島に古くから伝わる風習で、端的に言ってしまうならば、ミスコンのようなものだ。

 二重島の守り神とされている山神様に、祈りを捧げる神慰撫祭。その祭のメインイベントが、島の娘の中から一人島姫を選ぶことだ。

 島姫になった者は、舞を踊る。山神様に捧げる舞は、二重島で女に生まれた者は誰もが踊れるものだが、島姫の舞だけは特別だ。


 山の麓に位置する祈り小屋で、太陽が昇るまで、一晩中舞を踊るのだ。山神様に捧げる舞。それは何よりも美しくなければならない。

 だから、島姫として選ばれた美しい年頃の娘が、祈りの舞を踊るのだ。


 陽奈梨は間違いなく、島姫に選ばれるだろう。

 島の象徴。島を代表して、山神様に祈りを捧げる美しい存在。

 年頃の女子は他にもいるけれど、今年は陽奈梨だろう、と誰もが口を揃えて言っている。


「…………島姫、なりたいの?」


 雪花の問いかけに、陽奈梨は迷うことなく頷いた。


「うん。私はね、島姫になって、一日でも早くこの島を出たい。本島に行って、お父さんとお母さんを探すの」

「…………そっか」


 二重島では通常十八歳になって成人の儀を終えるまで島を出る権利を与えられない。

 しかし、島姫になれば成人の儀を待つ必要がなく、島を出ることができるのだ。


 陽奈梨は、赤い屋根の小さな家に、ひとりぼっちで暮らしている。

 両親は本島にいる、と幼い頃から聞かされてきたため、陽奈梨は人一倍本島への憧れが強い。


「だから雪花くん。今日は絶対に、私のことを見ててね」

「…………うん。見てるよ、約束する」


 今日だけでなく、これから先も。

 陽奈梨の笑顔が曇ることのないよう、見守り続ける。

 そんな雪花の覚悟など知らぬまま、陽奈梨はまたあの眩しい笑顔を浮かべるのだった。

 


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