追っ手
雪花たちは、適正を見るために、という理由でいろんな挑戦をさせられた。
服を何度も着替え、たくさんの写真を撮られる『モデル』。
与えられた台本をもとに、登場人物になりきって芝居をする『役者』。
歌の上手さと表現力が求められる『歌手』。
歌と踊りと笑顔を武器に、観客を魅了する『アイドル』。
観客に笑ってもらうためにコントやトークを披露する『お笑い芸人』。
他にも声優やグラビアアイドルなど芸能の仕事はたくさんあるらしい。
雪花たちが挑戦したのは、芸能の仕事のほんの一部だ。
実際に芸能界で活躍している人たちの動画を見せてもらったが、どの仕事をしている人たちも、キラキラと輝いているように見えた。
「ヒナちゃん、『モデル』はどうだった?」
雪花と陽奈梨に付きっきりで世話をしてくれ、本島のことを教えてくれるマネージャーの堺が、陽奈梨に話しかける。
陽奈梨は眉を下げて笑いながら、「難しいです! でもすっごく楽しい!」と答えた。
二人には、常に撮影チームがついていた。
頑張っていろんなことに挑戦する姿を撮影して、動画サイトに投稿するらしい。
方向性が決まった後は、レッスンの様子や、私生活の過ごし方なども記録するというのだから、雪花は頭を抱えてしまった。
ダメなところは編集で切り取るから、と金丸は言っていた。
しかし雪花は、カメラを向けられているというだけで緊張してしまうのだ。
その点、陽奈梨はとても優秀だった。
カメラがどんなものか、実際に写真や動画を撮って、現物を見せてもらったというのに、一切物怖じしていない。
「ユキちゃんはどうだった? どの仕事がやってみたい、とかある?」
ユキちゃん、という呼び方に、顔が引きつりそうになるのを必死で堪え、雪花は笑顔を浮かべる。
「お…………わ、『私』はっ、どれもあんまり自信がないかなぁ……」
芸能界では男も化粧をするのが普通らしく、雪花にもメイクが施されている。
そこまではまだいいだろう。
しかし雪花の頭には、セミロングの茶色のウィッグがつけられている。
肩あたりまでふんわりと伸びたように見える髪。
そして、今着ているのは陽奈梨とお揃いのワンピースだった。
簡潔に説明するならば、女装だ。
雪花は『ユキ』という名前の『女の子』として、芸能界デビューを求められているのだった。
ちなみに陽奈梨は『ヒナ』という芸名になるらしいが、男装しているなんてことはなく、いつも通りの陽奈梨だ。
女みたいな顔と名前にずっと悩んできたというのに、何が悲しくて女装をしなくてはならないのだろう。
しかもそれを大勢の人前に晒す予定なのだ。
唯一の救いは、陽奈梨が雪花のことを一切バカにしないことだった。
「ユキちゃんは歌が上手だし、歌手とか?」
「それを言ったらヒナは芝居とお笑い以外だね。用意されているセリフを読むのが下手すぎ」
「ねー! 私もあんなにできないんだ、って自分でびっくりしちゃった!」
二重島の生活からはかけ離れた、非日常的な生活が楽しいのだろう。
陽奈梨は太陽よりも眩しい笑顔をずっと浮かべている。
一方で雪花は不安が少しずつ募っていった。
芸能界でプロとして活躍している人たちは、突出した『芸』を持っているのだ。
それが芝居であったり、歌であったり、人によって違いはあれど、飛び抜けた何かがなければ活躍できない。
本当に有名になれるのか。
二重島のことを告発し、国を動かすだけの知名度を得ることができるのか。
今の状況では、まだ陽奈梨の安全は約束されていないのだ。
二重島から陽奈梨を連れ出した雪花には、責任がある。
陽奈梨が本島で安全に、普通の幸せを手に入れるまで見守る責任だ。
「ユキちゃん! 休憩おしまいだって、行こう!」
陽奈梨が雪花に手を差し出す。
その手はあたたかくて、今を生きているのだ、と雪花に実感させた。
なぜだか涙がこみ上げてくるのを慌てて堪えて、雪花は陽奈梨の後を追いかけた。
事務所の社長である金丸は、雪花たちに衣食住を保障してくれた。
それだけでなく、仕事に絶対必要だから、という理由でスマートフォンも支給された。
最低限の使い方を教えてもらい、プライベートでも使っていいという許可をもらった。
金丸曰く、犯罪と恋愛だけは絶対にダメだが、それ以外のことは大抵許す、だそうだ。
つまり、不祥事を起こすな、ということなのだろう。
しかし恋愛はどうしてダメなのか、という疑問は、代わりに陽奈梨が質問してくれた。
「恋愛ってなんでダメなんですか? 悪いことじゃない気がするんですけど……」
「一般人ならね。芸能人の恋愛っていうのはおもしろおかしく騒がれる。ファンからは悪意をぶつけられることもある。だから、うちのタレントは基本、恋愛禁止」
「お付き合いしちゃダメなんですよね、片想いもダメですか?」
「…………片想いは、別にいいんじゃない。ただし、自分を守るためにも誰にも言わない、が最低条件ね」
なるほど、と陽奈梨が呟く。
わざわざ踏み込んで質問するということは、もしかして陽奈梨には好きな人がいるのだろうか。
そう考えて落ち込みそうになる自分を、雪花は無理矢理励ました。
本島に来てから関わった男なんて、数え切れるくらいだ。
二重島にいる男だとしたら、陽奈梨には悪いが、その恋が叶うことはないはずだ。
それにしても、と雪花は心の中で呟く。
陽奈梨に好きな人がいるかもしれない、なんてあまり考えたことがなかったのだ。
太陽みたいな陽奈梨が、好きになる男。
それはどんな人なのだろう。
きっと、陽奈梨と同じように、誰かを照らせる眩しい人に違いない。
そんなやつが島にいたのか、男目線ではいまいち分からない。
ぼんやり横顔を眺めていると、陽奈梨は雪花の視線に気づき、恥ずかしそうに笑ってみせた。
支給してもらったスマートフォンに、着信があったのは、本島に来てから三週間ほど経った頃だ。
まだ電話の機能に慣れない雪花は、着信音に飛び上がり、おそるおそるスマートフォンに手を伸ばした。
電話の相手は八雲だった。
準備が整い次第、二重島へ取材に行く、と言っていたので、出発の連絡かもしれない。
雪花が通話の文字を指で押すと、スマートフォンから八雲の声が聞こえてきた。
『おう、雪花。ちょっと急ぎの用件なんだが……今、大丈夫か?』
「はい、大丈夫ですよ。どうしたんですか?」
手のひらに収まるくらい小さく薄いスマートフォン。
ただの板にしか見えないのに、これを使えば遠くにいる人とも話ができるのだから、不思議な話だ。
そんな呑気なことを考える雪花に、八雲が焦ったような声で言った。
『近所に住んでる友達が言ってたんだが、家出少女を探してるっていう二人組の男が、うちの近くをうろついているらしい』
「家出少女? それってまさか……」
『特徴は胸あたりまで伸びた黒髪に、とびきりの美人。女の子にしては少し背の高い、十六くらいの年の子』
全て陽奈梨に当てはまる。
雪花の心臓が嫌な音を立てて騒ぎ出した。
八雲の住む町は、二重島から本島に向かおうとした場合、最短距離に位置する場所だ。
二重島からの追っ手だとしてもおかしくない。
『名前はヒナリ。変わった名前だから印象に残ってたらしい』
「…………その二人組は、まだ八雲さんの住んでる町に……?」
『いるみたいだな。話を聞いた後、近所の人に聞いて回ったら、みんな同じことを聞かれてた』
島からの追っ手だ。
間違いなく、陽奈梨のことを探している。
島姫として。贄として。山に陽奈梨を捧げるために。
ぞくっと背中に悪寒が走り、雪花はどうしよう、と呟いた。
『近所の人で、陽奈梨のことを覚えているやつはいなかった。でも、俺が嘘の情報を流しておいたから、少しは時間が稼げるはずだ』
「嘘の情報?」
雪花が訊ねると、八雲は得意気に答えた。
『あいつらが探しているヒナリちゃんと、俺は偶然会った。でもヒナリちゃんの話では、親の虐待から逃げるために家出した、ってな』
虐待から逃れるための家出だと聞けば、あの町で誰かが陽奈梨のことを見ていて思い出したとしても、情報が漏れることはないだろう。
そして追っ手の二人はきっと、八雲に会いに行くに違いない。
「八雲さん! 天才じゃないですか!」
『だろ? 実際にそいつらが情報欲しさに俺に会いに来たら、関西方面に行った、とでも言って時間稼いでやる』
「助かります……! でも追っ手が来たなら、早く計画を進めないと……!」
いつかは来ると思っていたが、こんなに早いとは。
山火事は無事におさまったのだろうか。
陽奈梨の手前、大丈夫だと言い切ったが、芽衣子や他の島姫候補だった女子たちは無事だったのか。
バレないように逃亡の手助けをしてくれた千夏は、無事だろうか。
島の内情が知りたかった。
許せない悪習のある、ひどい島だ。
でも、雪花が育った島なのだ。
憎いけれど、どうしても憎み切れない。
それでも、陽奈梨は守りたい。
雪花は頭の中をぐるぐると回る他の思考を排除した。
今は、陽奈梨を守る。
ただそれだけだ。