後ろ盾
陽奈梨は八雲のスマートフォンを借りて、名刺の電話番号に連絡を入れた。
先ほど声をかけてもらったんですけど、と陽奈梨が言うと、相手の男はしっかりと覚えていたようだ。
電話口から喜びの声が漏れ聞こえてきた。
「あの、私生まれがちょっと特殊で、面倒な事情を抱えているんです。それについて相談させてもらって、大丈夫そうなら、ってことでもいいですか」
まさか電話で二重島の件を話すわけにもいかないので、陽奈梨が言葉を濁して相談したいと告げる。
しばらく話した後、電話を切り、陽奈梨は雪花の方をまっすぐに見つめた。
「相談に乗ってくれるって。出来る限りサポートします、って言ってたよ」
「かなり厄介な話だから、どこまで手を貸してもらえるかは分からないけど……ひとまず交渉だな」
「うん!」
雪花が笑うと、陽奈梨も応えるように太陽の笑みを浮かべる。
何もかもが手探りの状況だが、どうにかして生きるための道を探さなければならない。
雪花は陽奈梨と共に、指定された芸能事務所へと向かうことにした。
芸能事務所までは、八雲が車で送ってくれた。
一緒に交渉しようか、と心配してくれたが、雪花は断った。
子どもが二人という状況の方が、切迫していることが伝わると思ったのだ。
案内された個室にやってきたのは、陽奈梨に声をかけてきた男、山下。
それから、やけに背の高い、化粧の濃い女だった。
「改めまして、ご足労いただきありがとうございます。私が山下で、こちらが社長の金丸です」
「よろしくお願いします!」
陽奈梨が頭を下げ、簡単な自己紹介をする。
その間も金丸は陽奈梨のことをまじまじと見つめていた。
商品として価値があるかどうか、見定めているのかもしれない。
嫌な想像に、雪花はそっと眉を寄せた。
ふと、金丸と雪花の視線が交わる。
観察していたのがバレてしまい、少しだけ気まずくなるが、金丸は気にした様子でもなく口を開いた。
「あなたは? なかなかいい素材じゃない」
「俺は二重島雪花です。陽奈梨の付き添いで来ました」
「ふぅん? 同じ苗字ってことは、兄妹なのかしら」
「違います。同じ島の出身なんですけど、苗字がないので島の名前を苗字代わりにしているんです」
金丸は化粧で強調された目を、さらに大きく見開いた。
そして「確かに特殊な生まれのようね」と呟き、雪花と陽奈梨を見比べた。
「あなたたちの事情がどうであれ、私はあなたたちを使いたいと思ってる」
「…………あなた、たち?」
「雪花、あなたもよ」
突然名指しされて雪花は戸惑うが、陽奈梨の顔はぱっと明るくなる。
その表情に目を奪われたのは、雪花だけではなかった。
その場にいた山下と金丸も、同じように陽奈梨に魅入っている。
雪花は迷わずに口を開いた。
「陽奈梨だけで十分でしょう。俺には向いてませんよ」
「この世界での向き不向きは、私たちの方がよく知っているわよ」
顔がいいだけでは埋もれてしまう。
どんなに顔が整っていて、スタイルが良くても、突出した何かがなければ勝ち残れない。
そういう厳しい世界だ、と金丸は言った。
「とにかく、話を聞かせてもらおうかしら」
その言葉を皮切りに、雪花は語り出した。
日本地図に載っていない島、二重島について。
悪夢のように気味の悪い風習。
日本には存在しないはずの、戸籍のない住民たち。
島姫の存在と、ほぼ確実に追っ手がくること。
そして、雪花たちの計画。
二重島の存在を世間に公表し、国に認めてもらう。
八雲が記事を書いてくれるというが、それだけでは足りない。
雪花たちも有名になり、世間の注目を集める。
公表した真実を、政府が放っておけないように、世論を味方につけるのだ。
雪花たちの話を黙って聞いていた山下と金丸は、それぞれ違う反応を見せた。
山下は青い顔をして、横に座る社長の顔色を伺っている。
おそらく叱られるのを恐れているのだろう。
単純に陽奈梨を事務所に引き入れたかっただけなのに、とんでもない厄介ごとを持ち込んでしまったからだ。
一方で金丸は、表情を変えることなく、雪花と陽奈梨の顔を見比べていた。
「つまり、島の真実をより多くの人に知ってもらうために有名になりたい。ただ現状では戸籍がないから、通常の雇用契約が結べないってことだな?」
「本島での仕事の契約とか、そういうのはよく分からないんですけど、たぶんそうです」
金丸はふっと口元を緩め、大した問題じゃないな、と強気な口調で呟いた。
「君たちは知らないだろうが、日本には戸籍がないまま育ち、後から戸籍の手続きをすることもある」
「えっ! じゃあ私たちもそれができるんですか!?」
陽奈梨が目を輝かせるが、金丸は首を横に振った。
戸籍の登録をするには、親の戸籍が必要になる。
二重島に生まれた者は例外なく戸籍がないため、やはり通常の方法では難しいのだと金丸は言った。
「最低でも五年。陽奈梨と雪花、二人ともうちの事務所で働くということを約束してくれるなら、面倒ごともまとめて引き受けよう」
金丸の言葉に一番驚いたのは、隣に座っていた山下だった。
社長、本気ですか!? と目を見開く山下に、金丸は笑う。
「当然。私はね、リスクに怯えてチャンスを逃すようなバカな真似はしないの」
雪花は言葉に詰まった。
陽奈梨が有名になるのは、リスクが高い。そう思っていた。
でも世論を味方につけ、国を動かすならば、陽奈梨の力は絶対に必要だ。
だから陽奈梨が芸能事務所に入ることも、間違ってはいないと思う。
しかし、雪花はどうだろう。
女みたいだ、とよくバカにされる顔。
女子の平均よりも身長の高い陽奈梨と並ぶと、ほとんど身長差の生まれない背丈。
容姿が飛び抜けて整っているわけでもなければ、陽奈梨のように人を惹きつける何かを持っているわけでもない。
雪花が芸能事務所に所属したとしても、とてもではないが、利益を生み出せるとは思えなかった。
悩む雪花の背を押すように、陽奈梨が太陽の笑顔を向けてくれる。
「やろう! 雪花くん!」
「でも……」
「大丈夫! 私は、雪花くんならできるって信じてるから!」
根拠のない自信だ。
それでも、陽奈梨の言葉には力があった。
信じてしまいたくなる、そんな強い力が。
決まりだな、と金丸が笑った。
この日、雪花と陽奈梨は強力な後ろ盾を手に入れたのだった。