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スカウト


 冴島は、陽奈梨の母に一目惚れをしたのだと語った。


「でも彼女には良貴さんがいた。響さんにとっては島から連れ出してくれた恩人だ」


 陽奈梨の両親が結ばれ、子どもを身籠ったときも、冴島は素直に祝福したという。

 響が幸せならばそれでいい、と。


 しかし、陽奈梨が生まれて間もなく、彼らは姿を消した。

 島に連れ戻されたのかもしれない、と冴島は思ったが、それ以上は何もできなかった。


「私は響さんを守れなかった。だから、彼女に生き写しの陽奈梨ちゃん、君のことは何があっても守りたい」

「…………わ、……私、」


 陽奈梨が何かを言いかけたが、冴島はそれを遮って言葉を続けた。


「陽奈梨ちゃんが私の妻になってくれるなら、二人の戸籍を何とかしよう。雪花くんの未来についても保障する」


 戸籍も、家も、金も、職も、何不自由なく暮らせるようにしてあげるよ。


 冴島の語る言葉に、陽奈梨が一歩、また一歩と後退りしていく。

 雪花は黙っていられなくなり、陽奈梨を庇うように前へ出た。


「黙って聞いていたら、なんですか。それじゃあ脅しみたいだ」

「脅し? 人聞きが悪いね。私は提案をしているだけだよ」


 何が提案だ、と雪花は言葉を吐き捨てる。

 背中に隠れる陽奈梨が、雪花の服の裾を握った。

 その手が震えていることに気づき、雪花の中に確かな怒りが生まれた。


「陽奈梨は陽奈梨だ。どれだけ似ていても、響さんとは別人なんだよ」

「ああ、大丈夫さ。それはちゃんと分かっているよ。陽奈梨ちゃんのこともちゃんと愛す自信はある」


 気持ちが悪くて、吐き気がした。

 陽奈梨を愛する自信があるなんて、どうして初対面の男がそんなことを言えるのか。


 冴島の言葉の全てに、虫唾が走った。


 親子よりも年の離れた初老の男が、まだ十六歳の陽奈梨に結婚を迫っている。

 それだけならまだいいかもしれない。


 しかし冴島は圧倒的に有利な立場にいるのだ。


 陽奈梨と雪花は、何も持っていない。

 戸籍もない。家もない。金もない。職もない。

 帰る場所すらない。


 そして陽奈梨は、島に帰れば間違いなく殺される。

 殺されて、島姫として山の中に埋められてしまう。


 だというのにこの男は、本島で身の安全を手に入れたければ、陽奈梨の身を差し出せというのだ。

 それでは二重島にいるときと変わらない。

 命を奪われなかったとしても、自由と意志を奪われてしまったら、そんなのは生きているとは言えない。


 雪花は怒りに震える声で、帰ろうと言って陽奈梨の手を取った。

 応接室を出ようとする二人の背中に、冴島が呼びかける。


「陽奈梨ちゃん、よく考えなさい。君は私の妻になるだけでいいんだ。それだけで、君と、そこの幼馴染の男の子も一緒に助けてあげるよ」

「陽奈梨、行こう」

「……でも、雪花くん…………」


 陽奈梨が振り返ろうとするので、雪花は無理矢理手を引いた。

 少し強引だったかもしれないが、これ以上陽奈梨が冴島と同じ空間にいることが耐えられなかったのだ。



 会社から出てしばらくの間、雪花は怖気が止まらなかった。

 それは陽奈梨も同じなようで、繋いだ手がずっとかすかに震えていた。


「雪花くん、ごめんね、私……途中で言葉が出なくなっちゃって……」

「いいよ。あんなのこわくて当たり前だし」


 陽奈梨の表情はかげっていて、いつもの太陽みたいな笑顔は見られない。

 その表情に怯え以外の色が含まれている気がして、雪花は念を押すように言った。


「一応言っておくけど、あんなクソみたいな条件、絶対に飲んじゃダメだからな」

「…………うん」

「俺のため、とか考えて突っ走るのもなし、分かった?」


 雪花の言葉に、陽奈梨が驚いたような顔をする。

 どうして分かるの? と呟く陽奈梨に、何年一緒にいると思ってんの、と返して頰をつねる。


 痛い! と陽奈梨は言うけれど、少しくらい反省して欲しい。

 陽奈梨が笑って生きていけないならば、二重島から連れ出した意味がないのだ。


 雪花のために陽奈梨が犠牲になるなんて、そんなのは絶対に嫌だ。

 陽奈梨が好きな人と結婚するというのなら、涙を飲んで祝福する。

 でも、冴島のような汚い考えの男と、好きでもないのに結婚するなんてダメだ。

 もし陽奈梨がいいと言っても、雪花はよくない。


「私だって、あんな人と結婚したいなんて思わないけど……。でも私のせいで、雪花くんにも不自由な思いをさせちゃうの、嫌なの……」

「ん、陽奈梨の気持ちは分かった」


 その上で、雪花は言葉を続ける。


「でも絶対ダメ。何が何でもダメ」


 陽奈梨と雪花の二人。

 戸籍も何もないけれど、それでも不自由にならずに生きていく方法を考えるべきだ。

 雪花の言葉に、陽奈梨は泣きそうな顔で頷いた。



 しばらく街の中を歩いていると、やけに人の視線を感じることに気づいた。

 雪花はそっと辺りを見回して、知っている顔がいないことを確認する。


 二重島からの追っ手がやってきたのかもしれない。

 そう思ったからだ。


 街の中にはたくさんの人がいるけれど、知っている顔は見当たらない。

 どうやら追っ手が来たわけではないらしい。

 そうなると、この視線は何だろう、と雪花が疑問に思っていると、不意に知らぬ男に声をかけられた。


 男は小さな四角い紙を差し出して、陽奈梨に渡す。

 その紙には会社名と肩書き、男の名前が書かれていた。


「私、こういう者なんですが、モデルとかアイドルに興味はないですか」


 ぐい、と勢いよく距離を詰めて訊ねてくる男に、陽奈梨が首を傾げる。

 モデルやアイドルというのは、大別すれば芸能人に含まれる職業のはずだ。

 昔読んだ本の中で知った単語だったので、あまり自信はなかったが、陽奈梨にそっと意味を教える。

 なるほどね、と陽奈梨が笑いながら、「ごめんなさい、興味ないです」と断りの言葉を告げる。


 しかし男は食い下がった。

 君ほどの逸材はなかなかいないよ、と熱い口調で語り、陽奈梨が困ったように眉を下げる。


「あの……私田舎者ですし、そういう華やかなお仕事はたぶんできないと思います……」

「東京出身じゃなくても大丈夫。むしろそういう地方出身者ならではの強みとかもあるから」


 雪花には正直そんなもの思いつかなかったが、男はどうしても陽奈梨に頷かせたいようだった。

 陽奈梨がすっかり困ったような顔で雪花の方を見るので、雪花は横から口を挟んだ。


「どちらにしろ保護者に相談してからじゃないと返事できないので」

「それはそうだね。ぜひ前向きに検討してほしい。君ならこの世界で、トップを狙えるよ」


 雪花は陽奈梨を連れてその場を離れた。


 その後も似たようなことが何度かあった。

 人で溢れているこの本島でも、どうやら陽奈梨は人目を引くらしい。


 陽奈梨の手元には数枚の名刺が残った。

 地下アイドル、コンカフェ嬢、メイド喫茶、モデルにアイドルに女優。

 知らない言葉も多かったが、陽奈梨に話しかけてくる人たちはみんな共通した確信を持っているようだった。


 この子は間違いなく商品価値がある。

 絶対に売れる。

 そういう確信だ。


 雪花は芸能人というのがどんな仕事をしているのか詳しく知らないし、どのくらいの割合の人が売れているのかも分からない。

 それでも、本島に住む人たちから見ても、やはり陽奈梨はとびきりかわいいのだと分かって、少しだけ誇らしい気持ちになるのだった。


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