5話 魅力が無ければ求婚されることもない
――貴女を私の妻として迎えるべくラブコールを行うのはいつ頃が良いか――
ユークリッドは確かにそう言った。
考え事の拍子に言ってしまったとはいえ、セシールのことを考えていたということに変わりはない。
妻として迎えるべくラブコールを行う……つまりは、事実上の"求婚"だ。
「いや……いやいやいやいや、ちょっ、ちょっと、落ち着こう、わたし」
特上の柔らかさを持ったシーツの上に、仰向けに寝転がる。
セシール自身、ユークリッドは今日出会ってから今まで話し込んで、好きか嫌いかの二択に絞れば、"好き"な部類に値する。ちなみにあの阿呆は問答無用で"嫌い"判定である。
求婚を申し込む心の準備をしていた、ということは、遠からずユークリッドからのラブコールが届くだろう。
皇国の第一皇子からのラブコールなど、女の子なら一度は夢見るシチュエーション。
それが現実に起こり得たならば、普通なら飛び上がるほど嬉しいだろう。
しかしセシールがそんな夢を見るにしても、彼女はあまりにも現実を見過ぎていた。
「(ユークリッド様はわたしを何と言っていた?民心を集める力を持っている、と……つまり、わたし自身ではなく、民心を得るための"力"そのものが欲しいと、そういうことか)」
つまるところ、ユークリッドにとってセシールには利用価値がある。
だからセシールに求婚し、皇国側に引き込むことで、エルピス村だけでなく、皇域内の民全ての民心を集めさせる。
皇国にとって利用価値があるから求婚されたのだと、セシールはそう捉えた。
だが逆に言えば、利用価値があると認められたということにもなる。
であれば、互いを互いに利用しあい、互いの本懐を為す。
やはりこれは交渉だ。
しかし、
――貴女を私の妻として迎えるべくラブコールを行うのはいつ頃が良いか――
その言葉を聞いた瞬間の、心臓を掴まれて揺さぶられたような"快感"を無視出来ず、眠りにつくまでに数時間も要してしまった。
慣れない寝床で、なおかつ三時間ほどしか眠れなかったセシールだが、体内時計だけは正常に稼働しており、朝日が見え始める頃合いにきっかりと起きてしまった。
覚醒めて、少しだけぼーっとして、ようやく回り始めた頭脳で昨夜のことを思い出して、セシールは決意する。
「(よし、ユークリッド様にハッキリ問い質そう。わたしを妻に迎えたいと言うのは、民心を集めさせるための手段なのかを)」
昨夜の、ユークリッドの発言の意味。
セシールの懸念通り、民心を集めさせるために求婚すると言うのなら。
こちらにも考えがあり、互いに仮面夫婦を演じることを確約しよう。
「(元とは言え、わたしも爵位を戴いた女。そう容易く、喰われはしない!)」
今日の午前中に皇国を発ち、お昼時にエルピス村へ帰る。
さぁ、今日も交渉だ。
セシールは寝間着を勢いよく脱ぎ捨てて、余所行き用の礼服を纏う。
そしてユークリッドと共に朝食の席に着き、食後すぐに問い質した。
「わたしを妻に迎えたいと言うのは、民心を集めさせるための手段なのですか」と。
しかしそれを聞いたユークリッドは目を丸くする。
「む?それは、どういうことか?」
「で、ですから。ユークリッド様が仰ったように、わたしに民心を集めさせる力があるというのなら、それを利用するため、わたしを懐に抱き込むために、求婚をするつもりなのかと」
沈黙が食卓を支配すること十数秒。
ややあって、ユークリッドはものすごく気まずそうな顔をする。
「いや、待ってくれ。私はセシール村長と共に歩みたいと、貴女と一緒ならば国をより良く出来ると、そう確信してラブコールの準備をしようとしていたのだが……よもや、民心を集めさせるための道具にするつもりと思われていたのか……?」
そんなバカな、とユークリッドは肩を落とした。
「え」
予想外の反応に、セシールは困惑する。
違うだろう、そこは「目的は同じ。ならば、せいぜいお互い利用し合おうじゃないか」と宣い、ニチャァと妖しい笑みを浮かべるところではないのか。
「今生を共にする伴侶を、政のために利用する。時代が違えばそういう思想を持ったかもしれぬが……最低でも、今の私にそんな思想は必要ない。無論、打算が全くないわけではないが……」
そして。
「私は純粋……いや、単純に男女の関係として貴女と添い遂げたいと思ったのだ」
またしてもセシールの首から上を炸裂させるようなことを言うのだった。
「………………ほわあぁっ!?」
朝からセシールの心臓は早鐘を打つ。
「あ、いや、決してセシール村長の肉体が目当てというわけでは無くてだな、もっとこう……」
「に、にく、にくたい!?!?!?ユユっ、ユークリッド様!朝からなんてふしだらなことををを!?」
「いや、だから、その、だな……こ、こういう時はどう言えば良いのだ?」
「えっ、えっえっ、えぇとえとえとえとっ……ユークリッド様っ!ま、まだ婚約は早いのではないでしょうか!?」
だってほら、とセシールは慌てながらも言い訳するようにまくしたてる。
「わた、わたしはエルピス村の村長ですから、村を放っておくわけにはいきません!も、もちろん、貴方様との婚約は嬉しく思っていますよ!?ですけど、けどですね、それはまだ時期尚早と言いますか、なんというかですね……!?」
慌てているセシールとは対照的に、ユークリッドは徐々に落ち着きを取り戻しつつある。
「ふむ、確かに……今日すぐに是非を問う必要はないか。それに、セシール村長には村長としての役目もある。だが、私との婚約を嬉しく思ってくれている、と言うのは、私も嬉しい」
「はっ、はひっ……」
「では、後日に私の方から求婚状を送らせていただこう。返信は急がずとも良い。貴女個人の考えのみならず、村の方々ともよく意見を交わし、その上で返信をお願いしたい」
「そ、そうですね、後日……後日、ですね。分かりました」
ようやくセシールも落ち着いてきたところで、今回の婚約話は一時後回しにして、後日にユークリッドから求婚状を送るという形に落ち着いた。
朝食を終えた後、送迎の馬車に揺られて、セシールはエルピス村へと帰還していく。
交渉としては成功したが、交渉はまだ終わっていない。
数日後に送られるであろう求婚状のこともあるが、しかしユークリッドの歯の浮くような言葉の数々に、セシールは胸の高鳴りを抑えられない。
「(相談しよう、そうしよう)」
ユークリッドとの婚約は果たして正しい選択なのか。
――実のところ、ユークリッドは打算らしい打算など些細なものであり、セシールが陰謀や損得勘定を気にし過ぎているだけなのだが、それに気付くのはもっと後になってからである。
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