3話 交渉と書いて、「せんそう」と読む
開村祝のパーティを終えて、数日。
村長たるセシールの仕事は多い。
何せ十万人以上もの村人達の上に立つのだ、その彼らのためにこれから為すべきは何かを考えては実行に移し、人手の足りないところには自ら出向いて状況を確かめ、場合によっては自分がその足りない手になることも多々ある。
村人の中から何名かはセシールの補佐、補助に回ってくれているがそれでもいっぱいいっぱいだ。
多忙にして多忙な毎日ではあるが、セシールはそれを苦とは思っていない。
後宮で"貴族ごっこ"をやっているよりもよほど気楽で、自分の行動を認め、喜んでくれる人々がいるのだ、やり甲斐があり過ぎて逆に困るくらい。
そんな多忙な中、エルピス村にとって――あるいはセシールにとって、大きな転換期が訪れた。
「アルファルド皇国からの使者、ですか?」
執務室で業務に取り掛かっていたセシールは、補佐の村人に訪ね返す。
アルファルド皇国のことは、セシールも知っていた。
しかし、こんな少し規模が大きいだけの農村に何の用があってのことか。
「はい。何でも、ユークリッド第一皇子からの信書を、セシール様に届けに来たとか」
「信書?いえ、分かりました。使いの方を連れてきてください」
「分かりました、すぐにお連れします」
少しの間を置いてから、すぐにアルファルド皇国の使者が執務室に入室してきた。
「お初お目にかかります、セシール村長。お忙しい中にありがとうございます。こちらが、アルファルド皇国第一皇子、ユークリッド様からの信書になります」
淀みのない足取りでセシールの前で跪き、信書を差し出す。
「ありがとうございます」
セシールはそれを受け取り、内容を確かめる。
「…………ふむ」
その内容は要約すると、『セシール村長と是非ともお会いして話がしたい』というものだ。
文面だけを見る限りなら、搾取などの理不尽な要求をするようなものは見られないが、後宮で揚げ足の取り合いや難癖の付け合いを見てきたセシールにとっては、警戒するに越したことはない。
しかし同時にこれは好機でもあった。
今のエルピス村はどこの国にも属さない不安定なものであり、国の庇護を受けられないのだ。
国からの庇護を乞うことは即ち、その保険の見返りとして納税を義務付けられることになる。
その保険と納税の内容の如何によっては皇国と交渉し、村の保安を請け負ってもらえる、とセシールは見ていた。
すぐさま今後の近日中の予定表を一瞥し、一日か二日ほど村を空けても問題ない日にちを確認する。
「そうですね……では三日後にそちらへ出向致しますとユークリッド様にお伝えくだ……」
「いいえ、こちらから馬車をご用意致します。もちろん、帰りも。セシール村長は丁重にもてなせと、ユークリッド様から言い含められております故」
送迎の馬車を用意するという使者に、セシールは「何故一介の村長でしかない私を丁重にもてなす必要がある?」と声に出さずに呟く。
「分かりました。三日後の早朝に迎えが来る、ということでよろしいでしょうか?」
「正しくその通りでございます。こちらからもユークリッド様に、そのようにお伝え致しましょう。本日はお忙しいところ、ありがとうございました。では、失礼致します」
使者は一礼して退室し、すぐに馬を飛ばして皇国への帰路を辿っていく。
本当にただ信書を渡し、その返事の言伝を承っただけのようだ。
使者を見送ったあと、セシールはすぐに予定を組み立て直し始めた。
三日後。
日が昇るよりも前に、アルファルド皇国の国章旗を掲げた豪奢な馬車が、多数の護衛兵と共にエルピス村に到着した。
セシールもまた、旅支度を担いで村の出入り口に待っでいた。
「(落ち着くのよセシール……村長として民を守るために、わたしは皇国との交渉を成功させなければならない。村の進退は、わたしに掛かっている……!)」
心構えは万全だ、あとは皇国に赴くのみ。
そして、馬車の中から人が降りてくる。
現れたのは使者では無かった。
「初めまして、セシール村長。私はアルファルド皇国第一皇子、ユークリッドと申す。お会い出来て光栄だ」
セシールの思考は一瞬停止し――まさか第一皇子自らが出向いてくるなど全く考えていなかったが、半ば反射的に片膝を跪く。
「しっ、失礼しましたユークリッド様!よもや、皇子自らが出向いてくるとは思わず……!」
「む、やはり迷惑であったか。すまなかった」
「い、いえ!ユークリッド様は何も……あっ、こほん……」
慌てに慌てていたセシールは一度咳払いをしてから顔を上げて、もう一度跪き直す。
「エルピス村村長、セシールと申します。本日はお忙しいところに出向いていただき、ありがとうございます」
「良い。セシール村長、顔を上げてくれ。私は貴女と話がしたくてここへ来たのだ」
ユークリッドは、セシールに顔を上げるように諭すと、馬車を指す。
「さぁ、こちらへ。貴女にとって有意義な時間を過ごしていただければ幸いだ」
「は、はい……」
この人は本当に皇国の第一皇子なのか。
それも一介の村長に対する接し方が、セシールの想像とまるで違う。
皇子といえば、あの阿保のように、身分の低い者を見下すような横柄な男だとばかり思っていたセシールは、申し訳なく思いつつ、ユークリッドのリードに従って馬車に乗り込む。
緩やかに、しかし徒歩よりも遥かに速い馬の蹄の音と、カラカラと車輪が回る音の中、セシールは紅茶をいただいていた。
向かいに座るのは、同じく紅茶を啜るユークリッド。
「我が皇国でも特選かつ厳選された茶葉を使った紅茶だ。貴女の口に合うと嬉しい」
セシールは内心で、ユークリッドを警戒しまくっていた。
ただの村長に、特選かつ厳選された茶葉を惜しみなく使った紅茶を提供するなど、後宮にいた頃のセシールの思考で言えば「有り得ない」。
高級な嗜好品を民草ごときに惜しまず振る舞うなど、よほどの国財に余裕があるのか、あるいは、と勘繰れば。
「(これは……罠ね)」
先んじて警戒を解かせ、ユークリッドに気を許させたところで、詐欺紛いな交渉を強いらせるつもりかと。
とはいえ紅茶が美味しいことに変わりはないので、忌憚のない感想を述べる。
「紅茶の茶葉にはあまり詳しくないので、具体的には言えないのですが……とても美味しいです、ユークリッド様」
「そうか、それは良かった。貴女が私を警戒するのも無理からぬことかと思い、紅茶を提供させていただいたが、気に入っていただけたなら何よりだ」
安心したように顔を綻ばせるユークリッド。
それを見てセシールは戸惑うが、決してそれは表には出さない。
そう、"交渉"は既に始まっているのだ。
わたしを見くびるな、搾取しようなど無駄だ、とセシールは心の中でユークリッドを威圧し続ける。
しかし、当のユークリッドはセシールの臨戦態勢など察していないのか、真面目な顔つきになる。
「セシール村長。貴女のことは、私が聞き及ぶ範囲でしか知らない。だから聞かせてほしい、ボードウィン王国の子爵令嬢で、バルジャン王子の婚約者であった貴女が、何故国を追われたのかを」
末席とは言え、セシールは元貴族だ。
隣国の噂や情報は、断片的ながら流れているのだろう。
セシールは僅かな時間で思考し、ありのままを話すことにした。
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