2話 エルピス村、開村
セシールが追放され、流浪の旅を始めてから。
大人数での移動で、中には足腰の弱い者もいるため、一日に進める距離は決して長くはない。
それでも人々は支え合って共に歩み続ける。
セシールがきっと、皆を幸せにしてくれる。
そう信じているからこそ、何度歩みが止まろうとも、再び歩くことが出来る。
流浪の旅を始めて、一ヶ月あまりが過ぎた頃。
森や川が近い、だだっ広い空地。
ここだ、とセシールは確信した。
「ここに、わたし達の村を作りましょう」
流浪の旅は終わり、今度はここに住むための土地作りだ。
何も無い場所から村を作るなど、簡単ではない。
それでも、セシールがこの地を選んだからには、この地を豊かにしてみせる、と人々は息を巻く。
元々彼らは農夫がほとんどであった。
故にまずは、水路の確保――井戸を引くことから始めた。
これも一朝一夕に出来上がるものではない、それと並行しつつ畑も作り、さらに屋根のある場所も確保しなければならないため、家造りも並行する。
普通ならばこれだけに何ヶ月も掛かるだろう。
しかし十万人を超える人海戦術、それを扱いこなしてみせるセシールの采配もあり、村作りを始めて僅か半月少しで、集落らしい集落が形になってきた。
とはいっても、仕切りらしい仕切りもない、掘っ立て小屋を不等間隔に並べただけの、申し訳程度にもならないもの。
けれど今はこれで良い、これは仮の寝床。
いずれはちゃんとした家を作るのだ、そのための前準備。
野盗や野生動物、魔物、天候による被害を受け、中には命を落とした者も出ながらも、セシールと人々は諦めずに立ち上がる。
そして、半年あまりが過ぎた頃。
夏の酷暑を耐え凌ぎ、実りの秋が訪れると同時に、セシール達の村作りは一時の終了を迎えた。
十七歳を迎えたセシールは正装を身に纏い、ワイングラスを片手に、ここまで自分に付き従ってきた、十万人以上もの村人達の前に、壇上の上で立つ。
「わたし達がボードウィン王国を去って、半年が過ぎました。わたしは皆さんと共に流浪の辛苦を分かち合い、飢えや渇き、酷暑をも耐え忍んで今日、この日を迎えることが出来ました」
村人達もグラスを、そうでないものは普通のカップを片手に、セシールの演説に聞き入る。
「もちろん、明日からも田畑を耕し、獲物を狩り、物を作らなければならない日が始まります」
ですが、とセシールは満面の笑顔を浮かべる。
「今日だけは、全てを忘れて飲み、お腹いっぱい食べましょう!」
一呼吸と一拍を置いてから、ワイングラスを掲げる。
「今日ここに、わたし達の村、『エルピス村』の開村をここに宣言いたします!!」
「「「「「セシール様、万歳!セシール村長、万歳!」」」」」
「今日からはここがおら達の村だぁ!」
「これまでの苦労もようやく報われたわ!」
村人達は思い思いのままに飲み、振る舞われる豪勢な料理に舌鼓を打つ。
その暖かで活気に満ち溢れる光景に、セシールは頬を綻ばせる。
「(あぁそうだ……これが、わたしの見たかった光景だった)」
民の安寧と笑顔。
魑魅魍魎が跋扈する後宮では、望むべくも無かった光景。
けれど、この光景を見て終わりではない。
これからは、この光景を守っていかなければならない。
幸せとは、手に入れるよりも、維持することの方が遥かに難しいことなのだから。
きっとこれから先も苦しみ、涙することは避けられないかもしれない。
それでも、そんな辛くて悲しい時を少しでも短く、少しでも減らすためにも……
「(……うぅん、今はそんなこと考えなくていい)」
今はただ、彼らと一緒になって思うまま飲み食らおう。
セシールは壇上を降りて、村人達の中へ混ざりにいった。
アルファルド皇国
ボードウィン王国とは隣国に当たるが、関係と言える関係は当たり障りない細々とした国交のみで、盟を結ぶような間柄でもない。
栗色の髪を持つ皇国の第一皇子『ユークリッド』は、臣下からの報告を受けて、その赤銅の瞳を丸くする。
「地勢図に無い大きな村?」
「はい。我が国とボードウィン王国との国境付近……どちらかと言えば、我が国寄りの位置にある空地に、わずか数ヶ月あまりで作り上げられたと、密偵からの報告にありました」
「ふむ……他にどんな特徴がある?」
少なからず興味を抱いたユークリッドは、臣下に質問を続ける。
「人口はおよそ十万人。村長は、セシールという黒髪の少女だそうです」
「セシール?……ボードウィン王国の子爵貴族で、仁愛の人とよく聞く、あのセシールか?」
ユークリッド自身も、セシール子爵のことは知っていた。
始皇帝の血を引き、貴族でありながらも民心に寄り添おうと粉骨砕身するその姿勢は、ボードウィン王国の中でも特段浮いた存在だったが、ユークリッドはそんなセシールを好ましく思っていた。
「同姓同名かと疑いましたが、間違いなく御本人であるとのことです」
「セシール子爵と言えば、確か第一王子のバルジャン王子と婚約関係にあったはずと記憶しているが?」
ユークリッドの問い掛けに、臣下はどこか気まずそうに声を濁らせながら答える。
「それが……どうやら、セシール子爵はバルジャン王子に婚約破棄を言い渡され、家督であるお父上からは爵位を取り上げられ、国を追われたらしいのです」
「……それはどういうことだ?」
ユークリッドは耳を疑った。
他者を慮り、弱者に手を差し伸べることを躊躇わぬ仁愛のセシールが、何故急に婚約破棄と追放を同時に言い渡されたのか。
「仔細は図りかねますが、バルジャン王子は今、ドート公爵と婚約関係にあるとのことで」
「ドート……確かに公爵で、爵位としてはセシールより上だが、それほど魅力のある者だったか?」
ただ麗しい美貌の持ち主であるだけではない、貴族としての能力なども全て含めた上で、魅力があるかどうかを推し量っている。
ただ少なくとも、ユークリッドから見れば、ドートよりもセシールの方が人の上に立つ力に優れていると見ている。
「は、そこまでは……いずれにせよ、セシール様は爵位の剥奪、追放によって王国を去り、民と共にエルピスという村を作り上げたのでしょう」
「ふむ……」
ユークリッドは顎先に指を置いて思考を回す。
ややあって。
「信書を用意してくれ。それと、使者にエルピス村へ向かわせるよう伝えよ」
「かしこまりました」
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