1話 旅立ちは十万人の民と共に
今回は短く連載します。
「俺はドートに真実の愛を見つけた……セシール、お前との婚約は破棄だ!」
「セシール様、ごめんなさい。貴女様がバルジャン様のことをお慕いしていることは存知ていました。ですが私は、自分の気持ちを抑えられなくて……!」
これは一体何の三文芝居だろうか。
今年で十七になる、黒髪蒼眼の"子爵"令嬢――『セシール』は、目の前にいる白々しいを通り越していっそ大根臭い二人を侮蔑の目で見ていた。
ボードウィン王国第一王子『バルジャン』と、
"公爵"令嬢『ドート』。
真実の愛を見つけたなどと意味不明なことを抜かしているこの金髪碧眼の男だが、子爵と公爵とでは貴族としての階級は雲泥の差だ、どちらを婚約者に迎えた方が周囲からの覚えが良いかなど、考えるまでもないことであり、差別意識の強い者に言わせれば、比較するのも烏滸がましいほどだとも。
ドートと言うらしいこの銀髪の女も、いかにも自分はバルジャンに心から惚れていますと主張しているが、その濁り腐ったグレイの瞳を見れば言葉にせずとも知れたこと、権力欲の塊だ。
「そうですか。ではお二方、どうぞお幸せに」
一礼してから、セシールはさっさと踵を返して去っていった。
セシールにとって、バルジャンとの婚約など親同士が決めた見え透いた政略婚だった。
いくらセシールの家系が、始皇帝の血族の末裔で、少なからずボードウィン王国に血縁関係があったが故に爵位を与えられたとは言え、末席であることに変わりはなかった。
そこに、バルジャンが言うところの「シンジツノアイ」なるナントカがあるのならそれも悪くないかもしれないと思っていたが、残念ながらセシールは彼にそんな淡い想いなど抱きようがなかった。
バルジャンは有り体にいえば、"痴れ者"だった。
第一王子という座に胡座をかき、家内の者には我儘放題、セシールという婚約者がいながらフラフラと他の令嬢を口説いて回っていたのだ。
それだけならただのボンクラ王子、例え阿保でも可愛げがあるとでも言えばまだ納得は出来たかもしれない。
セシールにとって我慢ならなかったのは、バルジャンは民を見下し蔑ろにしていたことだ。
「民もそこに生きる一人の人間であり、その存在は尊ぶべきものだ」と言う考えを持つセシールとは、全く相容れないものだった。
なればこそ、この婚約破棄は必然であり、当然であったとも言えよう。
ボンクラはボンクラらしく、富や権勢への欲望に忠実な売女に骨抜きにされていればよい。
第一王子との婚約破棄、それはいいとして。
問題なのは……
「このっ、親不孝者が!」
家督たる父――『ガリオン』の容赦のない平手打ちに、セシールの頬に鈍い痛みが走る。
「せっかく第一王子との婚約に漕ぎ着けたと言うのに、何故みすみすそれを手放したのだ!」
ガリオンは出世欲が強く、バルジャン王子の婚約者に相応しいのは我が娘でありますと誇大主張し、己が立身出世のためにセシールを傀儡とすることに何の躊躇いも無かった。
セシールの母は、彼女を産んですぐに病死したため、ガリオンの横暴を止める者は誰もいなかったのだ。
「もうよい!お前などもはや私の娘ではない!この国から出て行け!」
そして、セシールが"使えなく"なればこれだ。
恐らくセシールが去ったあとは、適当に愛人でも見繕って跡取り息子でも作るだろうし、その跡取りも己の立身出世のための手段としか見ないだろう。
こんな男が父親など、娘としては恥ずべきことだった。
「分かりました。さようなら、お父様」
先程と同じように一礼して、さっさと踵を返して去っていった。
婚約破棄と国外追放の決定。
僅か25分の出来事だった。
翌明朝。
旅支度を整えたセシールは、朝日が見えるよりも先に王都の内門を前にしていた。
結局、始皇帝の血も、爵位も、諸侯を相手に虚仮威しの応酬と足の引っ張り合いをするための飾りに過ぎず、セシールには何の意味も無かった。
けれど、そんなくだらぬしがらみや執着心など、もう持つ必要はない。
「わたしは自由になった、のは良いけど……これからどうしよう」
行く宛の無い流浪の旅。
それも、一人ぼっちで。
だとしても、あのまま後宮で父の傀儡のまま、望まぬ相手と結ばれて、飾り以下の、『子どもを産むためのナニか』に成り下るよりは遥かにマシか。
せめて毅然として前を向いて国を去ろう。
無理矢理にでもそう気持ちを決めて、セシールは顔を上げて荷物を担ぎ直して、内門を潜る。
無言で頭を下げる門番兵に軽く会釈して、外門を出れば――
そこには、何故か多くの――と呼ぶにはあまりにも大人数の――人々が外門の前にいた。
さらには、
「セシール様だ!セシール様が出てきたぞー!」
「セシール様ー!」
何故かセシールの名を呼んで迎えてくれる。
「えっ、何……?」
これはどういうことかと、セシールが戸惑っていると、代表者らしき男が前に出て、深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました、セシール様」
「ちょ、ちょっと待ってください?これは一体……」
「えぇ、存じ上げておりますぞ。貴女様は昨日、この国からの追放を言い渡されたと」
「ど、どうしてそれを……」
昨日に父からそう言い渡されてから、セシールはそれを誰にも話していない。
「後宮の内通者からお聞きしたのです。バルジャン王子から一方的に婚約を破棄されたとも」
「確かにそうですけど……それで、あなた達は?」
そもそもこの集まりは何なのかとセシールが問えば、代表者の後ろから高齢の男性が声を上げた。
「セシール様!わしらも連れて行ってくだせぇ!」
「セシール様がいる場所が、おら達の居場所だぁ!」
そうして人々は次々にセシールを称える言葉を上げる。
「私達は皆、セシール様の優しさと心粋に惹かれた者らです。皆、セシール様と共にありたいと願い、こうして集まったのです」
代表者はセシールの前に片膝をついて跪く。
それに倣い、人々も跪く。
「我ら一同、119255人。どうか、旅の道連れにしてくれませんか?」
「こんなに多くの人達が、わたしを……」
確かにセシールは、よく民に声をかけ、彼らの声をよく聞き、そして可能な限りその望みを叶えようとした。
その叶えられた望みは決して多くは無かったが、それでも民らは喜んでくれた。
「セシール様が私達のために何かしようとしてくれた。それだけでも嬉しかったのです」と。
それを幾度となく繰り返している内に、いつの間にかセシールは民から絶大な人気を得ていた。
その人気が、この集まりを生んだのだ。
セシールがこの国から追放されるなら、自分達も共に追放されようと。
「これまでに、貴女様が私達民草を思いやり、その思いやりを行動に移してきてくれたことが、どれほど救いになったことか」
そう言われて、セシールは心を決める。
自分の行いがこの光景を生み出したのなら、せめて彼らの望み通り、共に行くことこそが我が役目だと。
「分かりました」
そして、襟を正して人々に向き直り、声を張る。
「皆さん!わたし、セシールは!爵位を失い、今や何の力もない小娘です!きっと、わたし一人で出来ることなど高が知れています!この追放も、行くあてのない流浪の旅になります!それでも、それでもわたしと共にありたいと願うのなら!どうか、わたしを支えてください!わたしも、わたしに出来ることで皆さんを支えると誓います!!」
ぶん、と頭を下げるセシール。
顔を上げてみれば、
「セシール様、万歳!」
一人がそう唱えれば。
「「「「「セシール様、万歳!」」」」」
十万人以上の人々が、万歳を唱える。
セシールは心から実感する。
自分は決して一人では無かったと。
これほどの民が、自分と支え合いたいと願っていることを。
「さぁ参りましょう、セシール様。貴女様が望むなら、この世の果てまでお供致します」
「……行くあては、ありません。それでも、行くと決めたのなら、私達みんなで生きていきましょう」
覚悟は決まった。
セシールは人々の先頭に立ち、歩み始めた。
彼女の後ろを、ぞろぞろと十万人以上の人々が続く。
それはまるで、国一つが大移動をしているかのようだった。
評価・いいね!を押し忘れの方は下部へどうぞ↓