日下
ソフィアはその少年を初めて見た時、まるで人形のようだと思った。
大きな瞳に艶やかな唇。
体は未発達ながら完成された妙な魅力を感じさせる。
万人が美少年、下手したら美少女と絶賛する容姿だった。
その小さな体では虫すら殺せないのではと思っていたが……それはとんでもない勘違いだ。
一撃で差を見せつけて諦めてもらうつもりだった。
仮にも剣聖と呼ばれる者の剣だ。子供に避けられるものではない。
だからこそ反撃が来るなんて予想外だった。
腹へ伸びた杖を見る。
剣を振り下ろす一瞬の意識の隙間にこの杖はねじ込まれた。
ソフィアでなければ認識することすらできなかっただろう。
そんな高度な技をこんな少年が持っているなど、誰が考えられようか。
(この子、一体何者なのかしら)
「月守という称号があります」
反射的にハルキの顔へ意識を向けた。
杖が視界外で走る。またしてもあの攻撃。
すんでのところで飛んで躱し急いで間合いを取る。
「それは月闘流という武術の継承者に与えられるものなんです。俺は月守なんですよ」
「……まるで心を読んだみたいな言葉ね」
「推測と誘導です」
ハルキは見惚れるほど可愛らしく笑ってみせた。
その間にもじりじりと間合いを詰めてくる。
なるほどとソフィアは思った。
ハルキの体はまだ未熟だ。動きは遅く力もない。
それを補うために高い技量を要求されたのだろう。
この腕前なら魔術で体を強化したとて並の者は相手にもなるまい。
(しかも、まだ底を見せてない)
ソフィアの口角が上がる。
もはや旅を止めるという目的は頭にない。
杖の間合いに入るとハルキが仕掛けてきた。
上と思えば下から、右と読んで左から、しまいには突きから薙ぎへ変わるなど、変幻自在な攻めをみせる。
こちらが返そうものなら後ろに下り、剣の届かない場所から一方的に打突を打ち込む。
相手に対し常に優位に立ち回る。
これが杖という武器の戦い方らしい。
未知の剣士相手にはもってこいというわけだ。
そのうえこちらの動きも読まれるのだからたまったものではない。
ならば、これにはどう対応するのか。
ソフィアは大きく後ろに下がると、腰のポーチに手を伸ばす。
そこから取り出したのは指輪だった。
それを指に嵌めると口を開く。
「風よ、集いて駆けよ」
その言葉と同時にハルキは大きく身を屈めた。
何が起こるのかわからないが、どのような攻撃でも的が小さければ当てるのは難しい。そう考えての行動だった。
結果それが彼を救うことになる。
身を屈めた次の瞬間、彼の背後で地面が小さく抉れ、不自然な風が肌を撫でる。
ハルキは視線を鋭くし問いかけた。
「……これが魔術ですか」
「初級魔術のウインドよ。威力だけは加減してるから安心して」
「当たらなければ同じことです」
「いうじゃない」
ソフィアは二つの呪文を唱え、土と水の魔弾がハルキを囲むように展開された。
その数、ざっと百ほど。
不器用なソフィアでは同時にいくつも動かせないがそこは経験でカバーする。
駆けよ、の号令により四方八方から魔弾が放たれた。
魔弾の雨あられ。
しかしハルキは軽やかに避ける。
動きを読み、陽動をかけ、死角を利用しても当たる気配はない。
ソフィアは格上と盤上遊戯をしている気分になった。心理戦はあちらが上手らしい。
とはいえ反撃はない。常にソフィアを正面に捉えているものの、反撃の隙を見出せないようだ。
ハルキの体力が尽きるのが先か、ソフィアが隙を見せるのが先か。
その結果は……
「……はぁ……はぁ……」
十分ほどすると、徐々にハルキの息が上がり始める。
軍配はソフィアに上がっていた。
魔弾は撃たれた端から補充され尽きる気配はない。
ハルキは年齢の割に体力はあるようだが、それでも人の範囲内だ。
回避こそできているが動きは精彩に欠ける。
(未熟な体が足を引っ張っている。技術だけなら最上級だけど)
観察結果から総合的に中の上といった評価を下す。
魔術を知らず体を強化することもなくこの実力。
もし魔術を扱えるようになればどれほど伸びるのか。
きっと物覚えもいいだろう。今までになかった戦い方を生み出してくれるはずだ。
その時は真剣に試合したいものだ。
想像し、ぞくりと身震いする。
観察していたのはソフィアだけではない。ハルキもまた魔術を観察していた。
そこで得た情報は魔術行使をする際はかなりの集中力を要するということ。
ソフィアは放つ魔弾とハルキの動きに意識を向けており、魔術と剣を同時に使おうとする様子はない。
もしかしたら、集中力を乱せば魔術は無力化できるかもしれない。
もちろんソフィアも警戒しているだろうが、警戒しているからこそやる価値がある。
それに反撃の手段がないわけではない。
土の魔弾がソフィアの視界を塞ぐ刹那、ハルキは動いた。
魔弾がズレた次の瞬間、ソフィアの目が捉えたのはあまりにも意外なものだった。
杖だ。
ハルキ唯一の攻撃手段である杖が、ソフィア目掛けて投擲されていた。
魔弾に比べればあまりにも遅い。
だからこそ、ギリギリまで魔弾の影に潜ませ反応を遅らせる狙いがあった。
思わず杖を凝視する。
この世界において、武器を手放すことは負けを認めることと同義だ。
魔物の皮膚や筋肉は硬く、人間もまた魔術や鎧で身を守る。
何と戦うにしても武器がなければ攻撃が通じないのが常識なのだ。
故に武器を投げつけるなど想像もしておらず、ハルキの策もあり反応が遅れる。
手が届くほど近づく杖。
ハルキは作戦が成功したことを悟った。
あと少しで触れる。
そんな所まで来た杖は、
「——まだまだ甘いッ!」
無慈悲にも視認すら許さぬ一閃で切り落とされた。
武器がなければ攻撃できない。もはや勝敗は明らかだった。
剣先を向け宣言する。
「私のか——」
続く言葉は強烈な気迫によりかき消された。
体は半身、左手を正面に向けつつ右前腕は骨盤に沿わせるように。
そんな構えを見せるハルキの目は今まで以上に鋭いものだった。
不思議と武器を捨てた後の方が恐ろしく感じる。
ソフィアはまだ勝負はついていないと理解した。
二人の距離は五歩程度。
1秒が数分にも感じられるような緊張感の中、二人は互いにどう仕掛けるか探り合う。
その時。
二人の間に不自然な影があることに気づいた。
その形を認識した次の瞬間、ソフィアは目を見開き空を見上げる。
そこにあったのは木製のナイフ。
ハルキが背中に隠し持ち、杖と同時に投げたものだった。
(背中を見せなかったのはそういう――!)
ナイフは触れる寸前まで来ていた。
(魔術で迎撃し——―ッ⁉︎)
杖へ驚きナイフに慌てて。
そんな精神状態で魔術行使ができるほどソフィアは器用ではない。
展開していた魔弾は既に消えていた。
背筋に冷たいものが走る。
それと同時に
(ああ、なんて、なんっっって素晴らしいのかしら! これほどの人間、見たことがない!)
歓喜と興奮が胸の内から溢れ出す。
もはや、ハルキの勝ちである。否、勝ちを譲ってもよかった。
色々と手加減していたが、少なくとも技量に関しては剣聖として本気を出した。
それに並び、あまつさえ上回る存在が現れるとは思いもしなかったのだ。
もはや自身に勝てる人類は現れないのだと思っていた。
それが誇らしくあり、寂しくもあった。
それなのに。
真正面から、純粋な技量のみで押し負けた!
それも、こんなに小さな少年に!
全てがゆっくりと進む世界であっても、心臓は早く早く脈打つ。
まるで焼けた鉄になったみたいに、体が熱い。
彼には感謝してもしたりないほどだ。
敗北という贈り物。
受け取れるまで、あと少しだった。
しかし
(ああ! でも! 負けてあげない! もっと、先を見せて‼︎)
笑みを浮かべて、ソフィアは――まるで大気を砕かんばかりの剣速でナイフを斬り上げた。
「…………」
ハルキは弾かれたナイフを見上げた。
心底意外だった。
彼の計算ではほぼ確実に決着がつくはずだったのだ。
何処かで計算ミスをしたのだろう。
それを反射的に探るが、今は止める。
まだ、試合は終わっていないのだから。
ソフィアを見つめる。
彼女は視線を上から前へと向けた。ハルキを探す。
――しかしそこには誰もいない。
彼女はハルキを探す。
右を見ても左を見ても、前も後ろも探してもいない。
ならば何処か。
(≒0%、警戒してよかった)
杖も、ナイフも、全てはこのための布石となるよう仕組んだもの。
つまりは「視線誘導」。
この世界の剣術は対魔物用だと推測される。
ならば深考せず飛び道具は切り落とすのではないか、とハルキは考えた。
そうなると、飛来する対象を注視しなくてはいけない。
つまり、視線誘導が可能だということだ。
先ほどの杖への対応はそれを裏付けていた。
そして、ハルキが最後に行った攻撃は上から。
これが示す答えは――
(月闘流、逆月)
超低位地、ソフィアの足元から放たれる、認識不可能の一撃。
すなわち、両手片足を支えに繰り出す、変則後ろ蹴りである。
ハルキの蹴りは伸び、そして――ついに顎を捉える。
しかし
「……はは、これはまた……」
「…………」
蹴りと同時に、ソフィアの剣がハルキのうなじを捉えていた。
(これが、計算ミスか)
その思考を最後に彼は大地に倒れこんだ。