ep7.飲まれないように気を付けろ
「へい皐月!今日は開いてるかい?」
宮本皐月の友達、平真衣は元気な声で語りかけた。一緒に七瀬深雪もやって来る。一年生の時から同じクラスで、出席番号が近かった事が友達になるきっかけだった。
「うん。今日は久しぶりに休んでいいって」
皐月の顔にも笑みが浮かんでいた。養子先の都合で、五月頃から毎日勉強やトレーニングをしなければならなくなってから、自由に使える時間が短くなっていた皐月だが、今日は急遽得た久しぶりの余暇だった。
「うえーい!マジ⁉じゃあ久しぶりにららぽ行こうぜ⁉」
真衣が言っているのは近くの巨大ショッピングモール、らららぽーとだ。
「うん。私も行きたい」
皐月の肯定を受けた真衣と深雪は見合わせて笑顔になった。二人は皐月が忙しくなってからも、機を計っては遊びに誘ってくれる程仲の良い友達だ。
「やったぜ!やったらぁ!」
「ちょ、や、やめろ!」
「あははっ」
鞄をぶんぶんと振り回してはしゃぐ真衣。いつものようにその動きの多さと大きさで奇異の視線を向けられ、深雪がそれを制止する。
そんな二人を見て皐月は楽しくなって笑った。
「そんじゃ行くぞ!おー!」
「おー!」
「ちょっ皐月まで⁉走らないで危ないから!」
そのショッピングモールは高校からだと徒歩が一番早く、三人は住宅街の小道を通り抜けていく。
「そう言えばちーちゃんに彼氏できたんだって」
「え⁉ウソ⁉私聞いてない⁉同じクラス⁉誰⁉」
「さんちゅーの男子と一緒にいたって噂になってる」
「イケメン⁉誰⁉イケメン⁉」
「そりゃーちーちゃん可愛いから美男美女でしょ」
「ウソォー⁉先を越されてまんがなー!」
「そりゃあんたにはできないでしょ」
「ホワイ⁉私だって本気出せば…!出せば…」
「本気出してもねぇ」
「頑張れ真衣ちゃん!」
「うぉー!皐月だけだよ私の味方は。…裏切りはなしだぜ?」
「任せて」
「ちょ!何任されちゃってるのさ!」
「深雪は…、心配いらないか」
「なんだとー⁉」
踏切を渡って大通りに出ると、平日にも関わらず、ショッピングモールの最寄り駅を行き来する人は多く、流れが出来ていた。無料送迎バスは使わずにそこから少し歩く。
道中は押したり押されたり押しあったりしながら、テレビや勉強、時には恋バナで話が尽きる事はなかった。
たわいない会話も皐月にとってはかけがえのない幸せだった。
それからJC三人組はタピオカ専門店に並んだ。これまた平日にも関わらずとんでもない大行列が出来ていた。
あまり乗り気ではない深雪だったが、意外にも皐月が人混みを嫌がっていなかったことからこうして並んでいる。皐月は最近よく聞く「タピオカ」をまだ飲んだ事がなく、気になっていたのだ。
そんな無知の皐月に対して真衣は内心ニヤリとしつつ、
「いい、皐月。タピオカには中毒性がある。飲まれないように気を付けろ」
また始まったと、深雪はため息をつく。
普通は嘘だと分かるものだが、皐月は未だに世間知らずと言って良いほどの無知で、真衣への信頼、優れた頭の回転が裏目に組み合わさり、
「な、なるほど…」
それならばこの大行列にも説明がつくと頷いている。そんな薬物を摂取して大丈夫なのだろうかと深刻そうに考え込む皐月に対して、真衣は東南アジア系の外国人を真似て嘯いた。
「一回くらい大丈夫だゼ~。大人がビール飲むのと一緒サ~」
「で、でも」
「合法、だゼ」
「うぅ…」
すっかり信じ込んでいた。
そんな二人の横で深雪は、皐月のあまりの騙されやすさに将来を案じながら、適当な事を言う真衣をジト目で見詰めている。
「華のJCは一瞬なのだよ!また今度また今度っていったいいつやるの…⁉︎」
なんて懐かしい流れだと思う深雪に対して、
「今でしょ‼︎」
「い、今…⁉」
その言葉を初めて聞いた皐月はすっかり勢いに流され、えらく感動している。深雪は皐月の肩を叩き、事実を告げる。
「皐月、タピオカはキャッサバを加工しただけでヤバい薬とは違うからね」
「えっ…?」
呆然と見てくる皐月に、真衣は吹き出した。
「ぷっ…、あはははははは!」
「真衣ちゃん⁉」
涙目になった皐月は笑い続ける真衣を問い詰めた。
「ご、ごめんごめんだって、ぷふっ」
「信じてたのに!」
学ばない皐月とからかうのを止めない真衣のやりとりに、深雪はやれやれと肩を竦ませる。
「ほら、何にする?トッピングもいっぱいあるって」
「うわぁ!」
皐月はカラフルなメニューの多様さに目をキラキラ、あるいはクラクラしながら驚嘆の声を上げる。
「お、オススメは…?」
「やっぱりベーシックにミルクティーとパールが良いと思う」
「パ、パール?」
「タピオカのこと」
「そうなんだ…」
三人が友達になって早一年半以上経っていた。世間知らずの皐月は真衣にあれこれ吹き込まれたり、それを深雪が訂正したりして、二人に色んな事を教わった。
それでも、今も目を白黒させているように、皐月にはまだまだ知らない事がたくさんあって、毎日新しい発見の連続だった。
そんな皐月には彼氏をつくることよりも三人でいる時間の方が大切だったりして。
初めて口に入れたタピオカにえらく感動したようだった。
「美味しい…!」
「モチモチだよね」
「うまみぃ!」
その後三人は洋服店を巡り、トレンドのチェック、可愛い服、リーズナブルな服を探したり、目を惹いた店に入って中学生のお小遣いで買ったり買わなかったり。
「夕食どうする?」
「食べてこうぜ。皐月はオーケー?」
「オーケー」
皐月はOKと言うのを恥ずかしがりながらそう返した。
「よっしゃ!」
「場所どうしようか」
「うーむ」
二人は流行りの面白い店はないかと考える。すると皐月が提案した。
「ひさびさに、サイゼ行きたい」
真衣と深雪は驚いたように目を見合わせた。皐月が自分から何かをしたいと言い出す事はほとんどなかった。もしかしたら初めてかも知れない。
そんな皐月が言ったのだから、誰も反対などする筈なかった。
「私も!」
「異議なし」
三人とも自然と笑みがこぼれた。
「三名様ですね。こちらへどうぞ」
誘導されたのはボックス席だった。
三人は腰を下ろしてメニューを開き、一応目を通した。
「うわ、ペペロンチーノがない」
「ほんとだ」
「あ、このアーリオオーリオがペペロンチーノらしいよ」
「よくわかんないけどオシャレになったな。じゃ私これ」
「私はやっぱミラノ風ドリア」
「私も」
皐月が呼び出しボタンを押して、店員が来ると真衣が全員分注文した。
「懐かしいね。こうやってまたみんなでサイゼって」
「真衣が金欠だったからね」
「あの頃の皐月はほとんど喋ってくれなかったよねー」
真衣が皐月のほっぺをツンツンとつついた。
「うんうん。それが今はこんなに真っ赤になっちゃって」
反対側を深雪が身を乗り出して追撃する。
「や、やめてよぉ」
耐えかねた皐月は羞恥で赤く染まった頬を両手で隠すようにガードした。
二人に会うまで、人生がこんなに楽しいと思った事はなかった。こうして笑顔になれているのも全部、二人のおかげだった。
時刻は八時を過ぎていた。
「そんじゃ帰りますか」
「そうね」「うん」
店外に出るとショッピングモールの人気はさらに賑わっていたが、中学生はそろそろ帰らないと親に心配される時間だ。
三人は近くの駅を目指して並んで歩き出した。
たわいもない会話が続く。
学校ではいつも会っているが、こうして全員の時間が合って遊べたのは二カ月ぶりくらいだった。
駅に着いた三人は、また明日も学校があるというのに、名残惜しさを感じながら、改札でばいばいと手を振った。
電車が来るまで皐月とホーム反対側にいる真衣と深雪は謎のジェスチャーで笑い合った。
今日は初めてタピオカを飲んだ。秋冬の洋服をチェックして、可愛い雑貨を見つけてはわいわいと盛り上がった。
心が温かくなって、昔は怖かった暗い夜道を一人で歩くのも気にならなかった。
最寄り駅から徒歩五分で大きな屋敷に辿り着く。
「お帰りなさいませ、皐月様。」
恭しく一礼した老執事の後ろで召使いも同じように頭を下げた。
「ただいま帰りました」
「浴場の準備は出来ております。」
「頂きます」
毎度の事気が引けながらも召使いに荷物を渡して浴場に向かった。
大きな風呂場には他には誰もいなかった。
湯浴みをしながらも気を抜く暇はない。それがこの家の暮らしだ。常時かしこまった使用人の前では気の抜けた姿を見せるのは躊躇われるのだ。
身体の芯まで温まりきらない間に浴槽を出て、頭を洗い、身体を擦り、真衣と深雪に教わった通りに髪のケアをしてから浴場を出た。
ふかふかのタオルは身体に当てるだけですぐに吸水した。服を着てから鏡台の前でドライヤーをかけた。直接当てたら髪が傷むと言われてからは気を付けている。
タオルで髪の水気を拭き取ってから、歯を磨いて、距離のある廊下を歩いた。
唯一の居場所である自分の部屋の前に待機している召使いに寝ると伝えると、その使用人が開けたドアを通って部屋に入った。
ドアが閉まるのを確認してから柔らかいベッドに寝転んだ。
今日は一日たくさん遊んだ。足の疲労感が心地良い。
明日からはまた忙しくなるけど、頑張ろう。
今日の事を思い出したり明日の事を考えたりするせいで興奮が冷めやらず、眠れない皐月は、近くの本棚から一冊の本を取り出した。
『偽者の毒リンゴ』
これは深雪に薦められた本だった。
しかし、文字を目で追ううちに余計に眠る事が出来なくなってしまい、結局最後まで読んでしまった。
幸せな結末に感動してしばらく涙が収まらなかったけど、目を閉じればいつの間にか眠っていた。
△▽△▽△▽△▽
「この時既に事件は起きていましたが、皐月様はまだ何も知りません。神宮寺家はそれを隠そうとしていました。二人の一般市民を犠牲にする事が最善の選択だと結論付けたのです。
事実、その通りでした。
その時私は、何もするな、皐月様に悟られるなとの命を受けました。
命令に背く事は許されない事でしたが、私は一心に葛藤しました。
その命令が誠の正道に準ずるものであるか。
無知につけ込み、御座なりな理由で遠くへ逃げ、大切な人の死を知らせないようにする事が幸いであるか。
人が死んでも気付かない振りをする事を上回る大義名分があるか。
そうして何時間も考えました。
苦衷の末に、私にはどうしても、不幸も悲劇も知らずにいる事が最善であるとは思えませんでした。だからその時私は初めて協会の命令に背きました。」
△▽△▽△▽△▽
翌朝、皐月はいつも通りの目覚ましに起こされ、制服に着替えて部屋を出ると、ちょうど扉の前には一人の使用人がいた。
「ひゃっ」
「おはようございます。御嬢様」
皐月は驚いて悲鳴を上げたが、その使用人、南篠龍樹は気に留めた様子はなかった。
「おはようございます。どうしたんですか?」
皐月は初めて、南條の持つ微かな機微の差異を捉えた。常であれば理知的な瞳に穏やかな光を映す南條だが、今は何故かその光が揺らいでいる気がしたのだ。
案の定、その予感は的中した。
「今日は、学校は臨時休校になさるとの事でした。」
「えっ?」
読んだ本の感想を深雪と話そうと思っていた皐月には寝耳に水だった。
「何故ですか?」
南條は無意識に小さく息を吸って答えた。
「誘拐と思われる行方不明事件が発生し、警察、魔術師協会が、総出で捜索しているようです。ですので、念のため外出は控えるべきと」
皐月は『誘拐』という言葉に息を詰まらせた。
一瞬にしてかつての記憶が脳裏を過り、冷や汗が背中を不快になぞり、手の先がぞわぞわと熱を失い始める。
今回の被害者は自分じゃない。大丈夫。
そう言い聞かせた皐月の心臓は震えていた。
恐怖の記憶が最悪の事態を想起させ、そんな事はあり得ないと否定するうちにも冥漠と不安が芽生え、声が引き攣った。
「ひ…、被害者は、分かりますか?」
まさかとは思いつつも、二人の事が頭を過り、ただひたすら怖かった。
だから否定して欲しかった。そんな訳はない、全く関係ないと。
「それは…、」
躊躇う南條君を前に、回転し続ける頭の中で、小さかった不安が一気に膨れ上がった。
――。
「――平真衣様と七瀬深雪様でございます」
ドクン、と心臓が跳ねた。
「あ…」
なんで…。
なんで。
なんで…!
衝撃や驚愕、恐怖、不安、様々な激情がとめどなく溢れて胸が張り裂けそうだった。
「いま、二人はどこに…」
その問いかけにも南條はすぐには答えることが出来ず、皐月は再び聞き返した。
「南條君…、うぐっ、二人は…?」
「…犯人は今、海沿いのA-306ビルに立て籠っています」
二人の居場所が分かっている。その事に皐月は希望の光を見た。
「無事なんですか⁉」
その瞬間、皐月は南條の胸倉に掴みかかるようにしがみついていた。
お願いだ。初めてできた親友なんだ。とても大切な人なんだ。
絶対に失いたくない。
どうか無事でいてほしい。
「…犯人は、二人の身柄を引き換えに、
―――皐月様、あなたを差し出せと…」
「…え?」
―。
―――。
そうか、私か。
グサリと胸の中に、何かが深く突き刺さったような錯覚。
ああ(何で)、そうなんだと。
ああ、全部、私のせいだったんだ。
私が、悪いんだ。
家族に恨まれたことも。
血縁が全員死んだことも。
親友が誘拐されたことも。
ああ、全部、全部、全部。
すんなりと納得して、悲しかった。
苦しい。
泣きたい…。
泣いて、叫んで、全部吐き出したいほど痛くて。
でも、まだ二人が無事でよかった。
――解決の糸口が見つかった。
皐月の足は既に動いていた。
今すべきことはただ一つだと、心の進む先が定まった。
「南條君、私を連れて行ってください!」
「…」
「、南條君⁉」
「――はい。ですが、私は貴女を死なせません。絶対に」