ep3.八つ当たりかよ
昼休みは生徒の七割は食堂や購買を利用する。食堂は混んでいるしなるべく節約したいから俺は弁当を持参している。
隅の席の宮本さんは一人で弁当を食べていた。誰も近付こうとせず、そこだけ穴が開いたように人が捌けている。
俺はそこから一番距離のあった裕翔の席で弁当を開けた。
佐倉はと言うと窓際の席で外に向かって何やら独り言を言っている。クラスメイトは慣れたもので見て見ぬ振りをする。
「今日の弁当は誰が?」
「紅川」
シンプルなもので中は白ご飯に唐揚げと漬物、茹でたアスパラガスとスナップエンドウだった。
「今日は機嫌が良かったんだね」
「多分昨日なかよしグミの当たりが出たからだと思う」
「なかよしグミ?」
知らないのは無理もない。
「最近はまってるらしい。ニコニコマークの顔がグミに描かれていて、一万分の一の確率で超笑顔の顔があるらしいんだけど」
ニコニコマークにも色んなタイプがあるらしいが、どの顔も無駄にリアルでキモイから食べたくない。
「なるほど。それが当たったってことか」
裕翔は面白そうに笑う。
「いや、その上の一億分の一の確率の超ゲス顔が当たったとかなんとか」
「豪運だなあ。神の加護でも受けていそうだ」
「そんな訳で昨日の夜から一人でテンションがおかしかった」
「へえ」
「それじゃいただきます」
手を合わせてから白米を口に入れたその時、独り言を言いながら佐倉もやってきた。
「へぇ。美里さんもなかよしグミ好きなんだ。え⁉超ゲス顔⁉都市伝説だと思ってた。湊写真撮って来てよ」
「…俺以外に頼んでくれ」
紅川とはあまり仲が良くない。それを知っている二人は笑った。
佐倉も弁当を小さくいただきますと言って食べ始めた。少し声のトーンを下げた。
「そういえばさっき聞いたんだけどG組にも転入生が来たらしいよ」
「まじか。すげえ」
転入生が二人とは聞いたことが無かった。
「ん?それって偶然か?」
同じ日に転校生が二人も来る事などあり得るだろうか。口の中にものを含んだまま質問する。
「まさか。それこそ一万分の一くらいの確率だって」
いや、超ゲス顔の確率の方が圧倒的に低い。だがいちいちツッコミを入れていては話が進まない。
「どういう事だ?」
「その転校生はねぇ、彼女の護衛らしいよ」
「あー、なるほど」
裕翔の護衛が詩織さんであるように、名家の生まれの者が護衛をつけることは少なくない。この学校は国立の魔術師養成機関であり、この国のトップの高等学校であるから、優秀な家の生まれの者も多いのだ。
その上、重火器と並行して魔術のレベルが上がった現代は危険も多く、規制する事は難しいから護衛を付ける必要があるのだろう。
「それじゃあどこかの令嬢なのか?」
国から保護を受ける特待生の場合もあり得るが、殆どは私兵を雇えるような裕福な家庭の生まれの者だ。
宮本という名前だけで何者か分かるほど俺はエリート社会に精通していないが、二人は違う。
「それは分からない。僕も彼女の名前については心当たりがないんだ」
と思ったが当てが外れた。
「精霊は?」
「彼らは僕達が知りたい事を何でも知っている訳じゃないんだ」
「そうなのか」
「でも南條君は結構人気らしいよ」
「まじか。イケメンか?優男か?」
「イケメンの優男だよ。眼鏡かけたインテリ系イケメン」
…最強すぎるだろ。そして佐倉は幾分か深刻そうに言った。
「それに彼は只者じゃない。精霊達が怯えてるんだ」
「怯えるって?」
「彼の魔力は精霊達より純粋っぽい。そんな人間滅多にいないよ」
そう言えば以前佐倉は精霊は自然な魔力によって自身を構成していると言っていた。精霊は自然現象の一種だと。
「滅多にってどれくらいだ?」
「僕が見た事があるのは三人だけだよ」
「まじか」
佐倉が今までの人生で見た人の数など知る由もないが、魔術のプロフェッショナルとの関わりも平均よりずっと多いだろうから、世界的に見たら超ゲス顔の確率に及ぶかもしれない。
「でも余計に謎だな」
「何が?」
「そんなやばい奴が何でこんな所に来たのか、というか、何で宮本さんの護衛なんだ?」
「うーん。そうだよね…」
そこで手掛かりになりそうな事を思い出す。
「そういえば今日詩織さんが宮本さんと一緒にいたのを見た」
唯一一緒にいたのを目撃した。裕翔なら何か知っているかも知れない。案の定、
「体育の時だね」
「何か知ってるか?」
裕翔は苦笑した。
「二人の関係はあまり知らないけど、湊は彼女に興味津々だなぁ」
「そういうわけじゃないけど」
言われて自己を顧みれば、思いの外気になってはいたようだった。
あまり印象が良くなかったものだから、悪人の素性を特定したがるような心持もあったと自覚し、「確かにあまり良い事じゃないな。ごちそうさまでした」と手を合わせて立ち上がった。
「うんこしてくる」
「僕まだご飯食べてるんだよ⁉」
「頑張れ」
佐倉の非難と裕翔の応援を背に教室を出た。
後ろのドアの前を通りかかった時、ちらりと宮本さんの方を見れば、何やら本を読んでいた。ライトブラウンの地味なカバーでタイトルは分からない。
陰で秘密やプライベートを探られる事程不快な事もないだろう。正義の押し売りは悪と知りつつやるよりなおさら質が悪い。
自身に対するほんの嫌悪感を覚えた時、後ろから声をかけられた。
「湊君」
振り返るとまず目を惹く純白の髪色、人形のように肌が白く精緻な顔立ち。初宮も教室を出てきたようだった。
「突然すみません。湊君は、宮本さんに見覚えはありませんか?」
真剣な眼差し。唐突な質問の意図は測りかねるが、正直に答えた。
「いや、ないけど」
「見覚えだけじゃなくて、どうしてか知っているような感じでもいいんです。」
随分と思わせぶりな言い方をするものだと思いつつもなんとか頭を捻ってみる。
車椅子はただでさえ印象が強いのだから見知った相手であれば覚えているだろう。さすがに一度だけ見た事があるだとか視界の端でとらえた事があるとか、そういうのは覚えていないが。
「…いや、ない。」
「…そうですか」
初宮は落胆したようだった。
「初宮は見覚えがあるのか?」
「いえ、ないですけど」
言い淀んで、
「あるような気がしないこともなくて…。何でもありません」
「いやどっちだ」
「失礼します」
何だったのだろう。初宮が教室に戻ると俺は廊下に出てきた理由を思い出し、トイレに入った。
六時限目の地理の授業を終えると、地理の教師は担任であるためそのまま帰りのホームルームが始まる。
「今日も連絡事項は特にないのでホームルームを終わります。さようなら」
この担任は特に連絡がないときはすぐに終わらせる。たまに重要な連絡があっても忘れる事があるから困りものだが。
生徒達は荷物をまとめてそれぞれ部活や遊びまたは帰宅する。
俺も早急にリュックに荷物を詰め込んで席を立った。
一人昇降口で靴を履き替え階段を下り、部活のジャージを着た生徒達や共に歩く男女を追い越してゆく。
無事にコンビニに着き、真っ先に雑誌コーナーでそこにいるのがさも当然のように横たわる聖書を拾い上げ、床の矢印の誘導を見るまでもなくスマートにレジへ。胸騒ぎは無視して、あらかじめ財布から出していた270円を渡して何事もなく店を出た。
「湊君。また飽きもせずに…」
店から出たそこには初宮が待ち構えていた。
「そういうのはダメって言ってるじゃないですか」
いつもは初宮に事前に捕まるから、今週買う事が出来たのは運が良かった。
だが今日は、いつにも増して悲しそうにしているものだからなんとなく罪の意識が芽生えてばつが悪くなった。
「今日の夕食は何にするんだ」
明ら様だが話を変えたかった。
「未定です。スーパーと相談して決めますから」
「なるほど」
その後、お互いに大した会話もないまま近所のスーパーへと向かった。
道中、初宮がなんの前触れもなく後ろを振り向いたのにつられて後ろを振り返ると一人の小柄な少女がこちらに走って来ていた。
「やっほー!」
こちらに向かって眩しい笑顔を掲げながら大きく手を振っている。
「やっほー」
初宮はやまびこを返したが、さすがにやっほーと言うのは躊躇われた。初宮の横顔には笑顔がこぼれていた。あの純真な笑顔にあてられたのだろう。
「ドーン!」
彼女はそのまま衝突して俺達二人は巻き込まれるが、その少女は身長が140センチ程度しかないから被害はない。
「生徒会はもう終わったんですか?」
「わたしは先に帰っていいって言われたんだっ」
初宮に少し乱れたショートボブを直すように頭を撫でられている少女はやや幼い外見だが、ともすれば中身も幼いが、同じ学校の生徒会の一人、一応書記の安曇なぎだ。抵抗する事なく撫でられて、気持ちよさそうに顔を綻ばせている。今日もテンションと声のトーンはフルスロットルだ。
「今日のご飯私も手伝う!」
「はいっ。ありがとう」
終始くっついている安曇に初宮は優しく微笑みかけた。
二人は同じ学年の上に血縁もないが、まるで仲の良い姉妹のようだ。
「今日は何作るの?」
「そうですね…。何か食べたいものはありますか?」
「うーん。カレー!はこの前作ったから、えーっとハンバーグ師匠!」
「それじゃあそうしましょうか」
「わーい!ハンバーグ!」
安曇は楽しそうにモノマネをする。ハンバーグが良いと言ったのは昨日の日曜昼に見たテレビ番組の影響だろう。
スーパーに到着すると初宮は左手にかごを掛け、食材を見極めてテキパキとかごの中に入れている。店内は少し肌寒いのだが、その動きが鈍る事はない。
野菜売り場から肉売り場を周って牛乳を三本入れるとお菓子売り場を通る。初宮がおやつ用に厳選すると、安曇がプリキュアのお菓子を持ってきて、おずおずと不安げに差し出した。
「これ、買っちゃだめ?」
普段喧しい程元気なのにおねだりする時は大人しい。
今放映しているのが何プリキュアだか俺には区別がつかないが、安曇はこういうのが好きらしい。全く子供だ。
「一個だけですよ」
初宮がそういうと安曇は一変、笑顔を咲かせて本当に嬉しそうだった。これでは姉妹というより親子だろう。
レジで会計すると初宮はエコバッグを鞄から取り出し商品を詰めていく。安曇は鼻歌を歌いながら手伝う。
「ほら」
「ありがとうございます」
先程からほとんど何もしていないからせめて荷物を持った。
スーパーを出ると外の方が少し暖かいくらいで、まだ五月なのに夏は大丈夫かと心配になった。
歩くこと十分。牛乳三本はなかなか重くて腕がつらい。
「ただいまー!」
「はいおかえりなさい」
安曇は急いで家に駆けこみつつも丁寧に靴を整えた。その手に持っているのは先ほど買ったプリキュアの菓子だ。初宮が手洗いうがいを喚起すると「はーい!」と元気な返事が聞こえた。
やっとの思いで荷物を置き、安曇に倣ってからテレビをつけるとちょうどなかよしグミのCMがやっていた。ミュージカル風で、ひとりぼっちの子供がなかよしグミを食わせて友達が出来ていくというストリーだ。安曇もその高い声で真似するように歌っている。宗教じみていて何を言っているのか分からないが、安曇も洗脳されてしまっているようだ。
CMと並行して、安曇は目を輝かせながら食玩を開封した。
「きゃあぁぁぁ!キュアポスチャーだぁぁぁ!」
小さい体で大音量で叫ぶとこちらへ駆けてくる。
「ねえこれ見て!そうたこれ見て!」
ただでさえ高い声が耳元で爆発し、鼓膜が破れそうだ。眼前に押し付けられたブロマイドには黒いコスチュームで良くあるような背筋の伸びた立ち姿のキャラクターが描かれている。
「はいはいすごいっ」
よく分からないが収まるまで待つしかない。そもそもポスチャーってどういう意味だ。
「でしょでしょ!このシーンはキュアネックがペイン達のリーダーのテクストペインと戦った時にキュアポスチャーがかっこよく登場したシーンだよっ!キュアネックはまだまだプリキュアになりたてで(中略)まだキュアポスチャーは誰か分からないけど(以下略)」
ははっ。だよな。とかそんな適当な相槌を打つが全然分からない。誰か助けて。
「「ただいま」」「うーっす」
そんな心の声が天に届いたのか、メシアが遣わされたように三人が帰宅した。ガチャリとリビングの扉が開いた途端、安曇は「おかえりー!」とジャッカルのように軽快に飛び出していった。
「これを見よっ!」
安曇は胸を張るようにしながら見せつけた。
「おお!お前キュアポスチャーの限定ブロマイドじゃねぇか!」
その一人、俺と同じくらいの背丈で175cm程度の金髪が目を惹く女子生徒、天上響は不敵に笑いえくぼを作って安曇の頭を撫でまわした。首元にちらつく金属製のネックレスに喋り方といい不良に見える。どちらかと言えば不良だ。
ゆるくウェーブのある髪をハーフアップにした城崎裕香は「良かったわね」と苦笑し、こちらにも「ただいま」と告げた。城崎も良く分かっていないようだった。
そしてもう一人、赤毛混じりの前髪にアメピンを挿した紅川美里も楽しそうに笑っていた。滅多に見せない笑顔だからかつい見ると、あからさまにその一切をかき消して足早に去って行った。自分の部屋に行ったのだろう。
「あいつあのキモいグミを鞄ん中で潰しちまってよ、まあ他にもいろいろあってああなった」
「八つ当たりかよ」
陰口を叩かれたり嫌がらせをされたりする事は無いが、直接顔を合わすとあの通りだ。とは言え紅川の悪態にはもう慣れている。
そう言えば宮本さんもこんな感じだった。話しかけても無視して、それでも話しかければ口撃を浴びせる。
だが、一つ違う点があるとすれば、宮本さんは誰も受け付けなかった。
宮本皐月は口端を上げる事も無ければ眉を顰める事もなく、それどころか無関心に他者を拒み、傷付け、転校初日にしてクラスに嫌われたのだ。