運命の人登場③
す、す、す、すると何ということでしょう。
洋風大便器の大陸棚に、先程の割り込み女の熱いメッセージがこびりついているではありませんか。
し、し、し、しかも血便。
こういった場合、煙草や空き缶のポイ捨ての撃退法に倣い、まだ店内にいる女性に向かって、
「すみませーん! 落とし物でーす!」
と教えて差し上げたほうかよいのか。
それとも、第三者に承認を得るため、店内の誰かをとっ捕まえて、
「これ、僕のじゃないからねええええ!」
と半狂乱で叫んでから扉を閉めるのがよいのか。
恐らく、どちらも通報されてしまうでしょう。黙って扉を閉めるしかないのです。
問題は、僕が用を終えてトイレから出た時、次に入れ替わりで個室に入る者に、便器にこびりついたさっきの割り込み女の血便を、僕の血便だと勘違いされてしまうことです。それだけは絶対に避けねばならない。濡れ衣だ。僕のは、総じて柔らかなシャウトはするが、便器に血反吐をまき散らす程の激しいメッセージ性は無いのです。
ひとまず立小便スタイルで、落ち着いて的を定め、女性のメッセージを尿で高圧洗浄してみる。
よし、いいぞ、多少は流れた。しかし完全に落ちきる前に、悲しいかな、水源が枯渇してしまう。
備え付けの便所ブラシや、洗浄ガンがあればよいのだが。うーん、何もない。致し方なし。トイレットペーパーで拭き取るしかない。悔しい。まったく泣けてくる。
いっそ自分がシャウトし終わってから掃除しようかとも思いましたが、それでは、あの女性の熱いメッセージと、僕のシャウトが喧嘩してしまい、いったい何を伝えたいのかよく分からない楽曲になってしまう。
そんなのは嫌だ! 僕が僕であるために! 僕は僕だけの世界観をこの便器に奏でたい!
そんなこんなで、僕は朝のコンビニのトイレで、白い不織布マスクをした割り込み女のメッセージを拭きました。
店から出ると、先程の割り込み女が、スマホで誰かと会話をしています。
「はい、例の案件、今月中には何とか契約に持ち込めそうです。難攻しましたが、前向きに頑張った甲斐がありました」
女よ。仕事に前向きなのはよいことであるが、トイレで用を足した時ぐらい後ろを振り返ってみても、人生、損はないと思うぞ。
僕は、その女性の背中に向かって、あくまで心中でそう説教してやりました。
大声で会話を終えた女性がスマホを切る。すると切った途端に、別の着信音が鳴る。まったく忙しい女だ。
「はい、氷川物産の島袋です」
その時、女性の口から出た社名と名前を聞いて、僕は仰天しました。
その女性は、今日から僕が配属された支店の僕の上司となる人物だったのです。