運命の人登場
公衆トイレの個室の前で、並んで順番を待つということが、どうも苦手です。
公園・病院・デパート・娯楽施設・サービスエリア・コンビニのトイレの個室に、先に人が入っている場合、僕は、くるりとUターンしてその場を去ります。さっさと諦めて、別のひと気のないトイレを探すのです。
何故なら、個室の前に並んで待つということは、
いずれ個室から出て来るどこかの誰かとすれ違わねばならず、
個室に入れば、どこかの誰かの残り香を嗅がねばならず、
便座に残ったどこかの誰かの温もりを感じねばならず、
そして最悪の場合、便器にこびり付いたどこかの誰かの断固たる決意を、否が応でも目撃せねばなりません。
つい先程までここに脂汗をかいて座っていたどこかの誰かの残像に、
いつまでもいつまでも悩まされ続けなければなりません。
ああ嫌だ。考えただけでメランコリック。
だから僕は外出中に便意を催すと、いつも前のめりになりながら、清潔で使用後十五分以上は経っていて便座がひんやりしている、そんなトイレを求め街中を徘徊します。または、いったん自宅に戻り用を済ませてから再度外出します。そもそも、外出時に便意を催すのが怖いので、普段からなるべく家の外に出ないように心掛けています。
ちなみに、僕は潔癖症ではありません。自慢ではありませんが、つい半年前まで二十五年間引きこもっていた自分の部屋などは、地震、台風、暴行、窃盗、あらゆる天災と人災が一斉に襲ったかのようなセルフ被災地と成り果てています。
では、入れ替わりで公衆トイレの個室に入ることの何が苦手って?
それは人間の見てはならないところをこっそり垣間見ているようで、胸が痛むからです。
どんな人間でも排泄はします。人が生きる上で起こる自然な生理現象です。そんなことは百も承知です。
でも、それはあえて声高らかに宣言することではないし、どちらかというと、言わない約束、見なかったこと、嗅がなかったことにしておくべき事柄でありましょう。
そんな他人に見せてはならない、「なかったこと」にするべき行為を、毎日たくさんの人が、あの狭い個室でこっそり共有しているのかと思うと、何ともやりきれなくなるのです。
でも悲しいかな、この僕にだって、極めてお腹の調子が悪い日はあるのです。今朝も新しい支店に配属された初日という緊張からか、鉄筋コンクリート三階建ての支店の前に立った途端、昨晩食べたニンニクたっぷり台湾ラーメンが、僕の脳天から肛門へめがけて急転直下しました。僕は、致し方なく最寄りのコンビニに飛び込み、使用中の個室の前に、並んだのです。
洗浄音の後、中から出て来たのは、グレイのウレタンマスクをした、タイトなスーツのビジネスマン。
その彼と入れ替わりで僕が個室に入ろうとした瞬間、
後ろから白い不織布マスクをした背の高い細身の女性が、強引に僕の前に割り込んできました。
「すみません。私、今にもウンコが漏れそうです」
その女性は、恥ずかし気もなく、みずからの生理現象を声高らかに宣言しました。
そう、この女性こそが、僕の運命の人であり、この瞬間こそが、かの人とのファーストコンタクトでありました。