プロローグ
至極の名作が描けました。
【原始人の会話①】
昔々、草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。
原始人A 「あのさあ、僕、思うんだけどさあ」
原始人B 「ウホ?」
原始人C 「ウホ?」
原始人A 「今さあ、僕らさあ、道端で排泄とかしているじゃん。これってどうなの?」
原始人B 「え、何、何、急にあらたまっちゃって。て言うか、野グソって僕らの常識でしょう」
原始人A 「今怖い病気が流行っているじゃん。いっぱい人が死んでいるじゃん。伝染病っつーの? これ、野グソが原因だと思うんだよね。よくよく考えたら野グソってものすごく不衛生じゃね?」
原始人C 「確かにそうね。て言うか、そもそも人前で、お尻丸出しで脱プンってどうなのって話よね。やばい、私、超恥ずかしくなってきたんですけど」
原始人A 「だからさ、これから排泄行為は決められた場所で隠れてするようにしねえ? さしあたってその場所を『便所』とでも呼んでさ」
原始人B 「俺はそんなの認めない! 俺はこれまで通り好きな時に好きな場所で野グソするからな! だいたい便所の効果だって限定的なものだろ! この便所脳!」
原始人A 「いつの時代もいるよね、こういう奴。ほっといて、先ずは始めてみようぜ」
原始人C 「ウホ」
こうして人類は、便所で排泄をするようになった。その結果、伝染病の死者は減少したという。やがて便所は人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、人はごく自然に決められた場所で隠れて排泄をするのである。
僕が大学ノートに描いた漫画です。
【原始人の会話②】
昔々、草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。
原始人A 「あのさあ、僕、思うんだけどさあ」
原始人B 「ウホ?」
原始人C 「ウホ?」
原始人A 「今さあ、僕らさあ、素っ裸で生活しているじゃん。これってどうなの?」
原始人B 「え、何、何、急にあらたまっちゃって。て言うか、全裸って、僕らの常識でしょう」
原始人A 「今怖い病気が流行っているじゃん。いっぱい人が死んでいるじゃん。流行り風邪っつーの? これ、素っ裸が原因だと思うんだよね。よくよく考えたら全裸って、ものすごく不衛生じゃね?」
原始人C 「たしかにそうね。て言うか、そもそも人前でお乳放り出して生活ってどうなのって話よね。やばい、私、超恥ずかしくなってきたんですけど」
原始人A 「だからさ、これからは動物の毛皮や植物の繊維を身にまとうことにしねえ? さしあたってそれらを『服』とでも呼んでさ」
原始人B 「俺はそんなの認めない! 俺はこれまで通り、スッポンポンのブ~ラブラで生きていくからな! だいたい服の効果だって限定的なものだろ! この服脳!」
原始人A 「いつの時代もいるよね、こういう奴。ほっといて、先ずは始めてみようぜ」
原始人C 「ウホ」
こうして人類は、服を着るようになった。その結果、流行り風邪の死者は減少したという。やがて服は人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、人はごく自然に服を着て生活をするのである。
部屋に散乱する数百冊の大学ノート。その一冊一冊に鎮座する、僕が二十五年間部屋に引きこもって描き続けた作品たち。確固たる夢や目的があって描いている訳ではないのです。ただの暇つぶし。ペンもインクも定規も使わず、鉛筆で殴り描きした落書きです。でも時としてそんな落書きから、至極の名作が生まれることがあるのですね。三部構成からなる、この漫画がそれです。
【原始人の会話③】
昔々、草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。
原始人A 「あのさあ、僕、思うんだけどさあ」
原始人B 「ウホ?」
原始人C 「ウホ?」
原始人A 「今さあ、僕らさあ、素顔で生活しているじゃん。これってどうなの?」
原始人B 「え、何、何、急にあらたまっちゃって。て言うか、素顔って、僕らの常識でしょう」
原始人A 「今怖い病気が流行っているじゃん。いっぱい人が死んでいるじゃん。新型コロナウイルスっつーの? これ、素顔が原因だと思うんだよね。よくよく考えたら素顔って、ものすごく不衛生じゃね?」
原始人C 「たしかにそうね。て言うか、そもそも人前で顔面むき出しってどうなのって話よね。やばい、私、超恥ずかしくなってきたんですけど」
原始人A 「だからさ、これからは口元を布で覆い隠すことにしねえ? さしあたってその布を『マスク』とでも呼んでさ」
原始人B 「俺はそんなの認めない! 俺はこれまで通り、むき出しのツラ晒して生きていくからな! だいたいマスクの効果だって限定的なものだろ! このマスク脳!」
原始人A 「いつの時代もいるよね、こういう奴。ほっといて、先ずは始めてみようぜ」
原始人C 「ウホ」
こうして人類は、マスクをするようになった。その結果、新型コロナウイルスの死者は減少したという。やがてマスクは人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然にマスクを着用して生活するのである。
ちなみに、会話の①と②は、ネアンデルタール人あたりの原始人を想定して描きました。そして会話③は、数万年後の未来人から見た我々現代人を想定して描きました。我々が、ネアンデルタール人もクロマニョン人も一括りで「原始人」と呼ぶように、数万年後の未来人から見れば、ネアンデルタール人も我々も所詮は一括り、サルが二足歩行をはじめて間もない時代の、同じウホウホ扱いでありましょう。
この新型コロナ禍において、マスク着用の有無については様々な意見が飛び交っていますが、あくまで僕の見解としては、一度排泄を覆い隠した以上、人類がそう簡単に野糞フルライフに戻らないように、一度服を着てしまった以上、人類がそう簡単に全裸フルライフに戻らないように、一度マスクをする生活が定着してしまった以上、現実問題そう簡単にノンマスクライフなんて戻ってこないと思うのです。
良くも悪くも、この新型コロナウイルス禍において、人類はお互いが吐く息の恐ろしさに気が付いてしまった。したがって、例え新型コロナウイルスが完全に終息したとしても、恐らくマスクの文化は根付くでしょう。嘆いても仕方ありません。喚いても栓もありません。であるならば、したたかに進化あるのみ。
僕たちは人類の最終形態なのでしょうか。
そいつはおこがましいことはなはだしい。
現代は末世なのでしょうか。
そいつはおこがましいことはなはだしい。
しょせんウホウホ。
まだまだウホウホ。
僕たちは進化の途中なのです。
これからお話する物語だって、数万年後の未来人からすれば、桃太郎や一寸法師と一括りの、ただの昔話。陳腐なおとぎ話、安っぽいメルヘンです。そうこれは、昔々から始まる僕の物語。
昔々あるところに、二十五年間引きこもりの男がいました。
その男は、大学を卒業してから就職もせず、ずっと家で漫画を描いていました。
でも、男は四十七歳にして社会に出ることを余儀なくされます。
すべては新型コロナウイルスのせい。
ある日のこと……