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十三番目に輝く星(2005)  作者: 瑞城弥生
9/14

九 本社作戦本部長

 指定された時間よりかなり早くナオは本社の受付に到着していた。物珍しげに周りを見回すイクミをその場に置いたまま、ナオは受付に向かった。


「第十三支社のヨシノです」

「ヨシノ係長ですね。五階の応接室でお待ちください」


 言葉に抑揚のない受付の女性がナオを案内した。


「アンドロイドだよ。しかも結構初期の感情非搭載タイプかも」


 不満げなナオに気付いたイクミが耳打をした。

 感情非搭載型のアンドロイドは、今でも過酷な労働条件や、単一作業の職場に多く採用されている。受付業務は客相手だから通常は感情搭載型を使うのだが、フィックス・スター社第二事業部としては、立場上コンピューターが感情を持つことを否定していた。社員も出入の業者もその辺は了解していたし、一般市民はそもそもここに来る事は無いので、無愛想な受付嬢が問題になる事は無かった。

 車を駐車場に入れているトモヤに行き先をメールすると、喫茶店で待つという返事が返って来た。一緒に来ても大して役には立つわけでもないので、その提案は素直に受け取った。


「トモちゃんずっこい」

「後でアイスでもおごらせよう」


 イクミをなだめて、ナオは指定された五階の応接室へ入った。

 そこは四人掛けのソファーと小さめのガラステーブルが置いてあるこじんまりとした部屋で、小さな油絵と白のフリージアが飾ってあった。


「フリージアの花言葉って何だっけ」

「白は親愛の情だったかな。レイラさんなら詳しいんだけどね」


 狭い部屋で待たされていると、なんだか面接の順番待ちをしている気分になって、ナオは緊張してきた。作戦本部長に会うのはそう何度もあることではないし、普段と違う仕事を任されたのも緊張の原因だろう。


「係長さん、トイレならそこ出て右だよ」


 緊張はイクミにも伝わっていた。

 一応本社に行くのだからとイクミには無理やり制服を着せてみたが予想に反して似合っていた。普段は作業着なので気付かないが、ナオよりもプロポーションはかなりいい。まったく緊張していない事もあって、知らない人が見たらイクミの方がかなり年上に見えるだろう。


「ありがとう、ちょっと行ってくる」


 冷たい水で顔を洗うと少しだけ緊張がほぐれた。

 髪を整えて化粧を直し、制服の乱れを整えてから応接室へ戻ると、イクミが大きなあくびでナオを迎えた。


「遅いですね」


 早く着いたから待たされるのは覚悟していたが、もう約束の時間はとっくに過ぎていた。

 イクミのまぶたがゆっくりと下がって、頭が左右に揺れ始める。

 ナオは、この後どうやって父親と連絡を取ろうか考えていた。作戦本部付戦略課長と言うのだから、この建物のどこかにいるに違いない。受付から持ってきた案内図を開いてみると、戦略課はこの下の四階にある。


「お待たせしました」


 約束の時間から三十分を過ぎた時、やっと秘書らしき人物が現れた。


「アルデバランの係長をお連れしました」

「入っていいぞ」


 その声には聞き覚えが合った。四年も聞いていなかったとは言え間違えようは無かった。

 ナオは秘書を押しのけて中に飛び込んだ。


「みつけた!」


 目の前で偉そうに座っているのはニシ作戦本部長。

 間違いなくナオの育ての親だった。


「いつ作戦本部長になったのよ」

「先月からだ。言わなかったか」

「聞いてない」


 突然のやり取りに、イクミも秘書も目を丸くした。


「お前、仕事で来たんだろ」


 どうやらニシの方は、ナオが来るのを知っていたようだった。二人をソファーに案内すると、その向かいに腰を下ろした。

 応接室にあるものより大き目の油絵が壁に飾ってあり、テーブルには同じく白のフリージアが生けてある。秘書さんの好みなのだろうか。


「イクミ、報告書を出してくれる」

「え?」

「報告書よ、さっき渡したでしょ」

「えーと」

「会社のマークの入った青い封筒よ」

「ごめん、あれ車の中に置いてきた」

「ばか」


 イクミはコンピューター以外の仕事ではまったく使い物にならなかった。お使いに行かせても、小学生より頼りにならない。そのイクミに任したナオにも責任はあった。


「報告書は結構だ。昨日送っておいてもらったから、もう目は通してある」


 謝ろうとするナオを、ニシが遮った。ミエは相変わらず手際がいい。


「こいつに会ったんだろう」


 ニシは一枚の写真をナオの前に置いた。はじめてみる写真だったが、そこに写っているのはミズキにそっくりだった。いや、ミズキなのだろう。


「ヨシノ係長。君は二度もミズキの襲撃に失敗していながら、一度も彼女の攻撃を受けていない」


 ニシが改まった口調で問い掛けてきた。


「はい」

「何か心当たりは無いのか」


 確かにミズキはナオにだけは手を出していない。あれからずっと考えていたが、その理由は思いつかなかった。


「いいえ」

「そうか」


 ニシはそう言ったまま、しばらくナオを見つめていた。

 先に視線をはずしたのはナオだった。養父とは言え久しぶりに会う父親に見つめられたら、何だか恥ずかしくなってしまったのだ


「作戦に協力して欲しい。ミズキはおまえを攻撃できないようだからな」

「どんな作戦ですか」

「十三管理局の建物ごと破壊する。ミズキは実行犯だが裏で操っている奴がいるのだ」

「管理者」

「そうだ、あのメインフレームだ。あれを処分するのが我々の最優先事項と決まった」

「それじゃあ、あそこの人たちはどうなるの。まさか一緒にどかーん、とか」


 第十三管理局には常時三十人ほどの職員が働いているが、運が悪ければ施設利用者や観光客を巻き込んで犠牲者は千人規模になってしまう。イクミはその事が気になったようである。


「大義の為には多少の犠牲は止む終えないと教わらなかったか」


 機械による支配から人間を解放する。それが大義だった。その為に人間を犠牲にすることは原則禁止されていた。そのこともナオは繰り返し教わっていた。


「でも犠牲が大きすぎます」

「それは承知の上だ」

「でも」

「これは復讐でもあるんだよ。私の恋人を殺し、おまえの両親を殺したあいつへの復讐だ」


 予期していなかった言葉が、突然ニシの口から飛びだした。


「それが私の大義なのだ。私は復讐のために生きてきた。そしてその為に、やっとこの地位を手に入れたんだ」


 十五年前に作戦会議に使っていた幹部の自宅を襲い、そこにいた全員が何者かに殺害されたと言う事件は、フィックス・スター社の人間なら誰でも知っている。でもその実行犯がミズキだと知っているのはごく少数の限られた幹部だったし、それも確信出来てなどいなかっただろう。


『貴方の両親は、私がこの手で殺したわ』


 ミズキの言葉は、その時の犯人を確定するのに十分だった。 


「やっぱり。いたんだ」


 ニシの顔が曇った。言うべきでない事を言った後悔が、はっきりと顔に表れていた。

 ミズキの言葉が何度も頭の中で駆けまわり、ナオの目に涙が浮かんだ。


「どうして嘘をついていたの? 交通事故で死んだなんて……」


 ニシは答えなかった。


「聞きたいことがあるの・・・・・・。思い出したのよ。両親が殺されたあの夜の事を。その犯人がミズキだという事も。そして自分の母親の顔も……。全部思い出したのよ」


「ナオ」

「本当の事を教えて。それを聞かないうちは、その計画に手を貸す事は出来ないわ」


 強く、はっきりとした口調でナオは言い放った。

 暫く沈黙が支配した。


「今晩時間はあるか」


 ナオはニシを睨みつけたまま、しっかりと頷いた。


「一緒に食事をしよう。六時に受付に来なさい。両親の話は、そのときにゆっくり話してしあげよう。悪いが今は時間が無い」


 そう言って、ニシはナオたちを部屋から追い出した。


  *


「大丈夫?、ついて行こうか」


 イクミが心配してそう言ってはくれたが、これは親子の問題だからと申し出を断った。

 ナオは受付前のロビーで時間が来るのずっと待った。どこか別の場所で時間をつぶせばよかったのだが、とてもそんな気分になれなかった。

 ナオと二人きりの時には決して見せない愛想を振りまきながら、ニシはぴったり十五分遅れてロビーに現れた。はたから見れば娘とデートに出かける父親にしか見えないだろう。


「今日は娘とデートなんだ」


 受付の女性にまでそう言ったが、アンドロイドの彼女は首を傾げるだけだった。


「待たせたな」


 ニシの目は笑ってなかった。


「ううん。今来たところ」


 ナオはまるで恋人に気を使うかのような返事を返した。この男と居て心の休まる時は無かった。ただひたすらテロ組織の兵隊としての訓練を受けた。それがニシの復讐の一つでしかなかったとしても、ここまで育ててくれた恩を忘れる事は出来なかった。

 ニシの演技に付き合ってナオは腕に手を回した。何処から見ても仲の良い親子の誕生だ。


「嫌いなものは無かったか」

「娘の好みも知らないわけ」


 少し意地悪く言ってやった。


「こどもの好き嫌いを覚えている親なんていないさ」


 そういえばニシの事を何も知らない自分に気づいた。十五年も一緒に住んでいたのに、好きな食べ物が何かすら知らなかった。

 この男も寂しい人生を歩んで来たのかもしれないと思った。


「ねえ、あんたの両親ってどんな人だったの」

「さあな」


 ナオは今までこの男を「お父さん」と呼んだ事はなかった。そう呼ぶように強制された事も、その気もないし、実際父親らしいことをしてもらった記憶など一つもなかった。


「オレが四つのときに事故で死んだよ」


 そういって空を見上げたニシの顔には、見たこともない寂しさが漂っていた。


「じゃあ、私と一緒だ」 


 この男がどういう人生を歩んできたのか、非常に興味をそそられたが、今はそれ以上聞く事が出来なかった。


 ニシはエスニック料理が集まるビルにナオを連れてきた。街の中心駅から裏通りを少し入った繁華街にそのビルはあった。こういう場所にしては治安がいいのか、制服姿の女子高校生が一人で歩いている姿を何回か見かけた。その奥は有名な電気街へと続いていて、飲み食い以外の目的をもった若者がたくさんそっちへ向って歩いていた。


「辛いの大丈夫だったか」


 すでに引き返せない状況になってからニシが話しかけてきた。


「いいよ。それにいまさらでしょ」


 店の看板に激辛と書かれているのを見てナオは苦笑した。イクミが良く連れて行ってくれるので辛いのは慣れていたが、わざわざ激辛を掲げている店は珍しかった。

 予約をしていたのか、店に入るとすぐに奥の個室に案内された。

 店の中は若者が多く、そのほとんどはカップルだった。楽しそうな彼らの笑い声を聞いていると、時々自分のしている事に不安を感じる。今の社会がそれほど悪いとは思えなかった。


「よく来るの、ここ」

「ああ、人に聞かれたくない話をする時にはな」


 部屋はそう大きくなかったが、真中の丸いテーブルには回転する台が置いてあって、その上に大皿に乗った料理が運ばれてくる。前菜からも辛そうな匂いが漂ってきた。


「聞きたいのは両親の事だったな」


 ニシは前菜を一口で平らげると、早速本題に入った。


「殺された理由を聞かせて」


 運ばれてきたメインディッシュを少しだけ口に運んでから、ニシは話を始めた。


「あの時はまだコンピューターによる支配がはじまったばかりで、それに反対していた組織が表裏無くあちらこちらで反対運動を展開していた」

「両親もそれに参加していたって事」

「そうだ。その日は幹部全員がお前の家に集まった。次の作戦が発表される事になっていたんだ。作戦会議は毎回違う場所で行われた。当局から逃れるために、その場所は直前まで明かされない。それなのにその作戦会議にあいつが現れたんだ」


 ミズキの姿がナオの頭に浮かんできた。


「遅れて行ったわたしが見たのは、大粒の涙を流しながら静かに母親を見つめているお前の姿だけだった。後の十人は全員、すでに息をしていなかった」


 ニシは続けて運ばれてきた料理に手を伸ばすと「辛いんだこれ」といって口に運んだ。

 彼の目は涙で潤んでいた。


「残った仲間で相談して、おまえの記憶を消す事にした。だからおまえは、それまでの事を何も覚えてないなかったんだ」

「どうしてそんな事を」

「新しい人生を歩んだ方が、お前にとって幸せだと思ったからさ」


 ナオは複雑な気持ちだった。確かに幸せだった。両親を殺された時の恐怖を胸に抱いたままでは、こんな風に生きてはいけなかっただろう。それこそ復讐を誓って……。

 唇をかみ締めるナオを見て、ニシが付け加えた。


「少しは分かって貰えたかな、私の気持ちが」


 ナオはだまったまま、テーブルに運ばれしきた肉の塊に視線を移した。


「それはどんな作戦だったわけ」

「分からないんだ」


 ニシは残念そうに大きく首を振った。


「わたしはまだ入ったばかりの新人で、その日、君の家でその計画を聞くはずだった。もし知っていたら、私もきっと生きてはいなかっただろうな」

「じゃあ、どうして殺されたのか、誰一人知らないって事なの?」


 両親が殺された理由をナオは知りたかった。いやむしろ知らなければならなかった。ニシの計画を手伝って復讐を遂げるにしても、このままでは気持ちの整理がつかなかった。

 それなのに、誰一人それを知らない。


「そんな」


 ナオはテーブルに拳を叩きつけた。


「いや、一人だけいるな」


 重々しい声でニシはそう言うと、残っていたビールを一気に飲み干した。


「誰よ」

「管理者だ。あいつがミズキに指示をしたのは間違いない。だからあいつならその理由を知っているにはずだ」


 確かにそうだ。

 管理者。

 あの人に聞こう。聞かなければならない。そのためにはミズキを倒して……。


「さっきの計画は何時実行するの」

「あさっての予定だが……」

「一つ頼みがあるの」


 父親に頼みごとをするのは何年ぶりだろう。高校に進学した時一人暮らしをしたいと言って以来だった。


「その計画、少しだけ待ってくれない」

「どうしてだ」

「わたし管理者に会ってくる。会って理由を聞いてみる。もし可能なら、その場で管理者を倒すつもり。だから、私にもう一回チャンスを頂戴。今度失敗したら、あんたの言う通りその作戦に協力するから」


 本社の計画が実行されるより前に、ナオは管理者に会わなければならない。いまは少しでも時間が欲しかった。

 ニシは少し考えていたが、やがて頷いた。


「分かった。ただ長くは待てないぞ、すでに計画は動き始めているのだから」

「ありがとう」


 とりあえず安心した。

 それほど長くは待ってもらえないことを、ナオは今までの経験から知っていた。

 とにかくすぐにでも管理者に会わなければいけない。ナオは気合を入れようと、目の前の皿に乗っていたもっとも辛そうな肉の塊を一気に口に放り込んだ。

 余りのからさに咽こんだナオを見てニシが笑った。

 ニシの笑い顔を、ナオははじめて見たような気がした。


「両親の話をしてやろう」


 それからニシは、生きていた頃のナオの両親について、知っている事を話してくれた。少しずつ思い出していく記憶とリンクして、ナオは涙を流しながら静かに耳を傾けた。


  *


 ナオが父親とエスニック料理を食べている間、イクミはトモヤを引きずって東の端にある電気街へと向っていた。革命の後でも、コンピューターや電化製品、ジャンクパーツなんかを取り扱っているこの界隈は、以前と変わらぬ活気を帯びている。


「おい、まだかよ」

「折角来たんだから、後三件はまわらないとね」


 狭い道の両側にひしめき合うビルの一階では、前面の道路まで張り出して商品が並べられていた。どれも型落ちの機械で、ほとんど投売りだ。


「ここに入るよ」


 イクミは人が一人やっと通る事のできる細い階段をリズミカルに昇って行く。後から付いて行ったトモヤは、所々で人にぶつかり、そのたびに冷たい視線を受けていた。

 最上階の五階にたどり着くと、イクミは狭い店内で古いプロセッサーを物色していた。


「何を探しているんだ」

「三年前に製造中止になったCPU」


 壁のスチールラックには、プラスラックのケースが並べられていて、それぞれにいろいろな種類のICなんかが詰め込まれていた。

 イクミは楽しそうにそれらを物色していたが、最後は小さなため息をついて店を後にした。


「無かったのか」

「ロット番号がね」


 その後イクミは同じような店を四件回った。店の明かりでまぶしく光る電気街を通りぬけると、ネオン輝く繁華街へと続いていた。


「おなか空いたね」

「今ごろ係長は美味しいものを食べているんだろうな」

「ねえ、あの店で食べようよ」


 雑誌で紹介されていた焼きとりの店を見つけてイクミが走り出した。

 焼きとりといっても鳥ではない。この地方では豚の精肉をねぎと交互に差して焼いたものをそう言うのだ。脂の乗った塩味が、トモヤの好みだった。

 店の中は平日だと言うのに満席だった。ほとんどが若いカップルで、所々に常連風の親父が座っていた。入って左手にカウンターがあり、右手には四人掛けのテーブルが続いている。奥に座敷があるようで、酔っ払いの陽気な歌声が聞こえてきた。


「込んでるね。やっぱり雑誌に載ると違うな」

「待たされるなら、別の店に行くぞ」

「えー」


 運のいい事に、カウンター席が丁度二つ空いたばかりだった。椅子に座ったイクミは、隣で飲んだくれていた親父をみてひきつった顔をした。

 真っ赤な顔のサトシ・ツガワが焼きとりの串を咥えたまま振り向いた。


「ん? あんた何処かで会ったな」

「そ、そうですか。気のせいですよ」


 先日高速道路の休憩室に置き去りにしてきた運転手は、イクミの顔をじっと覗き込んだ。


「本当に気のせいかな」

「知り合い?」


 トモヤはずっと車で待っていたからサトシと面識はない。


「いいえ、ぜんぜん、全く」


 あまりにも不自然に否定するので、何かあるとは思ったが、それ以上追求はしなかった。サトシもそれ以上気にする様子も無く、カウンターから新しいグラスを勝手に取って二人に渡すとビールを注いだ。


「まあいいや、とにかく乾杯だ」


 サトシの勢いに押されて一気にビールを飲み干したイクミの目はすでにすわっていた。トモヤそっち抜けで、二人は機嫌よくビールを次々と空けていった。


「俺にも、あんたぐらいの娘が、居るんだよ」

「いま何しているの」

「知るか。十七年前に母親と家を出て行ったよ。彼女は反対派だったしな」


 革命反対派と賛成派の夫婦が喧嘩して離婚する話は、当時としは珍しくはなかった。

 反対派はその後もトモヤのように組織に所属して活動している事が多かったので、サトシの娘も、あるいはそうやって生きているのかも知れない。


「写真持ってないの、写真」

「写真か、ちょっと待ってくれ」


 かばんから出てきた写真盾には、若かりし頃のサトシと、その娘が仲良く並んで写っている古い写真が入っていた。


「かわいい。これいくつの時?」

「四歳だ。な、かわいいだろ。もう十八年も前になるんだよな」


 サトシの目が遠くを見ていた。


「俺にも見せてよ」


 ピンクのワンピースを着て楽しそうに笑っている少女。

 でもそれは何処かで見たような雰囲気だった。


「なあ、この子何処かで――」

「名前は何て言うの」


 イクミはトモヤの話しなんか全く聞いていなかった。


「レイラだよ。母親の姓を名乗っていれば、レイラ・ヤシン」


 そういわれて初めて、その写真の女の子が誰に似ているのか気づいた。

 見たことは無かったけど、笑ったらきっとこんなにかわいらしいのだろう。

 イクミはいっきに酔いが冷めたようで、ひきつった笑いをかみ殺しながら残ったビールを口に運んでいた。


「最近、娘さんと会ってないんですか」

「うん、あの日以来一度もね」


 イクミはこう言う時にあたまの回転が早かった。

 言葉巧みに、サトシの名前と勤務先を聞き出していた。


「あれ、この会社第十行政区ですよね」

「そうだよ、家は向こうにあるんだ。今日は仕事できただけさ。明日には帰るんだ」


 サトシはそれから地元の自慢を少しだけして先に店を出て行った。


「しかし、あの人がレイラのお父さんとはね」

「この前会ったとき気づかなかったのかな、レイラの奴」

「そういえば二人っきりだったのにね」


 レイラが気づかないはずはない。気づいて黙っていたに違いない。

 何の不自由も無く幸せに育ってきたトモヤには、レイラとその父親の気持ちなんて少しもわからなかった。それでも二人が親子に戻ることは出来るはずだし、そうすべきだと感じていた。

 

  *


 散々辛いものを食べた割りに、後味はすっきりしていた。

 割と楽しい気分でナオは店を後にした。


「おいしかった」

「気がむいたら、また来い。遠慮はいらないから」


 そういえば、今まで大事に抱え込んでいた遠慮が、どこかに行ってしまっていた。ニシに対して何故か気兼ねなく話し掛けられるようになっていた。


「送っていこうか」

「いい、一人で帰れる」


 ナオは振り返ってニシの顔を見た。アルコールで赤くなった彼の顔が、少しだけかわいく見えた。


「明日もう一度寄ってくれ。渡すものがある」

「分かった」

「頑張れよ」

「ありがとう、お父さん」


 はじめてそう呼んだ。

 ニシが照れるのを見てたら、ナオもなんだか恥ずかしくなってその場から走って逃げた。

 本社の宿泊所に向かうナオの目には涙が浮かんでいた。初めて父親として接したという嬉しい気持ちと、本当の両親がやはり殺されていたと言う事実。その二つが複雑に交じり合ってナオを不安にさせていた。

 見上げると西の空にオレンジ色の星が輝いている。


「アルデバラン」


 それは第十三支社のコードネームだったが、ナオに取ってはそれ以上の思い入れがあった。

 ニシに最初に教えてもらったのが、あの星の名前だった。

 それを今、思い出した。

 あの日のアルデバランは最高に綺麗だった。ニシとの数少ない想い出として、今もナオの心に残っていた。


「行かなくちゃ」


 管理者に会って、本当の事を聞かなければいけない。両親を殺した理由を。


「そして……」


 ナオは「復讐」という感情が芽生えた事に気づいた。

 体が震えてきた。

 その震えが足に伝わってナオはついにその場にしゃがみこんだ。


(たすけて)


 胸が苦しい。声も出なかった。


「係長! 大丈夫ですか」


 遠のいていく意識の向こうでトモヤの声が聞こえた。


「トモちゃん、早く車に運んでよ」

「おまえも少しは手伝えって」


 イクミも近くにいるみたいだ。

 ナオは安心して、そのまま深い眠りに落ちていった。


 ナオは夢を見ていた。

 フリルのついた黒いワンピースの少女。

 恐ろしいほどに無表情なのに、彼女は笑っている。

 凍るほど冷たい目をして笑っている。

 そして最後はいつも同じだ。

 彼女の足元に無数に転がっている人間たち。そして――。


 飛び起きた時、ナオはベッドの上にいた。ここは本社の宿泊施設だろう。かざりっけの無いジプトーンの天井と、安いクロス貼りの壁がそれを確信させた。

 日は昇っていたが、時間はまだ早かった。隣ではイクミが布団を蹴飛ばしたまま体を丸めて眠っている。

 少し頭が痛いけれど、眠くは無かった。昨日のあの恐ろしい感情を思い出したナオは、お湯で洗い流してしまおうとシャワーを浴びた。

 浴室から出ると丁度イクミが目を覚ましたところだった。


「係長さん、おはよう。もういいの?」

「うん、ありがとう」


 食堂へ向うと、トモヤは既に食べ終わっていた。


「大丈夫ですか」


 トモヤが心配そうに尋ねてきた。


「うん。昨日はありがとうね」


 宿泊施設は、各支社から来る出張者の負担を減らす為に建てられたが、本社の歓送迎会や各種研修会などにも使われている。本社からも駅からもそう遠くないばかりではなく、質素な作りながらすごしやすい建物だった。

 その施設の食堂は、宿泊者向けの朝食のほか、昼は定食、夜は居酒屋として地域住民にも開放していた。本業である福祉事業の一環なのだろう。それでも好評のなのか、朝から一人暮らしと思われる老人が何人も食事を取っていた。

 ビジネスホテルの朝ご飯より少しだけ豪華な洋食だ。とはいってもパン、コーヒー、目玉焼きに、ウインナー、それにサラダというメニューはホテルのそれとたいした違いは無い。

 イクミはコーヒーの替わりにオレンジジュースをもらっていた。


「すぐ帰りますか?」


 トモヤが、ロビーで買ってきたお気に入りの缶コーヒー「ブラック加糖」をポケットから取り出した。


「もう一度、本部長に会ってからね」

「作戦本部長って、係長のお父さんなんだそうですね」


 少し声を落としてトモヤが尋ねた。


「何処で聞いたのよ」


 イクミが、私は知りませんという顔をしてオレンジジュースを飲んでいる。


「内緒にしておいてよね」

「どうしてですか」

「血も繋がっていないし、戸籍上も他人なの。それに、親の七光りとか言われたくないし」


 ニシは完全に養子としてナオを戸籍に入れたりしなかった。理由はわからないけど、今にして思えばありがたかった。苗字も違うから親子だと知っている人も少なかった。

 ナオは自分の力でここまでやってきたつもりだったが、ニシの事が知れれば色眼鏡で見られるだろう。ナオの負けず嫌いなところがそれを許さなかった。


「そういえば昨日、すごい人に会いましたよ」

「すごい人?」

「レイラのお父さんですよ」


 小さい頃生き別れになった父親がいるとは聞いていた。


「それが聞いてくださいよ、この前高速で奪ったトラックの運転手なんですよ」


 あの時レイラが寂しそうな顔をしていたのを思い出した。

 折角の親子対面だったのに悪い事をした。


 車で待っていると言うトモヤを残して、ナオはイクミと本社へと向った。

 良く晴れていた。気温もそれほど低くはない。そよ風というには冷たすぎる風が、肌に突き刺さって心地よかった。

 本社の受付では、昨日と同じ受付嬢が相変わらず無表情な顔をして座っていた。


「作戦本部長に呼ばれてるんだけど」

「ヨシノ様ですね。少々お待ちください」


 受付嬢がコンピューターを照合して、作戦本部長の予定を確認している。


「お待たせしました。五階へどうぞ」


 昨日と同じ場所に案内されたナオは、そこで秘書からスーツケースと刀、そして小型の外部記憶装置を手渡された。


「本部長は本日はこちらにいらっしゃいません。これをお渡しするよう言われています」


 スーツケースの中身は拳銃だった。弾は特殊な造りになっているようだった。


「これ、電磁石みたい」

「何それ」

「電気を流すと磁石になるの」


 ミズキは通常の弾なら受け止めてしまうし、磁石の弾は弾き飛ばす。その二つの性質を電気的に切り替えられれば、彼女を倒す事が出来るかもしれない。そう言うことらしかった。


「じゃあこっちは」

「同じ原理の刀かも。レイラさん用だね。そしてこれは私のさ」


 イクミは外部記憶装置に頬擦りした。


 地下の駐車場ではトモヤが座席を倒してくつろいでいた。


「なんですそれ」

「お土産よ」


 荷物を積んで乗り込もうとしたとき、目の前に黒塗りのリムジンが現れた。後部座席に座った人物をナオは良く知っていた。


「ちょっと待ってて」


 ナオはその車に向って走っていた。

 体格の二人の男が飛び出してナオの行く手を阻む。

 何の躊躇もなく二人の男を倒すと、ナオはその車の扉をたたいた。


「どうした」


 窓を開けてニシが顔を出した。


「いろいろありがとう。それだけは言っておきたくって」


 ナオがそう言い終わると車は動き出した。

 右腕を軽く振っている父親の後姿がはっきりと見えた。


「係長やばいって」


 トモヤのバンがナオの横に走りこんできた。さっき倒した男たちが立ち上がって、ナオに向ってくる。

 ナオが飛び乗ると同時に、大きなスリップ音を響かせて走り出した。

 後ろから走って追っかけてきた男たちは、出口付近でやっと諦めた。


「何やってるんですか。本社のSP叩きのめすなんて。課長が聞いたら今度こそ切れますよ」


 仏のミエと呼ばれてはいるが、その怖さはフィックス・スター社一と恐れられている。彼女が怒った所をナオはもう何年も見ていなかった。


「久しぶりに見てみたいな」

「冗談でしょ」


 イクミは当事者じゃないからそうも言ってられるが、ナオにとっては避けて通りたいものの一つだった。


「でも、もう課長の耳には入っているかも」

「どうして」

「この車一応社有車ですから」


 SPであればそのくらい朝飯前だろう。別にナンバーは隠していないし、車体には第十三支社のコードネームであるアルデバランの文字がアルファベットで印刷されている。


「やってしまったことは、しょうがないわ。さて、帰りましょう」


 とにかく今は忘れることにした。

 車は首都の市街地をすり抜けて、都市間高速道路へと向う。

 空は晴れわたり、太陽の光が路面の雪にまぶしく光っていた。

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