七 ミズキ襲撃作戦
第十三管理局がある公園の駐車場に車を止めて、ナオたちは管理局の様子をうかがっていた。ガラス張りの建物は中から周囲が見渡せるようになっていて、どの方角にも監視カメラがついている。
「なにあれ」
「トモコ・オクデラって人の作品だって。名前は――」
イクミがCCDカメラの倍率を上げて、建物の中央にそびえたつオブジェを画面一杯に映しだすと、観光ガイドを片手にトモヤが解説を始めた。
「なにやってるの。デートでもしているつもり」
「レイラさん、もしかして妬いてるのかなあ?」
イクミが笑ってからかったが、レイラは聞こえなかったかのようにすましていた。
一週間にわたる調査の結果、一日二回、定期便のトラックが搬入口を使って中に入るのが分かった。管理局に搬入される文房具などの物資は、決まった搬入業者が定期的に納品する。ここに来る定期搬入便はアルミ製の屋根付荷台を載せた一トン半のトラックで、乗っているのは運転手一人だった。
ナオは簡単で被害の少ない方法として、この定期便を使った潜入を計画した。
「定期搬入便が予定ポイントを通過したよ」
「では、作戦開始」
トモヤが打ち合わせ通り搬入口へと向う道路を塞ぐようにして車を止めるた。後からやってきたトラックが、それに気付いてクラクションを鳴らす。
「すいません。エンストしちゃって。押すの手伝っていただけませんか」
思いっきりかわいらしい演技で話し掛けるナオの姿をモニターで確認しながら、イクミは声をかみ殺して笑っていた。
「何やってるんだよ」
ぶつぶつ言いながら運転手が降りてきた。見慣れた緑の制服に同じ色の帽子をかぶった四十代くらいの男は、後からレイラに殴り倒された。
運転手を紐で縛って荷台に放り込むと、ナオとレイラを荷台に乗せて扉を閉じた。
建物より少し離れた所にある搬入口は、高さ八メートル、幅七メートルもあり、大型のトレーラが楽々と入れるほどの大きさだ。入口にはシャッターが閉まっていて、監視カメラとカード式の電気錠がついていた。トモヤがダッシュボードに置いてあった識別用カードキーをシャッターの横にある読み取り機に差し込むと、シャッターが小さな音を立てて上がりはじめた。
そこは思った以上に広かった。
内部の出入口付近に車を止めたが、職員は誰も出てこない。監視カメラも見当たらなかったので、荷台を開けナオたち二人を下ろすと、荷物の積み下ろしを手早く済ました。
「トモちゃん、慣れているんだね」
イクミが感心して窓から顔を出していた。
「昔バイトしてたんだ。引越しとかさ」
作業が終わるとトモヤは再び車に乗り込んだ。
トモヤはこう言った作戦が得意ではなかった。足手まといになる訳にもいかないので、同じく今回出番の無いイクミと一緒に外で待機する事になっていた。
「それでは係長、気をつけて」
「ファイトです」
トラックは何事も無かったかのようにもと来た道を戻っていった。
ナオはP210にいつもの9ミリ弾を装着した。その横で、レイラは持っていた刀を背負い直して、その紐をしっかりと結んでいた。
「いきましょう」
巨大な搬入用シャッターの脇にあるくぐり戸を抜けると、目の前に十メートル四方もあろうかと言うほどの広い空間があった。コンクリート打ちっぱなしの壁に全面カーペット敷きの床。天井もコンクリートが剥き出しで、照明器具と空調機が丸見えの状態でそこからぶら下がっている。
湿ったコンクリートのアルカリ的な匂いが、冷たい空気とともに漂っていた。
部屋に入ると同時に、奥の搬入用エレベーターが動き始めた。
ナオは入口で銃を構える。
エレベーターの止まる音が響き、扉が開く。峠で会った時と同じ黒いワンピース姿のミズキがその中に一人で立っていた。
「また逢ったわね、ナオ・ヨシノさん」
ミズキはナオをフルネームで呼ぶと、前と同じ冷たい表情で笑った。
(わたしは彼女を知っている)
ミズキを見たとたん、前回と同じ感覚に襲われた。何度も思い出そうとしたけれど、夢に出てきたあの少女しか思い当たら無かった。
「あなたの相手はわたしです」
レイラが割り込むように二人の間に入ってきたので、ナオも考えるのを中断してミズキの動きに注意を払った。レイラはいつもと同じく落ち着いた表情をしていたが、前回の雪辱を果たそうという気合が全身から滲み出してくるのがひしひしと感じられる。
「あなた、名前は」
「レイラ・ヤシンと言います」
「もう腕は大丈夫なのかしら」
ミズキはレイラを心配しているのではなく、ただ余裕を見せているだけのようだった。
「前回は油断しましたが、今日はそうは行きません」
両腕を構えてレイラは間合いを詰めた。
「今度は腕だけじゃすまないわよ」
ミズキは相変わらず腕を組んだまま立っていた。
間合いを詰めきったレイラが、先にミズキの懐に飛び込んで突きを出す。
しかしそれは簡単にミズキの手に受け止められた。
「くっ」
再び間合いを開いて隙を伺うが、前回同様ミズキにはまったく隙が見当たらない、レイラの額に汗がにじみ出ていた。
「もう終わりですか」
見下すような態度で、ミズキが自分より少しだけ背の高いレイラを見上げていた。レイラは手も足もでない状態のまま、身動きもせずに立っていた。
ナオは静かにミズキの横に回りこみ、彼女に向けてP210の引き金を引いた。
まっすぐ飛びだした弾は笑いながら振り向いたミズキの目の前で忽然と姿を消した。
「甘いわね」
顔の正面で開いたミズキの手の中から、ナオが撃った銃弾がこぼれ落ち、カーペットの上に音も無く着地して転がった。
ナオはマガジンを別のに交換すると、再びミズキに狙いを定めた。それには今回対ミズキ用に開発した磁気を帯びた銃弾が込められている。
もう一度引き金をひいた。
弾は止めようとしたミズキの手のひらを突き抜けてコンクリートの壁に突き刺さった。
ミズキの手首から先が姿を消し、その向こうに驚愕するミズキの顔が見えた。
その機会を見逃すレイラではなかった。
すばやく背中から刀を抜き取ると、それをミズキめがけて振り下ろした。レイラの刀がミズキの前をかすった。ミズキはほんの僅かなタイミングで体を引いたが、前髪が数本飛び散って空気中できえた。ミズキの額から赤い液体が一筋流れて落ちて来た。
「血?」
今度はナオたちが驚く番だった。ミズキはコンピューターのはずだった。実体があるとは言え、人間とは違う。磁気弾で消えた手からは流れなかった血が、今ははっきりと見えていた。
ミズキの表情から微笑みが消え、ナオの背筋に寒気が走った。
右手を前に突き出してゆっくりと手を閉じる。にぎった手が青白く光って、そこからまっすぐと光が伸びた。
刀だ。
MSPで創り上げた刀を構えて、ミズキはレイラを睨みつけた。
刀を振り上げてレイラに飛びかかる。
力と早さは明らかにミズキが上で、レイラは少しずつ押されてはじめた。ナオが打ち込んだ銃弾は、まるで予想しているかのように簡単に避けられ、ミズキには当たらない。
ミズキの力はナオの予想を遥かに凌いでいた。これ以上戦っても戦況が好転しないのは明らかだろう。ナオは撤退を決意した。
「撤収よ」
その言葉に気の迷いが生じたのだろうか、レイラはカーペットの継ぎ目に引っかかってバランスを崩し、その隙に乗じてミズキは刀を振り下ろす。
ミズキの刀はレイラの肩から足に向って通り抜けた。
肩から血を吹き上げて、レイラはナオの目の前に仰向けに倒れこんだ。
「レイラ!」
ミズキの顔はまるで機械のように無表情だった。
けれど彼女は笑っていた。凍るほど冷たい目をして笑っていた。
(わたしは彼女を知っている)
血のついた刀を右手で持ったままその場に立ちはだかっているミズキの手や顔は、レイラの返り血で真っ赤に染まっていた。
[ここまで]
その姿を見た瞬間、ナオの頭に沢山の映像が流れ込んできた。
『ソファーのあるリビングルーム』
『右手に刀を持つ黒い服の少女』
『画像の乱れた大型液晶テレビ』
『目の前で血を流している女の人』
それらが目の前の風景に重なって見えた。
まるでデジャヴだ。
「お母さん?」
目の前で倒れているレイラが、記憶の中に現われた別の女性の姿と重なって見えた時、忘れていた母の面影をナオははっきりと思い出した。
「いやあ!」
ミズキは自分のものとは思えないほど大きな叫びごえを上げて、その場で意識を失った。
*
どれくらい気を失っていたのだろう。気が付くとミズキはまだナオの前に立っていた。
ミズキの手の中に刀はすでに無く、返り血も綺麗に拭き取られていた。
ナオは目の前で倒れているレイラを抱きしめた。彼女の呼吸は安定していて、命に別状は無いようだった。
「わたし、あなたの事を知っているみたい」
「この前逢ったでしょ」
前回は思い出せなかったけれど、今ははっきりとナオの記憶に蘇っていた。
夢にでてくる黒い服の少女。あれはミズキだ。
「いいえ、ずっと前。まだ私がずっと小さかった頃」
「思い出したんだ」
ナオは力なく頷いた。
両親が死んだ、いや殺されたあの夜の、ナオの前に血だらけで倒れこんできた母親と、その後ろで笑っていた少女の記憶。記憶。あれは今まで忘れていた私の記憶だった。
夢に出てくる少女の姿は、記憶の奥底に眠っていたミズキの影だったのだろう。
「あんたが、殺したのね」
ナオの声は自分でわかるほど震えていた。
悲哀に満ちた目でミズキはナオを見た。それは慎重に言葉を選んでいる姿にもみえた。
「そうよ。貴方の両親は、私がこの手で殺したわ」
「どうして……」
ナオがミズキを睨みつける。
ミズキは冷たい微笑みを返してきた。
「それはわたしの意思ではないの。だから理由もわからない」
「どういうこと」
「あの人たちをデリートしろと命令されたから」
デリート。つまりは削除。それは殺せという事なのだろうか。
「すべてはあの人の意思よ。私はその意思に従って行動するただのプログラムなの」
「誰なのよ、そいつ」
「管理者。あなた達はそう呼んでいる」
管理者は仕事上の敵でしかなかった。しかしこの瞬間、管理者はナオの両親を殺した仇に昇格した。
ナオはもう一度拳銃をミズキに向けた。
「そいつに会わせて」
「嫌よ」
「会わせなさい」
ミズキは声を荒げて叫んでいた。
「それは出来ないの。行きたければ、私を倒すことね」
引き金を引く。
弾はミズキの目の前で直角に方向を変えると、コンクリートの柱に突き刺さった。
「残念。もうその手は通じないよ」
ミズキはそれでもナオを攻撃する気はない様だった。哀れんでいるのか、楽しんでいるのか、それを彼女の表情から読み取ることは出来なかった。
「今日はもう帰りなさい。車を呼んでおいたから」
シャッターが開き、その先に見慣れた車が横付けされていた。
「お待ちしていましたよ、イクミさん」
口を固く結び睨むような目をしたイクミがシャッターの向こうに立っていた。七年以上彼女と付き合っているが、こんな顔を見たのは初めてだった。
「私たちは殺さないの?」
「そう言う命令は受けていないもの」
ミズキはしれっとそう言うと、まだ意識のはっきりしないレイラを抱えて車に乗せた。
ナオは助手席に座って、ミズキが車を降りるのを無言で待っていた。
「また会いましょう」
ミズキはそう言い残すと、降りてきたシャッターの向こうに消えた。
「どうなってるの」
まだ怒っているイクミに、ナオが尋ねた。
「あんたのボスが倒れているから回収に来いって。あいつがいきなりこの車の中に現れたの。そして用が済んだらすぐに消えちゃった」
ナオが気絶している間に、ミズキはイクミを呼びにいってくれたようだった。
殺す命令を受けてはいないとは言え、ミズキは全くナオを攻撃しなかった。前回もそうだったが、その理由はいくら考えても分からなかった。
「トモヤ、急いでね」
「了解」
トモヤは救急センターへ向ってスピードを上げた。
ナオは取り戻した記憶の中で見つけた母親の顔を思い出した。
そして、静かに泣いた。