六 情報課の女
課長室に入ると、ミエが小難しい顔をして座っていた。
「あんたらしくないわね」
昨日の襲撃はナオにとってはじめての失敗だった。
「すいません。作戦ミスでした」
作戦ミスとか言う次元でもなかったが、その理由が言い訳としては一番しっくり来た。もちろんそんな事はミエは分かってるようだった。
「謝る事は無いわ。ベガの一課でさえ出来なかったんだから」
「でも」
「誰もそこまで期待していないって」
無敗の伝説が破られはしたが、相手がミズキだったことで、ナオの評判が下がることはなく、人気は以前より確実に上がった。戦略三課処理係長も失敗する事があるのだという安心感がそうさせたのだろうが、ナオにして見れば、それは気休めでしかなかったし、立場上このままで終わらせるわけにもいかなかった。
「だけどね、このままと言うわけには行かないのよ」
ミエは紅茶を勧めながら、ナオの考えを代弁するかのようにそう言った。
そろそろ三十路を迎えようとしていたが、童顔で身長が平均よりかなり低かったため、課長席に座っているミエの姿はとてもかわいらしく、たいした用事も無いのにやたらと尋ねてくる者は男女の別なく非常に多かった。
こうして話しをしている間にも、三人ほど課長室に顔を出したが、ナオを見てそそくさと帰っていった。ナオとミエが姉妹の様に親しい間柄だと知らない人間は、少なくとも戦略三課には居なかった。それでも仕事の時は二人とも場をわきまえて付き合っていた。
「失礼します」
四人目のお客は、前の三人とは明らかに違っていた。ミーハーな感じはまったく無かったし、ナオよりも年下の様だったが、妙に落ち着いて見えた。
「お呼びですか、タカトリ戦略課長」
珍しく課長が呼び出したらしい。
引っ切り無しに尋ねてくるミーハー達から逃れる為に、ミエは大抵の用事を自らで向く事で済ますようにしていた。部下の普段の様子もわかるし一石二鳥だと本人は言っていた。
上司が仕事場に顔を出すのは、部下にとってあまり歓迎すべき事ではなかったが、ミエに限って言えば、何処にいっても歓迎された。それが人徳によるものでない事をナオは良く知っていた。
「こっちは戦略三課処理係のヨシノ係長。で、こっちが――」
「情報課のアキ・ヒダカです」
アキは軽く会釈をした。ナオはその表情に人ではない違和感を感じた。
「例の件だけど・・・・・・」
ミエは椅子を勧めたが、アキはそれを断った。
「悪いんだけどヨシノ係長。ヒダカ主任と一緒に例の少女、ミズキとか言ったわね、彼女について調べてほしいのよ。あなたの報告書は、それにしても興味深いわ」
報告書の記録してあったメモリーカードを端末から引き抜くと、ミエはそれをナオに投げて返した。
「漠然として分からないのよ。このままじゃ次の作戦を立てようが無いしね」
「調査係はどうしたんですか」
普段ならこう言った仕事は調査係の仕事だった。
「それとは別よ。こればっかりは、他人に任せては置けないでしょ」
「ええ、まあ」
あの少女――ミズキは、ナオの夢に出てくる少女に違いなかった。報告書には書かなかったが、そのことは気になっていたので、自分で調べることが出来るのは嬉しかった。調査係の方が研修会と重なっていて人手が少ないのも理由の一つだろう。
「じゃあよろしくね」
アキが短く返事をして先に部屋を出たので、ナオもそれに従った。
「それとナオ」
入口で礼をしたナオをミエが呼び止めた。
名前で呼ぶときは仕事以外の話の時だ。
「どうしてあなただけ無傷だったの? 私はそれを考えると本当に眠れなくなるのよ。ナオが無傷なのは嬉しいんだけど。もしかしてミズキと何か関係があるんじゃないかって」
「大丈夫ですよ」
ミエを安心させようと取り合えずそう答えておいた。ミズキがどうして目の前にいたナオに指一歩触れなかったのかは分からなかった。夢に出てくるあの少女と関係があるのかも知れないが、それはまだミエに言える段階ではなかった。
「きっとミズキの気まぐれですよ」
ナオは苦笑を返すと、ゆっくりと扉を閉めた。
アキは無言のままナオと並んで処理係へ向った。
事務室に戻ると、いつも通り部屋の片隅でヒッキーと化しているイクミがいた。スナック菓子を口に運びながらファッション雑誌を眺めていたアリサは、ナオとその客人に気付くと、慌てて雑誌を閉じ、食べていたお菓子を机の引き出しに放り投げた。
「お帰りなさい、係長。えっとコーヒーでいいですか」
アキが頷くのを確認して、アリサは給湯室へ走り去った。
「今のが庶務のアリサ。あそこで機械と化しているのが――」
「キタヤマ主任ですね」
「知り合い?」
イクミは二年前まで情報課で技術主任をしていたし、この会社のコンピューターシステムは彼女の力なくしては出来上がらなかった。だから今でも暇を見つけては情報課に顔を出し、バグ修正を行ったりしていたので、彼女の事を知らない情報課の社員はいないはずだった。
「彼女がいるのなら、私の出番はないですよね」
嫌味に聞こえない程度にさらりとアキが言った。イクミがここに居るのはアキも知っていたはずだ。わざわざここに来た理由はともかく、ナオはこの少女に興味を引かれた。
「あの子には不向きだと思うのよ」
腕は確かだった。ハッキング技術では国内でも五本の指に入るだろう。でもイクミには発想力が不足していたし、未知のものに対しては良くフリーズした。彼女はエンジニアであってクリエイターではない。そのことはミエも良く分かっているのだろう。
実際この前の襲撃以来、彼女はミズキの話を一切口にしなかった。何か聞こうものなら、わざとらしくしらばっくれたりもした。
アリサが、アキにはオリジナルブレンドコーヒーを、ナオにはスプリングサイドという紅茶
をいれて運んできた。
「トモヤさんはレイラさんを迎えに行ってます」
骨折および全身打撲と診断されたレイラは、すぐにでも職場に復帰したいと言い張ったが、精密検査と療養をかねて一日だけ入院させた。
「暑くない?」
外から戻ってきたからか、部屋の中は少し暑く感じられた。ナオが上着を脱いで椅子にかけると、ネックレスがナオの胸で大きくゆれた。
「桜?」
アキの視線は、ナオの首に下がっているネックレスに向かっていた。
「ああこれ、両親の形見なの。そういえばミズキもこれを見ていたっけ。たいして高価物でもないんだけど、気に入ったのかな」
ナオは改めてそのネックレスを手にとって眺めた。
桜の花びらを模した簡単なデザインのネックレスは、輝きこそしなかったが、とても頑丈だった。どのくらい価値があるものか以前確認しようとしたが、店の親父に二束三文だと言って笑われた。
「イクミ先輩、今朝からずっとあのままなんですけど、大丈夫でしょうか」
カップを並べ終わってから、アリサは小声でそう言うとイクミを小さく指差した。
「熱中している時はいつもそうなのよ」
プログラミングやネットゲームに集中している時は、じっと画面を睨みつけたまま手だけがリズミカルに動いている。今まさにそう言う状態だった。
「でも、ちょっと変ですね」
アキが立ち上がってイクミの後ろから覗き込んだ。目の前で手を振って見たが、イクミは全く反応しない。
「どうしたの」
ナオは心配になって立ち上がった。
「端末を一台お借りできますか」
自分の机でスクリーンセーバーの為だけに起動させている端末を、ナオは険しい顔をしているアキに渡した。イクミにも劣らない指さばきでメインコンピューターに入りこむと、アキはいきなりシャットダウンのコマンドを打ちこんだ。コンソールにインフォメーションが流れ、メインコンピューターの終了を示すメッセージが表示された時、イクミの指がぴたりと止まった。
ゆっくりと頭をもちあげて天を仰ぐと、イクミはそのまま気を失って床に倒れた。
額に濡れタオルを乗せたまま、イクミはソファーに横たわっていた。
アキはコンピューターの電源を入れ直してログを解析している。
二杯目の紅茶を飲みながら、ナオはネット上のSSPの解説をしているサイトを探した。
『SSP――プログラム実体化システム』
旧科学省の人工知能研究所が極秘に開発したシステムで、コンピューター内のプログラムに一つの人格を与え、それをアンドロイドに組み込んだのが始まりだと言われている。
彼らは意思をもつ機械として人間の社会に入り込み、やがて革命を起こす。機械による支配は、血を流す事の無い革命によって成し遂げられた。そのときの中心を担った官僚の多くはこのSSPであったとも言われている。
それは歴史の教科書には記載されていない。革命はあくまでも人の手で行われた。それは今の支配者にとって一番大切な真実だった。
そしてSSPそのものが何の確信もない都市伝説だった。そう言ったものの存在を政府は一切認めていなかったし、SSPに関する資料は何一つ公になっていなかった。
それでもナオは、何となく「彼ら」が存在する気がした。ミズキに会ったからだけではなく、以前からその存在を知っている。そんな気がしていた。
「キタヤマ主任はミズキにハッキングを仕掛けていたんです」
ログをチェックしていたアキが何時の間にがナオの隣りに立っていた。
昨日の襲撃で見たというミズキのシステムメッセージを再現するつもりだったのだろう。車戴サーバーでは出来なかったとしても、ここのシステムならあるいは可能だったかも知れない。
「でも、逆に相手にハッキングされたようです」
「イクミがハッキングされた?」
そのこと自体が驚きだ。ハッキング技術以上にイクミのセキュリティープログラムはすばらしかった。イクミがハッキングされたとしたら相手は化け物に違いない。それでも車戴サーバーの有様を考えれば納得行かない事ではなかった。
「催眠効果のある画像が送られてきたんです」
イクミが取り付かれたような状態だったのは、その画像が原因らしかった。コンピューターに比べれば、イクミそのものは単純といってもよかった。簡単に暗示に掛かったとしても驚く事では無い気がした。
「ミズキはSSPなんでしょ」
ナオのその言葉に、アキは一瞬驚いた顔をした。
「どうしてそう思うんですか」
「イクミがそう言っていたの。SSP搭載六型コンピューターだってね」
アキに聞いたからと言って分かる事でもないだろうが、ナオは自分の考えを整理しようとあえてその質問をアキにぶつけた。
「そうですか」
アキは考え込んでいる様だったが、やがて決心したようにナオを見た。
「キタヤマ主任の言う通りミズキはSSPです。でも実際、彼女はそれ以上のシステムなんです」
「どういうこと」
アキの口から出てきた言葉は、ナオの予想を遥かに越えていた。SSPの存在を断言された上、それを越すシステムの存在を知っているアキに対して、ナオは警戒した。
「SSPは実体のあるもの、たとえばアンドロイドにコンピューターのプログラムを埋め込むような物ですが、ミズキは違います。プログラム自体が空間に実体を作り上げるんです。それを情報局ではMSPと呼んでいます」
『MSP――プログラム物質化システム』
それはアンドロイドのような受け皿を使わずにプログラムそのものを物質に変換し存在させることが出来るシステムだとアキは説明した。
「どうやったらそんなことが」
感覚的には分からないでもなかったが、原理は全く分からない。横で聞いていたアリサからは、沢山のクエスチョンマークが飛び出していた。
「つまり……。聞きたいですか」
アリサは大きく首を振った。ナオも小さく首をかしげて遠慮した。
「私は科学者じゃないから、そこはブラックボックスでもかまわないんだけど・・・・・・」
ミズキがスーパーコンピューターの一つで、そう言ったシステムを使って少女の姿をしている事は分かった。
「問題はどうやったら倒せるかなのよね」
ナオの最終的な任務はミズキの討伐になる事は分かっていた。原理はともかく今はその方法を見つけることが先決だ。
「一番簡単なのは、本体、つまりコンピューターそのものを直接破壊することです」
アキは簡単に答えを出した。
しかしそれは明らかに無理な計画だった。
「彼女はあの建物の一番奥にいるんでしょ」
「そうですね。本体は地下の電算室にあると思います」
「どうやってそこに辿り着くのよ」
本体に辿り着く前に、ミズキに追い返されるのは目に見えていた。それは前回の襲撃で痛いほど味わった。
「あの少女よ、黒いワンピースを来たあの女の子」
ナオは夢に出てくる少女と、ミズキの姿をダブらせた。
「いつも人の夢に出てくるんだから。何だっていうのよ」
思わずそう口走ってから、ナオははっとして口を押さえた。
アリサがぽかんと口を開けていた。
アキはさっきより険しい顔でナオを見ていた。
「出てくるのよ、時々」
ナオは観念して説明をはじめた。
「真っ白い空間に、真っ黒い服を着た少女が立っているの。フリルのついた黒のワンピースに黒い髪。凍るほど冷たい目をして笑っているの」
「それが、ミズキなんですか?」
「そっくりなのよ、とても」
ナオが夢に現れる少女の姿を再びミズキに重ねたとき、突然イクミが飛び起きた。
「分かった!」
頭に載っていたタオルが勢い良く飛び上がり、アリサの手の中に着地した。
部屋中の視線がイクミに集中する。
「対ミズキ戦略兵器が見つかったよ。とりあえずお水を頂戴な。アリサちゃん」
イクミはアリサが汲んで来た水を、きっちりコップに二杯飲み干した。
「で秘密兵器って何よ」
「戦略兵器!」
「核爆弾とかですか」
「つまんないよ、アリサちゃん」
イクミはアリサの額を指で弾いてから、覗き込む六つの目を順番に見回した。
「磁石だよ」
「磁石って、あのプラスとマイナスがあって鉄にくっつくあれ?」
「アルミニウムはつかないですよね」
アリサが何気にボケたが、それは簡単に無視された。イクミの攻撃を避けようと離れていたからイクミには聞こえなかったのかも知れない。
「彼女は電磁気で造られているみたい。だから磁石を使えば多分……」
「すごい! すごいですよ、イクミ先輩」
アリサが手放しでイクミを誉めた。
「でしょ」
イクミが得意げに腕を組む。
「でも、どうやって使うんですか、イクミ先輩」
われ関せずと言う笑いを振り撒いてイクミはソファーの上に立ち上がった。
「それを考えるのはあの人です」
イクミが指差すその先には、左手をギブスで固めたレイラが、訳も分からず困った顔で立っていた。
*
「何かあったら呼んで下さい」
帰り際にアキはそう言った。
「ありがとう。おかげで何とかなりそう」
「それはよかったです」
レイラを中心にして、磁気を使ったミズキ攻略作戦を立てることが出来たのは、アキの功績も大きかった。イクミとアキの会話には後から加わったトモヤを含めた四人にはちんぷんかんぷんだったが、MSPの理論とその対策は完璧だった。
「SSPとかMSPとかどうしてあなたが知っているの。一般的には知られていないんでしょ」
SSPそのものが都市伝説でしかなかったはずなのだが、それを現実として受け入れることでミズキの存在は証明できたし、その対策も立てる事が出来た。アキがそれを知っていたと言うことには驚いたが、誰一人そのことには触れなかった。
「私は情報省で働いていたんですよ」
アキは悪びれる様子もなくそう答えた。
フィックス・スター社では、相手の情報を入手するために、時どき情報省を辞めた人を受け入れていた。アキもその一人に違いない。スパイの可能性もあるから、情報省から来た者には注意しろと教えられてはいたし一時は警戒もしたが、自分からそのことを告白したアキに限ってそう言った心配はないように思えた。
「それともう一つ、MSPは案外と沢山、この社会に浸透しているんですよ。革命前に多くのSSPが人間とともに生活していたように。たとえば彼女とか」
アキがイクミに視線を移した。
「面白い話ね。でも彼女は人間よ」
確かめたことは無い。けれどあんなに能天気な性格のSSPを造るなんて考えられないし、もしこの中にSSPが居たとしたらそれはレイラのような気がしてならなかった。
「冗談です。でも、周りにはきっといますよ」
アキは笑った。
SSPが革命を起こしたかどうかは言わなかったが、SSPは確かに人間社会に溶け込んでいたとアキは説明を加えた。
「このことは内緒ですよ」
ナオの唇に人差指を当てながらそう言うと、アキは自分の職場に戻っていった。