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十三番目に輝く星(2005)  作者: 瑞城弥生
4/14

四 黒い服の少女

 峠の駐車スペースは小さな展望台になっていて、県境の山が何処までも連なっているのがよく見える。山には雪が積もっていて、昼間だったら真っ白な山肌が太陽の光できらきらとまぶしく光るに違いない。

 今日のように月のない夜は、それらの山々は真黒に染まり、空の星だけが散りばめられたように輝いて、じっと見ていると吸い込まれそうだった。


「宇宙にいるみたいよね」


 量販店で買ったような安物のスーツに、特売のコートを着込んだ上司を、レイラはいぶかしげに覗きこんだ。普段はトレーナーにジーパン姿だが作戦によってはスーツを着る事もある。戦闘になればどうせそれは使い物にならなくなるのだからと、いつも安物で済ませていた。会社に居る時は制服を着ていればいいのだから、それで問題は何も無い。


「行った事あるんですか、係長」

「行ってみたいよね」


 少しお金さえあれば、一般市民でも月や火星に行くことは出来た。月にもこの国のメインフレームが設置されていると聞いたこともある。


「あの星・・・・・・」


 南西の空にひときわ輝くオレンジ色の星を見つけたナオは、無意識にそれを指差した。


「アルデバランです。おうし座の一等星ですよ」

「詳しいんだ」

「好きなだけです」


 レイラは学問、ファッション、深夜のアニメーション、ハッキングから夜のおかずまでいろいろな事を良く知っていた。よくもあれだけの知識を憶えられるものだと感心する一方で、もしかしたらコンピューターで出来ているのではないかと疑ったりもした。


「アルデバランか」


 ナオはこの星が気に入っていた。所属する会社のコードネームだし、自分がおひつじ座だと言う事もあった。けれど、何となくそれだけではないような気がしていた。


「こんな夜空を見ていると、自分のやっている事がどうでもいい事なんじゃないかって思えてくるのよね」

「係長!」


 レイラが少し強い調子でナオの言葉を制した。

 寛大な会社だとはいえ、その方針を否定する事は部下の士気を下げる事になりかねない。上司としては軽々しく口にしていい言葉ではなかったようだ。


「係長さん!」


 雪につまづきながら走ってきたイクミが、ナオの目の前で雪を舞い上げて派手に転んだ。

 顔中雪で真っ白になったイクミはそれを払いながら立ち上がった。


「冷たいし」

「どうしたのよ、そんなに慌てて」


 ナオはおかしくなって笑ったが、レイラは何時も通り無表情だった。


「お手伝いさんが到着ですよ」


 イクミがふくれ面でそれだけ言った。

 

 駐車スペースには、支援課から駆けつけた五名が一列に並んでナオを待っていた。迷彩服にヘルメットといういでたちで、背中には機関銃を背負っている全員が体格のいい男だった。

 彼らの後ろから、制服姿の女性が一歩前に出て敬礼した。


「支援課第五支援係のタナベです」

「あなたが係長?」


 背が低いことを除けば、男達とそれほど違いの見られない体格のタナベは、見た感じナオとそう変らない年齢だった。

 フィックス・スター社は、巨大企業にしては珍しく年功序列を採用していない。能力に応じて適正な権限が与えられたし、不適任と判断されれば、いつでもそれは剥奪された。


「はいヨシノ係長。本日の作戦におきましては、ヨシノ係長とともに行動できます事を、みな誇りに思っています。よろしくお願いします」

「大げさね。こちらこそよろしく。タナベ係長」


 ナオは笑って手を伸ばしたが、タナベは部下と共に敬礼で返した。支援課は規律を重んじる軍隊のような風習があった。もちろんそのために実行部隊としては非常に優秀だ。


「係長さんてば、自分が有名なの知らないんだ」


 イクミくすくすと笑ったが、レイラは小さくため息をついただけだった。


 作戦は簡単だ。

 道を閉鎖する。トラックを止める。トラックを奪う。それだけだった。

 ベガが全滅するほどすごい敵だったとしても、この峠道で囲まれたら手も足も出まい。とにかくトラックを奪ってしまえばこっちのもんだ。

 崖の上に狙撃手を一名待機させると、乗ってきた車で道をふさいだ。

 準備がすべて整ったとき、また雪が降りはじめた。


「天気予報当りましたね」

「こういうときに限って当たるんだよね」


 気象予報士は雪だと言った。普段当たらないだけに、たまに当たるとなんだか許せない気持ちになってくるから不思議なものだ。

 ナオは待機している調査係からの無線連絡を待っていた。峠の向こうにある駐車スペースに車を止め、そこを通過したら知らせてくれる事になっていた。

 自動室温調整器が付いているから車の中は一定の温度に保たれているはずだった。けれど時間を追うごとに厳しくなる寒さは、車の窓ガラスから直接ナオの体に伝わってきた。


「寒っすね」


 トモヤは運転専門だ。一応拳銃は支給されているが、練習以外に撃つことはほとんど無かった。射撃場での成績は悪くないが、一度間違って同僚の腕に当ててから、怖くて撃ちたくないといつもぼやいていた。

 拳銃の腕だけならレイラより命中精度は上だったが、怪我をしてキーボードが打てなくなったら嫌だと、イクミも拳銃は大事に仕舞い込んだままだった。

 今回はスーパーコンピューターが稼動したまま運ばれてくる事も想定して、ハッキングの準備もしてあった。そう言った意味でイクミはトモヤと違って重要な戦力である。


「寒くないですか、係長」


 トモヤが買いこんであった携帯用カイロを袋から取り出した。


「うるさいわね、少しはレイラを見習いなさい」


 ナオは車で暖を取っていたが、レイラと支援係の六人はいつでも飛び出せるように外で待機をしていた。トモヤにはそう言ったけれど、この寒空の下で待機しろといわれたら二つ返事で断るだろう。


「あいつら人間じゃねえし」


 トモヤの意見は案外的を得ているような気がしていた。

 目標の到着予定時刻はとっくに過ぎていた。しかし調査係からはまだ連絡がこない。この雪で出発に遅れがでているのだろうが、少し心配になってきた。


『目標が接近中』


 車戴無線機から緊張した声が聞こえ、車の中にも緊張感が漂った。


「はいはい、了解しました」


 イクミが全く緊張感の無い声でそれに答える。それにつられて、ナオも丁度よいくらいに力が抜けた。


『目標は三十トンのトレーラー。護衛のワンボックスカーが先頭に一台付いています』


 ナオはダッシュボードから、お気に入りのP210を取り出すと表に出た。

 当間隔に点滅するハザードランプのオレンジ色の光が、落ちてくる雪に反射してきれいに輝いている。車を降りたナオの足の下で、雪が小さな音を立てた。


「来たわよ」


 表で待機していたレイラは、先の部分がビームサーベルのように赤く点滅するタイプの誘導棒を取り出すと、その電源を入れた。周りの雪が赤く染まる。


「護衛は一台だけよ」

「ずいぶん少ないですね」

『護衛がターミネーターだったりして』


 イクミの声が無線機を通して聞こえてきた。


「まさかさ」

『モビルスーツが搭載されているとか』

「アニメの見すぎよ、イクミ」


 それにしても確かに護衛は少なすぎた。


「ダミーでしょうか」


 レイラはナオと同じ事を考えていた。

 たかが一台のスーパーコンピューターに三十トントレーラーは確かに大きすぎだ。中に警備員が二十人くらい入っていてもおかしくない。あるいはダミーか。

 情報省も時どき嘘の情報とダミーの標的を使ってテロに対抗した。先日も第十一行政区で痛い目に遭わされたばかりだった。


『目標が通過しました。護衛の車は民間警備会社のものです。スリーエス警備保障ですね。武器所有許可の出ている会社です』


 特別重要なものでテロの対象になりそうな場合は、銃火器使用の特別許可を受けた警備会社がその警備を請け負う事になっている。数が少ないとはいえ、彼らが警護しているのだとすれば、ダミーだと疑う余地は無くなった。

 数が多いだけなら負けはしない。問題は写真に写っていたあの少女だけだった。


「肉眼で目標を確認」


 双眼鏡で覗いていたタナベが、はっきりした口調で報告した。

 遠くにヘッドライトが見える。

 レイラが道を塞ぐように車の前に立って、誘導棒を大きく左右に振った。

 その隣にはナオとタナベが並び、トモヤとイクミが乗っているバンの後ろには、四人の支援課の隊員を乗せた装甲車が隠れて、近づいてくるトレーラー待っていた。

 徐々に迫ってきたヘッドライトが赤い光に気付いてスピードを落とす。

 先頭のワンボックスカーがレイラから少し距離をおいて止まった。そのすぐ後ろで油圧クラッチの外れる音が響き、ディーゼルエンジンの振動が、地面を通してナオの体にまで伝わってきた。

 ナオは警備会社の車に駆け寄ると運転手側の窓を軽く叩いた。


「どうしたんだい」


 運転手が窓を開けて顔を出す。

 ナオはその男のこめかみに拳銃を突きつけた。


「悪いんですけど、後ろの荷物をいただきに参りました」


 得意の営業スマイルを見せてから、慌てる運転手を拳銃で殴り倒し、タイヤを打ち抜くと、レイラの立つ位置まですばやく後退した。

 装甲車が現れ、ナオたちの盾となる。

 相手もプロだ。気絶した運転手以外はすばやく車を飛び降りるとその後ろに身を隠した。


「あの人たちやりますね」

「そりゃ、わが国最高の警備会社だからね」


 支援課の装甲車両に隠れて、ナオたちは突撃する機会をうかがっていたが、相手はその隙を与えなかった。


「タナベ係長。相手の注意を引いてくれる。その間にあのトレーラーを奪うから」


 返事を確認してからナオは一度車に戻った。


「どう」


 キーを叩くイクミの顔は真剣そのものだった。


「あの子、生きてる」


 彼女は自分のコンピューターには名前を付けていたが、それ以外のコンピューターを「あの子」と呼んだ。イクミにとってコンピューターは親であり姉妹であり、そして友達だった。


「どういうこと」

「ほぼ完全な自律システムを持っていて、与えられた目的の為に自分の意志で動いているの」

「まさか」


 この国の統治者であるメインフレームと各行政区を管理している十三台のメインフレームには完全な自律システムが搭載されていて、自らの意思で物事を決定する事が出来る。ナオは中学の情報処理の時間にそう習った。


「機能限定版がいくつか出回っていると聞いた事があるけど、もしかしたらそれかな? すごい大物には間違いないけどね」

「ハッキングできる?」

「多分無理。やっては見るけど期待してないで」


 そう言ったイクミの目は輝いていた。

 タナベは警備会社と激しい撃ち合いをしていた。お互い致命傷を与えないように注意深く撃ち込んでいるため、なかなか戦況は変らない。弾薬だけが無駄に消費されていた。

 ナオはレイラと一緒にわき道からトレーラーの運転席へと近づいた。

 三人がゆったりと座れる運転席では、運転手と助手の男が心配そうに戦況を見守っている。


「あれ、なんでしょう」


 レイラが運転席の中央を指差した。

 小さな頭がゆれている。小学六年生位の女の子だ。


「どうしてあの車に……」


 ナオは震える手でレイラの言葉を遮った。

 少女が立ち上がってこっちを向く。

 笑っていた。

 凍るような冷たい目をして笑っていた。


(わたしは彼女を知っている)


 すぐにわかった。

 ベガの報告書に写っていたあの少女だ。

 流れ弾が防弾処理されたトレーラーのフロントガラスに当たって空高く跳ねあがり、落下して再びフロントガラスの前を通り過ぎた時、その少女の顔から笑いは消えていた。

 彼女は銃弾の飛んできた方角を睨みつけた。

 フリルのついた黒のワンピース。

 腰まで届くほど長く、闇よりも黒い髪。


「逃げないと」


 ナオは思わずそう呟いていた。


「係長? どうしたんですか」

「早く逃げないと」


 ナオは自分の声が震えているのを感じていた。

 あの少女だ、間違いない。

 いつも夢に出てくる少女。


(わたしは彼女を知っている)


 少女が運転席から姿を消した。

 運転手は動揺して何かを叫び、助手席の男が慌てて電話をかけている。

 レイラの手を掴むと、ナオは今来た道を引き返した。


 タナベの目の前、銃撃戦の行われている真っ只中にそれは現れた。

 はじめは薄くて四角い小さなものだった。

 二つに分かれ、四つに分かれ、十六、六十四と細胞分裂のように細かくなっていくと、それは次第に人の形へと姿を変えた。

 現れたの小さな女の子だった。

 フリルのついた黒のワンピース。

 腰まで届くほど長く、闇よりも黒い髪。

 そして彼女は笑っていた。

 凍るほど冷たい目をして笑っていた。

 そこにいた全員が、銃撃戦の真っ只中に現れたその少女に注目して動きを止めた。

 すべての音が消え、無音と言う衝撃波が耳から頭を襲ってきた。


「あなた誰?」


 一番最初にその不快感を克服したタナベが、少女に銃を向けた。

 合図はそれだけで十分だった。

 四角くて薄いもの――フロッピーディスクが彼女の手に何枚もにぎられていた。


「タナベ、逃げて」


 ナオの叫び声は彼女に届かなかった。少女の投げたフロッピーディスクはタナベのみぞおちに正確に突き刺さり、その場で弾けとぶと同時に彼女を遥か後方に吹き飛ばした。

 吹き飛んだタナベは、路肩に詰まれていた雪山に大きな人型の穴を開けた。

 残りの四人もあっという間に倒された。

 不思議な事に、少女はそれを味方の警備会社にも投げつけて、五人いた警備員は全員その場で意識を失った。

 隠れていた狙撃手の撃った弾は、少女の頭をかすめる様に通り抜けた。的をはずしたわけではない、彼女が避けたのだ。

 少女は最後のフロッピーディスクを、狙撃手のいる崖の上に投げ飛ばした。

 物の落ちる音が遠くから聞こえた。

 少女は自分を睨みつけているレイラに気付いて、ゆっくりとその間合いを詰め始めた。

 レイラの額に汗がにじみ出るほど、その少女にはまったく隙が無い。

 少女は左足から大きく前に踏み込むと、後ろに高く振り上げた右足を、レイラのわき腹に鋭い速さで打ち込んだ。

 彼女の黒いスカートがふわりと宙に舞い上がる。

 レイラはとっさに腕を出して少女の足を受け止めたが、鈍い音ともに浮き上がりそのまま真横に吹っ飛ぶと、雪の降り積もるアスファルトに力いっぱい叩きつけられた。


「レイラ!」

「大丈夫です」


 どうやら意識はあるようだったので、ナオは一安心した。

 さっきまで銃撃戦が行われていた場所には、敵味方の区別もなくたくさんの人間が転がっていて、少女はそれを見下ろすように立っていた。


(彼女の足元に無数に転がっているもの。それは――)


 ナオは思い出していた。

 あの夢を――いつも見る少女の夢を。

 黒いワンピースの少女の姿を。


 今度はナオに視線を移し、そしてゆっくりと近づいてきた。

 拳銃を少女に向ける。

 少女の長い髪は雪と共に夜風になびいていたが、彼女の表情はトラックのヘッドライトに隠れてよく分からない。

 それでも少女は笑っていた。ナオはそう感じていた。

 そして何故か、ナオは引き金を引けないでいた。


「ヨシノ係長!」


 レイラがナオを助けようと立ち上がったが、一歩も踏み出せずにその場でくずれおちた。


「あなたヨシノっていうのね」


 少女がはじめて口を開いた。

 ナオは黙っていた。

 拳銃を持っている腕に軽く触れてそれを下ろさせると、少女は息がかかるくらいに顔を近づけて、何時の間にか外に出ていたナオのネックレスにそっと触れた。

 全身から力が抜けて、ナオの手の中から拳銃が滑り落ち銃身が雪に突き刺さる。

 桜の花びらを模したネックレスは母親の形見だ。四歳の時からそれは肌身離さず持ち歩いている。別に価値のある物ではなかったが、ナオにとっては大切な宝物だった。

 少女の表情がちらりと見えた。

 ネックレスをもてあそびながら、彼女はとても悲しそうに笑っていた。


「あなた……」


 ナオの声に反応しネックレスから手を離すと、その少女はナオから離れて顔を上げた。

 彼女の顔はさっきと同じ冷たい表情に戻っていた。


「わたしはミズキよ」


 ミズキと名乗った少女は何かに気付いたように、ナオの後方を睨みつけた。


「また会いましょう。ナオ・ヨシノさん」


 そう言い残すとナオを横を通りぬけ、ミズキはイクミの乗っている車へと向った。

(どうして私の名前を知っているの)

 ナオは言い様の無い不安に刈られた。レイラはヨシノとしか呼ばなかったのに、ミズキはナオと言う名前も知っていた。

 イクミの悲鳴が聞こえて、ナオは慌てて振り返った。


 トモヤは車の外で倒れていたのだが、意識ははっきりしていた。


「イクミは?」

「中で下敷きに……」


 荷台の部分はめちゃくちゃで、イクミは棚から落ちた通信機器に押しつぶされていた。


「大丈夫?」

「もうだめかも」


 イクミはそれだけ言うとぱたりと倒れこんだ。

 挟まれているのは足だけで、体のほうはなんともないようだ。トモヤと機材を退かしにかかるが、重くて動かなかった。


「救護係に連絡して」


 救命救急士の資格をもつメンバーで構成された救護係は、負傷した社員の応急処置と搬送を主な業務としていた。連絡を受ければ管轄内なら二十四時間三百六十五日何時でもすばやく駆けつける救急車のような連中だった。

 イクミをトモヤにまかせて、レイラや他のメンバーの様子を見るため車を降りたナオの目の前を、三十トンのトレーラーがゆうゆうと走り抜けていく。

 赤いテールランプを目で追いながら、ナオは黙ってネックレスを握り締めた。


 救援係が駆けつけた時には、まだ多くが地面に倒れたままだった。


「なんだよ、このざまは」


 係長のキソが到着するなりそう言った。


「相手はいったい何人だったんだ」

「一人よ」

「一人?」

「そう。相手の警備会社の社員も含めて十四人。全員一瞬にして倒されたの。しかも一人の小さな女の子に」


 キソは疑いの目をナオに向けたが、そのまま何も言わずに怪我人の救護に向った。骨折をしていて自力で動けないものもいたが、ほとんどは軽症だった。

 キソに手伝ってもらいイクミを引き出したが、彼女は足を打っただけだった。

 落ち着いて聞いてみると、イクミはミズキに倒されたのではなく、慌てて飛びあがったときに棚をひっくり返し自滅したらしい。

 それでも彼女の自慢のコンピューターは、CPUをすべて焼ききられ、ハードデスクは完全にフォーマットされていた。

 それを知ってイクミは泣いた。彼女にとってそれは娘も同然だったのだ。


「係長」


 レイラの左手がだらしなくぶら下がっている。


「あんた、左手」

「大丈夫です。少し油断しました」


 これだけのダメージをレイラに与えられるのだから、ミズキの体術もかなりのものだ。

 レイラは幸い左手骨折だけで済んだ。タナベたちも打撲だけだったので、大きな被害と言えば、イクミのマシンぐらいだった。けれど金額的にはそれが一番高くついた。


「すいません。力になれませんでした」

「大丈夫。また今度よろしくね」

「はい、この次は必ず」


 落ち込むタナベをナオは何とか励ました。反撃するまもなく一瞬で倒された事が、タナベには悔しくて仕方ないようだった。けれどナオも、タナベを気遣う気持ちの余裕など全く持ち合わせてはいなかった。


 現場の後片付けを済ませてナオは峠を後にした。


「あの女の子、何者なんでしょう」


 それまで窓の外を見ていたレイラがポツリと口を開いた。


「黒い服の少女……。可愛かったですね」


 自分がやられたにもかかわらず、トモヤは思い出してにやけていた。


「SSP搭載の六型スーパーコンピューターなの」


 目を真っ赤にしたイクミが、小さな声で呟いた。


「SSPって都市伝説だろ」

「そうよね、実際に使われているって話は聞きたことも無いわ」

「あの子にアクセスした時、そう言うメッセージが画面に出たの。もう確かめられないけど」


 イクミの目にまた涙があふれてきた。レイラがイクミの頭をやさしく撫でている。


「みんなたいした怪我じゃなかったし、気を落とさずに次がんばろう」


 ナオは沈んだ空気を吹き飛ばそうと、わざと明るい声でそう言った。


「そうですね」


 トモヤがそれに答えてくれた。

 車は市街地に入った。

 さっきまで降っていた雪はすでに止んでいて、空一杯に星が瞬いている。

 オレンジ色の星――アルデバランもはっきりと輝いていた。


(また逢いましょう)


 ミズキの言葉を思い出して、ナオはもう一度ネックレスを強く握りしめた。

 そして一人で小さく頷いた。

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