十二 大義の為にすべき事
レイラが久しぶりに出勤すると、夕方の六時を過ぎた暗い部屋の中で、イクミが一人でモニターに映し出されているスクリーンセーバーをボーっと眺めていた。
「イクミ?」
「ああ、レイラさん。もう体は大丈夫でしたか」
「あ、うん。あの、ありがとうね」
イクミの首をかしげる姿がかわいくて、レイラは小さく笑った。
「父親の事。連絡してくれたんでしょ」
「ああ、あれね。余計なお世話かと思ったんだけど」
「ううん、そんな事ない。感謝してる」
「よかった。やっぱり親子は一緒にいたほうがいいよ」
イクミの両親は宇宙開発機構とか言うところに勤務しているエンジニアで、今は月で新型ロケットの開発をしている。物心がついた時には、両親はすでに宇宙を行き来していて、まだ小さかったイクミは何時も地球に置き去りだった。彼女にとって両親はいないも同然で、育児用アンドロイドとおもちゃ代わりのコンピューターがイクミの家族だった。
「係長はもう帰ったの?」
「ミエちゃんに呼ばれたみたい。でも戻ってくるのは遅いかも」
イクミにいつものような元気がない。
「何かあったの」
「本社がね、管理局ごとふっ飛ばすって言うのさ。中に居る人も一緒に、どかーん」
「なんだって」
「どかーんよ」
レイラの思考は暫く停止した。その計画は管理者を抹消する目的があったにしても、沢山の人がその犠牲となって死ぬのは大義であっても納得行かなかった。
「私は明日からお休みなので、今日は帰ります」
イクミは作業服の上着を着るとそそくさと事務所を出て行った。
ナオが事務室に戻ると、レイラが静かにナオの帰りを待っていた。
「もういいの?」
ナオの質問に彼女は答えなかった。
「しばらく仕事はないから、ゆっくり休むといいわ」
「イクミに聞いたんです。本社の作戦のこと」
相変わらずおしゃべりな女だ。係員に話すのは別に違反にはならないが、口止めをしておけばよかったとナオは後悔した。
「それで」
「沢山の人が死ぬんですよね」
「そうね」
「それの何処が大義なんですか」
攻め立てるようにレイラは言葉を重ねた。
「だってこれは大義なんかじゃないもの」
ナオも突き放すように冷たく言い放つ。
「どう言う事です」
「復讐よ。十五年前あの場所に、作戦本部長の恋人がいた。ただそれだけよ」
ナオは自分の両親のことには触れないで置いた。
「それが、ミズキの仕業だと言うんですか」
「そうよ」
「だったらなおさらです。これ以上あいつの為に人が死ぬのは許せません。しかも関係ない多くの人を巻き添えにするなんて……」
感情的に大声を出すレイラを見たのは初めてだった。
いつもと反対だ。今はナオのほうが冷静だった。
「わかってる。だから私が行くのよ」
その為に行くんだとナオは自分にも言い聞かせた。それこそが大義なんだと信じた。
「係長がですか」
「個人的にね。どうせ私は一週間の出勤停止だから、丁度いいと思って」
レイラは困惑していた。親指の爪を噛み、視線は激しく左右に動いていた。やがて彼女は決心したかのように顔を上げた。
「何時行くんですか」
「善は急げ、よ」
そう言ってナオは机の片づけをはじめた。失敗すれば自分も管理局とともにこの世から消し飛んでしまうだろう。運良く生きて帰ったとしても、もうここには戻らないつもりでいた。
「係長。有給を頂きたいのですが」
「いいけど、どうしたの急に」
「私も一緒に連れて行ってください」
ある程度答えの予想はついていた。自分でも同じ事を考えただろう。しかしナオは黙っていた。レイラが来てくれれば心強い。けれど彼女を巻き込むわけにも行かなった。
これは私の問題なのだから。
「私の母は、私がまだ小さい頃に死にました。ついこの間まで、母は事故で死んだのだと思っていました。けれど私の母も十五年前、あの場所にいた事を知りました。だから・・・・・・」
「貴方も復讐に参加したいの?」
ナオは、レイラの母親がナオと同じ運命だったという驚きを悟られないように、少し意地悪く聞いた。
一度目をはずしてから、レイラはまたナオの顔をしっかりと見た。
「彼女は私の手で倒したいんです」
レイラの迫力に押された事もあったが、ナオは断る理由を思い付かなかった。ナオと同じく、レイラにとっても、これは紛れも無く自分自身の問題だった。
「分かったわ。準備ができたら地下に来て」
「はい。ありがとうございます」
レイラの顔がいつもの表情に戻った。
「でも係長、あなたはどうして……」
事務所を出ようとしたレイラが、思いついたように振り向いた。
「あなたと同じよ。ミズキが襲撃したのは私の家だったの」
それだけでレイラはすべてを理解した。それ以上聞かずに一礼をすると、彼女は事務室を出て行った。
レイラを見送ってから、ナオは辞表を机の上に置き、飲みかけの紅茶が入ったコップを手にとった。
両親が殺されてから十五年間、つらい事もあったけれどそれなりに楽しく生きてきた。
今夜その人生に終止符をうちに行くのだ。両親が殺された理由を確かめに。それが自分にとって辛い事であったとしても、逃げずに受け止めよう。
ナオはネックレスをしっかりと握り締めた。
「お母さん」
封印されていた記憶の片隅から再び姿を現した母親の面影、その優しそうな顔を思い出して、ナオはひとり涙を流した。
頬を伝わる涙が一粒、ネックレスの桜に当たって弾けとんだ。
「やっぱり行くんだ」
驚いて声のする方に振り向くと、入口にミエが立っていた。
「一人でいくの?」
「いいえ、レイラも一緒です」
「じゃあ安心ね」
ミエは係長席の横にあるソファーに腰を下ろした。
「正直、私も本社の作戦には反対なの。無関係な人がたくさん死ぬのは気持ちのいいものでも無いしね。だれど本社からの命令だから、こればかりはどうしようも出来ないのよね」
ミエの表情から読み取れるのは諦めだった。作戦の中止を上司に進言したのだろうが、いくら管理職とは言え、最年少女性課長にそれほどの権限は無かったし、現無派閥の彼女の意見を取上げてくれる上役もいなかった。
「管理者を倒したら連絡します。そのときは何としてもその計画を止めてください」
「分かったわ。力ずくでも止めてあげる」
ナオは机の上から辞表を取上げて、それをミエに渡した。
「何よこれ」
「出勤停止中の身で勝手に行動するんですから」
「そう。とりあえず預かって置くわね」
そう言って近づいたミエは、ナオの頬にそっとキスをした。
「でも帰っておいでよ、必ず」
ミエに母親のような優しさを感じ、抱きついて泣きたい衝動に駆られながら、ナオはただ小さく頷いた。
*
地下駐車場にはトモヤがいた。
「こんな時間にどうしたんですか、係長」
「別に。貴方には関係ないわよ」
「そうですか」
トモヤはナオが小さくうなづくのを笑ってみていた。
「ミズキちゃんの所に行くんでしょう。僕も連れて行ってくださいよ。好みなんですよね、ああいう気の強そうな女の子」
「趣味悪いわね」
「そうですか」
「でも今回は仕事じゃないの。貴方を連れて行くわけには行かないわ」
「確かに僕は運転しか出来ないから、足手まといにしかならないでしょうけど、でも僕は係長の力になりたいんです」
直接戦闘に参加していないとはいえ、トモヤの運転技術には何度も助けられた。けれど、今回は帰るつもりの無い戦いだ。直接関係無いトモヤを連れてはいけない。
「だめよ」
「じゃあこうしましょう。僕も明日からお休みをいただきます。何処に行こうとかまいませんよね」
レイラと同じ手を使われた。ナオは明日から出勤停止だったので、有給を認めない権利を行使することは出来なかった。
「係長にはとても感謝しているんですよ」
味方を誤射し、怪我を負わせてから拳銃を持つことが出来なくなっていたトモヤを拾ったのはナオだった。運転技術だけは社内一と評判だったから、最初から運転以外させる気は無かったし、それは今もかわらなかった。現場まで送ってもらって後は帰らせよう。
「分かったわ、勝手にしなさい。どうなっても知らないわよ」
ナオが折れると、トモヤは張り切って運転席に座った。
続けて乗り込んだナオは、荷台から殺気を感じて振り返った。
恐ろしくにやついた顔で、イクミがナオの顔を見つめていた。
「うちだけ仲間はずれにするなんていけずやわ」
「あんただけ仲間外れなんじゃなくて、私一人で行こうとしたのよ」
「それなら抜け駆けってことやね」
イクミが地元の方言で詰め寄った。
「ごめん。私が悪かった。でも、これは私の問題だから貴方には……」
「でも、それで多くの人が死なずに済むのなら、それこそが大義でしょ。違う?」
実際のところ、ナオはそのことに付いてはあまり心配していなかった。ミズキに計画を伝えるだけでいい。彼女の力があれば、それは必ず阻止されると信じていた。
もしかしたら、特別工作課のメンバーが犠牲になるかもしれない。でも、一般の住民が巻き添えをくうよりましだ。それに、ナオはまだミズキが人を殺したのを見たことが無い。偶然かも知れないが、ナオはそう信じたかった。そして十五年前のことは事故だと思いたかった。
行くところがあるから有給をくれと最初に言ったのはイクミだった。イクミは直接本社の作戦をニシから聞いていたから、私がどう出るか予想していたのだろう。
長い付き合いだから、イクミの頑固さは嫌と言うほど分かっていた。
「分かったわよ」
ナオは仕方なくイクミの同行を了承した。
「お待たせしました」
「遅いな、ヤシンくん」
レイラは運転席にトモヤの姿を見つけて驚いた。
「どうしてあんたがいるのさ」
「私たちは一心同体です」
トモヤの後ろからイクミが顔を出す。
「あんたはこっちよ」
ナオは後ろの座席を指差した。
外は車の中でも感じるぐらいに寒かった。
オレンジ色の恒星がいつも以上に綺麗に輝いて見える。
支社から第十三管理局まではそれほど長い道のりでは無い。急がずゆっくりと車は目的地に向った。
ナオは早速ニシから受け取った拳銃をケースから取り出して準備を始めた。
「これはレイラさんの」
イクミは荷台に置いておいた刀を取り出してレイラに渡した。
「なにこれ」
「秘密兵器ですよ。ほら、このボタンで磁気の入り切りを制御するんです。こっちがプラス。こっちがマイナス、で真中が切り」
イクミが実際にやって見せた。
「ミズキが磁石に弱いってのは分かったけれど、彼女も磁気は出せるみたい。プラスとマイナスを適度に反転させて戦えば、倒す糸口は必ず見つけられるはずよ」
「何かゲームみたいですね」
「レイラさんゲームなんかするんだ」
「しませんよ」
少し赤くなった顔でレイラが目を伏せた。
「イクミのはなんだったの」
ニシからの贈り物には外部記憶装置もついていた。
「聞いて驚くな。ナント小型のMSPシステムなのだ」
「まさか」
イクミ以外の三人が同時に叫んだ。
「小さいけど、ちゃんと動くんだよ」
きらりと光ったかと思うと、イクミの目の前に、小さなクマのぬいぐるみが現われた。
「さすがに人間は無理だけどね。名前はジュリエッタ」
クマの頭を撫ぜながら、イクミは満足そうに微笑んだ。
「自律システムも感情システムも無いんだけど。遠隔操作はできるのさ」
「つまり、ラジコンか」
クマがトモヤに近寄って、頭をこつんと叩いた。
「いて」
「ラジコン言うな!」
車は第十三管理局に通じる公園への道に差し掛かった。
搬入口へ向かう分かれ道を過ぎると、緊張からか、誰も話をしなくなった。
ナオは拳銃を見つめ、レイラはしっかりと刀を握り締めていた。
真っ暗な夜道の先に、背の高い建物の影が見える。ガラス張りの建物からは、緑色の誘導灯が妖しく光っていた。
公園の入口で車止めのチェーンが行く手を阻んだ。
「私に任せてください」
レイラは車から降りてチェーンの前に立ち、小さく深呼吸をするといきなり刀を抜いた。刀は空を切って、あっという間にさやに収まった。
振り向いたレイラの後ろで、チェーンが真中から二つに切れて落ちた。
『いい刀ですね』
無線からレイラの感心した声が聞こえた。
「もちろん、本社のスペシャリストが作った刀だからね」
フィックス・スター社にはレイラのように刀を武器とする社員が何人かいる為に、本社で刀鍛治を雇っているとミエに教わった事がある。
レイラが車に戻ろうと足を踏み出した時、チェーンの向こう側に二つの大きな塊が現れた。
「なにあれ」
「戦車みたいですね」
『四十三口径百二十二ミリ戦車砲搭載の重戦車です』
レイラが無線でしれっと答えた。相変わらず豊富な知識に感服するが、今はそれどころではない。その巨大な砲塔が二つともレイラに標準をあわせていた。
「どうします。係長」
レイラは刀を持ったまま車の前に立っている。飛んできた砲弾を切り倒すつもりでいるのだろう。
「後方からロケット弾接近中」
レイラに戻れと言いかけたとき、イクミが大声で叫んだ。
飛んできたロケット弾は、レイラの頭上を飛び越えて、片方の戦車を直撃した。
粉々に砕け散った戦車のかけらは、雪のように空に舞い上がり、ゆっくりと落ちてきた。
戦車はMSPだった。
『ヨシノ係長! 助太刀に来ましたよ』
無線機から支援課のタナベの声が響いた。
『残りもうちで引き受けますから、係長はミズキの所に行って下さい』
「あんたたち、どうして」
『タカトリ課長に頼まれたんですよ。前回の借りもありますし。それに、私たちも無関係な人を巻き添えにはしたくないですから』
「ありがとう」
ミエの独断だろうが、良く支援課長が了承したものだ。必死に説得するミエの姿を想像して口元がゆるんだ。タナベにも感謝していた。
自分は一人じゃないんだと再認識して、ナオはとてもうれしかった。
彼女たちの為にも、頑張らなければならなかった。
「トモヤ、行くよ!」
「了解」
レイラが飛び乗るのを確認して、トモヤは思いっきりアクセルを踏み込んだ。支援課と交戦している残った戦車の脇をすりぬけて、まっすぐ搬入口へ向う。
搬入口のシャッターがひとりでに開き始めた。
「イクミが開けたの?」
「私じゃない」
多分ミズキが余裕を見せているのだろう。
シャッターは車がやっと入れるだけの高さまで開いて止まった。
「行きましょう」
今は進むしか道は無かった。
中に入ると、シャッターが閉まった。薄暗い搬入スペースの、入口から一番遠いところにトモヤは車をとめた。排気用ダクトファンの回転音だけが単調なリズムを奏でていた。
ジュリエッタを肩に乗せたイクミを含め、四人全員が車を降りた。
ここから先、もう車は必要ない。トモヤは久しぶりに銃を握った。
「無理しなくてもいいのよ」
「本当は僕もこういう事をすべき人員なんですよ」
係長がナオでなければ、トモヤも普段から銃を持って働かなければならない。だからナオには感謝していた。作戦行動中に誤って仲間の腕を打ち抜いてから、怖くて銃を持てなくなっていたトモヤは第1事業部へ異動するか退職するか悩んでいた。
腕のいい運転手が必要なんだとナオがトモヤを引き抜きに来た時は感動して涙が出た。それ以来トモヤはナオへの忠誠を勝手に誓っていた。
(彼女の為なら死ねる)
そんな臭い台詞も、今なら言えるような気さえしていた。
「行きましょう係長」
四人と一匹は、並んで入口へと向った。
ゆっくりともったいぶったスピードで、入口のシャッターが開き始める。モーターの回転音と金属の擦れ合う音が暗い室内にこだましていた。
明るい光が少しずつその隙間から漏れてくる。
シャッターが上がりきって静まり返った入口には、背中から光を浴びてシルエットになった少女が一人そこにいた。