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2.1 その時がきたら

 赤子の名は、まだない。


 生まれてはや二か月がたち、体はふっくらとしてきているが、珪己が生んだその赤子にはまだ名はつけられていなかった。


 この時期、開陽であれば早春特有の風の柔らかさと温かさを感じられる頃なのだが、高山に囲まれている零央には晩冬の気配がいまだ根強く漂っていた。さすがはこの地で将軍という異名をとる季節なだけはある。


 とはいえ雪はめったに降らなくなってきている。吹きつける風の冷たさの前では外套なしで外出することはできないが、草花が芽吹く時期を伺っている気配をそこかしこで感じられる、そんな微妙な時期に移りつつあった。





 さて、出産という大仕事を終えた珪己ではあったが、この頃では通常通りの生活を送れるようになりつつあった。産褥も軽く、体調も悪くない。元々体力には自信があるし、若さゆえの回復力には侮れないものがある。


 一つ変化を挙げるとすれば、女らしいまろみを帯びた体つきになってきたことだろう。赤子を育てるために自然と乳が張るようになったのもそうだが、好いた男と共にいることで体も心も女性性を意識するようになったことが最大の理由……なのかもしれない。少なくとも、同居する男達はそんなふうに思っていた。ふとうつむいた時など、そこはかとない艶っぽさが垣間見えることがあり、もっとも年若い空也が一人どぎまぎとすることもある。……そんな時は決まって晃飛に睨みつけられるのがオチだが。


 ちなみに大怪我を負った空也だが、こちらも若さゆえにすでに全快を遂げていた。抜けかけた歯はきちんと元の位置におさまってくれたし、剥がされた右手の爪はどれも無事生え変わっている。そして、皮製の長紐でめった打ちされた背中は、逆に芯国人に斬られた感覚を曖昧にしてくれた。だから今はいたって普通に暮らしている。そして、どのような話の流れかは分からないが、いつからかあの肉麺屋で修行じみたことを始めたりもしていた。


 晃飛も遅ればせながらようやく足が治り、日常生活を送れるようになっていた。唯一、左目が時折見えにくくなる現象に改善の兆しがないのが気になるが……これについては仁威の脅しの甲斐あって、不承不承ではあるが韓に打ち明け、以来、定期的に診てもらっている。しかし、これといった施術も薬もなく、正直手の施しようがないらしい。あとは神仏に祈る他ないそうだ。これに晃飛が一度皮肉気なことを言ったが、以後、この話題については誰もがなんとなく触れることができなくなっている。


 より状況が大きく変わった人物といえば、空斗だろう。


 空斗はあれから何の因果か、廂軍しょうぐんの武官となった。実際は禁軍所属のままで廂軍に派遣された形をとっているが、あの応双然のいた五番隊所属となったのだ。


 ちなみに応双然といえば、彼は五番隊を辞してしまった。正確には五番隊というよりも、この街における御史台官吏としての任を解かれたのである。鯰池楼で起こった出来事すべての責任を負う形で。それを空斗は侍御史であるしゅう凱健がいけんから聞いた。


 凱健からその話を聞いた時、空斗は動揺を押し隠すので精一杯だった。


 あの夜、毛を含めた十番隊計四名を武力で制圧したのは空斗だということになっている。いや、そのはずだったのだ。だが蓋を開けてみれば、それは双然が犯した過剰防衛、過干渉として処理されていたのである。しかも、彼ら四名とも絶命していたそうだ。……当然、双然が殺したのだろう。


 正直に言えば――彼らが生きておらず『助かった』。珪己や仁威、空斗といった、偽りを抱える者達にとっては。


 もちろん、韓や空也にとっても、彼らが生きていれば『またいつ狙われるかもしれない』という恐怖に怯えて生活せねばならないから、この結末は掛け値なしに有難かったのは確かだ。


 ただ――双然が純粋な善意からあの四名を抹殺したとは、空斗にはどうしても思えないでいた。普通、殺人という行為にはよほどの感情の高ぶり、または強制力が作用するものだからだ。真意の分からない悪事ほど恐怖を覚えるものはない。


 これについて、空斗は一度仁威と会話している。



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