11.4 知り合わなければ
「だったら……だったら空也さんか空斗さんに会わせて……」
「二人もすでにこの街から去りました」
「そんな……!」
「二人で氾空斗の地元に向かったそうです」
「そんな……そんな……」
「この街にはもう居場所がないと、そう言っていたそうです」
それが住まいを失ったことだけを意味するものではないことは、珪己にも察しがついた。
「そんな……」
同じ言葉ばかりが口をついて出てくるのは、他に意味のある言葉が出てこないからだ。
今日、侑生がこの室にやってくるまで珪己は虚ろな思いで過ごしていた。だが今は以前とは異なる理由で虚ろになっている。
仁威を失ったという事実を認めたくなくて……実感したくなくて。何も考えたくなくて。目覚めて以来、珪己の頭も心もほとんど動かなくなっていた。それは防衛本能によるものだった。耐えがたい悲しみに溺れてしまわないように、できるかぎり無に近い状態を保ち続けてきたのだ。
だが今は違う。新たな情報を与えられ、その多くが受け入れがたいことで……珪己の心は問答無用で揺さぶられていた。
荒海のごとく押し寄せてくる様々な感情は容赦ない。やわな珪己の心を手加減なしで痛めつけてくる。
「うう……う……」
「大丈夫ですか?」
「いや、だ……。嫌だ……」
「珪己殿?」
「いや……嫌です……。仁威さんに……仁威さんに会わせて……」
目覚めて以来、珪己が仁威を乞うたのはこの時が初めてだった。
「それは……」
ぐっと、侑生の喉が鳴った。
「私はまだ信じていませんから……。仁威さんが亡くなったなんて信じていませんから……。そうよ、やっぱり私と子供だけでもここに残らなくちゃ。仁威さんが戻ってくる場所がなくなっちゃうもの」
ぶつぶつとつぶやく珪己の様子に異変が生じ始めている。
「ね。今までの話は全部嘘ですよね? あの王子を欺くためにでっち上げた嘘ですよね? 私におとなしく王子の元へ出向いてほしくて、それでこんな盛大な嘘をついているんですよね?」
「珪己殿……」
こんなにも切なげな顔で見つめてくる侑生が嘘をついているとしたら、この男は歴代一の策士になれることだろう。ただ、今の珪己には冷静な判断はできなかった。
「私、ちゃんと騙された演技もできますから。あの王子の前で泣きながらすがってみせるくらいのことはできますから。だから本当のことを教えてください。本当は仁威さんは生きていて、他のみんなも無事なんですよね? ね?」
「珪己殿。開陽に戻りましょう。あなたはお父上の元に戻るべきです」
「いや……! それはいや……!」
猛然とかぶりを振った珪己の肩に侑生の手がそっとのせられた。
「あなたもあなたの子も私が護ります。後宮に入られるようなことには決してしませんから」
ぴたり、と珪己の動きが止まった。
「ど……して?」
うめき声は飲み込む息とともにかき消える。
「どうしてそれを……?」
乱れた髪を色の失せた頬に貼りつけて見上げてくる珪己に、侑生が静かに告げた。
「子を見ればわかる者にはわかります」
その瞬間、珪己の顔に一気に血の色が戻った。
瞬間的な興奮――だがその直後に今まで以上に珪己の顔が蒼白になった。
「他に誰がそのことを知っているんですかっ……?」
極限まで大きく見開かれた目は異様に血走っている。
「他に誰が……っ! 他に誰がそのことをっ……!」
「珪己殿。落ち着いてください」
「落ち着いてなんかいられません……!」
「私だけです。私しかまだ気づいていません」
「……え?」
「私だけです」
沈黙の後、珪己の体が一度大きく震えた。
「あ……」
わななく両手を目の前に持ち上げしばらく見つめていた珪己だったが、ややあって侑生に頼りない視線を向けた。
「本当……ですか?」
これに侑生がしっかりとうなずいてみせた。
「本当です。安心してください」
「あ……ああ……」
珪己の両手が力なくおろされた。
しばらくして、丸まった珪己の背中が小刻みに震え出した。
「う、うう……」
ぽた、ぽた、と涙が落ち、掛布にしみを作っていく。
この州城で目を覚まして以来、珪己が初めて流す涙だった。
(私の……子供……)
(私の……たった一人の子供……)
子供を奪われるかもしれない――その恐怖によって心身を雷鳴のごとく貫かれ。その結果、ずっと見ないようにしてきた現実を珪己はようやく直視できたのだった。
「仁威さん……」
たとえどれほど悲しくても、子供のためにこの人生を続けるほかないのだ。そして――愛する男を喪失した事実を受け止めずして、自分も、子供も、先に進むことはできないのである。
「仁威さん……」
仁威のことを想えば想うほどに胸が苦しくなる。あふれる涙は止まらない。それでも、いくら苦しくても、泣いても、仁威が戻ってくることはないのだ。その無骨な手に触れてもらうことも、澄んだ瞳に見つめられることもないのだ。
「あ、あああ……」
胸を押さえてすすり泣く珪己から侑生がそっと距離をとった。……かける言葉がないのだ。
「う……ああ……どうして……」
(どうしてこんなことになってしまったんだろう……)
思い起こされるのは自らの非ばかりだ。
あの日屯所に向かわなければよかった。晃飛の言う通りだった。そうしたら今頃、全員そろって空斗の地元にたどり着けていたのに。珪己に、子供。晃飛に、氾兄弟。そこには遅れて仁威もやってきたはずだ。そして皆で新たな生活を始められていたはずだ……。
(たとえ一生涯王子に追われ続けることになっても、それでも、もっと生きることそのものを最優先にすべきだったんだ……)
自分が自分であることに、珪己は今更ながらに強い嫌悪感を抱いた。あの王子の興味をひいてしまった自分の特性。それに――自分の弱さ。結局は王子を打ち倒せない自らの弱さ、これこそが一番の問題だと珪己には思えてならなかった。
(もっと……もっと私が強かったら……)
努力が足りなかった。時を惜しんで鍛錬すべきだった。普通の生活に浸り過ぎて心がゆるんでいた自覚はあったのに。仁威があれほど神経質になっていたというのに、なのに自分は……。
そう――仁威を今回の騒動に巻き込んでしまったのも自分なのだ。
自分がいなければ、自分と知り合わなければ――。
「うああああ……!」
珪己は両手で顔を覆った。
そして喉が枯れるまで号泣し続けた。
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