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8.2 舟屋

 その日の夜、二人の芯国人が宿から出ていく様子が確認された。


「ようやくおでましか」


 そう言った仁威の口調には取り立てて気負うものはない。


「今までどこに行っていたんだろうな」という空斗のつぶやきに「それは奴らに直接訊こう」と仁威が軽く首を回して立ち上がった。


 外套を身に着け、足早に屋外に出る。軒を連ねる店の半分ほどから灯りが漏れていて、夜とはいえ辺りは薄暗い程度だ。二人の視線の先には先程の芯国人がいる。


「追いかけるぞ」

「ああ」


 視界はそこまで広くはなく、人もまばら。追跡に適した条件がそろっている。実は今日だけでも彼ら芯国人の往来を数回目撃していたのだが、このような好機を二人は待ち望んでいたのだった。


 目前を歩く二人は中年と称して差し支えのない男達だ。二人とも芯国人であるからそれなりに背は高く、それなりに目立つ。よって目標を見失う心配はない。雪でぐずついた道を危なげなく歩いていく様には体幹の良さが感じられる。武に通じているのか、はたまた旅慣れているだけか。とはいえ芯国人は男女問わず武を嗜む風土だから、たとえ前者であろうとも気色ばむようなことではない。


「どのくらい腕が立つのだろうな」


 質問というよりは、不安。空斗の吐露に仁威が当たり障りのない返事をした。


「お前と同等といったところだろう」

「……」


 つかず離れずの距離を保ちつつ追跡は続く。目前の男共は追尾に気づくことなく、速度を緩めず目的地へと進んでいく。南国育ちの彼らには湖国の冬は物珍しいのだろう、時折注意がおろそかになっているあたり、武の専門家ではなさそうだ。寒さに手をこすりあわせながら、やがて彼らは一軒の店に入っていった。


「……ここは?」


 そこは舟屋だった。



 *



 いつまでも店の前で待っているわけにもいかないから、二人は舟屋の向かいの茶房へと入った。だが彼らは二人が茶を半分も飲まないうちに舟屋から出てきた。元来た道を往路以上の速さで戻っていく姿がわずかに開けておいた窓の隙間から確認できる。


 彼らの姿が見えなくなり、さらに時を置いたところで二人は残っていた茶を一気にたいらげた。


 向かう先はもちろん舟屋だ。


「いらっしゃいませ」


 店内にいたのはごく普通の湖国人の男だった。肌が人並み以上に荒れているが、舟仕事に関わるゆえだろう。


「訊きたいことがある」

「はいはい。なんでもお答えしますよ」

「少し前に異人の男二人がここに来ただろう」

「へ? ああ、いらっしゃいましたね」


 予想外の問いに男の声がやや高くなった。だが警戒するそぶりは一切ない。純粋に空斗の問いに驚いているだけだ。どうして知っているのかと。


 仁威と空斗が無言で見つめ合い、うなずき合った。


「我々は廂軍の人間だ」


 言うや、空斗が懐から黒の鉢巻きを取り出した。


「彼らはどんな用でここに来た?」

「あ、えっと」


 表情豊かな男の顔から内心が手に取るように伝わってくる。まさか一日の終わりに平穏を崩すような出来事が起こるとは――と。廂軍の武官がこういう問いかけをしてくる理由、それはあの異人がなんらかの事件に関わっている可能性があるからだ。


 だがいかにも武官といったていの男二人に無言で見つめられれば、基本正直者の男が口を割るのは早かった。


「明日の朝一番の船を予約されたんです」

「その船の行先は?」

「えっと。雀辿じゃくせん川を上る経路なんですが。あれを見てください」


 川の名にぴんときていない空斗のために男が壁のとある一方を指した。年季のある板壁にはこのあたりの地形と川が丁寧に彫り込まれてある。


「雀辿川はこれのことです」


 壁に近寄り、男がとんと指でつついたのは、幾多も描かれた川の一つだった。それを空斗が目を皿のように細めて眺め出す。


「上流というのはこっちですね」


 男が指をすすっと移動した方向は――東。


「この川はこの辺り一帯でも比較的流れが緩やかでしてね。漕ぎ手さえいれば上ることもできて重宝されているんですよ。ああもちろん、船賃はそれなりにいただきますけどね」


 つまりは上る船を利用する者は金払いがいい客に限られているということだ。必然的にこの川で使う船も豪華なものとなる。往路と復路で同じ船を使うのだから、当然といえば当然だ。この地に幾多ある川のうち、雀辿川は金持ちのための航路なのだと、そう男は暗に言っているのだ。


「でも今の時期、零央の先に行くのは難しいんですよね」


 男の口から突然その街の名前が出てきて空斗が小さく息をのんだ。首都・開陽では事件らしい事件に遭遇してこなかったから、不意打ちには慣れていないのだ。


 仁威はこの男らしく動揺するそぶりすら見せていない。だが男が指し示す街、零央を凝視する双眸には揺れる感情が映っていた。


 これは運命のいたずらか、はたまたこれこそが運命なのか――。


「ご存知でしょうかね。この時期、西の高山から吹き下ろす風がめっぽう強くて、この辺りまで来るといくら漕いでも船が動かなくなるんですよ」


 男の指が零央からやや東の方へと動く。


「だから明日の船は零央が終着点になります。さっきのお客様方は零央までの席を予約されました。三名分です」



 *


最終話まで取り込めたので、時間のゆるすかぎり更新速度を上げていく予定です!

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