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1.4 語らい

 一方、その頃。


 珪己は自室で一人、心安らかな時間を過ごしていた。


 陣痛はまだ軽く、どちらかというと「毛との戦いで極限まで疲弊した体を休めるために寝台に横になっている」というのが正しい。なので、痛みの合間に寝た方がいいと韓から助言されたのもあり、体が欲するままにまどろんでいた。なお、仁威が持ってきた湯と布で髪や体の汚れはそれなりに落としてある。清潔な服にもすでに着替え済みだ。


 寝台のすぐそばでは火鉢の中で炭火がじくじくと燃えていた。夕暮れ時、沈む直前の太陽を模したような炭の色は見ているだけで癒された。


「……ふう」


 ほどよく温まってきた部屋の中でこうして掛布にくるまっていると、今日起こった出来事はすべて夢だったのではないかと思えてくるから不思議だ。


 まどろみの中、これから始まる出産についての恐怖が時折頭をかすめるものの、空也を取り戻し、仁威とも再会でき――珪己は十二分に満たされていた。


 強い興奮状態が冷めやらないせいか、初産の恐怖もなぜかそれほど感じていない。


 と、音もなく戸が開かれる気配を感じた。


「……あ、ごめん。眠ってたんだ」


 晃飛だった。


 目が合うや、やけに申し訳なさそうな顔になった晃飛に、珪己はおかしくなって笑ってしまった。


「なんで笑うんだよ」


 不満そうに眉間を寄せた晃飛に、珪己はたまらず本音を語った。


「晃飛さんがそんな顔をするから。いつも自信たっぷりで強引なのに」


 言いながら、また笑ってしまう。


「……じゃ、またね」

「ああっ。もう行っちゃうんですか?」

「……いてもいいの?」

「いいに決まってるじゃないですか。私達、兄妹ですよ?」


 と、珪己が眉をひそめた。


「うう……ん」


 何やら耐えているような表情だ。だがしばらくするとみるまに弛緩した。


「今、陣痛がきていたんです」


 男である晃飛に馬鹿正直に説明する。


「まだ痛みの間隔も全然長くて、それほど痛くはないんですけどね」


 だからまだ出産までには時間がかかりそうで、晃飛の存在は全然邪魔じゃないのだと珪己が言い添えようとしたところで、当の晃飛が「だろうね」と至極当然のように言った。


 むっとした珪己だが、晃飛が毒舌なのにはすっかり慣れているからすぐに元の表情に戻る。


「あ、そうそう」


 こんな話をするよりも、刺激的な今日の体験をこそ晃飛と今すぐ分かち合いたかった。


「実は今日、生まれて初めて殴られたり蹴られたりしたんですよ」


 これに晃飛が素っ頓狂な声を上げた。


「はあっ?」


 珪己の左の頬が赤く腫れている理由は晃飛にも推測がついていた。あの毛だ、勘所が悪ければ相手が誰であろうと平気で手を出すだろう。しかし――ここまで腹の大きな妊婦を蹴るとは。


「……あの野郎、殺しておけばよかった」


 初夏、晃飛は毛と屯所で闘っている。


 あの時、晃飛は毛を殺そうと思えば殺せた。もう少し木刀の加速度をあげて威力を増して、より正確に、より危険な急所を突いてやれば――。


 だが殺さなかった。


 あの時には『殺す理由』がなかったからだ。


 だが――毛のことを真の悪人であると断じた瞬間、未来に与える影響を慮り殺すべきだったのかもしれない。罪を犯した後に罰を与えていては遅いのかもしれない。でなければ不幸な事件を撲滅することなど未来永劫できやしないではないか。


「……もしも今夜のことを事前に知っていたなら、俺はあの日毛を殺していたね」


 不穏な空気を発しだした晃飛に、珪己が途端に眉をしかめた。


「殺すなんて駄目ですよ」


 心底嫌そうに、顔全体を歪めて。


「どうして。生きている価値もない奴だろう?」


 息巻く晃飛に珪己が至極当たり前のことのように言った。「殺したら晃飛さんが捕まってしまいます」と。


「嫌ですからね、そんなの。だから絶対に駄目です」


 そんな風に言われれば――悪い気はしないわけで。


「ところでさ」


 照れ隠しに話をすり替えつつ、晃飛が寝台そばの椅子に座った。もうすっかり長居する気になっている。強い毛への殺意も、毛を殺さなかった過去の自分に感じた不甲斐なさも、気づけば胸の内のどこかに潜んでしまっている。


「君はどうやって空也のことを助けたの?」

「皆さんから聞いてないんですか?」

「う、うん。今は空也の治療で忙しそうでさ」


 話も聞けず、かといってあまり手伝えることもなくて、それで話し相手を求めてここへ来たというのが事の真相である。


 出産まではまだまだ時間がかかりそうだし、闘いの余韻で眠りにつけなかった珪己だから、「それはですね」と詳細を語り出した。それはもう懇切丁寧に、興奮気味に。


 ――やがて。


 すべてを語り終えた珪己が満足気な吐息をついたところで、晃飛の我慢が限界を超えた。


「……俺も闘いたかった」

「え?」


 目をぱちくりとした珪己のことを、晃飛がきっと睨んだ。


「俺も闘いたかったって言ったの!」

「晃飛さん?」

「ああもうっ! もっと早くこの足が治ってたら……! そしたら君だって他の奴らだってそこまで危ない目に合わせることはなかったのに! 俺がいたら絶対にそんなことにはならなかったのに……!」


 悔し気に地団駄を踏み、それで治りかけの足に衝撃が走り、悶絶し……。とはいえ、晃飛の目がやや潤んでいるのは痛みのせいだけではない。


「それに仁兄は卑怯だよ」


 五人が無事帰還した時に覚えた感動の気持ちは、無尽蔵の悔しさの前であっけなく消えてしまったようだ。


「ずっといなかったくせに、ちゃっかり美味しいところは持っていくんだから」


 心底妬ましそうに言うものだから、「まあまあ」と珪己は必死でなだめた。


「仁威さんがいなかったら、私も空也さんも無事では済まなかったと思うし……」


 だがそれは火に油を注いだだけだった。


「それだよ!」


 人差し指を立てて力説しだすではないか。


「戻って来た早々でそんなすごいことができるなんて卑怯じゃない?」

「卑怯、ですか?」


 なぜそのような発想になるのかいまいち理解できない珪己だったが、


「これじゃ俺、仁兄に一生かなうわけないじゃん……」


 見るからに晃飛がしおれたので、単にひがんでいるだけなのだと珪己にも分かった。それは自分にも身に覚えのある感情だったので「ですよねえ……」と、仲間意識が働いて自然と同調していた。


「確かにちょっと卑怯かもしれないですよね……」


 武芸に関して、仁威ほど才のある人物はごく少数だろう。しかも生粋の努力家でもある。これほど素晴らしい人には他分野でもなかなかお目にかかれない。そんな彼のことを珪己も晃飛も心から尊敬している。同じ高みを目指したいとも思っている。……だけどその才能がちょっとねたましくもあるわけで。


 仁威がどれほど己を律しきつい鍛錬を重ねてきたかは、全部とは言わないけれどわかっていて、であれば掛け値なしの称賛と敬慕の意を示すべきなのだろうが……。けれど、それでも「いいなあ」とか「うらやましいな」とか思ってしまうのは、人間はきれいな感情だけを生み出せない生物だからだ。


 珪己の同調に晃飛の表情が途端に明るくなった。


「さっすが妹! 俺の気持ちがよくわかってるね」

「これからも仁威さんと一緒にいたら何かしらあるたびについ卑屈になっちゃうんでしょうね、私達。でも仕方ないんですよ、きっと」

「だよね。仁兄は仁兄だもんね」

「はい。だから私達、たまにはこうして愚痴を言い合ってすっきりしましょうよ」

「それいいねえ!」


 そこに噂をすればなんとやら。戸が数回叩かれ、「元気そうだな」と仁威が室に入ってきた。


「あ、仁兄。お疲れ。空也はもういいの?」

「ああ。もう大丈夫だ。すべて終わった。夜も遅いからお前達ももう寝ろ」


 これに珪己と晃飛は目を合わせてくふふと笑った。どんな時でも仁威は仁威らしいなと思いながら。


「なぜ笑うんだ」

「あ、いえ。なんでもありません」


 すまし顔になった珪己に、


「じゃ、お邪魔虫は退散するよ」


 晃飛がいたずらっぽく片目をつぶり、「おやすみー」とご機嫌な様子で室から出ていった。


「……なんだ、あいつは」


 嘆息気味につぶやいた仁威だったが、室に入る前から感じ取っていた二人の快活な気配を思い出せばそれ自体はいいことで、それ以上追求しようとはしなかった。


 それよりも――。


「具合はどうだ?」


 ようやく、二人きりでゆっくりと過ごせる――。


 さっきまで晃飛が座っていた椅子に腰をおろすと、仁威は珪己の頬にそっと触れた。


「だいぶ体は温まってきたな。痛みは……まだ強くなっていないようだな」

「は、はい」


 妊娠や出産について詳しい素振りをみせる仁威に、珪己は気恥ずかしさから顔を赤くした。晃飛もそうだが、仁威も様々なことについて詳しそうだ、と。というよりも、自分がありとあらゆることを知らなすぎるだけなのだろう。


 それにこうやって優しく触れられるのにも……慣れない。


 柔らかく細められたその目に見つめられるのも……どうにも心がざわついてしまう。


 こそばゆいし、鼓動がむやみに高まっていく。


「あ、あの」

「なんだ?」

「仁威さんも着替えてゆっくり休んでくださいね?」

「ああ。確かにこのままだとよくないな」


 清潔な湯や水を用意するために手や顔は洗ったが、着衣は換えていないので我が身のことながら匂いがきつい。約半年、着の身着のままだったせいだ。特に旅の後半では面倒になってひどく頓着していた自覚はある。


 だから仁威は素直に席を立った。ほんの少し名残惜しさを感じながらも。


「お前ももう寝ろ。またあとで様子を見に来るが何かあったらすぐに呼ぶんだぞ」

「はい」


 だが、おやすみなさい、と仁威が出ていく様を見送り、姿が消えたところで――自分が思いのほか落胆していることに珪己は気がついた。そう、別れがたかったのは何も仁威だけではなかったのである。


「……もっと一緒にいたかったな」


 それを素直に言えたらよかったのだろう。だが言えなかった。この半年間の放浪、それに今夜のこともあって、さしもの仁威も相当疲れているはずだ。


 でも……。


 再会直後にわんわん泣いて抱きついてしまった反動だろうか、仁威に対してどうふるまえばいいか今更ながらわからなくなってしまっている。


 だが、その時――。


「うっ……」


 下腹部がまた痛みはじめ、珪己は痛みをこらえるための呼吸法に専念することにした。


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