6.5 必須の未来
次の日、晃飛の足がなんとなく屯所へと向かったのには幾重にも理由がある。
新たな十番隊隊長がどんな人物か気になるのもあるし、この屯所の前で珪己と出会ったことも、仁威と再会したことも、毛と立ち会ったことも――人生の転換期ともいえる昨年の出来事は屯所を起点にしているように思えてならなかったからだ。
珪己との会話をきっかけに、晃飛はあらたな指針を無意識に求めていたのである。
今日も空模様はいまいちだ。遠くそびえる針のような高山の連なり、そちらから吹き下ろされてくる雪まじりの冷気の中、多くの人々が足早に歩いている。店の前に立つ者はかじかむ手をこすりながら気だるげに客に応じている。
「……おっ?」
とある汁物の屋台からもくもくと湯気があがっているのに晃飛の意識がいった。店の人間がかきまぜる大鍋のそばには、宣伝の一環か、具材らしき芋や野菜がずらりと並んでいる。見るからに滋養によさそうだ。
「一杯もらっていってもいいかもな」
そちらに視線をやる晃飛の歩きがやや遅くなっていく。
だから――気がついた。
背後に忍び寄る人物の気配を。
自分の動きからやや遅れて歩みを遅くした男が『そこ』にいることを。
わざとゆっくりとそちらに顔を向けると、その男はやや離れたところで足を止めていた。男からは動揺とか焦りといった類の感情は読み取れない。それどころかひどく堂々としており、男の目はまっすぐに晃飛に向いていた。完全に視線がかち合っている。さっきまで尾行していたくせに、もう隠れる気は一切ないらしい。
晃飛はこの男に見覚えはなかった。自身の経営する道場でも、以前勤めていた屯所でも見かけた覚えはない。着衣の上からでも透過できそうなほど立派な体躯を有する男は、猛禽類を思わせるいかつい顔も相まって、毛とは別の意味でお近づきになりたくない輩だ。この絶妙な距離の取り方も鼻につく。しかも上から目線で晃飛のことを判定しているときたら。
「……なんだお前」
晃飛が沸き立つ不満をあらわにしかけたところで。
「梁晃飛」
近づいてくる男が発した第一声はまさかの自分の名前だった。
「君はどうしてここに来た?」
「その前に、あんた誰?」
この男の体型、そして雰囲気ならば武人であろうとあたりをつけつつ問うと、男はまたも晃飛の予想を大きくはずれた言葉を発した。
「私は袁の知り合いだ」
「……なんだって?」
この街に袁の姓を知るものはいないはず――。
一瞬にして警戒心をあらわにした晃飛に男は冷めた視線を向けてきた。
「私は袁やその妻子に対してどうこうするつもりはない。それより君はどうしてここに来たんだ。ここは君や君の同居人にとってもっとも警戒すべき場所だぞ」
それでもかたくなな態度を崩さない――それも当たり前だ――晃飛に、男が根負けしたように小さくため息をついた。
「私は習凱健。とにかくここで足を止めているのはよくない」
歩きながら話そう、と、凱健がより人の多い方へと向かっていく。どこかに連れ込むつもりはないと暗に言っているのだ。
ためらったものの、晃飛は間合いを保ちつつ凱健の後をついていった。元々好奇心は旺盛だし、義兄妹に関する話を聞き流せるわけがない。
ちなみにこの男、習凱健は御史台の官吏であり、屯所の近くにいたのも彼が任務を遂行していたからに他ならない。その理由とは――。
「君も十番隊の隊長となった男が気になってここへ来たのか?」
実は凱健も侍御史という高位にありながらも新隊長の素性を知らされておらず、それゆえ屯所付近に足を運んでいた。ここ零央に長年駐屯している、いわばこの地における御史台官吏の最高位にある人間だというのに、なんとも泥臭いことをしている。
「あ、ああ。近衛軍の第一隊所属らしいね」
突然の展開に動揺しつつも晃飛は即座に頭を切り替えた。空斗がいない現在、いまだ実の母の元を訪れることができていない晃飛にとって、目の前の男から情報を引き出せるか否かは何を置いても重要なことだからだ。
「ええと。隊長の名前は確か……」
「慮冨完。年は二十二だ」
淡々と語る凱健の表情は後ろを歩く晃飛からは一切見えない。ただ、「そんなに若いの?」と晃飛が心からの驚きを示すと、わずかな間をおいてくすりと笑われた。
「近衛軍第一隊といえば精鋭中の精鋭だからその疑問も分かる。だが近今の武官不足もあって、近衛軍第一隊といえど平均年齢は年々低下傾向にあるらしい」
「へえ……」
親切に説明する凱健に晃飛は戸惑いを隠せない。正体不明の胡散臭い男が見せる優しさなど、晃飛でなくても同じ心境になるだろう。
「まあ、実力ある者を積極的に採用しようとすればそうなるのも当然だ。実際、人間の肉体の全盛期は十代後半から二十代にあるからな。ただし近衛軍第一隊は粒ぞろいの武芸者が揃っているから、それ以上の年齢となっても衰える者の割合は少ないそうだが」
「ひょえー。仁兄みたいな化け物がいっぱいいるってわけか」
ついつい本音を吐き出した晃飛に、凱健が歩みを止めることなくほんの少し振り返った。凱健は微笑みを浮かべていた――晃飛の予想通り。
(こいつ、やっぱりいい奴……?)
そんなことを晃飛が思った瞬間、男の目が鷹のように鋭く細められた。
「護るべきものがあるならそんなふうに簡単に他人を信じるな」
「は……?」
だが言い返すよりも先に凱健は晃飛に背を向けた。
(なんだよこいつ……!)
むかっ腹が立ったが、数多の片隅でもう一人の自分の忠言が聞こえた。自業自得だよ、と。
自分のことが一番大切。他人は簡単に信用しない。それが己の信条であったはずなのに、不審者相手になにをもって心を解こうとしていたのか。昨日の珪己の提言もこういう意図でされたものではないのに。
「で、その慮って男はまともなの?」
硬い口調で問うと、これに凱健は「かなりまともだ」と言った。
「ただ……気になる点がある」
「なにそれ」
「慮は正しすぎる男のようだ」
その言葉の意味を晃飛が理解するよりも先に、
「あの十番隊相手にそれがどれほど通用するかは分からない。よくないことが起きなければいいが」
実際そこにある未来を読んだかのように――憂うように凱健がつぶやいた。
凱健がこの街にいる意味、理由は様々ある。侍御史であるがゆえに複数の案件を常に抱えているがゆえだ。そしてそこにはこの街の平穏を護ることも含まれていた。実際にはそれは廂軍の役目なのだが、尊敬する上司の清廉さに感化されているがゆえに、凱健は自分こそがこの街を護る最後の砦だという自負すら有するようになっていたのである。
もちろんそれは御史台としてゆるされる範囲のことで、部下の応双然が毛以下、四名の武官を惨殺したことはあり得ないことだと思っているが。
「……それ、どういう意味?」
剣吞な態度をとる凱健に感化され、晃飛の声音にわずかだが不安が響いた。
「何事も加減が重要だということだ」
「は?」
「慮は一年前に開陽から北域の国境へと派遣されている。その理由が当時忽然と隊長職を辞した袁の行方を探っていたからだそうだ」
晃飛からは見えない位置で凱健の眉がそっとひそめられた。
十番隊への新隊長派遣の報を凱健が知ったのは、実は空斗や仁威と同日だった。そこまで極秘の人事だったことに驚いた凱健は、部下を使って新隊長に関する情報やその裏にある糸をさっそく探らせた。だがいかんせんこの時代、そうそう簡単にほしい情報をすぐに得られるわけもなく――凱健とて慮の正体を知ったのはまさに昨夜のことだったのだ。
だからこうして凱健自ら屯所に足を運んでいたのである。
理由はただ一つ――気になるから。
それもそうだ、この取り立てて目立たない田舎の中都市に、なぜか今、同じ糸をたぐるかのように様々な宿命を抱える人間が集結しつつあるのだから。
近衛軍第一隊隊長を辞した袁仁威。そのそばにはなぜか枢密使の一人娘である楊珪己がいて、しかも子まで成している。しかも都合のいいことに、この街には仁威の知り合いである梁晃飛が住んでいたのだ。
これだけでも十分すぎるのに、枢密院から監視を命じられている重要人物、氾兄弟までもが晃飛の家に住みつくとは出来過ぎだ。
さらにはここに新たな人物、仁威を敬愛していたかつての部下――慮冨完まで現れたのだ。
何かが起こる。
占者でも予知能力者でもないが、その未来はほぼ確信として凱健に不安を抱かせていた。
そして慮の姿を見て『ほぼ確信』は『必須の未来』へと転じていた。
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