6.3 捨てられたことはある?
翌日、晃飛の家に万事屋がやってきた。
年の瀬のいそがしい時期ではあるが、簡単に儲かる話にのらない商人などいないわけで、晃飛の「すごいものがあるんだけど」という誘いに「さっそく伺いますわ」と、いそいそとやってきたのだった。
あの龍の描かれた花瓶と短剣、他に硯と錦糸で織られた帯がそれなりに高値で売れた。
「ふへへ」
思いもよらない臨時収入に晃飛はひどくご満悦だ。万事屋のほくほく顔と見比べれば、双方にとって利のある取引となったことは明白である。
「ねえ。ついでにこっちも引き取ってもらえないかな」
晃飛が指さしたのは珪己に良と認めてもらえず、かつ万事屋にガラクタ認定されたばかりの品々だ。
「処分代にこれくらいもらいますけど」
万事屋が二本の指を立ててみせた。
「それなりに高いね……」
しかしこれらすべてを自分達で処分しようとすれば相当面倒でもある。
「うん。じゃあそれでいいよ」
「まいど。ではうちの人間に引き取りに来させますわ」
万事屋の言葉通り、次の日には大勢の人間がやってきて縁側にあったものすべてを持ち帰っていった。
「だいぶすっきりしましたね」
見慣れていたはずの縁側だが、雑然と積み上げられていた品々が消えるとどこか殺風景に見えた。その冷たい板の上では、さっそく赤子がでんと座っている。時折体を揺らしながら、あのべっ甲の簪を頭上で何度も振る様は、どうやら一人遊びをしているようだ。寒さで頬を赤くしているが、何がおかしいのか誰もいない庭に向かってきゃっきゃと笑い声をあげている。
そこに医師の韓が手土産片手にやって来た。
「よお。体調はどうだ」
その問いは今ここにいる全員、珪己と晃飛、それに赤子について尋ねるもので、「まあまあかな」と晃飛が答えた。「私達は元気です」そう答えたのは珪己だ。
「そうそう。この子、昨日立ったんですよ」
「本当か?」
驚いた韓の視線が赤子へと向いた。
「この月齢でもう立つとはな。恐れ入ったわい」
「しかも歩いたんですよ」
「歩いた?」
「数歩だけでしたけど」
「いやいや。数歩でも十分だろうよ」
髭がまだらに生えた顎をなでながら韓が感嘆混じりのため息をついた。その韓が「そうだ」と手に持っていたものを差し出した。
「さっきそこにいた配達人からこの文を預かったぞ」
それは空斗と仁威からのもので、彼らが培南に入って以来初めて届けられた文だった。
「……ありがとうございます!」
このような文には機密情報どころかお互いの本名も書けはしないが、それでも言葉を交わすことで届けられる想いもあり……。感慨深い面持ちで文を胸におし抱いた珪己に、男二人の表情が自然とほころんだ。
「ところで」と韓が縁側に腰を下ろした。
「今日の昼時だが、屯所で十番隊の新隊長を見かけたぞ。今日が仕事始めらしいな」
「へええ。そうだったんだ」
それは晃飛にとっても珪己にとっても興味ある話で、ここではなんだからと暖かい居間へと韓を通した。共に連れてこられた赤子は、ぬくぬくとした部屋に入るや隅の方に寄せてあった気に入りの毛布のそばでじっとし始めた。まぶたがとろんとしてきたのでこのまま眠ってしまうのかもしれない。
「で、新隊長ってどんな奴だったの?」
あらためて晃飛が訊ねる。
空斗の話では近衛軍第一隊所属の武官で、その職位、所属のままで派遣という形でやって来たそうだが――。
「ごつい奴だったぞ」
熱めのお茶にふうふうと息を吹きかけながら韓が答える。
「いかにも武官という男だったわい。しかも、覇気というのか? ただならぬ空気をまとっておった。毛よりもやばい奴かもしれんな」
「……毛よりも?」
毛の非道さも恐ろしさもよく分かっているがゆえに珪己が眉をひそめた。同じく、隣に座る晃飛も盛大に顔をしかめている。
「すまん。言い過ぎたかもしれん」
武に通じているわけでもないのに、武芸者である二人をむやみに怖がらせてしまったことに韓は素直に謝罪した。
「いや。儂が通りかかった時には十番隊の面々を庭に並べて立たせて、そいつはその前で睨みを利かせていただけなんだがな」
「へえー……」
古き良き時代、上司と部下の力関係とはそういうものだった。
「だが奴ら、命じられているからではなくて新しい上司に恐れを抱いているがゆえに動けなくなっていたように見えたんでな。それでさっきはついいらんことを言ってしまった」
「……それが事実ならすごいね」
「だろう? あいつら相手になかなかやるよな」
「でもそんな見せしめみたいなことをして大丈夫なのかな」
晃飛が不安気につぶやいた。なぜなら十番隊所属の男達は恥をゆるすべからずという信念を有しているからだ。晃飛が彼らに袋叩きにされた理由もそこにある。いや、毛なき今もそうとは限らないのだが。
「その男、なんて名前?」
「名は確か……慮、だったかな」
自信なさげに答えた韓が去った後、珪己と晃飛はいつになく真剣に話し合った。
「やっぱりその慮って奴のことを調べておいた方がよさそうだよね」
「……ええ。でもどうやって?」
赤子はべっ甲の簪をしゃぶったままの状態で気持ちよさそうに眠っている。そして話す内容が内容だからと、二人の声は自然と密やかなものになっていた。
「でも今は空斗さんがいないから……」
「そうなんだよね。……ってことはまたあの女の出番かなあ」
あの女――それは晃飛の実母である芙蓉のことだ。この街一番の妓楼の女将をしているだけあって、この界隈でも有名な相当の情報通である。屯所で自然な形で情報を掴んでくることのできた空斗が不在の今、二人が頼れる人物は芙蓉しかいないのだった。
ただ、それが分かっているくせに晃飛はためらっている。しかも「あの女には会いたくないんだよね」とまで言った。
「そういえば。晃飛さん、最近は芙蓉さんに会ってないですね。どうしたんですか?」
実母に会ったかどうかなんて、晃飛はわざわざ口に出さない。ただ、二人が会うとすれば、その場所は芙蓉が経営する妓楼しかなく、そこに寄った暁には晃飛は必ず食料やら金やらをふんだんに持ち帰るので、それが一切ない日々が続けば――当然察せられるというわけだ。
もちろん、晃飛の方も悟られていることくらい察している。
「よかったら話、聞きますよ?」
軽く姿勢を正した珪己の様子は晃飛のことを心配するがゆえのもので、晃飛は自分の頭に拳を当てて思案したのち、机に顎を載せて脱力した。
「いや、なんていうか……さ」
これ以上心に鎧をまとい続けるのにも威勢を張るのにいい加減疲れていて、それゆえ珪己の言葉はいつになく頑なになっていた晃飛の心にしみたのだった。
「この前あの女にけっこうきついこと言っちゃったんだよね……」
珍しく参ったような表情、口ぶりになった晃飛に珪己が思案気になった。
「なるほど。きついことを言っちゃったんですね」
「うん」
「でもそれは晃飛さんの本音だったんですよね?」
「う、うん。まあね」
溜まりに溜まった本音だからこそ臆面もなくぶちまけられたわけで。
曖昧にうなずいた晃飛に珪己があっけらかんと言った。
「だったら仕方ないですよ。言ってしまった過去は変わらないんですし晃飛さんは晃飛さんなんだし」
「ええっ! それはないでしょ?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……! だって俺、あの女に『俺に金を貢げることに感謝しろ』って言ったんだよ?」
「そんなことを言ったんですか?」
「そう! それにいくら反省してもゆるさないとも言ったし」
こうなったら妹の手で潔くすぱっと斬られたい――そんな思いで続けた晃飛に、澄んだ瞳で珪己が問うた。
「でも晃飛さんはそれくらい芙蓉さんに嫌なことをされたんですよね?」
「う、うん。……そう。そうなんだ。あの女は俺を……家族を捨てたから」
いつしか晃飛は泣きそうな表情になっていた。
斬ってほしかったのは人でなしな自分で、でも実際に斬られたのは本音を隠し続けていた強がる自分だった。
「ねえ。君は慕っていた誰かに捨てられたことってある?」




