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4.5 二人はまだまだ成長できる

 とはいえ官吏とは悲しい生き物で――良季も隼平も、それから三日かけて上奏のための各種情報を収集し、苦心して書をまとめあげた。まとめた書は徐の承認後、玄徳に無事提出された。


「随分頑張ってくれたね。ご苦労様」


 書を受け取るや、目の下にくまを作った二人に対して玄徳が申し訳なさそうに謝罪した。玄徳の方もこの件については優先的に取り組んでいたものの、毎晩決まった時間になると「では帰りましょう」と侑生に半ば強引に李家へと連れていかれるものだから、二人に比べれば健康的な生活を送ることができていたのだ。


 とはいえそこは枢密使、書を手にすればそういったことは頭から一切消し去り、素早くかつ丁寧に中身を読み込んでいった。そうしながらも、気になる部分は手元の紙に書き取ったり、色の異なる栞を挟んだりしていく。それを良季と隼平ははらはらしながら見守った。


「よくできているね」


 褒められ、ほっとしたのもつかの間、「だけどね」と続いた。


「ここをもっとこうしたらいいなって思えるところがあるんだ。聞いてもらえるかな?」


 これが徐であれば、最初から朱色の墨でもって書き込み「この部分を直せ」と突っ返してくる。細かな説明は一切なしで。それくらい自分達で考えろ、と。昨夜も同じ目に遭った――この書もこうして玄徳の手に渡るまでに三度書き直させられている。


 徐のやり方に毎回いら立ちを覚えていた二人だったから、至極丁寧な玄徳の対応にひどく癒された。「はい。よろしくお願いします」と口をそろえて言った台詞も心からのものだ。


「この内容だけどね。朝議を意識したものに変えてみたらいいと思うんだ。より説得力が増すように」

「はい」

「なおかつこれを元に動いてもらう部署のことを考えた内容にしてほしいかな」


 二人に書き損じの裏紙を渡しつつ、玄徳が一つずつ説明していった。


「この白い栞のところはすごくいいと思ったところだよ」


 目に見える形で褒められたことで二人の気分が自然と高揚した。


「この黒い栞のところはもう少し定量的な資料で裏付けをとってもらえるといいね。たとえばここ、関門で何をどの程度審査すると人的かつ費用面の負担が増すか、そういったことが分かるといいだろう?」

「ああ……そうですね」

「それと選択肢があるといいよね。いいか悪いかの二者択一ではなくて、複数の案から一つを選べるように」

「はい」

「だけど自分達の考えや正しさを押しつけてはいけないよ」


 なんてことのないように、玄徳がさらりと付け加える。


「どれだけ相手のことを理解しようとしても、話をしても、すべてを分かったような気になっては危険だ。自分達の知らないことがあるはずだと、そう思うくらいでないと」

「……え?」


 急に曖昧なことを言われて隼平が目をぱちくりとした。

 これに玄徳が小さく笑った。


「じゃ、次はこの朱色の栞だけどね。ここは論理が成立していないように思えて挟んだんだけど」

「えっ」

「私の勘違いかもしれないけどね。たとえばここ、君はどんなことを考えてまとめたのかな」


 突然話題を振られ、良季が軽く息を飲んだ。


 ――このように一刻もの時間を使って、良季と隼平は枢密使直々の指導を受けたのであった。


 

 *



 その夜、玄徳は李家にて昼間の一件を侑生に話して聞かせた。


「まったくあいつらは……」


 話が始まった直後から苛立ち始めていた侑生だったが、すべてを聞き終えるや、玄徳に深々と頭を下げた。


「すみません。私の元部下が至らないばかりに玄徳様にご迷惑をおかけしてしまい……!」


 これに玄徳は手に持つ椀の中身、茶を揺らしながら笑ってみせた。


「何を言ってるんだい。あの二人は私の部下でもあるんだから、あの二人が迷っているのであれば私にも彼らを導く義務はあるんだよ?」

「ですが……!」

「まあ、もうしばらくは二人のことは見守っていたいけどね。大の大人がいちいち教えてもらわなくては動けないなんて、それは恥ずかしいことだろう? でも今は頑なでね。……徐副史のことをもう少し受け入れられる余裕があればいいんだけど」


 数多いる他人の中には自分と合わない人間もいる。それはまごうことなき事実だ。だがそのような人間と出会うたびに無視したり敵対していていいのかと言えば……それは違うだろう。そう玄徳は言いたいのである。


 争いを避けるために関わらないようにする――確かにそれは妥当な策だ。だが単なる妥協にも見える。また、それがゆるされない状況もある。国の大事を決める高職に就く者達にとって、そのような時どうふるまえばいいのか――?


 とはいえ、先程自分で述べたとおり、この件についてはもう少し様子をみようと玄徳は決めている。


「あの二人はまだまだ成長できるよ。なら私達にできることは信じて見守ることだ。違うかい?」


 つい自らの決意を言葉に出してしまったのは、そうすることで自らの正しさを確認したくなったからかもしれない。そんなことを思いつつ侑生に問うと、


「いいえ。おっしゃるとおりです」


 案の状、玄徳を崇拝する侑生は深く首肯した。


「しかし、あの芯国の王子が開陽にいるというのは物騒な話ですね」


 話が変わる。

 だが今度の話題は常に二人の頭にある最重要課題のうちの一つだった。


「来るのならばそろそろかと思っていましたが」

「だいぶ通行規制が緩和されたからね。当然といえば当然だ」


 と、玄徳が表情を和らげた。


「でもよかった」

「え?」

「あの男がこういう行動をとったということは、仁威も珪己も安全に暮らせているということだからね」


 二人のためならば自宅を失っても惜しくないとでもいうかのように、玄徳は柔和な笑みを浮かべている。


 これに侑生が無言でうなずいた。その目がやや潤んだように見えたのは――気のせいかもしれない。


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