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4.4 本当にいいんですね

 玄徳の連れて来た家人らもあてがわれた部屋に引っ込むと、この場に残ったのは隼平と良季、それに清照の三人となった。


「……ああ。俺、そろそろ帰るわ」


 明らかに自分一人が浮いている――そう判断した隼平は、頭をかきつつ「じゃあまた明日」と帰っていった。


 そして二人だけになったところで良季は清照に伝えた。「呉隼平に清照殿との婚姻について伝えました」と。


 これに「あらそう」と答えた清照には当事者らしい恥じらいも喜びも見えなかった。


「隼平さんは驚いてた?」

「いいえ。まったく」

「ふふ。あなたが言っていたとおりね」

「ええ。あいつはそういう奴なんです」


 ところで、と良季が言った。


「本当にこの家を出てもいいんですか?」


 二人は婚姻の儀を終えた後、新居に移ることになっていた。新居といっても、出世間違いなしと言われる枢密院事と気鋭の詩人が住むにはやや貧相な、年代ものの屋敷だが。ここ開陽は四方を壁で囲まれているがゆえに人口密度が非常に高く、近年、地価どころか賃貸料も高騰していた。なので二人は無理をせず手ごろな物件に決めたというわけだ。新居での生活は清照の下で働く家人を五名ほど連れて行くだけの、ささやかなものとなるだろう。


 とはいえすでに決まっていることだ。


 なのにあらためて良季が『この家を出てもいいのか』 と問うたのはなぜか。


「まだ今なら間に合いますよ。本当にいいんですね?」


 まだ今ならば自分との婚姻を反古にしてもいい――家のことを話しているようにみせかけて、良季は暗にそこまで深い話をしているのである。


 しつこいほどに念押ししてくる良季に清照が薄く笑った。ようやく他人事ではない顔つきになったというわけだ。


「良季さん。それは優しさじゃないわ。そんなことを言ったらだめよ。私がみじめになるじゃない」

「ですが」

「もうこの家にはいたくないの。それにわずらわしい世間からも常識からも解放されたいのよ」


 それはまごうことなき清照の願いだった。


 この家には清照が思い出したくない過去がいくつもある。九年もの長い間、ただ一人の男を想って胸を焦がしてきたのもこの家でのことだが、極めつけは侑生が芯国人に斬られたあの日の出来事、そして現在進行形での苦しみだ。


 ここにいると愛に深く溺れる弟と毎日顔を合わせなくてはならない。うらやましい、だけど痛々しい――馬鹿で純粋な、自分そっくりの弟と。


 そして清照は詩人として想像以上に注目を集めてしまった。女で、しかも愛に特化した詩――そのような詩を書く女性ということで。


 詩集に自分の姿絵を載せたのは失敗だったと清照は後悔している。人相から細かな素性まで不特定多数にばらしてしまったことは一生の不覚だ。『あの吏部侍郎の姉』であり、『離縁された出戻り女』で――しかも美人。これだけ揃えば、市井の民が清照に興味津々となるのは仕方のないことだった。


 そして『これだけの女性なのだから』『これほど熱烈な愛を唱える人なのだから』という理屈で――こんな噂をささやかれるようにもなってしまった。


「どのような方と今は恋をされているのかしら?」

「どのような方と再婚されるのかしら?」


 愛を求める女は、いつだって恋をしていなくてはいけないらしい。


 素晴らしい女は、最終的には素晴らしい夫をもたなくてはいけないらしい。


 愛の結末は婚姻によって証明しなくてはならないらしい。


 そんな詩を書いたわけではないのに――。


「高良季。あなたは私をここから連れ出してくれたらそれでいいの」


 きっぱりと告げた清照に、良季は小さく頭を下げた。


 二人の様子は夫婦というよりも上司と部下、恋人というよりも主人と下僕という関係を彷彿とさせるものだった。



 *



 次の日。


 良季と隼平は上司であるじょ承賢しょうけんに呼び出された。


 ちなみに徐とは着任直後から必要最低限、表面的な接触しかとっていない。仕事上の関係と割り切ったさばさばしたつきあいにしておかないと、気に入らないところが多すぎて怒りが爆発してしまいそうになるからだ。……部下である良季と隼平の方が。


 すべての人間と馬が合うとは限らない。この世界には幾多の人間がいて、誰もが同じ価値観、慣習、基準でもって生きているわけではない。しかし相手を変えることは容易ではない。できないこともしょっちゅうだ。ならば自らが変わるか、相手との間に線引きをするほかない。それだけのことだ。


 二人の青年がすかさず後者を選んだのは、それが至極当然だったからだ。たとえ上司とて、正しくない人間にひれ伏すつもりはさらさらないのである。枢密院事とは枢密副史のために存在する職位のはずだが――知ったことか。


「君達は楊枢密使の自宅が全焼したことは知っているか?」


 椅子に深く座ったままで鷹揚に部下二人を見上げつつ語るのは徐のやり方だ。


「ええ」


 何をもちろん、と上司を見下ろす隼平は思っている。そのくらいのこと、市井の民だって皆知っている。だったら枢密院事である俺達が知らないわけがないだろう?


 隼平が内心で不愉快な雑言をつらつらと考えていることは徐も気づいている――気づかないのはよっぽどの間抜けだ。だがこちらも『馬の合わない部下とは仕事以外のことについては語らないほうがいい』ことを知っており、それについては触れることはなかった。


「先ほど楊枢密使から伺ったのだが、あれは放火である可能性が高いらしい」

「でしょうね」


 ふん、と鼻で息を吐きつつ相づちを打ったのも隼平だ。


 そんなことは昨夜の時点でとっくに侑生が気づいているぞ、と心の中で元上司を無意味に持ち上げてみつつ。


 これに徐が意味深な笑みを浮かべた。


「あの放火、芯国の第七王子が関与している可能性が高いとのことだ」

「えっ……」


 不満顔だった隼平、それに無表情を貫いていた良季の表情が一瞬にして崩れた。


「それは本当ですか?」

「ああ。楊枢密使がそのようにおっしゃっている。家の近くで確かにその顔を見たと」


 小生意気な部下二人の態度を崩せたことに徐はご満悦だ。


「そこで、だ。君達にはいくつか仕事を頼みたい」


 小太りな体を揺すらせながら、少女のように瞳を輝かせて二人を見上げてきた。


「まずは開陽中を即刻探索しろ。王子やその関係者を発見次第早急に報告するのだ。そして開陽に出入りする通行人を管理、制限するための素案を提出せよ」

「ちょっと待ってください」


 たまらず口を挟んだのは良季だ。


「なんだね。高枢密院事」

「前者は分かります。ですが後者は朝議の場で判断されるべきものですよね? 枢密院が独断で決めていいことではないと思いますが」

「ほっほっ。だからだよ。いいか、三日後だ。三日後にこの件を陛下に上奏したいと、そう楊枢密使は仰せだ」

「三日後、ですか……?」


 徐がことさらゆっくりと両腕を出し、机の上で手を組んでみせた。


「ああ。陛下の内々の承認を得ておくことで、朝議の場で審議された暁には本件は必ず実行されるだろうとの仰せだ。私の言っている意味が分かるね?」


 これほどまでに大きな案件を任されるのは枢密院事となって初めてのことで、隼平も良季もことの大きさに表情が強張っている。意外にも俺達、この上司に頼りにされているのかもしれないとも思いつつ。


 だが徐の次の発言はいただけなかった。


「ではこの件は君達に任せた」

「……は?」

「私は忙しいのでね。ああ、もちろん、できあがった書類は私が承認する前に上や外には出さないでくれたまえよ」


 隼平も良季も唖然としている。


 それもそうだ。徐は枢密副史となってからほとんど何も実のある成果をあげておらず、ただそのご立派な椅子に座っているだけの存在と化していたからだ。つまりは部下の作成した書類を承認するだけの、ただの人形となり果てていたのである。


 しかしそこは新吏部尚書となった藤固とうこと比べれば格下なだけあって、徐の行動には部下の自発性を促したり、主体的に仕事に関わることでやりがいを感じさせ責任感を醸成しようなどといった意図は一切なかった。ただ、やりたくないのだ。中書省と比べれば大したことのない軍政など――泥じみた仕事など。


「話は終わりだ。さあ、仕事に戻りたまえ」


 枢密副史の執務室から出た途端――隼平が吼えた。


「あの野郎! お前はこれから昼寝をするくせに俺達には働けってかあっ?」


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